15.未来の自分
随時長くなりました。
洞窟内はかなり広く、古くから存在していたようだった。もろくなっている天然の土壁は、少し触れるだけでパラパラと音を立てて崩れくる。そんな洞窟には、リリアンヌとレイチェルの二人分の足音だけしか響いていない。順調に進む中、真っ暗な天井を住処にする蝙蝠の群れに追いかけられたり、時折レイチェルが地面から突き出た岩に躓くぐらいの程度で、だいぶ出口に近づいたように錯覚する。
「出口ってまだなのかな。」
「…お腹すいた。」
「出口についたら、ルビウスさんに頼んだらいいじゃない。」
不安が募るリリアンヌに対して、レイチェルの腹の虫はさっきから煩く主張してきて、挙げ句の果てにレイチェルはしゃがみこんでしまった。
「もう動けない。」
「えー?そんなこと言われても。」
服が汚れる事も構わず、ぺたんと座り込んだレイチェルに困ったなぁと言いながら、辺りを見渡した。
「リリア、ご飯にしよう?」
今いる場所は道のど真ん中だが、危険な動物などは居そうにないので、仕方ないとリリアンヌは手元にあった明かりを頭上に上げて、レイチェルの隣に座り込んだ。
「何か持って来てる?」
「ううん。」
「何も持ってないのにご飯って。」
気が小さいのか図太いのかわからないと思いつつ、魔法でカインド邸から食べ物を呼び寄せた。
「…しかし、なんでこうも人に会わないのかな。」
あの場所に落ちていた人数は、かなりいたように思う。時間がたつにつれ、謎ばかりが増える。
「あれ?レイル、お腹空いてるからって、私のサンドイッチまで食べないでよ。」
「食べてない。」
手元にあったサンドイッチは、リリアンヌが考え事をしている間にすっかり姿を消している。レイチェルは澄まして牛乳を飲みながら、あっさりと否定しているが、二人しかいないこの場所に彼女以外に犯人がいるわけがない。
「うそ!それに、レイル意外に誰が食べるって言うのよ。」
あくまで自分ではないと言い張るレイチェルに、とうとうリリアンヌは怒ってしまった。
「お腹は空いたわ、疲れたわ。レイルもここから出る方法を真面目に考えてよね!」
「考えてる。」
「考えてない!我が侭ばっかりだもの。私、レイルのお守り係りじゃないんだからね!もう、レイルなんて知らない!」
まだ一口も食べていなかったサンドイッチは、リリアンヌの怒りに拍車をかけた。まだ座り込んでいるレイチェルをおいて、スタスタと一人先へと進み始めた。
「リリア。」
知らないものは知らない。
少し反省すればいい。
後ろからレイチェルの半泣きの声が追ってくるが、構わず突き進む。真っ暗な中進むのはなかなか困難であったので、リリアンヌは少し進んだところにあった曲がり角に身を隠した。
「リリアぁ~。」
泣きながら後を追ってきたレイチェルは、キョロキョロとリリアンヌの姿を探してすすり泣いている。その姿を見て、少し可哀想になり、仕方なしに出て行こうとしたときだった。
「ひゃあっ。」
左の頬を何かの動物に舐められた感触があり、左手で頬についた粘り気のある液体を拭った。
「何…。気持ち悪い。」
明かりをつけて液体を確かめると、どうやら唾液のようだ。そろりと明かりを上に、左側を照らすとそこには、口から唾液をだらだらと零したコブラの群がこちらを伺っていた。
「ぎっ、ぎゃっあ!」
「リリア…?」
「レイル、は、走るよっ。」
リリアンヌは叫び声をあげて、その声に顔を出したレイチェルを引っ張り全速力で走り出した。
「なんで?」
「こ、こぶらが。ここの洞窟コブラが住んでるんだよ。」
「コブラ?ここらへんでは見かけない。南の方だといっぱいいた。」
「とにかく逃げなきゃ。食べられちゃうよっ。」
「コブラは肉食?」
「そんなの知らないっ。帰ってから調べなよ!ひっ、追ってきた。」
「そうしょう。」
なんともマイペースなレイチェルは、コブラの群れをちらりとと見ていった。
