13.父子の関係
食堂に逃げ込んだリリアンヌは、オリヴィアとは鉢合わせしないよう、さっと食事を済ませ、しばしの間レイチェルの部屋で厄介になっていた。
春に弟子歴三年になる彼女は、何度かあった試練に落ちてしまったらしく、来年にある再試験を受けるのだという。しかし、二度あるその試験も、私情で受けられなくなったという。なので、二回目の春にリリアンヌが受ける試験を一緒に受けるのだそうだ。
「ブレハ湖にいるお母さんが、具合が悪くて。帰って来いって。一年、学校も休学する。」
「そっか、寂しくなるね。」
こくっと頷くレイチェルは、さらに心配ごとがあるらしい。
「リリアと受ける試験に落ちたら、弟子辞めて帰って来いって。」
「えぇっ!だ、大丈夫!レイル、受かるよ。…たぶん。」
かなりいい加減に慰めたが、レイチェルにはいい気休めになったようだった。気分をよくした彼女は、その後部屋で丁寧に勉強を教えてくれた。
そしてむかえた週末。久しぶりに姿を見せたルビウスに連れられ、リリアンヌは王城の奥へと足を踏み入れていた。
「ルビウスさん、本当に私なんかが、こんなところに来ても大丈夫なの?」
先程から、数えるのも面倒くさくなるぐらい何度も同じ質問を口にするリリアンヌに、ルビウスは平然とリリアンヌの前を歩いている。
「さっきから言ってるだろう?大丈夫だって。おまけにレイチェルの容姿だって借りてるしね。僕の腕を信じなさい。」
「………。」
「…何かな、今の間は。そんなに僕は信用ならない?」
歩みを緩めたルビウスと並んで歩きながら、小さくため息をついて呟いた。
「よく言うよ。全く。」
「何か?」
「いいえ?なにも。」
しらっとルビウスの問いに答えて、自分の容姿を見てみる。彼が邸に戻ってきて最初にしたことは、リリアンヌをレイチェルの姿へと変えたことだった。ふんわりと綿菓子のような乳白色の髪に黄金色の瞳。愛らしいその姿が何故か、自らの姿になっている。
「ぎゃーあっ!なんじゃ、これ。」
「…リリアンヌ、君は女の子なんだから、もっと可愛らしい悲鳴をあげてもらいたいね。」
到底、年頃の女の子の叫び声ではない声をあげたリリアンヌに、ルビウスはやれやれとため息をこぼした。
「ご希望に添えなくて申し訳ありませんね、先生。」
「…城についたら、その言葉使いやめるんだよ?」
リリアンヌの言葉にそう言うだけに留めたルビウスは、レイチェルの姿を借りているだけの借り姿の魔法というのだと教えてくれた。
「リリアンヌの姿ごと城に入るのは、流石に危険だからね。あまり姿を晒さない、レイチェルの姿が一番最適だと思って。年も同じだし、外ではあまり喋らないから。乗り移りの魔法や、変身術はお互いの身体に負担が大きいし、高度な魔法なんかをかけて城に入ったら、すぐに怪しまれてしまうしね。」
「借り姿って、私がレイルの姿を借りてる間、レイルはどうなるの?」
ルビウスに急かされながら、あのふわふわとする真っ黒な外套を着て、準備を整えた。
「ギリギリ魔法規制に引っかからない古い魔法だから、レイチェルも君も負担は無いはずだよ。レイチェルには、しばらく邸の中にいるように言ってある。さぁ、行こうか。」
と言う具合で、フードを目深に被っているリリアンヌは、易々と六番目の弟子、レイチェルとして城に入り込めたのだ。しかし、不安なものは不安で。何度目かになる、お決まりの質問を繰り返していた。
「さぁ、ついたよ。」
城の奥、森と言えるほどのだだっ広い庭を抜けてたどり着いたのは、こじんまりとした屋敷だった。がっちりとした煉瓦造りのその屋敷は、レイヘルトンの街中にあった建物を思い浮かべ、随分冷たい印象を受ける。
「ルビウス=レオ・カインドです。セドウィグ殿下にお取り次ぎ願います。」
リリアンヌがぼけっと屋敷に見とれている間、ルビウスは屋敷の鐘を鳴らし、出てきた使用人に伝え、しばらくたって玄関戻ってきた使用人屋敷に従って、中に入ろうとしていた。
「レイチェル、ぼけっとしていたら、置いていってしまうよ。」
いつもと違う名前にはっと視線を戻せば、にこやかに微笑むルビウス。リリアンヌは、静かにルビウスの元にへばりついて屋敷の中へと足を踏み入れた。本当は、ルビウスなどにへばりつかず、屋敷を観察したいところだが、本来のレイチェルならば、恐らくこのような行動をしたはずだから、しばらく我慢しようと思ったのだった。
