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挿話:弟子達の事情Ⅰ

本編には差し障りありませんが、読んで頂ければ他の弟子に愛着が湧くや知れません。

ほんの息抜き程度にどうぞ。


―、弟子達の事情~フレドリッヒ・ラービンの失敗談~


七人いるルビウスの弟子達。その中でも大変優秀で、弟妹弟子の面倒もよくみる一番弟子。

フレドリッヒ=エル・ラービン。

金色の真っ直ぐな髪を頭の高い位置で一括りにし、瞳は澄んだ水色。それほど背は高い方ではないが、痩せた体型であるために、実際の身長より高く見えるようだ。容姿からして女性方に人気の彼だが、女性は苦手であり、常に仕事一直線だ。…誤解があるようだから、念の為言っておこう。断じて彼は男色ではない。

さて、有能なフレドリッヒ。今では師のルビウスから独り立ちし、防衛省、第三部隊隊長として多忙を極めている。

仕事を難なくこなす彼だが、一度だけとんでもない失敗を犯したことがある。後に、ルビウスに弟子入りする切っ掛けとなるこの話を、皆様のお耳にも入れて頂こうと思う。


*********


王都リヴェンデルにあるやしきで、今日も日の光を浴びて一際輝く人がいる。

金髪を頭の低い位置で一つ括りに結び、その髪によく似合う水色の瞳は真っ直ぐに前を見つめている。


「おはようございます、坊ちゃま。」


清潔感溢れる廊下を颯爽と歩く彼に、すれ違う使用人達は綺麗なお辞儀と挨拶をした。


「おはよう。」


優雅に挨拶を返し、歩みを止めずに去っていく彼は、それはそれは美しく、すれ違う使用人達はほぅと息をつくほどだ。

どこかの王太子であろうかというほど美しい容姿。

亡き母に似た彼は、財務大臣として有名なジム・ラービンの一人息子だ。真面目で仕事熱心な男爵の嫡男らしく、生真面目な子息である。

そんな彼は今、父親に呼ばれて執務室へと向かっているところだ。何やら話があるという。


「父上、フレドリッヒです。」


丁寧に扉を叩いて声をかけ、中から返事が返って来てから扉を開けた。


「お呼びだと伺いました。」


机にかじりついて仕事をこなす父親の旋毛を眺めながら、こちらに顔を向けられるのを静かに待った。幾分時が経ってから、不意に父親が顔を上げて、入り口に立ったままのフレドリッヒに気が付いた。


「なんだ?あぁ、フレドリッヒか。少し見ない内に大きくなったな。幾つになった?」


「はい、11になりました。まだまだ父上には、到底適いませんが。」


「そうか、11か。早いものだ。なに、すぐに私を追い越すさ。」


仕事に対して真面目すぎるためか、邸に帰らないことなど当たり前のジム・ラービン男爵。

息子と数ヶ月ぶりに交わした会話が、これである。

ここで、ラービン男爵家の有名な話を一つしておこう。

フレドリッヒの両親は見合いであり、母親が真面目な父親に惚れて結婚したという。やがて、元々身体が弱かった母親は病で倒れ、呆気なくこの世を去った。

その時、フレドリッヒは5歳。

そんな幼子一人邸に残したまま、妻の最期にもさらには葬儀にも、父親は姿を見せなかった。

大事な会議と期限が迫っていた予算案の提出が、2つに重なったからという。

家族より仕事をとった父親。普通はここで、親子の関係は冷え切るものだろう。だが、さすがはラービン男爵家。仕事なら仕方が無いと、僅か5歳のフレドリッヒは執事に助けられながら、母親の葬儀を見事にやりきったのだ。

この話、リヴェンデルでは、大変有名な話である。


容姿は母親にそっくり、性格は父親にそっくり。

ラービン男爵の子息が当主の唯一の理解者であるのは、喜ぶべきことであろうかとラービン男爵家の執事は日々悩んでいる…。


さて、フレドリッヒが執務室に到着して、柱時計の長い針が一周と半分を刻んだ頃。即ち、先程の会話から三十分後である。漸く父親が本題を話し始めた。


「フレドリッヒ、リプイージア候を知っているか?」


「リプイージア侯爵ですか?…えぇ、噂で聞くだけですが。そのリプイージア侯爵が何か?」


「いや、お前ももうすぐ義務教育が終わるだろうから。侯爵に、修行に出そうと思っていると言ったんだ。どこかいい師を知らないかと。」


そう言いながら、土色の癖を掻き、若葉色の瞳を机に落としている。これは彼が、気分が乗らない事や機嫌が悪い時にする癖だ。


あぁ、何かあったな。


無意識にする癖を見ながら、フレドリッヒは何も言わずに察していた。父親は、小さく唸ってからフレドリッヒを見て言葉を続けた。


「そしたら、うちに修行に出せと言って来たんだ。お前も知っての通り、こっちは男爵、向こうは侯爵。断るなんぞ無理なんだ。だが、子供をあんな説教魔の所に、修行に出す親がいるか!?」


