第二話 気の毒な刑事
「…嘘」
「嘘なんか言わないわよ。ついさっき、報告があったんだもの」
幸せな眠りから起きれば、現実は更に悪い方向へと進んでいた。あの後、フレドリッヒに送り届けられた三人は、ルビウスへの報告もそこそこに、自室に駆け込み昼過ぎまで幸せな夢に浸っていた。しかし、階下が騒がしくなるのと同時に目は覚め、何事かと下に降りれば、オリヴィアと出会った。そのオリヴィアに言われた言葉で、リリアンヌは呆然とその場に立ち尽くしていた。
『つい先程、路地奥で金髪の若い青年の惨殺体が見つかったらしい』と。
「今、警察が邸に来てて、あの場にいた弟子に話を聞きたいって」
「もしかして、私達が疑われてるの?」
「かなり」
真剣な顔つきでそう答えたオリヴィアは、リリアンヌに声を潜めて聞いた。
「リリア、あんた達ほんとに何もしてないわよね?」
「するわけ無いじゃないっ!」
「冗談よ」
全く笑えない冗談をリリアンヌに掛けて、オリヴィアはその場を去っていった。そんな彼女の後ろ姿をやや怒った様子で眺めていたリリアンヌの前には、応接室の扉が。軽く叩けば、ルビウスの返事が返ってきた。扉を押して部屋に入れば、ルビウスとその後ろに立つエリックとジュリアンの姿が真っ先に視線に入ってきた。その向かい側に、見慣れない二人の男性が長椅子に腰掛けている。
「リリアンヌ、こちら中央警察からいらしたラングド警部とウォーリー刑事だ」
険しい表情をしたルビウスは、リリアンヌが部屋に入ると同時に向かい側に座る、蹴ったらどこまでも転がっていきそうなほど太った男性と、手帳を片手に必死に何やら書き込んでいる男性を紹介した。二人とも警察の象徴である赤紫の制服を着ている。最も、太っている男性は着ているとは言い難い状態だが。
「七番目の弟子のリリアンヌです」
「…どうも」
紹介された事で一応挨拶をしたが、向こうはちらりと視線をリリアンヌに向けただけである。その非常識な態度に、ムカムカしながらも、リリアンヌは大人しくルビウスの背後に立った。
「失礼ながら、見るからに彼女は古代魔女のようですが」
「えぇ、それが何か」
怪訝そうに視線を向けてくる太った男性は、どこか棘があるルビウスの言葉に何か言いたそうな顔を寄越した。
「ラングド警部」
その顔に、しかめっ面でルビウスが太った男性に声を掛けた。
「まさか、優秀な貴方方が彼女が古代魔女の風貌だからと言うくだらない事で、犯人などと仰るのではありませんよね?」
それは、かなり棘がある言い方でラングド警部は少し怯んだが、気を取り直してルビウスに噛みついてきた。
「勿論、そんな馬鹿な事は言いません。しかし、公爵のお弟子さんとはいえ、きっちり事情聴取をさせていただきますよ」
警察というのは、何故こうも上からものを言うのかとうんざり眺めていたリリアンヌに、警察から質問攻めにされた。それはかなり問い質す口調であったが、その度にルビウスが助けてくれ、少なからず容疑者から外されたと思えるようになったのは、お昼も過ぎた頃だった。
「つまり、カインド公爵直々に今回の事件を調べろと仰った訳ですね」
何度目かになるその言葉を、また口にした頭の回転の悪いラングド警部の部下、ウォーリー刑事はふむふむと手帳に書き込んでいる。さっきまでの会話で一体何をその手帳に書き込んでいたのか、気になる所だがリリアンヌは平然と頷いた。
「公爵、こういう事は警察に任せて頂きたい。警察の許可無しに勝手な事をなさるから、お弟子さん方にも変な疑いが掛かるのですよ」
遠巻きに素人は引っ込んでろと言う警部に、リリアンヌはつい口を出してしまう。
「そういう警察が一体何をしてるのかしら」
「全くですね。犠牲者は九名に上っているというではありませんか」
リリアンヌの言葉に便乗して、エリックも警察に皮肉を浴びせる。
「なんだとっ、餓鬼が生意気に…」
「あぁ、失礼。どうも私の教育が悪いようで」
全く悪いとはさらさら思っていなさそうな口調のルビウスが、形だけ二人を叱った。
