浮気三昧の婚約者を、絶望に落とすのは私じゃない
思い付きで一日で書きました。
2025/7/20 言葉の使い方に問題があるとご指摘頂き、「特待生」を「特別生」に修正しております。
「相変わらずの様子ね」
隣で提出する論文に添える説明文を書いていたはずの友人に言われ、彼女の視線を辿れば教室の窓から見下ろす中庭だ。
アメリアの視線の先に映ったのは一組の男女。
女生徒の方は先日まで名前を知らなかったが、意気揚々と学生寮で自己紹介をしてきたので覚えている。
中庭のベンチで仲良く肩を寄せ、笑い合っているのはチェルシー・コーンズだったか。
特別生クラスに在籍している平民だ。
そして男子生徒の方はといえば、アメリアの正式な婚約者、エドワード・コートネイ子爵令息だった。
「間もなく卒業だというのに。
あのままにしておいて、よろしいの?」
「私が言ったぐらいで、エドワードが止めてくれると思う?
言えば言うほど反発して、一層遊びに興じるのが目に見えているわ」
言葉を返すアメリアの手も止まることは無い。
「それに私の父は愛人を許容してこその正妻という持論を持っているから、婚約に何ら支障はないのよ」
エドワードが女生徒と戯れていることなど、日常茶飯事で驚くような内容ではないからだ。
「第一、彼が摘んだ花々の本数を、私は覚えていられないもの」
アメリアの返した言葉に、ハリエットが目を細める。
くだらない男、と吐き捨てたハリエットの手も止まることはない。
今日、学生寮で振舞われるデザートが、一番人気のチェリーパイなのだ。
二人はそれが無くなる前に、急いで帰らなければならないのだから。
今エドワードの浮気現場の確認とチェリーパイを天秤に載せるならば、大きくチェリーパイへと傾くだろう。
まとめの文を書き切り、ペンを置く。
隣では同じように書き終えたらしいハリエットがインク瓶の蓋を閉めていた。
「家同士の決め事だからと言われるから、私はもう口を挟まないけれど。
そうね、誰が本命なのかは気になるくらいかしら」
いくら子爵家の嫡男だからといって、全員を愛人にできるわけがない。
浮名を流し続けるエドワードでも、それぐらいのことは考えてはいるはずだ。
窓の外では手を繋ぎ合った二人をチラチラ見ては、生温い笑いを浮かべた他の生徒達が通り過ぎていく。
誰も不貞の指摘などしないが、表立っての行為は軽蔑の目で見られる。
愛人は許されているが、それは正妻の目の届かぬ場所に隠しておくべきことなのだ。
ここまで開けっ広げに様々な少女と過ごしてしていられるのも、「若気の至り」だと寛容に笑うアメリアとエドワードの父親の影響があるからかもしれない。
言葉を控えた母親達の寒々しいまでの視線に気づかないままに、エドワードが二人の父親の言葉を免罪符に遊び始めたのは、入学してすぐだった。
* * *
「先週の女子寮はチェリーパイが出たらしいね。
パイといえばミートパイを出してくるような、脂っこい男子寮と大違いだ。
アメリアも食べたんだろう?」
通りかかった女生徒に手を振りながら、上機嫌でエドワードが問いかけてくる。
ええ、とだけ返して、アメリアはお茶に口をつけた。
一体どこの女生徒に聞いたのやら。
そう口にすれば、狭量だの、嫉妬深いだのと嘆かれること二回。
今では面倒臭いという感情の方が強くて、彼の言うことは全て聞き流すようになった。
学園の中にあるカフェテラスは、婚約者とのお茶会代わりによく使われる場所だ。
もちろん、女生徒達がデザート目当てに訪れるし、逆に何か相談事をしたいらしい男子生徒のグループなどもいる。
そんな集団から離れたテラス席で、アメリアは月に一度行われる義務に同席していた。
目の前に座る婚約者は、貴族として相応には見目麗しい。
その上で身分を問わずに気さくとくれば、貴族であれば誰でもいいという考えの、平民の女生徒からの人気があるのも当然の話だ。
まあ、貴族といえば外見が大事なため、アメリアだって手入れを欠かさないし、相応の外見はしている。
だからエドワードが特別格好良いと思ったことはないが、本人の考えがそうではないのが厄介だ。
平民の女生徒からのウケがいいせいで、少しばかり増長している気がする。
今日も着崩した風を気取り、ネクタイをリボン風に結んでいるが、それを好ましいとは思えない。
学生らしくあるべきだというのに。
きっとお付き合いしている彼女達の影響だろう。
彼の浮気相手はほとんどが特別生クラスに在籍している平民の少女達だ。
王都にある学園は開けた交流を持てる学びの場で、貴族だけではなく、優秀な平民達も数多く迎え入れている。
もっとも学園の中で、貴族と平民ではクラスが一緒になることがないよう采配されている。
