第二章 弟子の仕事
九月の朝。まだ夏の暑さが残るこの時期は、リリアンヌにとってあまり好きではない。
そんな蒸し暑いこの日、春夏用に作られた法衣を身に付けてルビウス、レイチェルと共に、どっしりと地に根付くように立つ学校へと来ていた。石造りの立派な建物は、さながら城のようだが、壁面の灰色がその姿を半減させていた。
年代を思わせるこの古い学校が、リリアンヌが通う学園だという。
シロという火の精霊に火をつけることが出来てからというもの、ルビウスはリリアンヌのことなどほとんどほったらかしで、課題だけは山ほど出してきた。その課題を片付けても片付けても、次から次へと新しい課題を突きつけるルビウスに、リリアンヌはややげんなりとしていた今日この頃。リリアンヌが学校へと通う日となった。
彼女の通う学校は、一般貴族の通う有名私立校であり、初等部から大学部まで試験がなく、通しで通える制度は金持ちが通う学校であると言えよう。
「どうぞこちらに」
度のきつい眼鏡を掛けた女性の案内で応接室へと連れられ、学院長らしき人物に面会した。話は当人であるリリアンヌを無視して進められ、後から部屋にやってきた優しそうな若い女の教師に、リリアンヌ、レイチェルは教室へと連れられていった。
「はじめまして、リリアンヌ・カインドさん。私、担任のエリー・ハーネットです。よろしくね。ここが、あなた達の学級よ」
ついたのは、2ーAと書かれた部屋の前。担任は、躊躇無く扉を開けて入って行く。その後をリリアンヌ達も続いて部屋に足を踏み入れた。教室は、新学期を迎えた子供達の声で溢れて、担任が入って来たことを誰も気が付かない。
「はーい、皆さん。静かに!席に着いて下さい」
その声で、慌てて席に戻る者、ひそひそと話を止めない者いるが、担任は気にせずリリアンヌを紹介した。
「今日からこの学校で一緒に学ぶ、リリアンヌ・カインドさんです。皆さん、仲良くしてあげて下さい」
自己紹介するかと聞かれたが、首を振って拒否した。担任に促され、いつの間にか席に座っていたレイチェルの左隣の席に座った。
「書類や配布物がありますから、ちゃんとお家の方に見せて下さいね」
そんな担任の言葉をぼんやり聞いていたリリアンヌは、後ろから背中をつつかれて振り返った。彼女の席は後ろから二番目の窓側で、あまり周りと話さなくて済むと思っていた。
「あなた、カインド公爵のお弟子さんなの?」
話しかけて来た人物は、真っ赤な髪色に澄み渡るほど綺麗な青色の瞳をした女の子だった。上質な服装を着ている所を見るからに、どうやら良いとこのお嬢さんのようだ。
「そうよ」
素っ気なく答えたリリアンヌに気にする様子もなく、彼女は自らの事を話し出した。
「わたし、アンジュリーナ・セシルよ。爵位は伯爵だけれど、お父様は劇場を貸しているの。…あの有名なシャルル劇場よ。それが国王様の目に留まって、良く城に友人として招かれているの」
つまりは、自慢話。気のない返事を返すリリアンヌには気づかないようで、彼女はずっと喋り続けている。
「で?あなた、ご両親は何をしてらっしゃるの?」
不意にかけられた言葉に、はっと顔を上げた。
「両親は…」
――いない。そう続けようとしたが、その言葉は盛大に鳴る鐘の音で遮られた。
「ではみなさん。明日から授業が始まりますから、頑張りましょうね。ごきげんよう」
リリアンヌ以外の子供達が全員、ごきげんようと優雅に返し、席を立つ音が教室に響いた。
「ねぇ見て!門にカインド公爵がいらっしゃるわ」
赤茶色の髪をした一人の女の子が声を上げると、教室にいた子供達がリリアンヌが座っている窓際へと一斉に集まった。
「素敵~」
「カインド公爵も素敵だけど、一番弟子のフレドリッヒ様も素敵よね」
きゃっきゃっと夢見る乙女話を話す彼女達の群れを抜け出して、溜め息をつきながらレイチェルと共に教室を出た。