「しっかし、何故魔法大臣ともあろうカインド公爵が?いくら悪魔が絡んだ事件だからといって、大臣直々に調査されるなんて聞いた事ありませんよ」
分からないと言ったふうに細長く黒い筆記用具で、栗色の鳥の巣のようなもじゃもじゃ頭を掻くウォーリー刑事に、ルビウスは少し渋ってからセシル家の話を持ち出した。
「何者かがカインド公爵に、セシル家が悪魔に取り憑かれていると手紙を送り、そして今回の事件。カインド公爵はこの一連の事件にセシル家が繋がっていると推測されたんですねっ。さすがです!」
パチパチと拍手を送る部下に冷ややかな視線を送り、ラングド警部はルビウスに疑惑の目を向けた。
「何故、そういう事になるんですかね。私は納得いきませんな。手紙を送って来たのはこの実際にある手紙から分かりますが、今回の事件が偶然悪魔絡みかもしれないってだけで、何故一連づけれるんです?」
先程エリックが持ってきた封が切られたその手紙が、机の上に置かれているのを眺めていたリリアンヌは、ほとんど髪が残っていない寂しいラングド警部の剥げた頭に注目した。じっと見つめられている彼は、ポリポリとつるりとテカったその頭をかいて、ルビウスを見ている。
「つまり、あなたは私が手紙を偽装し、セシル家に悪魔を取り憑かせ、さらにはその調査だと言って巡回をさせている弟子達に、被害者を殺させたとでも言いたいんですか?」
何故そうなるっ!と思わず言いそうになったリリアンヌは、ぐっとその言葉を抑え、大人は回りくどい言い方ばかりだと溜め息をついた。
「そうとらえられても、おかしくない状態だと言うことですよ」
リリアンヌが見つめているせいか、ラングド警部はせわしなくゆで卵のような頭を右手で撫でている。
「警部、もう少し頭を使って頂きたい。まず、私がそんな事をしてなんになります?警察も手が出せない、まか不思議な事件を大臣である僕が解決。人気度が上がる?…くだらない。僕はそんなに暇ではありません。次に、弟子達にそんな事は絶対にさせません。思いやりのある立派な大人に育てる事が、師としての最大の仕事だと僕は思っています。最後に、もし殺人を犯すなら…あぁ、例えばの話ですよ。僕ならもっと上手くやると思いますよ」
一体どの口が師としての大口を叩くのかと呆れたように見るリリアンヌと、疑うように見やるラングド警部の視線に挟まれている状態でありながら、ルビウスは至って平然と長椅子に腰掛けている。
ラングド警部はそんなルビウスに、もっと上手くとは?と聞いてきた。
「弟子を使って、内密に情報を収集しました。凶器は家庭用の出刃包丁、まだ見つかっていないとのことですが。全く話になりません。そんな証拠に残りやすい凶器を使うなど。惨殺した死体は、その場に放置ですって?魔法で跡形もなく消しますよ。わざと残した?馬鹿馬鹿しくて話にもなりませんね」
さらりというルビウスに、声も出なくなった警察の二人は、呆然と彼を見るだけである。そんな中、彼は平然と話を進めていく。
「さて、ラングド警部とウォーリー刑事」
あからさまにビクッと体を震わせたウォーリー刑事を無視して、ルビウスは冷たい声で追い討ちを掛けた。
「貴方方警察は、僕、更には弟子達にあらぬ疑いをかけ、貴重な時間も潰してくれました。僕も暇ではないと言ったでしょう、お忘れですか?どう落とし前つけてくれるんです?」
ひぃっと小さな悲鳴を上げ始めたウォーリー刑事に、しっかりしろと叱ってから、ラングド警部はルビウスを睨み付けた。
「落とし前もなにも、警察は疑ってなんぼだ!そうやって食ってきたんだ。それで名誉毀損だ、やれ損害賠償だなんだ言われたら、仕事ねんて出来やしない。しつこく言うようなら、公務執行妨害で逮捕するぞ!魔法大臣だなんだか知らないが、警察に文句言うなんてのは、百年早い!」
唾を撒き散らして怒鳴る警部は、すっかり頭に血が上ってしまったようで、みるみるうちにゆで卵のような頭が真っ赤に染まった。その姿をリリアンヌは面白そうに見つめ、エリックはしかめっ面で、ジュリアンは心配そうな顔で見つめていた。
ルビウスはといえば、組んだ足の上に右肘を乗せ、右手で口元を隠しているが、笑っているのはリリアンヌからも一目瞭然だった。