あぁ―と髪をむしりながらのけぞった父親を冷静に見やっていたフレドリッヒは、そんなに髪をむしるとさらに禿げますよという言葉を飲み込んだ。昔も寂しかったが、今ではもっと寂しくなってきたのだけれど。


「大丈夫ですよ、父上。」


そろりと顔を戻した父親に、安心させるように微笑んだ。


「なんとかして見せます。」


「フレドリッヒ。」


基本的に不真面目な輩以外は、人の好き嫌いは無い父。そんな父でさえも唸らす人物、恐らく自分も好かないであろうと推測出来る。


わざわざ、好かない人物に弟子入りしたくはない。


「リプイージア侯爵に話をつけてきます。」


頭を下げて、部屋を出ると早速行動に移した。


「リプイージア侯爵に会いに行く。今すぐ馬の準備を!」



グレン・リプイージア侯爵。

魔法で名高いリヴェンデル国に住んでいながら、魔法が大層嫌いな変わり者だ。さらには若い者に限らず説教でねじ伏せるため、説教魔というあだ名がつけられた。

偏屈で頑固。他人が言うことには一切耳を傾けない侯爵は、白髪頭に顎には同じような髭をはやし、小さな老眼鏡を常にかけ、杖片手に時には怒鳴る、まるで絵本に出てくるような気難しいお爺さんだ。そんな彼だから、人に嫌われてしまうは、当然の成り行きであろう。

人に会う度、喧嘩してしまう彼には身近な親戚もいないようで、北東の外れにある荒れた領地に引きこもっているそうだ。王都からかなりの距離があるリプイージア侯爵の領地は、馬を飛ばして六日、馬車で一週間と三日掛かる不便な場所だ。そんな距離を突如として一人で行くと告げたフレドリッヒに、使用人達は同様を隠せない。


「坊ちゃま、お願いですからお一人で行くのはおやめください!」


せめて一人でいいから従僕を連れて行ってくれという使用人達の声も聞かず、簡易寝袋と一週間ほどの食料と着替えを少し馬に積んで飛び乗った。


「旦那様はなんと!?」


「父上は春の予算案の修正にかかりきりだから、放っておいたほうがいいと思うよ。」


それじゃ行ってくると言い捨て、フレドリッヒは出発した。

太陽は空高く上がり、気候は暑いぐらいだ。夏がもう目の前に迫って来たのだと肌で感じる。

王都近くに佇むラービン男爵邸。真面目な当主らしく左右対称の構造の邸は、落ち着いた色合いの黒紅くろべに色だ。そんな邸の敷地を出て、王都へと向かう。賑やかな王都をあまり好かない父親が、程良い距離を空けたため、厳密に言えば邸は王都の区間には入っていない。少々不便ではあるが、フレドリッヒは生まれ育った邸が好きだった。

軽快に王都へと到着すると、人混みが多い道を避けて裏道へと周り馬を走らせる。あっという間に王都の外れにやってきたフレドリッヒは、疑いもせず己の道を駆けていく。

髪をなびかせせる姿は、美しいと一言で言い切ってしまうのは勿体無いくらいだ。そんな美しい彼は頭も良く、人柄も良いと申し分ない性格をしているが、人というものは一つや二つ欠点があるものだ。


はっきり言おう、彼は極度の方向音痴なのだ。しかも本人は自覚が無いのだから、たちが悪い。今も、地図を見ながら見当違いの所へ進んでいる。


やがて、自分が全く違う場所へと来ていることに気がついたのは、まともに向かっていれば六日でつく距離を七日進んだ頃だった。

真面目過ぎるのが災いしたのか、王都から真っ直ぐ国境境のウルーエッドまで来てしまっていた。


「しまったな。」


フレドリッヒは、辺りを見渡して溜め息をついた。

ウルーエッドだということは分かる。

目の前には荒野、見渡す限りに畑と果樹園が見えるから。しかし、道を聞こうにも人っ子一人おらず、時折出現する果樹園が邪魔をして、農家一つ見つけられない。既に自分が来た道が分からない、既に食料もそこをつき、これ以上無闇に行動すべきではないだろう。