これはマナーを知らない一般階級の彼らが、貴族に失礼なことをして将来を失わないようにとの配慮だ。
現在、平民達が在籍できるクラスは『優待生』『特別生』に分かれている。
優待生クラスは才能があれども経済的な状況で学園に通えない、将来有望な若者に対して資金援助がされるクラスだ。
資金援助は生徒の有望性を見込んだ貴族によって行われ、学園側は入学前に原石である彼らを裕福な貴族に引き合わせる。
そうして互いの利益が一致するならば契約書を交わした上で、貴族は彼らのパトロンとなる。
もちろん大成した暁には、貴族達の領地や商売の発展に貢献する必要があるが、何もできぬまま才能を埋没するより遥かにマシな選択となる。
そして、特別生クラス。
名の通り、特別優秀な生徒が在籍するクラスとなるが、優待生クラスが貴族の援助によって学べるのに比べ、特別生クラスは全員が裕福な両親を持つ平民である。
色々な意味での特別枠という意味だ。
そういった家は商売をしていることが多く、大抵は人脈目当てであったり、跡継ぎに社会的知名度を手に入れさせようとするためである。
場合によっては多くの寄付金によって、さほど成績が良くない者が入学してくることはあるが、資金繰りのために入学を認めるにしても人柄は見ている。
問題なのは入学できるだけの経済力を持ち合わせた親を持つ、周囲から可愛らしいと褒められて育った女生徒達だった。
そういった子は目的がはっきりしており、貴族の嫡男に見初められて迎えてもらうか、せめて愛人になるなどして働かずに暮らしたいという考えから、いっそ略奪して貴族の正妻の座に座りたいという者までいる。
一応、真実の愛だと言って、全てを捨てて駆け落ちした身分違いの生徒もいたらしいが、限りなく少数派だ。
そのため、特別生クラスは不名誉なことに「愛人教育クラス」だなんて揶揄されることも多い。
真面目に勉強に取り組んでいる者からしたら屈辱だろう。
「エド!」
唐突に離れた場所から声がかかる。
見れば先日見かけた女生徒とは違う相手が駆け寄ってくる。
中庭で見たのは赤毛の少女だったが、こちらは栗色の髪をショートボブにした活発そうな雰囲気だ。
髪の長さからして平民だと当たりをつける。
「ジェシカ、どうした?」
アメリアに挨拶も無く近寄る女生徒は、気にすることなくエドワードの腕を取る。
「ちょっと大事な話があるから来てほしいの!」
こちらは一切無視だ。
エドワードがこちらを見たが、反応せずに無表情を貫けば、顔を顰めながらも立ち上がった。
「アメリア、友達が困っているようだから、席を離れるよ。
すぐ戻るとは言えないけど、待ってもらっていいかい?」
途端にジェシカと呼ばれた少女の唇が吊り上がる。
それは勝ち誇った顔であり、同時に嘲笑でもあった。
「ええ、どうぞ」
気にした様子もなくアメリアが言えば、エドワードは立ち去ろうとしてから、あ、と動きを止める。
制服のポケットから小さな包み紙を取り出して、テーブルに投げ捨てるように放った。
「それ、誕生日プレゼントだから。
返事とか面倒だから、お礼の手紙とかくれなくていいよ」
そうしてから彼らは何やら話しながら立ち去っていく。
彼らが姿を消したのを確認してから、アメリアは迷うことなく伝票を掴んで立ち上がった。
* * *
「一応誰が本命なのかは調べてみたけど、結局数が多くて諦めたの」
提出期限ギリギリまで粘って書いた小論文と各種書類を教授に提出し、ハリエットとアメリアは部屋を出て歩きはじめる。
廊下の窓から見下ろした先、一階の渡り廊下で別の女生徒の肩を抱き寄せているエドワードがいた。
「そうね、私も貴女の友人として注意はしたことはあるけれど、あれは病気だと諦めたわ。
それにしても、先日中庭で会っていたのは赤毛の子だったのに、今度は黒髪の子なのね。
どちらも見覚えないから特別生クラスかしら?」
「特別生クラスの女子は後腐れがなくて遊びやすいと言っていたから多分そう。
今見かけた子は一途で情熱的で、そのくせ純真らしいわ。
卒業するまでに全員攻略したいとも言っていたから、女の子は遊戯盤の駒ではないのだと、注意したのも聞いていないでしょうね」
「本当に屑ね、あの男。
とはいえ、あれを使って成り上がろうとする子がいるのも事実だけど」
ハリエットの言葉に苦笑する。
「だって女性の将来は、それぐらいしか道がないのですもの」
この国は他国に比べて女性の立場が低い。
爵位を継ぐことができないのは当然とされ、婚姻後の離縁の決定権だって持てない。
反対に夫からの離婚を拒否する権利すらもない。
この国では夫に捨てられないために、侍るように尽くすだけだ。