「コブラ意外に速い。リリア、魔法を使おうか。」
「そだね。出来ればやり合いたくないし。逃げるが先だよ。」
お互い頷くと、各々履くブーツに加速の魔法をかけた。上質な皮で出来ているこの長靴は、簡単な魔法でもかかりやすく出来ている。小さく踏み出せば、数歩先、大きく一歩踏み出せば、何キロも先にあっという間に足を加速させて移動出来る加速魔法は便利ではあるが、少々使い勝手が悪い部分もある。
「レイル、どこまで行くのっ。あぁ、もう!苛々するわ、この靴。」
靴を履き始めた当初よりも足に馴染んではいるものの、あまり使わない魔法の調節に四苦八苦し、レイチェルはうっかり躓いて急速に何十キロも先に飛んでいってしまった。リリアンヌもレイチェルを追って足の幅を調節すると、たどり着いた先はどこかの煙突の上だった。
「外には出れた。」
「出れたけど、会場の出口から出ないといけないよ。勝手に他国に来てるってバレる前に、早く戻らなきゃ。」
灰色の霧がかかったこの場所は見晴らしが悪く、肌寒いため春が来ているリヴェンデルではない。二人がいるのは山頂のようで、空気がとても薄く吐く息は白く色をついている。
「戻ろう、レイル。いっせのせで右足を大きくだすよ。いい?いっせの―せ。」
方向転換をして二人仲良く飛んだ先は、コブラの目の前。
「「わぁー!!」」
大きな口から慌ててのがれ、上手く使えるようになった加速魔法をリリアンヌは二人分解いた。
「これは、やめとこう。ひー、疲れた。」
「リリア、あれ出口?」
まるで、ずっと走り続けていたかのように足がパンパンになった二人は、ドサッと道にしゃがんだ。その時、ふわりと暖かな風が頬を撫でて、陽の光がもれる場所へ顔を向けた。
「行こう、レイル。」
ほっとひと息ついて、そちらに向かう。
「…うん?」
しかし、踏み出した足にぶにょりとした感触が足元から伝ってきて、リリアンヌは凍りついたようにその場に立ちすくんだ。
「どした?」
「なにかを踏んだような…。」
「踏んだ?」
「…蛇、みたいな?」
恐る恐る足元を伝って顔を上げれば、かなり怒った表情のコブラの親玉がこちらを見ていた。
「いぃ―っ!」
【氷結】
声にならない叫びをあげるリリアンヌを援護して、レイチェルはコブラに簡易魔法を放った。しかし、先っぽを凍らせただけで、全く役に立たない。
「レイル、全然効いてないよ!余計怒ってるしっ。」
何やってるんだと叫び、リリアンヌが今度は攻撃に出た。
【気品ありし炎の者達よ。我が元へと集い、邪神ある者を凪払いたまえ。】
左手の人差し指をマッチ棒をするかのように地面に擦り、そこから出た血を代価に炎を繰り出すと、瞬く間にごうごうと燃える炎がコブラへと向かった。リリアンヌにしてはまずまずの出来だったその火は、迎え撃ったコブラの火炎で難なく跳ね返させてしまった。
「炎で返された…。コブラって火を噴くの!?」
「変化とまやかしの術で、ドラゴンと一体化されてる。」
帰ってきた炎から慌てて各々に逃げた二人だったが、全く別方向に逃げてしまったので、会話を交わすのがやっとの位置にいる。
【造られたモノよ。本来ありべき姿へと戻れ。】
【風来の起】
先に唱えたリリアンヌの呪文は、破壊の魔法の次に危険とされている解連の魔法である。絡まった魔法同士を解く際に使われるが、解かれた各々の魔法が拡散されるため、その反動で様々な障害が生まれるという。一方、レイチェルが起こしたのは、調節を間違えれば竜巻を起こすほどの風を用いた魔法であった。この2つ、大変相性が悪く、同時に同じ場所で絶対使ってはいけないと言われているものだった。しまったと思ったときにはすでに遅く、レイチェルの竜巻でリリアンヌの魔法は、己の元へと跳ね返って来てしまった。その魔法の力で吹っ飛ばされたリリアンヌは、固い物体に頭をぶつけて気を失ってしまったようだった。
「ちょっと、早く起きなさい!」