「しかし、腹が減ったな。」


馬から降りたフレドリッヒは、道の脇にあった木に馬をつなぎ、自分は木の根元へとへたり込んだ。先程から腹の虫は、その存在を五月蝿く主張し、動くのも億劫だ。


出る前にリプイージア侯爵へ速達便を出しているから、恐らく約束をすっぽかしたと侯爵はカンカンだろう。詫びを兼ねて、手土産を持って伺わなければ。邸では連絡が取れないと、使用人達が心配しているだろうか…?


体は全く動かないが、頭の中は最大限に回転している。それと同時進行で、広大な土地に視線を泳がす。すると、視線の先に黒服を纏った少年が二人、道を歩いているのが目に入った。

ぐるぐると回る頭の中に気を取られて、気づくのが遅くなってしまった。

慌てて腰を上げ、後を追う。


「すいません!」


腹が減っているのにも関わらず、全力疾走で二人の後を追ったフレドリッヒは、息を切らせて声を掛けた。

あまり駆けっこは好きではない、特に長距離は。

しかし、やらないだけで実際やれば出来ることも人間、多く持ち合わせているものだ。


何やら話をしながら歩いていた二人は、会話を中断してフレドリッヒに気づいた。

背丈はフレドリッヒとそう変わらないであろう少年二人が、同時に振り返った。随分と暑くなったこの季節に、揃いの黒の外套を身にまとった彼ら。同じように被る頭の覆いがなんとも不気味だ。


少し警戒したフレドリッヒだったが、外套の隙間から見えた質の良い布地に警戒心を解いた。


「おい、貴様。無礼だぞ!」


「こら、アレックス。初対面で失礼だろう。…あの、僕達に何か?」


向かって左側、少しだけ背の低い少年が不快感を露わに問いかけてきた。その言葉を咎めたのは並んで右側に立つ、年はそう変わらないであろう少年だった。


自分より身分は上のものだろうか、そして二人は恐らく兄弟か。そんなことをフレドリッヒが考えてから、背を正して名を名乗った。


「失礼致しました。私、フレドリッヒ・ラービンと申します。道をお尋ねしたく思い、お声をかけさせて頂きました。」


彼の誠心誠意を込めた自己紹介に、向かって左側の少年は驚いたように口を開け、右側の少年は目を僅かに見開いた。


「あぁ、なんだ。ラービン男爵の御子息でしたか。」


右側の少年は、ふっと視線を柔らかいものに変え、右手で覆いを取って笑顔を向けた。


「僕の名前は、ルビウス・カインド。こっちは弟のアレックス・シエルダ。この時間帯に、人に会うなんて思っていなかったから、警戒して失言した。すまない。」


日の光を受けて輝くのは、漆黒の髪。瞳も漆黒の綺麗な闇を映す漆黒の魔法師を目の前して、驚きで固まっていたフレドリッヒは、同じように覆いを取り払った左側の少年に睨まれて我に返った。


「とんでもございません。こちらこそ、失礼致しました!」


ルビウス・カインド。

カインド公爵の嫡男で、漆黒の髪と瞳を持つ次期当主だ。

年は12であったと記憶しているが、顔付きに似合わず落ち着いた雰囲気を纏う少年、というのがこの時の彼に対する第一印象だった。


「おい、道なら他に聞けよ。」


お前の道案内なんぞしていられるかと不機嫌そうに言うのは、焦茶色の髪をなびかせるアレックス・シエルダという少年だ。兄弟揃って持つ、綺麗な漆黒の瞳が印象的だ。


「アレックス、そんな言い方はないだろう。すまないね、弟はこういう性格なものだから。悪意があるわけじゃないんだ。で、どこまで行くの?」


対照的な性格だなどと思っていたら、穏やかな笑みで漆黒の少年に問われた。


「あっはい、リプイージア侯爵のところへはどういったらいいでしょうか。」


「はあっ?リプイージアの爺のところだって?真反対じゃねえか。お前馬鹿じゃねえの!?」


あからさまに馬鹿にした言葉を投げつけられ、フレドリッヒは僅かに顔をしかめたが、その前に漆黒の少年が笑顔で弟の顔面を拳の甲で殴りつけた。


「うっ、兄上…。鼻が、いってぇ。」


「ちょっとお前は黙ってなさい。」


悶絶する弟を放って、フレドリッヒの背後へ指を向けた。


「リプイージア侯爵の邸に行くには、一度王都に戻らないと行けないね。城から真っ直ぐ北に向かって行ったら、右手にホレグアっていう街に続く道が見えてくる。ホレグアを通り越したら、左手に見えてくると思うよ。」


