聖剣
わたしは、剣である。
王都の北の森の奥、苔むした大きな岩に、刃の半分ほどをうずめて立っている。人びとはわたしを聖剣と呼び、こう言いつたえている。この剣をぬいた者こそ、魔王をたおす勇者である、と。
その言いつたえは、まちがってはいない。ただ、ひとつだけ、だれも知らないことがある。
わたしは、ぬけないのではない。ぬかれたくないのだ。
*
五百年前、わたしは一度だけ、岩からぬかれたことがある。
ぬいたのは、まだ十六歳の羊飼いの少年だった。少年はわたしを高くかかげ、森じゅうにひびく声で笑った。その日から、少年は勇者になった。
わたしたちは、いっしょに戦った。魔物をたおし、城をとりもどし、民の歓声をあびた。少年は、わたしの柄を毎晩ていねいにみがき、ときどき話しかけた。戦が終わったら、また羊を飼いたい。小さな家を建てて、畑をつくって。
少年は、十九歳の冬に死んだ。最後の戦場で、わたしをにぎったまま。
わたしの柄には、いまもあの少年の手のぬくもりが残っている。わたしの刃には、あの少年がたおした数えきれない者たちの重さが残っている。
わたしは、岩にもどされたとき、決めたのだ。もう二度と、だれにもぬかれるものか、と。
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それからの五百年、じつにたくさんの者が、わたしの前にやってきた。
金のよろいの騎士が来た。汗ばんだ手袋で柄をにぎり、顔をまっかにしてひっぱった。わたしは、びくともしなかった。
剣の腕で名高い王子が来た。家来たちに見せるために、わざとゆっくり柄に手をかけた。わたしは、少しも動かなかった。
見なれない服を着た若者が来たこともある。自分は別の世界から生まれ変わってきた者で、神からとくべつな力をさずかったのだと言っていた。若者は、光る手のひらで柄をつかみ、何やら呪文をとなえた。わたしは、まったく相手にしなかった。
だれもかれも、目がぎらぎらしていた。わたしをぬいたあとのことしか、考えていなかった。歓声と、名誉と、魔王の首のことしか。
あの少年と、同じ目をしていた。
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ある夏の夕方のことである。
森の小道を、小さな足音が近づいてきた。あらわれたのは、十二、三歳くらいの女の子だった。そばかすの顔に、ぶかぶかの前かけをしめている。片手に、半分に折れた古い包丁をにぎっていた。
女の子は、わたしを見ると、首をかしげた。
「あら。ちょうどいいのがあるじゃない」
女の子は、わたしが聖剣だということを知らないようだった。きょろきょろとあたりを見まわし、だれもいないのをたしかめると、両手でわたしの柄をつかんだ。
その手は、小さくて、玉ねぎのにおいがした。
「うちの宿屋の包丁が折れちゃったの。お父さんが、新しいのを買うお金はないって言うから。ちょっとだけ、借りるわね」
女の子の手には、何のぎらぎらもなかった。あるのは、今夜のシチューのことだけだった。
気がつくと、わたしは、するりと岩からぬけていた。
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それから、わたしは宿屋の台所で暮らすことになった。
女の子は、わたしで玉ねぎをきざみ、にんじんの皮をむき、かたいパンを切りわけた。わたしの刃は、五百年ぶりに、ここちよい音をたてた。とん、とん、とん。
わたしは、いつまでもさびなかった。どんなにかたい骨つき肉も、すっと切れた。女の子は、毎晩わたしを洗って、ふきんでていねいにふいてくれた。
ふしぎなことに、わたしで切った野菜を入れると、シチューの味が変わった。食べた者の胸が、すうっと軽くなるのだ。夫婦げんかをしていた客は、二杯目を食べるころには手をつないでいた。酒場で殴りあいをした男たちは、同じなべをつつきながら肩をくんで歌っていた。
宿屋は、たちまち評判になった。
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王都では、大さわぎになっていた。聖剣が、岩から消えてしまったのだ。
いったいだれがぬいたのか。どこにいるのか。国じゅうに、おふれが出された。けれど、まさか森のはずれの宿屋の台所で、玉ねぎをきざんでいるとは、だれも思わなかった。
そうこうするうちに、魔王の軍勢が、国境をこえてせまってきた。勇者のいない王国軍は、つぎつぎにやぶれた。
そしてある秋の日、魔王の軍勢は、とうとう宿屋のある村までやってきた。
*
村の人びとは、みな逃げだしていた。
ただ、宿屋の娘だけが残っていた。もう十八歳になっていた娘は、大なべを火にかけ、わたしで野菜をきざんでいた。
「おなかをすかせて来るんでしょう。だったら、何か食べさせなくちゃ」
日がしずむころ、宿屋の扉がひらいた。
入ってきたのは、見あげるほど大きな男だった。黒いマントに、ねじれた角。魔王だった。うしろには、疲れきった顔の魔物の兵たちが、ずらりとならんでいた。
娘は、少しもおどろかなかった。木の器にシチューをよそって、魔王の前に置いた。
「どうぞ。熱いから気をつけて」
魔王は、しばらく器を見おろしていた。それから、大きな手でさじをにぎり、ひとくち、口に運んだ。
魔王の動きが、止まった。
ふたくち。みくち。魔王の目から、大つぶの涙がこぼれた。
「……母の味だ」と魔王は言った。「なぜ、わたしは、こんなところまで来たのだろう」
その夜、魔物の兵たちも、全員がシチューを食べた。そして翌朝、軍勢は、来た道をしずかに帰っていった。
*
それから半年後、王国と魔王の国とのあいだに、和平が結ばれた。
だれが戦争を終わらせたのか、国の歴史には書かれていない。王都の人びとは、いまも聖剣の行方をさがしている。いつか勇者があらわれて、魔王をたおしてくれるのだと信じて。
わたしはいま、台所のかべにかけられている。
宿屋の娘はとうに年をとり、いまはその孫娘が、わたしで玉ねぎをきざんでいる。とん、とん、とん。
わたしは、ついに勇者に使われることはなかった。
けれど、魔王をたおしたのは、まちがいなく、わたしである。




