第十話 引っ越し
学校に行っていないリリアンヌを除いた六人の弟子達は、長い夏休みへと入っていた。
荷造りも粗方片付いたといえる頃、弟子達が朝食を取ってる食堂にやって来たルビウスが、おはようの挨拶もそこそこに弟子達にこう告げた。
「今日から王都に移るよ」
そんないきなり!と仰天したのは、リリアンヌだけだ。
「みんな、荷物は玄関に持ってくるように。男の子達は、女の子達の荷物を運ぶのとマーサ小母さんを手伝ってあげて」
それだけを言って、さっさと部屋を去って行った。
先生はいつもこうだから、そんな事で怒ってたら身が持たないわよとオリヴィアに言われ、リリアンヌはやれやれと席を立った。部屋に戻ったリリアンヌとレイチェルの二人。
「前の日に言っといて欲しいよ」
レイチェルの本を紐で縛りながらリリアンヌは呟いた。リリアンヌの荷物といえる物はほとんど無く、オリヴィアから貰った服を鞄に詰めただけでかなり少ない。
「先生、突然言う」
無表情にそう言ったレイチェルは、リリアンヌがまとめた本の束を扉へと持って行く。
「おーい、重い物があったら持つぞ」
そこへ開け放たれた扉を叩いて入ってきたのは、濃い青色の半袖の肌着に股下が分かれた白い膝丈の洋服を纏ったジョナサンだった。
「みんな魔法を使えるんでしょう。なら、何で使わないわけ?」
重そうな教材をレイチェルから受け取ったジョナサンは、リリアンヌの質問に面倒くさそうに答えた。
「魔法ばっか使ってたら、体が持たねぇよ」
そんなものなの?とレイチェルを見やれば、彼女はそうだと答えた。
さっぱりと片付いた部屋から、小さな手提げ鞄を持って下に降りれば、何やら玄関が騒がしい。
「こんなに沢山、要らないよ!」
「マーサ小母さん、そんなに荷物を積んだらリアンが潰れてしまいます!」
半分怒ったような声のジュリアンとエリックの焦ったような声。玄関に降り立つと山積みになった袋の山が視界に入った。その荷物に埋もれた、ジュリアンの淡い灰色の髪が辛うじて見える。
「あぁ。リリア、レイル!お前たちにはこれをあげるよ」
男の子なんだから、これくらい持てなくてどうすると笑ってジュリアンを見ていたマーサ小母さんは、リリアンヌとレイチェルを振り返って床に置いてあった紙袋を手渡した。今度は、リリアンヌとレイチェルの腕に山ほど荷物が渡される。
「「あ、ありがとう…、マーサ小母さん」」
何が入っているのか、検討もつかないがリリアンヌとレイチェルは取りあえず、ぎこちなくお礼を言った。にこにこと笑うマーサ小母さんは、はっと二人の後ろに居る人物に声を張り上げた。
「ジョーン!こら、逃げないでこっちにいらっしゃいなっ」
客間から出てきたジョナサンはマーサ小母さんを見るや、ぎょっとして慌てて部屋へとすっこんだ。その後をこれまた山積みの荷物を腕に抱えて、マーサ小母さんが追いかけて行く。
「これ、何が入ってるんだろ」
隣にずっしりと重そうな荷物を腕に抱えたジュリアンが、よろよろと並んだのでリリアンヌが聞いてみた。
「えっ?何が入ってるかって?人によってそれぞれ違うよ。おれのは多分、薬品だろうな」
よっこいせと紙袋を床に置いてガサガサと中を探るジュリアンの背後から、リリアンヌとレイチェルがこっそり窺う。
「風邪薬に解熱剤、胃薬に頭痛薬。眼薬、粉薬、液体薬、これはなんの錠剤だよ。あれ、何で二日酔いの薬まで?うぇー、まだあるじゃんか」
ぶつぶつと一人呟きながら、彼は袋の中身を床へと出して行く。瓶に入った薬品や包帯など無限のように出てくる。
「リアン兄さん、そんなに怪我とか病気をするんだ」
「何でか弟子の中では頻繁に病気になるし、一番怪我をするからって王都に行く時は、こうやって山ほどくれるんだ」
王都には、薬剤師や医者が困らないほど居るのになと迷惑そうに言うが、彼はどこか嬉しそうだ。
「リリアとレイルのは?」
ジュリアンが顔だけ背後に向けて聞いてきた。その返事にどさどさと袋の中身を無造作にひっくり返した。重い瓶が、音を立てて床を転がっていく。