なる程と納得したフレドリッヒは、丁寧に感謝と述べ、お辞儀をした。


「花…?」


その時視界に漆黒の少年が持つ、大きな花束が目に入って思わず言葉を零した。


「…あぁ、両親の墓参りにね。」


左手に持つ花束を僅かに上げた漆黒の少年は、小さく苦笑を漏らした。


「…おい、道がわかったなら早く行けよ。」


先程まで悶絶していた焦茶色の髪の少年が、どす黒い雰囲気を纏って言ってきた。


「失礼しました。お礼の程はまた後ほど。」


彼に恐縮して、フレドリッヒは逃げるように踵を返した。


「ラービン殿!」


背後からかけられた声に振り返ると、赤い果物が空から降ってきた。


「…弟が失礼した、詫び。」


赤い果物を受け取ったフレドリッヒに、彼はそう言った。


「ありがとうございます。」


頭を下げて礼を言い、フレドリッヒは馬の元へと駆け出した。


「行きましょう、兄上。」


「あぁ…。」


そんな彼を見送っていた漆黒の少年は、弟に言われて体だけ前を向けて返事をした。


「道は教えたんだから、放っておいたらいいでしょう?」


「だけど、彼…。凄い方向音痴じゃないか。」


呆れたように言う弟は、口の悪さから敵を作りやすい。

そんな無愛想な弟に溜め息をついてから、空いている右手を前に伸ばす。何かを手のひらに乗せるようにして広げた彼の手から、ぼんやりとした影が浮かび上がり、やがてそれは犬の姿へと姿を変えた。少年が短い呪文を口にすると、まるで本物の犬ように元気よく駆け出した。向かった先は、丁度馬に乗ったフレドリッヒの所。

ぼんやりとした陽炎のような犬が、きちんと向かったことを確認して、漆黒の少年は口元を少しだけ上げて笑った。


「…彼とは縁があるみたいだから。」


影を共に見ていた弟にそう言って、漆黒の少年は静かに歩き出した。


さて、不思議な影に追われているなどつゆ知らないフレドリッヒは、馬を飛ばして王都へと向かった。やがて影は、ひっそりと馬の後方につき、足元からそっと身を滑り込ませると馬の体を乗っ取った。


「うわっ!」


突如グンと速度が上がった事に驚いたが、体勢を立て直し手綱を握る。こうして、王都にも無事戻り、行きと同じように快調に王都を過ぎ去ったフレドリッヒは、通常ならば六日かかるリプイージア侯爵までの道のりを四日で到着した。

実は、先程の少年のおかげだと言うことを本人は勿論、知らない。


「ごめんください。」


ホレグアの街を通り過ぎてしばらく進んだ所に、リプイージア侯爵の屋敷はあった。屋敷の辺りはモミの木で覆われ、目通しが悪い。

人が住むには少し無理があるような屋敷の前で、フレドリッヒは使用人が出てくるのを待っていた。辺りの静か過ぎる雰囲気が、妙に気味が悪い。


「どちら様ですか。」


やがて、無愛想な執事が一人、扉を開けてフレドリッヒを伺い見た。小柄な陰気そうな男性だ。


「フレドリッヒ・ラービンと申します。先日は、大変失礼致しました。リプイージア侯爵にお目通りを…。」


「本日は、誰も通すなと仰せでございます。それに旦那様は、魔法師にはお会いになりませんので。お引き取りを。」


フレドリッヒの言葉を遮り、一方的に言う使用人に、僅かばかり眉をひそめた。


「私は魔法師ではありません。」


「ほう、そうですか。それは失礼致しました。魔法の匂いをプンプンさせてらっしゃいますので、てっきり…。」


「違います!…お時間は取らせません。すぐにお暇させて頂きますから。」


食い下がるフレドリッヒに、使用人は少し考え込んでいたが、諦めたように屋敷の中へ招き入れた。


「…居間でお待ち下さい。旦那様を呼んでまいります。」


玄関を入って直ぐ右手の部屋へと案内してから、使用人は去っていった。しばし経って、規則正しい杖の音と共に、白髪頭を短く切りそろえたお爺さんが戸口に姿を現した。小さな老眼鏡と切りそろえた白い髭が、特徴的だ。