客室へと通された二人は、家主であるセドウィグ殿下ではなく、リヴェンデル国の宰相を務めるルーベントを見つけて驚いた。
「ルーベント宰相、一体どうしてここに?」
「私も宰相という立場ですからね…。」
「お決まりの国王陛下からのご命令かい?」
「…そんなところです。」
トゲトゲしい二人の挨拶を聞くリリアンヌは、ルビウスが小さく「国王の犬が。」と忌々しそうに呟いたのも聞こえたが、至って落ち着いていた。レイチェルの姿を借りているのを見破られれば、国王の元にひっぱだされるだろうが、フードを深く被っているし、ルビウスの背後にいるためわかりはしないだろう。
「レイチェル、セドウィグ殿下はまだいらしていないみたいだし、僕は宰相と少し話があるから好きにしておいで。余り遠くには行かないようにね。」
席を外すように言われたリリアンヌは、静かに頷いてさっと部屋を出た。あのルーベント宰相は、あまり好きになれない。ただ者ではない雰囲気が、あの身体からだだ漏れているから。
喜々として廊下を歩いていると、その廊下の突き当たりにひっそりとある一つの扉を見つけた。真っ黒なその扉は、少しだけ隙間が出来ていて、鍵がかかっていないことがわかる。そこから部屋を覗きこめば、吹き抜けの天井にある窓からまだ明るい日の光が差し込んでおり、書斎であろうその部屋の住人は留守であることが伺えた。来た廊下を振り返ってみると、客室は少し離れているが、ルビウスの目が届かない範囲ではなさそうなので、少しの間お邪魔することにした。部屋へと足を踏み入れると、柔らかな深紅の絨毯が出迎えてくれ、足音も立てずに部屋の中を歩ける。吹き抜けの部屋であるが、天井までの距離はさほど遠くはなく、少し形、硝子色が風変わりな窓が並んでいる。 その天井から目の前にある机へと視線をやると、この部屋の主は余程慌てて出ていったのだろうとわかった。書類はぐちゃぐちゃで、黒い墨壺は中身が全て机の上に広げてあった、紙へと吸い取られている。
「悲惨ね。」
まさしくその一言が相応しい惨状だった。ルビウスの机や椅子よりも高級であるとわかる家具だが、あちこちに墨がつき、変わった模様にしか見えない。机の背後に並ぶ本棚をしばし眺めていたリリアンヌは、脇にある階段に気がつき、ゆっくりと登っていった。上の階はあまり広いとは言い難いスペースに、本棚と揺り椅子が一つ、あとは床一面に本があるぐらいだ。リリアンヌも、ここぞとばかりに揺り椅子に座り、揺らしてみる。ちょうど日があたるその場所は日向ぼっこに最適で、帰りたくなくなるぐらいだった。
「この揺り椅子、頂戴っていったらくれるかな。」
セドウィグ殿下に会いに来て、ここはその殿下の屋敷ということも忘れて、思わずそんなことを口にしていた。そんなことをあの宰相の耳にでも入れば、怒られるだろうなと思っていた時、ふと一つの窓硝子から何かが動いているのが目に入った。
「人影…?」
すぐに消えてしまったその人影は、確かに人間のようだった。
「えらくふらふらしてたような。」
心配になったリリアンヌは、急いで書斎を出ると少し考えて、屋上へと繋がる階段を駆け上がった。あの場所から見えるのは、恐らく屋上であろうから。
「ひぃ、ひぃ、はぁ―。」
まだまだ若いリリアンヌでも、一気に階段を駆け上がれば息もきれ、呼吸を落ち着けなければいけない。
「えっと…!?」
折り曲げていた上半身を上げて辺りを見渡すと、目の前に飛び込んで来たのは、柵もない屋根の上から上半身を乗り出している男性の姿。
「わぁーーー!」
ちょっと待ったと口にするよりも、真っ先に駆け寄り慌てて男性をこちら側へと引っ張りこんだ。勿論、服をむんずと掴んで引っ張ったのだから、男性は「ぐぇっ!」とアヒルのような声を出すことになり、二人共々屋根の上に転がり込んだ。
「ちょっと、なに考えてるの!あんなに身を乗り出したら、落ちて死んじゃうでしょ。馬鹿じゃないのっ。」
まるで、投身自殺のような景色を目のあたりにしたリリアンヌは、気も動転したように相手へと怒鳴りつけた。
「…何って、君こそ、けほっ。何だい。」
相手といえば、襟元を締められたために苦しそうに目尻に涙を浮かべて、言葉をだそうと苦戦している。
「なんだいって…。」
