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第五話 遠い日の記憶

一部にほんの少し流血、残酷な描写がございます。今回は、リリアンヌ視点となっています。

不意にどこからか優しい声が耳届いて来て、重い瞼を開けた。

見慣れない屋敷の天井が見えるだけの一室で、一体ここはどこだろうかと見渡し、起きあがろうとして体を動かすが、どうも上手くいかない。

手足が短く、頭が重い。まるで、赤ん坊のようである。まさかと思い、思い通りにならない手足をばたつかせて、体を捻ってみる。白い天井が反転して、木で出来た柵が横に見える。ひんやりとする白い布を頬に感じて、自分は赤ん坊を寝かせる寝台の中にいることを悟った。柵越しには若い女性と何かがいるように見えるが、それが何なのかはっきりとはわからない。もっとよく見ようと、体を捻って一回転して、更に体をひっくり返すと近くなった柵に顔面を勢い良くぶつけてしまった。


「ふぇ」


余りの痛さに自然と泣き声が口から漏れて、次第にそれは大音量で部屋に響いていった。


「あらあら。起きたの?」


その声と共にふわりと体が浮き、ゆらゆらと揺れる心地良い腕の中で、涙で濡れた瞳を瞬くと目の前には、白を含み、明るい灰色の長い髪に鮮やかな赤色の瞳を持った女性が、こちらを優しく覗き込んでいた。


「寝返りを打って柵に顔をぶつけたのね。ふふ、お馬鹿さんね、リリは」


ちゅっと音を立てて額に口付けされ、そのくすぐったさで自然と笑い声が零れた。


「…マリー様」


そんなのどかな雰囲気の中、どこからか控えめに掛けてくる声があった。誰だろうと身をよじって姿を探すが、見つかったのは開いたままの小さな窓と、真っ暗な闇だけだった。


「折角のお誘いだけれど…やっぱり、答えは変わらないわ。まだ王都も安全と言えないし、何よりこの子、リリと今は静かに暮らしたいの。ごめんなさい」


すまなそうにそう言った女性は、窓の外に向かってリリアンヌをあやしながら答えた。


「そうですか。貴女がそう仰るなら仕方ありませんね」


少し疲れたようなその声は、残念そうにその言葉を呟くともぞもぞと闇の中で身じろいだ。


それを合図と取って、女性は姿が見えない相手を見送る為、リリアンヌを抱いたまま窓辺へと近づいた。


「では、師にそのように報告させていただきます」


「えぇ、シリウス様によろしく。あの人にも元気だと伝えて」


「また振られましたと伝えますよ。しかし本当に、お子様がお生まれになった事をお伝えしなくてよろしいのですか…?」


「だって、生まれたと知ったら会いたくなってしまうでしょ?」


相手の軽い無駄口に笑いながら、女性は闇が色濃くなった深い紫色を交えた空を見上げた。


「ギルバート、ひと嵐来そうだわ。急いだ方がいいんじゃない?」


「そのようです。ローズマリー様、リリアンヌ様、また近い内に伺いに参りますので」


「気をつけて」


バサッと力強い羽音と共に、近くにあった木の枝から葉を揺らして飛び立ったのは、前半身が鷲で後半身が馬の姿を持つ獣だった。ゆっくりと羽ばたいて去って行った獣を見送っていった女性は、窓をきっちりと閉めて寝台の近くへと戻った。


「貴女のお父様に会えるのは、もう少し先のようね」


少し寂しそうにそう言った彼女は、ふっと切なそうに笑って再び寝台へと寝かせた。今まで側にあった温かさが離れていく寂しさで、自然と両腕が女性に伸びた。


しかし、手には何も捕まえられず、虚しく宙を切っただけだった。


「お手紙を書いてしまわないと。ちょっとの間、ここでいい子にしてて頂戴。ねっ?」


そう言って寝台から離れると、彼女は窓辺にある机に背を向けて座った。

長く綺麗な銀色の髪を眺めながら、あの人が自分の母親なのかと悟った。確かローズマリーと呼ばれていた。初めて知った実の母の名と姿、声。今までぽっかりと穴が空いていた心の奥が、ゆっくりと満たされて行くのがわかり、一人その何とも言えない嬉しさに顔が緩んでしまう。そんなふわふわとした中、バンっと窓に勢い良く何かが打ちつけられた大きな音で、とっさに身を縮めた。