「リプイージア侯爵、突然お邪魔しまして…。」


「何の用だ。」


有無を言わせない気配に、怯むことなく言葉を続けた。


「先日は失礼を致しました。これは、ほんの詫びの気持ちです。」


詫びの品を近くの机に置き、侯爵に向き直った。詫びの品を手に取らず、部屋にも入って来ない侯爵は、黙ったまま何も言わない。


「リプイージア侯爵、父から話は聞きました。私を弟子にと仰って頂いてるようで。有り難い事なのですが、お断りさせて頂きたく思いまして、本日は無理を言いまして屋敷に入れて頂きました。本当は、先日お断りさせて頂きたかったのですが。」


申し訳ないさそうに言うフレドリッヒだが、リプイージア侯爵の顔付きが険しくなったのに気づいて思わず後ずさった。


「…儂の誘いを断るだと!?半人前の小僧がっ。」


見れば、右手に持った杖はわなわなと震え、顔は赤みを帯びている。侯爵は、大きく息を吸い込むと大声で怒鳴った。


「約束を忘れるわ、突然前ぶりもなく屋敷を訪ねてくるなどと、非常識なことをしておいて断るだと!お前は何様のつもりだっ。おまけに魔法の匂いをぷんぷんさせて、リプイージアを侮辱しているとしか思えん!どうやって育てられたか知らんがな、どうせろくな両親ではないんだろう!だから、息子が馬鹿真面目に育つんだっ。」


急に喚き出した侯爵は、杖をむちゃくちゃに振り回してフレドリッヒに迫ってきた。壁に追い込まれた彼には、既に逃げ道がない。


「おまけに、どこぞの魔法使いの分身を引き連れて!とっとと正体を現したらどうだ!?インチキ魔術師め!」


そう侯爵が声を張り上げると、フレドリッヒの背後がぼやけ、うっすらと影が立ち込めた。それはみるみるうちに人の形を取ったかと思うと、フレドリッヒとより少し高い少年の姿を出現させた。


「っ!?」


漆黒の髪に同じ瞳を持つ彼は、国境境で会った少年。そう、ルビウス・カインドであった。


「やあ、ラービン男爵の息子さん。あぁ、久しぶりに陰分身をしたもんだから肩が凝ってね、悪いけどちょっと肩を揉んでくれないかな?」


突如現れた漆黒の少年は、こきこきと首を回しながらフレドリッヒを見やった。場違いなその言葉に戸惑っていると、熟したトマトのよう顔をした侯爵が、唾を飛ばしながら怒鳴り散らした。


「この汚らしい血め!儂はお前のような者を屋敷内に、入ってよいと許可した覚えはない。今すぐ出てけっ!出て行かぬなら叩き出してやるわ。」


杖を振り回す侯爵に、すっかり怯んだフレドリッヒだが、少年は面白いものを見るように年老いた彼を見てから会釈をした。


「こんばんは、リプイージア侯爵。勝手に失礼させて頂いています。僕だって好きで、ここまで来たわけではないんですよ。ほら、彼…、ラービン男爵のご子息は極度の方向音痴でしょう?心配でついて来てしまったんですよ。」


自身が方向音痴だと言われて衝撃を受けるフレドリッヒだが、そんな彼を置いて少年は言う。


「ついでに、リプイージア侯爵はお元気だろうかと思いまして。しかし、人をインチキ魔術師とは失礼な。金儲けだけのために仕事をしている彼らと、一緒にしないで頂きたい。それとも年のせいで、魔法師と魔術師の違いさえ分からなくなりましたか?」


嘆かわしいと首を振る少年に、侯爵は怒りで倒れそうになりながら言い返した。


「今すぐ儂の前から姿を消せ、今すぐにだ。」


「ご心配なく、すぐに失礼させて頂きますよ。勿論、玄関からね。」


それじゃと戸口に向かって悠々と歩いて行く少年の後ろ姿をフレドリッヒは呆然と見、そして我に返った。


「ラービンの息子よ。儂の誘いを断るからには、相当の理由があるのだろうな。えぇ?」


戸口から視線を外さない侯爵が、凄みがある声でそう問い、フレドリッヒは縮みあがった。


断ることだけで頭が一杯で、そのことを考えるのをすっかり忘れていた!