まだ言うのか、この男はと男性の顔を見たとたん、怒りもどこかへ吹っ飛んでしまった。なにせ、カインドの図書室で現れたあの男だったから。
「あなた…。」
図書室では少しぼやけてわかりにくかったが、明るい外で見る男性は見たことがある姿だった。真っ黒な髪は肩より下で、真後ろに一括りに束ねて風になびいている。真っ赤な深緋色の瞳は、美しくリリアンヌをうつしていた。
別荘でアレックスに鏡を見せられた時、そこに映っていたあの姿が。
「君は…。」
向こうもリリアンヌに気づいたようで、深緋の瞳を見開いてリリアンヌへと腕を伸ばしてきた。肩に手が乗せられた時、ビクッと体を震わせたリリアンヌに構わず、男性はそっと顔を覗き込んで来た。
「マリー…?」
震えるその声に顔を上げれば、瞳を潤ませた深緋とぶつかった。そこに移るリリアンヌは、いつの間にか古代魔女の姿であるリリアンヌが移っている。
「マリーにそっくりだ。けれど、君は違うのだろう?」
切なそうに声を絞り出す男性は、そっと手を離すとじっとリリアンヌを見つめてきた。
「図書室で一度あったね。」
「ルビウスさんの七番弟子のリリアンヌ・カインドです。マリーは…、ローズマリーは、私の母だそうです。あなたがセドウィグ殿下ですか?」
「…そうだよ。正式な名は、セドリック=ファム・リヴェンデル。母がつけたセドウィグという名が好きだから、みんなにはそう呼んで貰ってる。そうか、マリーの。やっぱり、僕の父親の感は当たったって言うわけだ。」
少し、嬉しそうに笑うセドウィグ殿下はリリアンヌの頭を優しく撫でて、しばらく口を噤んでしまった。天気の良い空が広がる中、二人の間には気まずい雰囲気が包んでいる。
「あのっ。」
「えっと。」
気まずい雰囲気から脱しようと、口を開いたのは同時で、またまた気まずい雰囲気となってしまった。
「ローズマリーは…。」
父だと言われても、話したいこともないリリアンヌは、その言葉を口にした殿下を見上げてしばらく黙っていた。
「死にました。私の目の前で。」
「うん、知っている。けれど、それを実の娘に教えられるなんてね。」
欲していた答えを口にしても、殿下は静かに瞼を閉じて空を見上げた。涙を見せなくとも、泣いていることはリリアンヌにもわかっている。
「最低だね。そう思わないかい?愛する妻を守れず、未だ眠る場所さえも知らない。自分の娘さえも探し出して守ってもやれない。それなのに、自分はのうのうと楽に暮らしている。」
目を開けて空を見つめる父を見つけていたリリアンヌだが、自分も同じ空を見上げて話しかけた。
「でも、仕方ないんでしょ?それに、私のことルビウスさんに頼んで探して貰ってたって。」
「人頼りじゃないか。君に父親だなどと名乗りでるなど。」
静かに首を振る父に、リリアンヌは静かに語った。
「私は、別にいいの。父親がいなくたって、母親が生きていなくても。生まれてから、両親がいないのが当たり前だったから。」
それを聞いて、悲しそうに目を伏せた父に、聞いて欲しいと話しを続ける。
「でもね、お母さんには一度会った。夢の中で。とっても優しそうな人だった。そんなところが好きだったんでしょう?だから、私を見て最初にそう言った。まだ、お母さんのこと愛してるんでしょ?」
「優しそうに見えて、マリーは結構自分の意見は言う女性だった。僕にとって、彼女以外に想う女などいないから。君は本当にマリーにそっくりだね。」
愛しい人を語るその顔を見つめたリリアンヌは、にっと笑って父の腕を叩いて言った。
「それならいいの。その想いがあれば、お母さんも何も言わないと思うから。私が、両親がいないのが普通だと思うのは、簡単には考えは変えられない。だから、殿下がお母さんの話をして、私にも母親がいるって。父親が生きてて良かったって思えるように話を聞かせてよ。」
にこやかに笑うリリアンヌをびっくりした顔を見つめていたセドウィグは、くしゃっと顔を歪めると、リリアンヌの頭に手を置き呟いた。
「逞しいな、私の娘は。」
「リリアンヌ!」
そこへかけられたのは、切羽詰まったルビウスの声。
「あ、ルビウスさんだ。」
慌ててやってきた彼は、相当探していたのか、リリアンヌを見るやいなやあれほど遠くにいっては駄目だと言っていたのにと怒り出した。
そして、素直に詫びるリリアンヌの隣に立つセドウィグを見て、おやという顔をした。
「あれ、殿下。こんなところでどうしたんですか。」