「うぅーん。」
ガンガンと痛む頭に、さらにゆさゆさと揺さぶられてうっすらと目を開けると、どこかで会ったことがある女性の姿がある。
「あぁ、今日の事だった!すっかり忘れてた。とにかく、伸びてないで早く起きて!」
だんだん覚めてきた頭をあげると、今度は女性の姿がはっきりと映る。ぱっちりと開いた目に映ってきたのは、なんと少し大人びた自分の姿だった。
「えぇっ!?私っ!」
銀の髪は、肩より少し伸びていて、深緋の瞳を持つ顔はしかめっ面をしているために、不機嫌そうに見える。しかし、見間違えるはずはない。正真正銘、少し大人になった自分だった。
「そう、私はもう直ぐ16になるリリアンヌ。いろいろ説明してあげたいけど、ここは人道りが多いし、とりあえず場所を移動しないと。」
早く立ってと急かされる未来の自分に、困惑しながらも立ち上がった。辺りを見渡すと、随分高そうな藍色の絨毯が敷かれた、どこかの広い屋敷の廊下のようだ。
「こっち!」
少し古びた壁をキョロキョロと眺めるリリアンヌを未来の彼女は、苛々したように手招いた。慌てて後を追う中、どこからか話し声が聞こえてくる。
「あぁ、もう!ちょっとここに隠れて。いい、絶対に声出したり、顔だしたりしないでね?」
近くにあった大きな石像の隙間に押し込められ、その埃っぽさにくしゃみが出そうになる。
「リリア、こんなところでどうした?」
必死にくしゃみを抑え込めている時、石像の向こう側から大人びた男性の声がかかった。幾分低い声だが、それは聞き間違えようもない、兄弟子。フレドリッヒである。
「試験まで時間があるから、ちょっとここの建物を見て回ってるの。フレッド兄さんこそどうしたの?」
「いや、シエルダ侯爵に呼ばれて。過去からの侵入者がいるらしい。建物の内部にいるようだし、リリアも気をつけるよう。」
「ふーん、侵入者ね。」
そろりと会話の途中で、好奇心から石像の後ろより顔をだした。六年経ったフレドリッヒは、青年の面影をバッサリと切り捨てて、すっきりと大人の男性としてその場に佇んでいる。26歳にもなれば、当然だろう。彼は、リリアンヌに気がつかず、未来のリリアンヌに試験頑張るように言って去って行った。
「今のってフレッド兄さんだよね。へぇ、男前になってる。」
フレドリッヒが完全に見えなくなってから、石像の後ろから這い出て未来の自分を見上げた。
「そんなにみたいなら、六年後に好きなだけ見えるわよ。まさか、六年後のみんなを見てみたいなんて言わないでよ?」
「あ、バレた?それより過去からの侵入者ってもしかして、私のことだったりして。」
「そういうこと。時空渡り(ときわたり)は禁忌の魔法なのに、許可もなく使ってさらには魔法省の本部に侵入。未来(過去)の自分に会ったなんて、見つかったら私も、あなたもただじゃ済まないのはわかるでしょ。」
先を促して、六年後のリリアンヌは石像の脇にある階段を登り始めた。その後を追いかけながら、憤慨して言い返す。
「あら、わざとじゃないわ。」
「知ってる。レイルとの魔法が被って運が悪かった、って言いたいんでしょ?」
にっと笑う自分にぷぅと頬を膨らませた。
「まっ、とにかくこの部屋に入ってこれからの事を考えよ。」
「ここは?」
通された先は、書類が山積もる立派な机を始め、低い机を挟んで向かい合う長椅子と本棚が並ぶ。部屋を見渡して訪ねれば、未来の自分は扉を閉めながら悪戯っぽく笑った。
「魔法大臣の執務室。」
「まさか…、ルビウスさんの?」
「そうよ。侵入者がまさか魔法大臣の部屋に行くなんで誰も考えないでしょ。」
いや、それにしてもさすがに不味いのではないか。
そわそわとしだしたリリアンヌを見て、未来の彼女はぷっと吹き出して笑った。そんな彼女を怪訝そうに見やったリリアンヌの視線に気づいたようで、彼女は小さく首をすくめた。
「面白いなと思って。」
「何が?」