冷や汗を掻くフレドリッヒは、落ち着きなく部屋を見やり息を呑んだ。


「理由は…、わ、私…。」


その時、視線に入って来たのは、侯爵にバレないよう、後ろを伺い見る少年の小さな笑みだった。


「…ルビウス・カインド殿の弟子になります!」


言い切ってから、フレドリッヒはしまったと目をむいた。斜め向かいからは、リプイージア侯爵がひぃっと息を吸い込む音がする。

戸口に佇むルビウスは立ち止まり、こちらを向いていたが、驚いたように数回まばたきを繰り返していた。やがて、困ったなというように笑って言った。


「ということです、リプイージア侯爵。御納得頂けましたか?」


血の気を失っている侯爵に声をかけるものの、彼はあまりのショックで声が出ないようだ。


「…フレドリッヒ、帰ろうか。」


首をすくめたルビウスは、フレドリッヒに声をかけて歩き出した。

慌てて後を追う。


しばらくして、後ろから怒声が聞こえてくる頃には、二人は追い立てられるように屋敷を後にしていた。


「驚いたよ、いきなり弟子になるって言うんだから。」


おどけたように言うルビウスの数歩後ろで、とぼとぼとフレドリッヒが歩いている。

リプイージア侯爵の屋敷に続く林の中を二人は歩いていた。


「…申し訳ありません。」


何故あんな事を言ってしまったんだと後悔するフレドリッヒだが、ルビウスはあっけらかんと言った。


「まぁ、僕も掻き回してしまったし。責任はあるから。気にしないでいいよ。」


歩く速度を緩め、フレドリッヒと並ぶ。


「本当に僕の弟子になるの?やる気があるなら、弟子にしてあげてもいいと僕は思っているのだけれど。君、素質ありそうだし。」


「え?」


「えっ!?知らなかったの?」


驚いたように顔を上げたフレドリッヒに、同じように驚いた顔が重なる。


「ラービン男爵の奥方、あまり知られてないけど呪術師でしょう?小さな呪いぐらいしか出来なかった見たいだけど、遠目の能力は素晴らしいものだったって爺様が言ってたよ。…もしかして聞いてなかったの?」


自分の母親の事であるが、初めて知った。

うなだれるフレドリッヒに、ルビウスは小さく溜め息をついて話を続けた。


「遠目の能力は遺伝するんだ。君にもその能力があるみたいだけど、封印されてるね。多分、侯爵が封印させたんだろうけど。…知らない?リプイージア侯爵、君のお祖父さんでしょう。」


初めて知らされる衝撃の真実に、本日三度目の打撃を受けた。


「リプイージア侯爵は昔から魔法嫌いで有名で、呪術師になりたいって言った一人娘に大反対。大喧嘩の末に母娘を勘当したって言うのは、北の国まで話が伝わってるほどだよ。」


「母の名字は、伯爵でした。それに、私は侯爵と一度も会った事がありません。」


「リプイージア侯爵の奥方の実家が伯爵だから。娘さんが亡くなってから、母親そっくりの君を引き取りたくなったんじゃないかな?…君、少しは情報収集と人の心を察するようになったほうが、言いと思うよ。」


恐らく、侯爵なりに一緒に住まないかという誘いだったのだろう。それを初めて会った孫に拒否され、おまけに当てつけのように魔法使いの弟子になると言われてしまった。なんとも気の毒なことである。


さて、一歳しか違わない少年に呆れられたフレドリッヒは、真面目に勉強して、食べ物の好き嫌いが無く食事をするだけでは、世の中やっていけないようだとようやく分かり、頭を下げて弟子入りを頼んだのだった。



こうして、一歳違いの少年を「先生」と呼ぶ奇妙な関係が始まる事となる。

遠目の能力の為に、自然魔法が使えないことには苦労したが、普通の勉学と魔法試験共に首席を保持したのには、ルビウスも驚いた。よく働き、何事もそつなくこなすようになるには、そう時間は掛からず、ルビウスを慕う大変優秀な弟子へと成長していった。



やがて、自身でもやってしまったと自負している弟子入りの頃の彼の失敗談は、ルビウスだけが知る事となる。

時たまその失敗談を持ち出して、フレドリッヒをからかっているルビウス。

リプイージア侯爵に今でも恨みを買われている彼だけど、若いカインド公爵に小言を言う度、孫の近状を聞きたがる可愛さに免じて、許しているという。





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