「大丈夫よ。今のはただの風だから」


手紙を書き終えたのだろうか、母親がリリアンヌの所へと戻って来て、リリアンヌを抱き上げてあやした。


「だけど、嵐と一緒に嫌なモノが近くに来てるわ」


眉間に皺を寄せて、母親は窓を睨んでいる。


「…来るわね。リリ、少し寒いけれど外に非難しましょう。室内に居てはこちらが不利だわ」


さっと柔らかな布に包まれながらされるがままの状態で、大人しく母親の腕の中で揺られていた。やがて、冷たい風と激しい雨が頬に叩きつけ、外に出たのだと悟った。ミシリと建物が軋む音を聞いて、勢い良く走り出した母親に驚いて、彼女を見上げた。

危うく舌を噛みそうになったではないか。

そう思って睨んだが、母親は真っ直ぐ前を向いたまま走っている。突如響いた地響きの衝撃でバランスを崩した彼女に、後ろから眩しい閃光が次々と放たれてくる。


「くっ」


幼い子供を腕に抱え、背後を取られた彼女は、端から見ても完全に不利な状態だった。寂れた町中を右左に複雑に曲がる中、後ろからの攻撃から逃れて、彼女はすぐ目の前に見えてきた森の中へと駆け込んだ。直ぐ左脇に飛んできた閃光を間一髪で避けると、それは木にぶち当たり、一瞬にして燃え上がって灰と化していった。その脇を物凄い速さで駆け抜けた彼女は、小声で呪文を呟くと辺りの木々に淡い水色の光を放った。


その光は彼女が通り過ぎると同時に光の力を増し、深い森の中に追っ手の悲痛な声が辺りに木霊した。その隙に、このあたりで一番大きいのだろうか、一つの樹木の根元の窪みにすっぽりと隠した。


「ここにいなさい。静かにしてるのよ?大丈夫、いい子ね」


今にも泣き出しそうな母親を慰めようと、また離れていく温もりを放さまいと、彼女の顔に縋るように両手を伸ばした。


どこにも行って欲しくなくて。…側に居て欲しかった。


しかし、母親はその手を取ることは無かった。


「愛してるわ。可愛い私のリリ。あの人と私の大切な宝物。側に居れなくても、ずっと見守ってるから」


柔らかな接吻を頬にして、母親はさっと木の影から光に飛び出して行った。


「待って!行かないで。嫌だ、置いてかないで、お願い…おかあさん!」


精一杯の悲痛な声は、小さな赤子の泣き声となって空に響いたが、突如降り出した雨音にかき消された。


遠くで爆発音が絶え間なく響き、雷が怒りを露わにしている。

あれからどれくらい泣いたのだろう。

嵐が去ったように辺りが静かになり、そっと瞳を開けて体を動かした。

木々の間から見える分厚い雲は、移動しながら名残惜しそうに小雨を降らし続けており、ぐずぐずとした天気はまだ続いている。辺りにある木々は焦げ臭い異臭を放ちながら、黒々とした煙りを立ち上らせていた。


そこまで周りを見渡して、ふと視界に飛び込んできたのは、まだ若い女性の手。その手はピクリとも動かず、こちらへと伸ばされていて、その先に雨に濡れる銀色の長い髪がだらりと広がっていた。嫌な胸騒ぎがして、女性の顔をよく見ようと身をよじる。母では無いことを祈りながら。

少しずつ角度を変えて女性の顔を見ようとしていた時、不意に喉に息苦しさを感じた。と思った瞬間、重力に逆らって体が浮いた。どこからか現れた大柄の男が、首を右手で易々と掴み、空中にぶら下げていたのだ。