「こう、昔の自分を見たら、まだまだ子供だったんだなって。」
そん時は意地張って背伸びしてたのにね。
机の向かい側にある窓を覗いた彼女は、そう言って笑った。
「意地なんて張ってないもの。」
「ほら、そんなところが素直じゃないじゃない。」
違うと言う彼女はリリアンヌを笑って、窓枠に腰掛けた。
「私、16になるっていったじゃない?今日は卒業試験、あなたも試験だったんでしょ。」
「そう、初めての試験。」
「私達の試験日って災難だわ。」
呪われるかもと笑う自分につられ、リリアンヌも自然と笑いが零れる。
「しかし、今日まで六年後の自分に会ったこと忘れてた。でも、ぶらぶら歩いててなんか吹っ飛んできたなって思ったら、昔の自分が目の前に伸びてるだもん。あぁ、いつかやると思ってた!って思ったね。」
けたけた笑う、自分にむっとして言い返す。
「ちょっと、失礼じゃない?それに、そんなこと言ってるけど自分のことでもあるんだから。」
「そっか、そうか。」
ごめんごめんとちっとも悪気はないように謝る彼女は、その先を続けて言った。
「でも、このまま10歳の私がここにいるのはやばいから、早く帰る方法を考えなきゃ。」
「えっ!」
「え?」
「時空渡り出来ないの?卒業試験間近なのに?」
「あのねぇ、卒業試験受けるからって、何でも魔法が使えるってわけじゃないだから。」
「そ、そなの?」
あからさまに落胆したリリアンヌは、ぼすんと長椅子に沈み込んだ。
「なに、そのあからさまな落胆は。そりゃ禁止されている魔法や術ぐらいあるでしょが。」
バカじゃないのと呟く未来の自分に、リリアンヌはガバリと顔を上げて叫んだ。
「じゃ、どうやって帰るのよ!」
「しぃー、声がでかい!だから、今から探そうとしてるじゃない。」
あんたも探してと遠慮なく辺りを物色し始めた彼女に、リリアンヌもとりあえず始めた。
「ね、こんなところにほんとに帰る方法があるの?これじゃ、ルビウスさんに直接頼んだ方が早いんじゃない?」
早速探すのに飽きたリリアンヌは、16になる自分にそう聞いた。
「うーん、確かここまで来たのは覚えてるんだけど。」
「どうやって帰ったの?」
「それが、良く覚えてないんだよね。」
「えぇー。じゃあ、私帰れないの?あ、でも六年後の私がいるってことは、無事帰れたんでしょ。まっ、気長に行こうよ。」
「そうは行かないでしょ。私はこれから試験だし、それまでに帰って貰わないと。それに、その時に一人しかいない人物がずっと未来にいると、元にいたとこに帰るのが困難になるんだから。」
「なんで?帰る時間はいつでも一緒なんだから、いつまでもいてもいいんじゃないの?」
「人それぞれその時に歩まなければいけない場所があるんだから。それに、よく考えてみなさいよ。ここでの生活が良くなって、ずっといるとするでしょ?過去の自分がここに来たなら、未来の自分が歩む者事態がいなくなって、未来に来てる過去の自分もそこにいる未来の自分も、消えてしまうんだから。」
「ふーん。でも、気をつけたら自分だけの犠牲で済むんじゃない?」
「自分だけの人生を狂わすなら、いいかもしれないけど。何も巻き込まない訳ないでしょうが。興味本位に過去の歴史をひっくり返したり、死ぬはずの人間が生きていたりするかもしれない。人類の全てを狂わす時空渡りだから、昔に禁止になったって。まぁ、それまでは渡った先に干渉しないって条件で使われてたみたいだけど。習わなかった?」
まだ習ってない。
短く答えたリリアンヌは、これからどうなるのかと憂鬱な気分となった。
「確かね、ここで二人で話してたような…。」
じっと考えに浸る未来の自分を興味本位でじろじろと眺める。その視線に気がついたのか、彼女の視線とふっとかち合う。
「なに?」
「別に。私も年頃になったら、それなりの容姿になるんだと思って。」
