第一章 逸脱
21世紀初頭――スーパーヒーローは、人々を救う存在であると同時に、街を壊す存在でもあった。
崩れ落ちるビル、炎上するバス、巻き込まれる市民。
彼らが戦うたびに、守られる命と引き換えに、確実に何かが失われていった。
そんな時代の中、2032年。アメリカのノヴァ・セキュリティ社が開発した治安維持システム――セントラル・パノプティコン・システム、通称CPSが導入される。
その全貌は誰にもわからなかったが、ヒーローに頼らずとも犯罪を防ぐことを可能にした、かつてないシステムだった。
CPSの導入後、都市の犯罪率は激減した。だが同時に、逮捕者の数も異常な増加を見せる。
人々は恐れ、不用意な会話すら避けるようになっていた。
CPSが開発されるおよそ一年前にはヒーロー内での紛争も起きており、それによってヒーロー活動の全面禁止に関する国際法が施行された。
かつて人々に称賛されていたヒーローたちは、一転して社会の危険因子として扱われるようになる。
能力を持つと知られた者は、中央警察の特殊部隊によって即座に拘束される。
その行き先は「保護施設」と呼ばれていた。
地方のガソリンスタンドでアルバイトとして働いている、アーロン・ホプキンスもまた、CPSによって肩身の狭い暮らしを送っているうちの1人である。
「アーロンさん、ちょっといい?」
店長が彼を呼び止めた。話があるから裏に来て欲しいとのことだ。
「これ、君でしょ?」
店長が差し出したタブレットの画面には、かつての自分――インビンシブルマンが映っていた。
崩れたビルを背に、血と瓦礫にまみれた姿。
「……なぜ、そう思うんです」
「今朝な、妙な老人が来て、君がヒーローだって言うんだ」
アーロンは一瞬だけ視線を逸らした。
「そんな話、信じるんですか」
「最初はな。ただ……」
店長は肩をすくめる。
「君みたいな体格の人間、そうそういない。それに履歴書だ。空白が長すぎる」
空気がわずかに軋む。
「……それで、クビですか」
「通報はしない。それだけでも温情だと思ってくれ」
アーロンが握りしめた拳に呼応するように、机の上のコーヒーカップが微かに震えた。
「……わかりました」
その日の夜、今日もアーロンは行きつけのバーであるハイドアウトに顔を出した。
「マスター、いつもの」
マスターのジェームズ・トンプソンは、ヒーロー禁止法が施行されるよりも昔に引退した元ヒーローだ。
今はバーを経営しており、能力者たちが唯一安心していられる場所になっている。
「今日は仕事をクビになって災難だったな」
ジェームズが口を開いた。
「心を読むのはやめてくれといつも言っているだろう」
「クビにするよう言ったのは私だ」
突然のことに言葉が出ず、視線だけが宙をさまよった。
「なんで、そんな」
「まあ、落ち着いて聞いてくれ」
「落ち着け?やっと普通の生活に近づいたんだぞ」
「ただの延命だ、それにアルバイトだろ?」
そういうとジェームズは一通の手紙を差し出してきた。
手紙には差出人の名前と住所だけが書いてあった。
「ミス・フレア」
知らない名前だ。
「彼女は誰だ、彼女も能力者か?」
「行けばわかる、明日は暇だろう」
「……わかったよ」
次の日、手紙に書かれた住所まで向かった。
そこはCPSの導入以前、幽霊が出ると話題になり肝試しが流行った廃墟だった。
「本当にこんなところにいるのかよ」
中に入ると空気は淀み、足音がやけに大きく響いていた。
割れた窓ガラス、倒れた本棚、床に散乱したノート、ここは元々学校だったと聞いたことがある。
その瞬間、静寂を引き裂くように、炎が頬をかすめた。
「誰だ!」
振り返るとそこには1人の女が立っていた。
彼女はゆっくりと腕を下ろす。
指先にはまだ、揺らめく火が残っている。
「それが挨拶か?」
アーロンは距離を取りながら、低く構える。
「安心して、殺しはしないわ」
女はあっさりと言う。
「……そのつもりなら、今ので終わってただろうな」
「間違いないわね」
口元だけ少し笑う。
「あなたがインビンシブルマン?」
「だったらどうする」
「別に。確認したかっただけ」
女は無防備にも背を向ける。
「話があるの。来なさい」
「何も疑わずついて行くとでも思ってるのか」
「思ってないわ」
即答だった。
「でも来るしかない。あなた、もう見られてるもの」
その一言で、空気が変わる。
「どういうことだ」
「あのまま働いてたら中央警察に連行されてた」
女は振り返らずに続ける。