リリアンヌの荷物からは真っ赤に熟した林檎や果物、料理で使う粉末の調味料などが出てきた。
「果物は大好物だけど…、調味料を一体私にどうしろと?」
料理はマーサ小母さんを手伝って上達したが、目の前には半年分ほどの量の調味料がある。
「作れってことじゃねえ?」
同情するぜといった顔をリリアンヌに向けながら、ジュリアンはレイチェルの中身を探っている。
「おい、リリア。レイルの方がもっと凄いぞ」
くすくす笑いながらリリアンヌに差し出したのは、一冊の本。
「なになに?『これで貴方も一気に人気者!友達100人作ろう偏』?」
一冊の本の厚さは分厚く、表紙にはそう書かれている。他には人見知りを直します、人との上手な付き合い方など。可愛らしい挿し絵が入った似たような本が、ざっと五十冊はあった。恐らく、人見知りのレイチェルが王都で、新しい友達を作れるか心配したマーサ小母さんの親切心だろう。贈られた当人はさも迷惑そうだが。
「気持ちだけで有り難いね」
そうだよなあと揃って、はぁと溜め息をついた。
「なんだいなんだい、若者達が溜め息なんかついて」
そんなどんよりした場に、にこやかに登場したのはルビウスである。
「いえ、小さな親切大きなお世話って事だけっす」
ぶすっと返したジュリアンに何かを察したのか、ルビウスは静かに三人を見つめた。
「食べ物の山、薬の山、本の山、全て君達を思った気持ちだろう。今はわからない思いが、その内身にしみてわかるようになる。今は黙って、有り難く頂いておきなさい。フレドリッヒは山程のお見合い写真を貰ってたよ」
おぉと三人はフレドリッヒに同情し、それと同時に自分達の荷物を集めながらそれぞれに、自分の方がまだマシだなと思ったのだった。
「さて。荷物だけ先に本邸に転送するから、一カ所に集めて」
全員が揃った所で、ルビウスはそう声をかけた。
「ヴァア姉さん、火傷はもう大丈夫?」
さり気なくオリヴィアに声をかけたリリアンヌは、そろりそろりと顔をあげた。あの謎の黒服達の奇襲の際に、オリヴィアは酷い火傷を負ったと聞かされていた。だから、てっきり顔に火傷の跡が残っているのだと思ったのだ。けれど、見つめた先には何も変わらない、綺麗なオリヴィアの顔があった。
「あんなの、すぐ直っちゃったわ」
ケロッと答えたオリヴィアに拍子抜けした。魔法の力かどうかは知らないが、取りあえず良かったとリリアンヌは安堵した。
「リリアンヌ、そこに居たら一緒に転送されてしまうよ」
苦笑するルビウスに腕を引っ張られて、リリアンヌは自分が荷物の場所に一人、立ち尽くしていた事に気づいた。
「そのまま、転送してもらえよ」
にやにやと憎まれ口を叩いているのはジョナサン。そんなジョナサンに、いーっと顔をしかめてやった。目の前にある倍の量となった荷物の山を見つめた。ほとんどはマーサ小母さんからの贈り物だ。
「一仕事頼むよ、ロン」
その言葉で、銀色の魔法陣が玄関に出現した。円の両端に二つのギョロリとした緑の眼球が現れ、あちらこちらをキョロリと見ると荷物を魔法陣で包み込んで消えた。白みを帯びた優しい光が玄関から消えた時には、荷物の山も魔法陣もその姿はなかった。
「今のなに?」
「さぁ、なんだろうね」
荷物の山があった場所を指差して聞くリリアンヌの質問に、ルビウスはさらりとしらを切った。
「何って、聞いてるんだけど」
再び同じ質問を繰り返し聞けどもルビウスは答えず、玄関を入って右側、階段の手前に一つだけある黒に近い赤い扉に近づいて行った。
「無視された」
ぷくーと頬を膨らませて怒るリリアンヌの隣に、レイチェルがやって来て言った。
「あれ、ロン」
「名前を聞いてるんじゃなくて…」
ガクッと肩を落としてもう良いと諦め、ルビウスの背後へと近づいた。
ルビウスは、黒の上着に備えつけてある物入れから取り出した鍵の束から、鍵を選んでいるところだった。
束になった鍵の種類は様々で、小さいものや分厚い鍵、色も真新しい金色のものから錆びた色合いまで多種多様であった。
「沢山が鍵ある!ちょっとだけ見せて。ねっ、お願い」