「ちょっとちょっと!あまり体に傷をつけずに綺麗なままで連れて来るようにと言われてるんだから、手加減して下さいよ~」


どこか愉快そうな声が大柄な男の背後から聞こえ、覆いを目深に被った人物がその後ろから姿を現した。


「それじゃ、首の骨が粉々に砕けて美しくないでしょ?あんたの力、波半端じゃないんだから」


「…手加減する。魔法、面倒くさい」


ぼそぼそと呟いた大柄の男の声が聞こえたのか、踊りを踊るかのようにくるりと一回転しながら灰色の外套を靡かせて、後ろの人物は仕方がないとでも言うように答えた。


「そうだね。ちゃっちゃと片付けてあの方の下に帰ろう。ちゃんと手加減してよ?怒られたくないしね」


わかってる。そう小さく呟いた大柄の男は、ぐっと手に力を入れて首を絞めていく。

苦しさのあまり、手足をばたつかせて苦しさからのがれようともがいた。すると、その手足のどちらかが、大柄の男の灰色の覆いに当たったらしく、パサリと覆いが頭から滑り落ちた。

不自然なほど青白い肌を持ち、栄養が行き渡っていないかのようにパサパサの茶髪の男。顔中返り血で汚れ、瞳は殺意に濡れて血走っている。その男を一目見ただけで、首を絞められている今とは違う恐怖が湧き上がってくる。そして、恐怖に身を凍らせたのがわかったのか、男はそれを見て嬉しそうに微笑んだのだ。


まるで、アンジュリーナのように。


――狂ってる。


更に力を込めた男を見て、そう思った。

この男から生きて逃げ出すのは無理そうだ。もう駄目かもしれない。そう思ったその時、ふと首の圧迫が緩み、鈍い音が聞こえた。


支えを突如失った体は真っ逆さまに落ち、そのことに為すすべもなくやがてくる衝撃に備えてキツく瞳を閉じた。しかし、強い衝撃はやって来ず、変わりに先程失ったはずの優しい腕の中に着地した。


「穢れた手でこの子に触るな」


静かに、けれど確実に殺意を帯びたその声は、すぐ真上から聞こえてその身を震わせた。


「くそ、逃げるぞっ」


少年の姿に見覚えがあるのか、姿を見た途端、大柄の男を連れて灰色の外套を着た人物は、一目散に逃げ出した。


【我が身に仕えし闇の鬼神クロフォード、黒の神ヘクトル。罪深き者達に罰を与えたまえ】


その姿を見て、少年は逃がすまいと瞬時に呪文を口にした。その言葉に連動して、影という陰が意志を持ったように伸び、木々の後ろ隠れていた男達までも飲み込んでいく。うっすらと開けた視界の端でそれを見ていると、まわりに人の気配が増えていた事に気がついた。


「生き残っているのは、この赤ん坊だけか?」


まるで決まった台詞セリフを棒読みで読んだかのように、感情の無い言葉で聞いてきたのは、黒い外套を身につけた背が低い男性だった。髪は少し癖づいた濃い金色の髪で、何の感情の宿らない黒みがかった茶色の瞳をこちらに向けていた。


「はい、他は全滅ですね」


「全滅…ギルバートもか?」


「王都に戻る途中に攻撃されたようです」


己を腕に抱いている少年の言葉を淡々と聞いていた目の前の男は、しばし無言で考えてから、くるりと背を向けて歩き出した。その後に少年も大人しく続いた。


「アレックス」


ほんの少し歩いた所で立ち止まって、前方にいる男はどこかで聞いた事がある名を口にした。もしやと思い、恐る恐る男の脇から見やると黒みがかった深い茶色の髪に深い黒の瞳を持つ、幼きアレックスがいた。思いも寄らぬ人物との対面に、一人驚いていると動かぬ女性の脇に膝をついていたアレックスは、背の低い男性に静かに首を振った。


「そうか」


男は短くそう言っただけで、その後は何も言わなかった。

嵐が去った後にもかかわらず、まだぐずつく大空の下で静寂が辺りを包み、今この場にいる全員が彼女の死を惜しんでいた。黙祷を捧げた後、アレックスに側を離れるよう指示した男は、小さく呪文を口にして、指を鳴らした。と同時に彼女の体は炎に包まれ、一気に燃え上がった。