「保護施設行き。あそこに入ったら、もう戻ってこれない」
アーロンの指先に、わずかに力が入る。
ようやく振り返る。
その目は、笑っていなかった。
「私はミス・フレア。今でもヒーロー活動をしているの」
「今でも?……見つかれば終わりだ」
「ええ、だからこうして、見つからないようにやってる」
「リスクが高すぎる」
「あなたに言われたくないわね」
間髪入れずに返す。
「街を半分吹き飛ばした男が」
一瞬空気が凍りついた。
「でも安心して。みんなのように責める気はないわ」
一歩、近づく。
「むしろ逆。あなたみたいなのが必要なの」
「断ると言ったら?」
「その時は——」
指先の火が強く揺らぐ。
「別のやり方を考えるだけよ」
「……そうか、だが、なぜ中央警察が来ると知っていた」
視線を外し、崩れた教室の奥へと歩きながら、ぽつりと呟く。
「……全部は話せない、でも、一つだけ教えてあげる」
足を止める。
「CPSは犯罪を見てるんじゃない」
振り返る。
「逸脱を見てるのよ」
「……逸脱?」
「強すぎる力、抑えきれない感情、規格から外れた行動パターン……そういうものを危険予測として拾ってる」
「だが、俺は街外れのアルバイトだぞ」
「関係ない、CPSはこの街すべての監視カメラにアクセスできるの、あなたくらいの体格なら何もしていなくてもマークされるわ」
彼女はゆっくりと近づいてくる。
「この街はね、もう何かをした人間を捕まえてるんじゃない」
「何かをしそうな人間を消してるの」
「……じゃあ、お前はどうやってそれを知った」
一瞬だけ、彼女の表情が陰る。
「中にいたからよ」
空気が、張り詰める。
「保護施設に」
その言葉は軽いのに、重かった。
「つい先日のこと、逃げてきたの、その時あなたの名前がリストにあるのを見た、今頃あなたの家にも警察が来ているかも」
「それが本当だとしても、俺を助ける理由にはならないはずだ」
少しの沈黙が訪れる。
「中にまだ両親がいる」
彼女の話によると、彼女の両親はCPSの誤作動によって逮捕されたらしい。
誤作動といっても過去にはヒーローごっこをしていた子供が、興味本位で少し外に出ただけでCPSが反応した事例もあるため、本当に誤作動かはわからないが……
「だから助けてほしいの」
「……そうか、話は分かった。たが、俺はもうヒーローに戻るつもりはない」
アーロンはそう言い残し、背を向けた。
軋む床を踏みしめる足音だけが、静まり返った校舎に響く。
「待って」
ミス・フレアの声が飛ぶ。
アーロンは立ち止まらない。
「俺には関係ない」
「関係あるわ」
「ない」
短く吐き捨てる。
「俺はもうヒーローなんかじゃない。誰かを助ける資格もとっくに捨てたんだ」
階段へ向かおうとした、そのときだった。
「じゃあ、どうしてまだ苦しそうなの?」
足が止まる。
拳がわずかに震える。
「……知ったような口を利くな」
「知ってるわ」
ミス・フレアは静かに言った。
「あなたみたいな人を、施設で何人も見たから」
振り返る。
彼女の目には敵意も嘲笑もなかった。
ただ、妙に冷めた現実だけがあった。
「力を使えば化け物扱い。抑え込めば壊れていく。普通に生きようとしても、社会はそれを許さない」
ゆっくりと近づいてくる。
「それでも危険だから仕方ないで終わらせられる」
アーロンは何も言わない。
言い返せなかった。
「あなた、本当は気づいてるんでしょう?」
彼女の指先に、小さな火が灯る。
「もう、逃げ切れないって」
炎が揺れる。
その赤い光が、アーロンの目に映った。
「中央警察は、一度目をつけた相手を絶対に逃がさない」
「……だから戦えって?」
「違う」
ミス・フレアは首を横に振る。
「選んでって言ってるの」
一歩、距離を詰める。
「黙って連れて行かれるか」
火が静かに強くなる。
「抗うか」
廃墟の奥で、どこかのカーテンが風に揺れた。
アーロンはゆっくりと目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、
崩れた街、
泣き叫ぶ人々、
瓦礫の下で動かなくなった誰かの手。
そして、
自分を見上げる化け物を見る目。
「それにあなた、帰れる家はあるの?」
長い沈黙のあと、アーロンは低く呟いた。
「……もし施設に乗り込むとして」
ミス・フレアの目がわずかに見開かれる。
「目的は救出だけだ」
振り返らないまま続ける。
「それと……」
長い沈黙。
「なに?」
「家をくれ」