「あ、リリアンヌ、レイチェル。また明日ね」
今日会ったばかりで、喋った事もない女の子達に名を呼ばれ、びっくりするリリアンヌだったが、レイチェルは手を振って別れを告げた。
「流石、王都の学校」
一人つぶやいたリリアンヌの言葉は、隣にいたレイチェルに聞こえていたらしく、無表情でレイチェルは応えた。
「どの子も良いところの家系だから」
基本的に差別などしないように教育されているらしい。門まで来ると、二人を待っていたらしいルビウスが馬車の手前で微笑んだ。
「顔合わせはどうだった?」
「別に」
公爵家の馬車へと促されて乗り込むと、背後にある校舎から女の子達のキャーキャー言う声が聞こえてくる。
「リリアンヌは随分と人気者だね」
あんただよ、人気なのは。
冷ややかにルビウスを白い目で馬車に乗り込んで来た彼を見やれば、本人はいたって涼しい顔をしていた。
それからというもの、リリアンヌにとってはたいそう忙しい日々となった。朝から学校がある日はレイチェルと共に通い、学校から帰って来ると稀にルビウスに課題を出され、休日はフレドリッヒにこき使われる毎日。その分、リリアンヌの魔法を使う腕前はかなりの上達ぶりを見せ、ルビウスも思わず唸る程になっていた。
彼女らの学校が冬休みに入ったある日、同級生のアンジュリーナに屋敷へと誘われてリリアンヌ、レイチェルは彼女の実家、セシル伯爵家へと来ていた。その日は、セシル伯爵家の一人娘であるアンジュリーナの誕生日だそうで、同級生である子供達全員が招待されていた。
「ようこそ。本日は愛娘、アンジュリーナの為にお忙しい中お集まり頂き、誠にありがとうございます」
今、壇上で挨拶しているのはアンジュリーナの父親、セシル伯爵である。
セシル伯爵家の屋敷は、カインド公爵よりも小さい屋敷だが、流石は貴族の屋敷。上質な素材を生かした布や置物があちらこちらに使われていて、白い布で着飾った机の上は豪勢な料理が並んでいる。
リリアンヌは、会合ごときに出席するほど暇でも無いし、出席するつもりもなかった。しかし、なにやらアンジュリーナに気に入られてしまったらしく、馬車で本人直々に邸に迎えに来られたからには行くしか無かった。
「早く帰りたいね」
そう言ったリリアンヌの左隣には、淡い青色の華やかな衣装を身にまとったレイチェル。靴先が丸い深緑の固い靴から、白いひだ飾りがついた靴下が見える。対するリリアンヌも、今日は薄い紫色の裾がひらひらとした礼装用の洋服を着ている。
普段は着ない服装で、ぽつりぽつりと壁際で会話をしていると、挨拶回りをしていたアンジュリーナが二人の元にやって来た。
「リリアンヌ、レイチェル。紹介するわ。私の父、ルドルフ・セシルよ」
二人の近くにやって来たアンジュリーナが、自分の右隣にいた男性を紹介した。
「はじめまして、お嬢さん方。今日はよく来て下さいました」
少し痩せ気味の伯爵は、短い赤毛を整えてから二人にやや疲れたような笑顔を向けた。そんな伯爵にリリアンヌとレイチェルは、淑女の礼をして挨拶を返した。
「お父様、こちらリリアンヌとレイチェルよ。ほら、話をしてた」
嬉しそうに父親に擦りよるアンジュリーナの行動からは、日頃仲がよい親子関係が伺える。
「アンジュリーナから、話を聞いておりますよ。何でも、あの有名なカインド公爵のお弟子さんだとか。これからもアンジュリーナと仲良くしてやって下さい。それでは」
仕事関係者だろうか、伯爵はあちこちから名前を呼ばれ、慌ただしくその場を去っていった。
「もう、お父様ったら」
もっと父親と一緒に居たかったのだろう。去っていった父親の背中を見つめて、アンジュリーナは頬を膨らませた。
「まぁ、いいわ。リリアンヌとレイチェルをお父様に紹介出来たのだから」