16になるといっても化粧一つしない自分は、お世辞にも綺麗とは言い難いが、一度だけみた母譲りの髪と父譲りであろう深緋の瞳があるために、見栄えはなかなかあるだろう。
「ね、レイチェルは試験受かった?ヴィア姉さんは彼氏とか出来てる?ジョーンに兄さんはどんな仕事についてるのかしら?あ、後ルビウスさん、結婚してたりして。」
次々に出てくる質問を交わして、六年後の自分はぷいと顔を背けて拒否した。
「駄目。教えられない。」
「ちぇっ。ケチ。」
「ケチってなによ。未来の自分と会って話してることさえ、今は禁止なんだから。」
「つまんないわ。」
オリヴィアに似たのか、未来の自分は大人になってちっとも面白くない。
「今の状況を説明してくれるって言ったのに。」
「あら、説明したじゃない?今は六年後の卒業試験の当日で、そんな私に会ってしまった。時空渡りをするつもりはなくても、レイルとの魔法反発が起こって未来に吹っ飛んできた自分をわざわざ面倒みてあげてるんじゃない。時空渡りは禁忌だから、見つかる前に帰って頂戴って話。」
「それって説明?それに、せっかく来たんだから、色々教えてくれたっていいじゃない。」
「わざわざ来たんじゃなくて、たまたま吹っ飛んできたの間違いのくせに。」
うっと言葉に詰まるうちに、はぁとため息をつかれてしまった。
「もうちょっと危機感を持ってよね?」
「そうだね、リリアンヌは昔から危機感が薄い。」
突如割って入ってきた声に、お互いびっくりしたように扉に目を向けた。
「やぁ、六年前のリリアンヌ。会えて光栄だよ。」
にこやかにそう笑う人物は、少し年を増したものの、それが逆に立派な男性、紳士となってリリアンヌには全く別の人物に思えた。
目の前に、27になったルビウスがいた。
「いつの頃まで時空渡りをしに行ったのか、六年前のリリアンヌは結局言わなかったから、見つけるのに少し時間がかかってしまったよ。」
ぼーっと見つめる10歳のリリアンヌから、ふてくされている未来のリリアンヌに目を移したルビウスは、困ったように眉を潜めながら続けた。
「で、なんで僕にすぐ言わなかったんだい?」
「試験で忙しいって言ってたじゃない。それに、自分の事は自分で片付けようとしただけよ。」
ずっとそっぽを向いた六年後のリリアンヌに、困ったようにはぁとため息をついてルビウスは、腰をかがめて顔を覗き込んだ。
「確かに、試験官として忙しいけれど、一言言ってくれても良かったんじゃないか?」
「私だってさっきまで忘れてたのよ!」
かばっと立ち上がった自分を眺めて、何かおかしいとリリアンヌは口から言葉が自然と出ていた。
「もしかして、二人喧嘩してるの?それに、何か…。」
違和感がある。それがなにかわからないが、眉をしかめて二人を見つめた。
「あぁ、まぁそんなところかな?とにかく、試験もあるのだから10歳のリリアンヌを帰して話そう、いいね?」
「考えは変わらないわ。」
「それでもいい。けれど、僕によくよく説明して欲しい。」
そう言って10歳のリリアンヌを帰す為の準備をしに、隣接する部屋にルビウスは消えていった。いまいち状況が飲み込めない中、未来の自分に説明を促すように見上げた。
彼女は首をすくめて、小さな声で少しだけ話してくれた。
「私、卒業試験に受かったら成人でしょう?だから、カインド邸を出ようと思って。自立したいのよ。」
「それをルビウスさんは反対してるの?」
「まぁ、そんなとこ。」
ルビウスが準備が出来たからと二人を呼ぶ声で、話は中断され、大人しく二人は揃って隣の部屋へと足を踏み入れた。そこには、白いチョークで描かれたさほど大きくない魔法陣が一つと、天井にも同じ魔法陣があった。
「君は時空渡りが始めてだし、魔術で少し反動を抑えてあるんだ。」
もの珍しそうに眺めるリリアンヌに、ルビウスはそう説明してくれた。
「もう帰されちゃうの?」