「いや、ルビンが来るまで飼い猫を探してたんだけど、うっかり落ちそうになって。」
リリアンヌに助けられた。と苦笑する彼は、穏やかな表情を浮かべている。その表情から何かを察したルビウスは、小さく微笑みを漏らして、リリアンヌへと向き直った。
「さて、帰ろうか。」
「え、もう帰るの?」
まだ父と話足りないとでも言うリリアンヌに、彼は駄目だよとたしなめた。
「あんまり長居をしてると、ルーベントにバレるからね。お互い、話が出来たのなら今日の目的は達成されたし。」
「もしかして、謀ったの?」
「…策士だな。」
平然と言うルビウスに対して、初めて対面した父子は、なんとも息の合った言葉を投げかけた。
「どうとでも仰って下さい。」
全く悪びれもなく言うルビウスに苦笑したリリアンヌに、セドウィグは控えめに聞いてきた。
「リリ…と呼んでも?」
「ええ、ご自由にどうぞ。」
にっこりそう許可したところで、間に割って入ってきたのはルビウスである。
「セドウィグ殿下が、リリアンヌのことをなんと呼ぼうか勝手ですが、彼女は殿下のことは父と呼べませんよ。」
「あら、どうして?殿下がそう呼んで欲しいなら、私、そう呼んでもいいのに。」
呼び名は対して気にしない。そう言うリリアンヌだが、ルビウスは首を振って否定した。
「セドウィグ殿下は、結婚していないことになってる。書類上ね。そんな人が、子供がいるとしかもその子が、古代魔女とあたりに知られれば、大混乱だ。リリアンヌの身を守る為にも、公にしないほうがいい。」
仕方がないねと言うセドウィグの言葉もあって、納得するしかなかった。
「また会いに来ても?」
ルビウスについて行きながら、ふとそんなことを聞きたくなったリリアンヌは、振り向きながら、まだその場に立つセドウィグに聞いた。
「そっちに会いに行くよ。内緒でね。」
にこやかに笑う彼を見て、リリアンヌも悪戯っぽく微笑み返した。
「まさか、またうちの図書室に無断で来てたんじゃないですよね。」
その会話を聞いて、怪訝そうに振り返ったルビウスに、セドウィグは「何のことだろう?」ととぼけたのだった。
「ルーベントが来るからそろそろ行こうか。」
はぁとため息をつき、セドウィグに会釈をすると、颯爽と階段を降りていった。そんなルビウスをリリアンヌも慌てて追う。
「セドウィグ殿下って変わってるね。」
思わず口をでた言葉に、ルビウスはすこし苦笑しながら肯定した。
「そうだね。先王の生まれ変わりだから。」
「先王の生まれ変わり?」
「36代国王殿下。代々リヴェンデルを継ぐ国王の中で、魔術を使えた珍しい人だよ。セドウィグ殿下の父にあたるその人は、蘇りの能力を持つ人だったんだ。蘇りは、本人は死んでいるけれど、その魔力と精神を器に合う者に輪廻させることだから。セドウィグ殿下に、先王の精神が寄生してるってとこだね。」
一階へと降り立ったところに、前方からルーベント宰相がやってきた。
「セドウィグ殿下は、上に?」
「屋上にいらっしゃったよ。僕達はもう用事が済んだから、お暇させてもらうけどね。」
怪しむルーベント宰相を置いて、どこかご機嫌が良いルビウスは既に玄関へと向かっている。
「あ、さっき借り姿が解けてたけど、大丈夫なの?」
玄関を出る間際に思い出したリリアンヌは、慌ててルビウスに伝えた。
「あぁ、君を見つけた時にかけ直しておいたよ。」
なんてことはないと、ルビウスは話し、ところでと繋げた。
「セドウィグ殿下は、邸に離幽の術で来ていたのかな?」
「理由?」
「離幽だよ。生きている人間が、全く別の場所に魂を飛ばすことの出来る術なんだけど、分身の術よりかなり危険な術だから、殿下にはやめて下さいと言っていたのだけれど、図書室にまた無断で来ていたのだろう?」
「…さぁ?私は知らない。」
図書室に来ていたことが見つかれば、もう会いに来てはくれなくなる。約束したし。とリリアンヌはまるで悪戯を隠す共犯者の気分で、素知らぬ顔を貫いた。
「君達は、たちが悪いね。」
そんなリリアンヌに苦笑して、ルビウスは一言そう言って、それ以上は何も言わなかった。
城に向かって歩いている際に、ふと後ろの屋根を振り仰ぐと、屋根に腰掛けたセドウィグが空を見上げているのが目に入った。
父子という関係にすぐになれはしないけれど、友達にはなれそうだとリリアンヌは、小さく微笑んだ。