「師匠!いったい、何をっ!?」


非難に似たアレックスの声が耳に届く。


「古代魔女の亡骸は、聖火で焼き払うのがあの国にある習わしだ。それが、亡き者に対する敬意にあたる」


何も感情を込めていないその声は、無知である弟子を咎めるようにも聞こえた。辺りの木々が悲鳴を上げ、熱気と異臭が鼻をつき、自然と泣き声が漏れた。その声を聞いて、はっとしたように腕に力が込められて、熱気から守るように腕に抱き寄せられた。見上げる少年の顔はこちらに向くことはなく、真っ直ぐ前を向いたままだ。母とは違う抱き心地に落ち着かなく体を動かしたが、少年は更に力を込めて抱きしめてきた。彼の腕の中が居心地よくなった頃には、母の亡骸は炎で灰一つなく燃え上がって消えていた。初めて見ることが出来た母親の死に、悲しいという感情よりも、置いて行かれたという寂しさが心を占めた。

そこへ、涙声で叫ぶ少女の声が耳に届いた。


「うっ、マリー様ぁ」


母がいた場所はどす黒い焦げ後が残るだけであったが、そこへぱたぱたと駆け寄っていった少女は、残った温もりに縋るように崩れ込んだ。


「…いつか、王都に戻ってあの子を父親に会わすんだと仰っていらっしゃったのにっ。こんなに、早く…ひっく、うぅ」


泣きじゃくる金髪の少女は、いっそう激しく泣き声を上げ、しばらく涙が止まる事は無いだろうと見えた。そんな少女に誰も慰めの言葉をかけず、更には背の低い男性が冷たい言葉を投げかけたのだ。


「いつまでも泣いているんじゃない。自分の感情を混同するな、そんな者は必要ない。足手まといなだけだ。アレックス、邪魔だ。連れて行け」


無情にも言い放った師の言葉にアレックスは少しだけ躊躇したが、少女を立たせるとその場から離れさせようと声をかけた。


「キャサリン、師匠の邪魔になるから少しここを離れるぞ」


キャサリン?


またもやどこかで聞いた名前を聞いて、腕の隙間から顔を覗かせると涙で濡れた瑞々しい緑色の瞳とぶつかった。少女は本邸の料理人だという、キャサリンであった。こちらに視線をやった彼女は、涙でくしゃくしゃになった顔を更に歪めて、背を向けて走り去ってしまった。

幼いアレックスにキャサリン。

思わぬ顔見知りに会い、一体どうなっているのだとおっかなびっくりしている中、男と少年は話を進めていく。


「これからどうされるのですか?」


「ここでの判断は私に任されている」


そんな会話の途中で、地面を踏みしめる音が聞こえた。青みがかった灰色の髪に白みを帯びた金色の瞳をした青年が、男性と少年の目の前に現れた。


「リド様、若い男はどうやら逃げたようです」


「わかった。マイク、お前はその赤ん坊を連れて、レイヘルトンに行け」


男と少年の丁度真ん中ぐらいの歳の青年は、鋭い金色の瞳を細めて男を見やった。


「北の国に、ですか?」


「あぁ、あそこの北はずれにはお前の実家、ローリング公爵が管理している施設があったはずだ」


「あんな場所にこの子を?」


納得いかないとでも言うように、更に青年は目を細める。


「少々問題はあるが、安易に王都で我々に守れるよりよっぽど安全だ」


「わかりました」


決定権がある男に否を唱える事もせず、自身を抱いている少年へと青年は近いて来た。


「私が預かるよ」


優しく少年から奪おうとした青年は、離すまいと力を込めた少年に眉をしかめた。


「どうした?」


離さない少年に何か問題でもあるのかと聞く青年に、はっきりとした口調で告げた。


「僕がこの子を守ります。どこにもやりません」


その言葉にびっくりしたように瞳を開き、どうしたものかとリドと呼んだ男を振り返った。


彼は、無表情を貼り付けた顔をほんの少し崩して右側の眉を釣り上げた。


「何を言ってるんだ」


男の機嫌が崩れたのを悟ったのか、少し焦ったように青年は少年に向き直って声をかけた。その姿が余りにも面白くて、思わずこっそりと笑った。笑ったのがわかったのか、青年はこちらを見て少し不機嫌そうに顔を歪めた。笑いもすぐ引っ込み、なんて事は無いかのように明後日の方向を見つめた。青年は、また少年に視線を向けて尋ねた。