さぁと促されて円に入ろうとした時、ふとルビウスを見上げてそう聞いた。せっかく来たのに、あまりに帰るのが早くはないか。
「あまりこちら側の者に知られない内に、帰った方がいいからね。」
そんなリリアンヌの考えていることを読んだかのように、ルビウスは苦笑して言った。
「じゃっ、私に一言言いたいことあるんだけど。」
最後に一言いいでしょう?そう付け加え、ルビウスの許可を取って魔法陣から少し離れた所にいる自分にパタパタとかけて、小さく耳打ちした。
「私、家出て自立するの良いと思うわ。」
応援してると肩を叩いたら、少し嬉しそうに笑った。
「ありがとう、流石私だわ。」
でしょう?と得意気に笑うリリアンヌに、六年後の彼女はお礼に良いことを教えてあげる、と耳うちしてきた。
「それって、良いこと?」
耳打ちされた内容に、怪訝そうに顔をしかめたリリアンヌは、未来の自分に背中を促した。
「良いことよ。」
何が良いことか。
少しムスッとしてルビウスの元へ戻ると、彼はもういいかい?と声をかけてきた。
「えぇ、ルビウスさんは私にお説教はないわけ?」
「あぁ、六年前の僕がこってりお説教をするはずだから。」
げっ。と声をあげるリリアンヌにふふと笑い、頭を撫でた。
「気をつけておかえり。」
「えぇ。六年後もなかなか格好いいわって、今のルビウスさんに言っといてあげる。」
「それは光栄だ。」
嬉しそうに笑うルビウスと、六年後の自分にじゃあねと言って陣の中へ。完全に魔法陣の中へ足を踏み入れた時、後ろからルビウスの唱える呪文をが聞こえたのを最後に、リリアンヌは眩しい光の中へ引き込まれた。
その後どうなったのかは、よく覚えていない。
気づけば、顔を蒼白にしたルビウスと泣きじゃくるレイチェルの顔が目の前にあった。
「…私、戻ってきた?」
リリアンヌの声に、幾分ほっとしたルビウスはそうだよと呟き、疲れたように近くにあった椅子へと腰掛けた。
「現場監督からリリアンヌが、魔法の反発で消えたと聞いたときは、肝が冷えたよ。あぁ、レイチェルは掠り傷程度で、大した怪我はなかったよ。具合はどうだい?ロウ医師を呼んでこよう。」
あの場にいたレイチェルに大きな怪我がないことを知り、ほっとして自分も大した怪我が無いことを確認しすると、席を立つルビウスを慌てて引き止めた。
「もう大丈夫よ。」
「駄目だ、大人しく寝てなさい。すぐに戻る。」
「ロウ医師なら、私が呼んできます。」
脇にいたらしき人物に今気づくと、それは不機嫌な顔をしたアレックスだった。
「いいや、途中爺様の所に寄らなければ行けないから。二人を頼むよ。」
ゆるゆると顔を振ったルビウスは、かなり不機嫌なアレックスとまだ泣き止まないレイチェルを残して慌ただしく部屋をあとにした。
気まずい空気が部屋を包む中、なかなか泣き止まないレイチェルを宥めることに集中していたリリアンヌの耳に、ドスが利いた無愛想な声が入る。
「さっきから煩い。さっさと泣き止め。」
「ちょっと、女の子に向かってそんな言い方ないじゃない…ですか。」
ムッとしてキツく言い返して見れば、じろりと睨まれたために小さく言葉をつけたした。
「だから餓鬼と女は嫌なんだ。」
窓際に寄りかかりながら、無愛想に外を眺める彼から呟かれた小さな言葉を聞き取ると、ふっと小さく笑いをこらえて言い返す。
「確かに、子供と女性に人気ありそうには見えないもの。兄弟でも随分違うのね。」
「聞こえてるぞ。」
「あら、失礼しました。」
そんな話をしていれば、ルビウスに連れられて年老いた医師がやってきた。
「ほっほ、まだ幼いのに時空渡りとは。まだ見習いでありながら、無事戻って来れたのは幸運なことじゃ。しかし、あの魔法が禁止されて約、えーと。」
「14年だ、爺。」
「こら、アレックス。口が過ぎるぞ。」
リリアンヌを診察する白髪頭の老師に変わり、答えたのはまだ不機嫌なアレックスだったが、その言葉使いをルビウスに窘められてしまった。