一人呟いていたアンジュリーナは他の同級生に会うため、リリアンヌとレイチェルにまた後でと言ってその場を去った。
彼女が去った後、親しい友人もいない二人は、目の前の料理を皿によそって口に運びながら時間を潰していた。すると突然、会場の扉付近がやや騒がしくなり、口に運んでいた手を休めてそちらを見た。
開いた扉の先。そこには今朝、邸で伯爵家へと向かうリリアンヌとレイチェルを送り出してくれたルビウスが、フレドリッヒを引き連れて立っていた。
「あれ、なんで?」
用事があるから欠席すると言っていた彼が、何故ここにいるのか。リリアンヌが首を傾げていると彼女の視線に気が付いたルビウスが、婦人方を掻き分けて二人の元へとやって来た。
「やぁ、二人とも楽しんでるかい?」
顔を見れば楽しんでなどいないとわかる筈なのに、あえて聞いてきた彼にリリアンヌはとっても!と蔓延の笑顔で答えてやった。
「そうかい、それはよかった」
苦笑しながら話を終わらせようとしたルビウスの腕を皿を持つ反対の右手でひっつかまえると、何故ここにいるのかと問い詰めた。すると、彼は溜め息を身を屈めた。
「…これは極秘なんだけど。仕方ないな、いいかい?絶対に他に漏れないようにするんだよ」
静かに頷いた二人を確認して、ルビウスは声を潜めた。
「誰かはわからないけれど、僕宛てに手紙が届いてね。内容は、セシル家に悪魔がとりついてるというものだった」
その言葉に、リリアンヌは自然と息を呑んだ。
――悪魔。それは、一般的に人間やこの世にちょっかいを出したり悪さをする神や精霊、妖精だと思われているが、実際はそんな生優しいものではない。あの世から生まれた禍々しい魔の塊だ。人間の魂を吸い取ったり、人間に取り付きその者を魔に変化させる事もある。特に不健康な者、不幸な者、殺意を抱いている者やひねくれ者が好きで、どこからともなくその者の近くに現れるらしい。
人間に干渉してくる悪魔や取り付かれた人間を始末するのは、王宮に仕える魔法使い、魔女の仕事である。が、大抵の場合、そのような事は下っ端の魔法師の仕事である。何故、魔法大臣である彼が直々に来たのか。
「ちょっと他にも気になった事があってね」
聞くとルビウスはそう言ったが、それ以上は話してくれなかった。
「で、リリアンヌ、レイチェル。弟子である君達に仕事だ。アンジュリーナ・セシルの近くで、彼女の様子を監視するように。どうやら友達として認識されてるようだからね」
ちらりと彼女の方に視線をやれば、それに偶然気づいたアンジュリーナがこちらに手を振ってきた。リリアンヌはぎこちなく手を振り返して、ルビウスに向き直った。彼女がこちらにやってくる気配がする。
「彼女の近くにいて、悪魔の影響があるか。関連があるのかどうか見てればいいんですね」
「そう。あくまで距離を置いて悟られないようにね。僕とフレドリッヒは父親の方を。他の子達にはセシル伯爵家に関わりがある者を調べるよう言ってあるから」
じゃあと言って、アンジュリーナと入れ替わりに、ルビウスはフレドリッヒと共に伯爵の元へと向かった。
「公爵と何を話してたの?」
再びやってきたアンジュリーナは、飲み物を片手にルビウスの背中を振り返り、リリアンヌに聞いた。
「あぁ、貴女と仲良くしなさいって。初めて出来た友人だから。アンジュリーナって呼んでも?」
本当の事ではないが、嘘でもない。
そんなリリアンヌの心の内など勿論知らないアンジュリーナは、リリアンヌに初めて名を呼んでもらえた嬉しさからか、頬をほんのり赤らめて嬉しそうにしている。
「リナでいいわ。私もリリアとレイルと呼ぶから」
「わかった、そう呼ぶ」
「これから仲良くしましょうね」
「えぇ、勿論」
ルビウスから弟子として初めて任された仕事の為に。アンジュリーナの友達でいようではないか。
そう考えて、にっこりとリリアンヌは笑った。