「どういうことか、説明してくれないと」


「そのままの意味です。この子の事はあの人から任されていますし、僕が守ります。…この子と結婚しますから。僕の妻にします」


「はぁ?何を言ってるんだ。まだこの子は生まれたばかりじゃないかっ!」


「時が経てば、結婚出来る歳になるでしょう?」


何を考えてるんだと大空を仰いだ青年に便乗して、この少年は頭が可笑しいのではないかと思った。


「とりあえず、その話しは今置いておいて、その子を渡してくれるか?」


「嫌です!僕の側に置きます」


気を取り直した青年は、少年から無理やり取り上げるのを先と判断して、受け取ろうと腕を伸ばしたが、きっぱりとした拒否と共にその腕から遠ざけた。


「渡しなさい!」


「嫌です!」


しばし、その終わりがない言い合いを打ち切ったのは、先ほどから黙っていたリドだった。


「あの人から任されているとは?」


「子供が産まれたら、顔を見せに来て欲しいと、守り通して欲しいとも」


「ならば、結婚がどうとは関係無いだろう」


無表情に告げる彼は、真っ直ぐに少年を見つめている。先程の顔を幻だったのではないかと思うほど、何の感情を映してはいない。


「言った筈だ。私情を仕事に挟むなと」


淡々というリドはキツく口を結んだ少年に何も答えを求めず、話を繋げていく。


「仕事を抜きにして、結婚すると言うなれば好きにしたらいい。私はお前の親ではないのだから、そこまで面倒見きれん。だが、今、何も地位も力もない子供がくだらない我が儘を言うならば、どれだけ周りに迷惑を掛けるのか分からないとは言えぬだろう。その子も必ず苦しむ事になる。言ってる事はわかるな」


無言で頷く少年に、リドは静かに告げた。


「本当に守り抜きたいならば、まずは力をつけろ。使える者はすべて使え。それからだ」


「それまで、僕らが守るから」


唇を噛んだ少年に優しく声をかけた青年は、そろりそろりと腕を伸ばして促している。


「渡しなさい」


厳しいリドの声に意を決したように顔を上げた少年は、こちらを見つめた。吸い込まれそうな闇色の瞳に見つめられ、ドキリと心が疼いた。


さらりと少年の頬を撫でた黒髪を触りたくなって、右手を伸ばした。しかし、腕から腕へと移されてそれは叶わなかったが、反対に少年に頬を撫でられた。その心地よさに浸っていると、頭上から苦笑が漏れた。


「大丈夫さ。悪い虫がつかないように見張ってるから」


少年から受け取った青年が、苦笑しながら少年から離れて歩き出した。


「では」


「あぁ」


リドの近くに歩いて行った青年は、笑いを噛み締めながら後ろを振り返って少年を見やった。


「まさか、あんな事を言い出すとは」


「人の心は案外簡単に変わるものだ」


「そうですかね」


立ち去ろとした際、男の面白そうに呟いた声で、瞳を見開いて驚いた。


「面白くなりそうだな。しっかりと、お前の実力を見せて貰おうか…ルビウス」


あの瞳、あの闇色の瞳に見つめられた時、心が疼いたのは恋とも憧れとも言えないもので、正しい言葉を当てはめるならば、運命というものかもしれない。


「じゃあ、行ってきますね」


くるりと反転した景色の先には、無表情のリドと言う男、更にその先に寂しそうに目を伏せているルビウス。幼い背丈に短い髪は、今の彼とは随分と違う印象を受ける。年相応の普通の少年と言える。

じっと視線を向けたのに気付いたのか、視線を上げてこちらを見た。


――また、会えるから。


やんわりと微笑んだルビウスの表情は寂しそうで、慰めようと自然と彼に手がのびた。けれど、その手は届く筈もなくて。彼の姿は霧になって消えた。


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