ルビウスの腕の下からレイチェルと覗き込んでいたリリアンヌは、右手を伸ばして鍵を奪い取ろうとした。
「駄目だよ」
リリアンヌが鍵に触れるより早く、ルビウスは一つだけ鍵を取り外して、さっと鍵束を反対側の物入れにしまってしまった。
「うー、見るぐらい良いじゃん。けちっ!」
「そんな言葉遣いは一体、誰から習ったのかな?」
ちらりとルビウスがジョナサンを振り返ったが、当人は素知らぬ顔をしている。
「けちな人には、教えてあげません!」
ぷいっと顔を逸らしたリリアンヌに苦笑しながら、ルビウスは扉を三回、軽く拳で叩いた。
「みんな、順番にマーサとロベルトに挨拶をしておいで」
扉を手前に引き開けたその体勢で、ルビウスは背後に佇む弟子達に指示した。すると、我先にとジョナサンとジュリアンが、玄関先に突っ立ていた二人の元に駆け寄っていく。
「んじゃ。マーサ小母さん、ローベル爺さん、元気でな」
「ばいばーい」
それだけ言うとジョナサンに続きジュリアンも回れ右をして、ルビウスが開けたままの状態である扉の向こうへと飛び込んでいった。
「ジョーン、少しは大人しくなさいよ!リアン、体には十分気をつけるんですよ」
「へーい」
「はーい」
扉の向こうからは、二人の気の抜けた返事だけが返ってきた。
「お世話になりました。お元気で」
そう挨拶しているのは、四番弟子のエリックだ。
「リック、仕事ばかりしてないでちょっとは遊びなさいな」
心配そうに言うマーサ小母さんに大丈夫ですときっぱり答え、律儀に頭を下げた。どう見ても五歳児とは思えない礼儀正しさだ。するりと扉の向こうに消えたエリックに入れ替わり、今度は入り口にオリヴィアが立った。
「お世話になりました。じゃあね」
「こら、オリヴィア。ちゃんと挨拶をしなさい!」
怒るルビウスをかわしつつ、さっと扉の向こうへと姿を消した。
「いつまでもサボってたらいけませんよ!」
声を張り上げて怒鳴るマーサ小母さんに、わかってるわ~と口先だけのオリヴィアの声が返ってきた。
「マーサ小母さん、ローベルお爺さん、お世話になりました。あんな弟子達を許してやってください。…また顔を出しますので、それまでお元気で」
オリヴィアに代わって二人と握手を交わしているのは、長兄であるフレドリッヒ。
「私達の事はいいから、早く良いお嬢さんを見つけなさい」
全くだと言い合う親子を困った顔で交互に見て、それではと扉に入って消えた。
「リリアンヌ、レイチェル。挨拶してきなさい」
兄姉弟子の挨拶を黙って見つめていたリリアンヌは、トボトボと二人に歩み寄った。
「あぁ、リリア」
レイチェルと別れを惜しんでいたマーサ小母さんが、近くにやって来たリリアンヌをふくよかな腕で抱きしめてくれた。
「お前は、弟子達の中で一番良い子だったよ。元気でね、いつでも遊びにおいで」
「王都では楽しい事が沢山ありますよ」
涙を拭くマーサ小母さんの隣から、ロベルトがにっこり微笑んだ。
こういう時はなんと言えば良いのか。
見送られた事が無いリリアンヌは、少し考えて二人にこう言った。
「ありがとう。またね、マーサ小母さん、ローベルお爺さん」
にっと笑ったリリアンヌを驚いた顔で見つめた二人だったが、
「いつでも待ってるさ」
と優しく送り出してくれた。
「さぁさぁ、ルビウス様とレイルが待ってますよ。早くおいき」
振り返ると扉の前で、二人がリリアンヌを待っていた。
「うん」
扉の近へと駆けて行き、レイチェルと手を繋いで扉をくぐろうとしたが、不意に名残惜しくなってリリアンヌは後ろを振り返った。
「ルビウス様…」
「仕方がないよ、国王からの命令だから」
「けれど…」
「マーサ、ルビウス様はちゃんと説明して下さっただろう?」
わっと泣くマーサとそれを慰めるロベルト。
どうしたんだと戻ろうとしたが、レイチェルに引き留められてしまった。
「マーサ、泣かないで。向こうのではきちんと防壁も張れるし。知人達も力をかしてくれる。爺様もいるし。だから心配ない、リリアンヌはちゃんと守るから」
えっ?と思った時には、ぐいっと誰かに腕を引っ張られ、扉の向こうへと来ていた。