「構わん、構わん。現に爺なのだからの。そうか、14年か。昔は、お前さん方のご両親やセドウィグ殿下が使っておられたもんじゃが。」
さぁ、これでよし。と左手に巻かれた包帯を確認して、今度は銀色の髪を分けて頭部を診察した。
「うーん、少し頭を打っておるなぁ。今冷やした方がいいんじゃが、直ぐにカインド邸に帰るのなら、屋敷に戻ってからも大丈夫じゃろ。二、三日冷やして様子を見ようかの。」
後日診察に来ると言い残して帰るロウ医師に、お礼を言って頭をさすっていると、後ろから声がかかった。
「リリアンヌ、怪我をしているところ悪いけれど、診察が終わったら帰る前に、マクセル侯爵という人の元へ出向かなければ行けないんだ。レイチェルも。その人のところを行ったら帰って大丈夫だから。」
「マクセル?」
「うん、…まぁ、ちょっと変わった方のだけれど。」
口を濁したようだから、さぞかし怖い人なのだろうか。
「兄上、私も参ります。」
「いや、東の塔の試験会場が少し混乱してるようだから、僕の変わりにそちらに向かって欲しい。」
「しかし…。」
「多分、広間にいらっしゃる義兄上も駆り出されてるだろう。義兄上ばかりに負担をかけてはいけないし。それに、あの人はあまり苦情処理には向いていないから。僕は大丈夫。」
「…わかりました。」
少し迷っていたアレックスも、大人しく引き下がって部屋を出て行った。
「いいかい?君達は黙って頭を下げればいいからね。」
そう言って、ルビウスは念を押した。彼女達がやってきたのは、人通りが少ない廊下の先にある部屋の前。アレックスが出て行った後、ルビウスは試験の総監督であるマクセルという女侯爵の元に、今回の騒動を謝りにいくという。
身なりを整え、扉を叩く。
中からは、少し年を召した女性の声が聞こえて、ルビウスに続いて部屋へと入った。
「約束通り、謝りにきたのねぇ。」
薄暗い室内は、あちらこちらにガラクタらしき荷物が置かれ視界が悪く、煙草の匂いと甘ったるしい匂いが混ざって酷く不愉快だ。
そんな中、ガラクタの山の向こうから現れたのは、長い煙管で煙草を吹かした中年の女性。魔法師が着用する黒い法衣を着崩して、ふくよかな胸を際どい所まで見せている。同じ女であるリリアンヌでも、思わず白いその胸に目がいってしまうほどだ。
右隣では、レイチェルが自分の胸と見比べていた。
「弟子がご迷惑をおかけしたので。謝罪が終われば、すぐにお暇致します。」
「まぁまぁ、連れない事を言わないで。そんな所で立っていないで、こちらにいらっしゃいな。お弟子さんも一緒に。」
女性独自の少し高めの声に、眉を寄せると、すぐそばにいるルビウスを仰ぎ見た。彼は、リリアンヌを見ずに小さくため息を吐くと、渋々ガラクタをよけて近づいていった。リリアンヌ達も嫌々後に続く。
「ごめんなさいね、汚い所で。」
琥珀色の長い髪をピンでまとめて、マクセル侯爵は苦笑すると自身の執務机に浅く腰掛けた。脚を組んだ際に、法衣に深く入った切れ目から白く美しい脚が覗いた。
あまりに際どい服装に、リリアンヌは目の置き場所に困り、下を向いた。その姿にルビウスも困ったからか、はたまた気分が悪そうなリリアンヌ達を思ってか右側にある窓を見ながら、侯爵に問いかけた。
「窓を開けても?」
「あぁ、窓は開けないで。虫が入ってくるの。で、えーと。試験での違法魔法のことでよかったかしら。」
「えぇ。」
あっさり却下され、話が変えられたことにがっかりしながら、リリアンヌはとにかく早くここから出たいと願った。
「解連の魔法と風来ね。出来はまずまずだったみたいだけれど、選ぶのがいけなかったわねぇ。この2つ、相性が悪いと言うのは知っていて?」
いきなり聞かれたことに驚いていると、さり気なく横からルビウスが答えた。
「まさか解連の魔法を使うとは思わなかったので、風来との相性は詳しく教えていませんでした。」
「ふーん、そう。」