「何が可笑しい!この若僧がっ」
「確かに、只の若い魔法大臣なら、貴方が言ってることは正しいでしょう。しかし、僕がどこの血筋か忘れていらっしゃる」
「血筋?ふん、魔法師の生家だとか言われるカインド家の血が、そんなに偉いか?」
「事情聴取に行く貴族の情報ぐらい、事前に調べておくべきですよ」
クスクス笑うルビウスに、だからどうしたと警部は喚いた。
「前の当主は誰であったということから、教えなければいけないのかな?」
「シリウス・カインドだろう?」
「その方の奥さんは?」
ルビウスに促されてそこまで答えた警部は、何かに気づいたようで真っ青になって凍りついた。
「おばあ様は、現国王の姉君にあたる方。今は降嫁されて“只の公爵夫人”だけれど、元は第62代女王だった頃もある。これがどういう事か分かりますよね」
王族の血縁にあたると言うことだが、只の親戚ではない。王家の近い血筋を引くからには、王族と同じ立場である。おまけに、ルビウスには王位継承権があり、あわよくば彼が王になってもおかしくないのだ。王の甥、さらにはいくら降嫁されたとは言え、女王であった人の孫を疑うなどとは死刑に値する。
真っ青になる警部を面白そうに見つめるルビウス。立場は既に逆転していた。
「さてと、貴方達では話になりません」
そう言って左手の中指で、トントンと茶色の艶やかな長椅子の肘掛け部分を軽く叩いた。
応接室の戸口の手前、やや広い空間があるその場所に白く美しい光を放つ魔法陣が姿を現した。
【召喚】
彼の言葉と同時に魔法陣は輝きをより一層増し、光りが薄れていった頃、そこには一人の男性がぽつりと居ただけだった。
「総監、お食事中に失礼します」
ルビウスが総監と呼んだ、黒を交えた赤茶色の髪に幾分白髪が多く混じる男性は、片手に新聞を反対側に銀の匙を持っていて、食事の真っ最中だった事が伺える。しかし、その食事の仕方は小さな子供の手本になるものとは到底思えないと想像出来る。なにせ、口の回りにはべったりと汁やら野菜の屑やらがついていたのだから、エリックがその姿を見てさらに顔をしかめたのは仕方なかった。
一方、当の本人はと言うと、座っていた椅子が消え、どっしりと床に尻をついている。その表情は彼に限らず、誰しも見知らぬ場所にいきなり魔法で瞬間移動されれば、そんな顔をするであろうきょとんとした表情をしている。
「えー、あなたはもしや」
しかし、さすがは警察の中でも一番偉い人物。冷静さを取り戻し、ルビウスに挨拶を求めた。
「えぇ、祖父が大変お世話になりました。孫のルビウスです」
「やはり!これはこれは、お会いできて光栄だ。しかし、私を召喚するなど一体どうしたことか」
立ち上がった総監は、銀の匙と新聞を放り投げて、歩み寄ったルビウスと笑顔で握手を交わした。彫りの深い顔立ちである彼であるが、にこにこと笑顔を絶やさない所を見れば、人柄の良い人物だと察することが出来る。だが、彼はルビウスの言葉を聞いて唖然となった。
「いや、どうやら私と弟子が例の事件の容疑者に入っているらしく、どうしたら話が速やかに進むかと考えた末、あなたに手を貸して頂こうかと。まぁ、仕事熱心なのには感心致しますがね。僕も暇では無いので」
苦笑いしながら、チラリと警部と刑事に視線をやったルビウス。既に逃げ場が無い二人に、彼は更に追い討ちを掛けた。
それを聞いた総監のお叱りをたっぷりと受けた二人。
その様子を静観していたルビウスからの提示で、例の事件の資料を見せる事と捜査に介入出来る事を条件に、カインド公爵と警察は和解が成立した。ルビウスが、まんまと警察を手玉に取ったのだった。若い貴族にしてやられた二人の警察官は、恥ずかしさからか、はたまた怒りからなのかはわからないが、終始耳まで真っ赤にさせてその場に突っ立っていた様子は大層お気の毒であった。
そんな一部始終を見て、なんて性格のひねくれた人だと思ったリリアンヌ。その心を読んだかのように、ルビウスは振り返って彼女だけに見えるように、こっそり片目を瞑ってみせたのだった。