嘘ではないが、本当のことではないルビウスの答えに、マクセル侯爵は負に落ちないような返事をした。淡い緑の瞳が、じろじろと彼女達を見つめる。
「気に食わないわ。」
ひゅんと風を斬る音と共に、リリアンヌとレイチェルは一瞬にしてガラクタの山に吹っ飛ばされた。
「マクセル侯爵、何をなさるのですか!?」
「ルビウス、あなたお弟子さん達に魔法をかけていらっしゃるわね。私を随分とコケにしてらっしゃるんだこと。」
「いいえ、そのような事は。」
リリアンヌ達が自力でガラクタの山から立ち上がるのを横目で見ながら、ルビウスは素っ気なく答えた。それが逆に侯爵の気に障ったようで。
「連れない子。ねぇ、もっとお顔をよく見せておくれ。あぁ益々、父君に似てらっしゃること。でも…。」
真っ黒な長い爪を持つ手で、ルビウスの顎を固定していた侯爵は、ふーっと煙草の煙りをルビウスに吹きかけて言った。
「あの憎らしい魔女にもそっくりだ。」
僅かに顔をしかめて煙りから顔を背けたルビウスの元を離れ、高い踵がある靴音を鳴らしてリリアンヌ達の元へ近づいてきた。
「今日は可愛いアレックスは、来ていないんだね。」
「仕事がありますから…。」
「仕事、ねぇ。」
じろりと品定めするような視線に、きっと睨みを利かせると、侯爵はぴっとゴミを弾くように、レイチェルを壁に貼り付けにした。
「レイチェル!」
「何するのよ!?」
怒りに声を上げた二人に、侯爵はさっと魔法で窓掛けを閉めると、機嫌良くルビウスの元へと煙管を吹かしながら近づいていった。
「人魚族と古代魔女なんて、ルビウスには似合わないよ。私がいい子を選んであげるさ。」
「お断り致します。」
「おやま、可愛くないこと。そうそう、リリアンヌ・カインド、レイチェル・カインド。両名を違法魔法使用容疑で、魔力を剥奪しようか。今後、魔法に関わることも禁ずる。」
「あなたにそのような権利がおありで?」
「古来からこの国の審判を任されている、マクセルの血をなめるもんじゃないさ。」
ルビウスの静かに怒る声に、ビクッと肩を震わしたリリアンヌとは別に、侯爵はいかにも楽しそうだ。
「おっと、動くんじゃないよ。私はレイチェル・カインドの命を握ってるんだからね。まぁ、ここは私の城だから、下手なことは出来ないだろうが。」
「…何が目的ですか。」
僅かに身動きをしただけで、厳しく諭されたルビウスは、眉を寄せてマクセルを睨んだ。
「いやだね、何も脅しているわけじゃないんだよ。ほんの少し、私の相手をしてくれたらいいだけで。」
舐めるようにルビウスを眺めるマクセルを、リリアンヌは反吐が出そうな気分で見つめていた。
あんな魔女に眺められているルビウスには悪いが、レイチェルを助ける方が先だ。
きょろきょろと辺りを詮索するリリアンヌを放って、二人の話は平行線を進んでいる。
「悪いですが、生憎そういう趣味はないので。」
「まぁ、そうかい。クロムウェルの若い頃の面影があるのに、そういう人に屈しない所はあの魔女の血を受け継いでいるのか。しかし、いつまでそんな生意気なことを言ってられるのかね。」
「うっ!」
壁に貼り付けにされているレイチェルに、そろりそろりと近付いていたリリアンヌは、どさりと倒れた物音に振り返った。苦しそうに顔を歪めたルビウスの体の上に、マクセル侯爵が長椅子に乗るように乗っかっている。
非常にいや、かなりやばそうだ。
ルビウスが何とかしてくれるだろうと高をくくっていたが、この様子ではみな、無事ではすまないのではないか。
「まぁまぁ、子供がみるようなもんじゃないよ。あぁ、それか…。」
何も考えられなくなった頭に、かぁっと血が上ると同時にひゅんと顔の左側に何かが突き刺さる音が聞こえた。
「そんな風になりたいのかね。」
ちらりと視線だけで確認するとそれは、ルビウスの真っ黒なとんがり帽子で、マクセル侯爵の煙管でくし刺しに刺さっていた。