そんな中で生きていくのに、女性の立場に上下を付けるとすれば、どれだけ愛されているのかになるのかもしれない。
だからこそ愛人がはびこるのだろう。
特別生クラスの女生徒達は、上手に貴族令息達の間を渡り歩く者もいれば、強欲に上を狙う者もいる。
エドワードの浮気相手は大抵前者か、それとも身の丈に合わせて妥協できる女生徒かだ。後者はいない。
勿論、どれにも当てはまらない女生徒もいるけれど。
エドワードといた黒髪の少女も、下心無く入学したという話だった。
「間もなくエリザベス王女殿下の婚姻の日が発表されるわね。
ようやく決まって楽しみだわ」
「本当に。国外に渡られる際に伴う侍女は、王女殿下と皇太子殿下で決められるという噂は本当だったのかしら」
エリザベス王女殿下は昨年に学園を卒業した才女だ。
入学時も首席で入り、そして学園時代のテストで一位を死守し続けたにも関わらず、代表の挨拶は万年三位の侯爵令息だったのは、今でも女生徒の中ではお茶会の話題になるほど。
そんな王女殿下は国家間の友好の証として、同盟国の皇太子と長く婚約していた。
だからといって学業を疎かにしなかった、全てにおいて完璧だった王女殿下を慕う女学生は多い。
それなのに「頭でっかちな王女」と評し、「あんな男勝りを貰ってくれる奇特な皇太子」と揶揄して笑う父親。
下位貴族が不敬極まりないが、どこの家でも似たような光景が繰り広げられているはずだ。
きっとハリエットもアメリアも、嫁に行ったら学業成績なんて重視されず、どれだけ夫に尽くし、きちんと家を取り仕切って、愛人のもとに夫を送り出せる寛容さがあるかどうかしか見てもらえない。
ハリエットの婚約者は他に倣って、ちゃんと愛人とする予定の相手を隠してはいるが、既にこれという女生徒に手を出している。
この国の女性は皆が従順で、男にもたらされる愛によって生きている。
「どうでしょうね。少なくとも他国の意見は取り入れないと思うから、王女殿下とお偉いどなたかで相談して決められるはずよ。
でも忠誠を誓えない方を連れて行けないでしょうから、やっぱり王女殿下が決められると思うの」
視界の端からも消えつつあるエドワードから視線を外す。
「きっと、婚約者がいない令嬢なんて、とても都合がいいでしょうね」
「そうね、きっとそう」
そこから話題は今日の学生寮の夕食や、友人達が見つけたという買い求めやすい装飾品店、新しくできたカフェの話へと移っていった。
* * *
エドワードが遊んでいた女生徒の一人から刺されたのは、渡り廊下で彼を見かけてすぐのことだった。
刺したのは、あの時一緒にいた黒髪の少女だ。
放課後に人気の無い場所での犯行だったことから発見が遅れ、たまたま通りかかった教師が見つけた時にはほとんど虫の息だった。
一緒にいたのであろう他の少女も顔を切られて泣き叫んでおり、収拾のつかなさそうな現場に教師は急いで応援を呼んだ。
すぐにエドワードと切られた少女は運ばれて行き、犯行を行った少女はその場に立ち尽くしていたのを捕らえられ、現在は牢へと入れられている。
捕らえられる時も牢の中でも、彼女が嘆いていたのはエドワードの不誠実さだった。
エドワードは、特別生クラスの女生徒は皆同じように愛人になることしか考えていないと、いつものように甘い言葉を囁いたが、男慣れしていない少女は本気なのだと思ったのだ。
そこで掛け違えたボタンはそのまま直されることなく、少女は他の女生徒と仲良くしているエドワードを見て、不信感を募らせていく。
最終的には、見知らぬ女生徒からエドワードには婚約者がいるのだと聞いて、衝動的に女子寮の食堂にあった果物ナイフを握って走り出し、いつもの逢瀬で他の女とイチャついているエドワードを発見したという経緯らしい。
現在、エドワードは大きな病院で治療を受けているが、複数個所を刺されていることから、健康な体に戻ることはないと医者に宣告されている。
エドワードは子爵の後継ぎでは無くなり、彼の年の離れた弟が新しい後継者となった。
それに伴ってアメリアの婚約は解消となり、気持ち程度の慰謝料がアメリア自身に支払われた。
急な婚約解消に、両親は新しい婚約相手を探そうとしているが、アメリアの手にあるのは、エリザベス王女殿下の侍女として採用が決まった通知だ。
採用に向けて一緒に論文を書いたハリエットも、同じ通知を受け取っている。
彼女も現在は婚約解消に至って、フリーの身だ。
何故ならハリエットの婚約者も、修羅場の末に愚かな末路を辿った一人だからである。
エドワードの事件が衝撃的だったことから、男子学生の多くは自分も刺されるのではないかと恐怖を感じ、愛人にと目星をつけていた女生徒達と縁を切ろうとしたのが大問題に発展したのだ。
これで将来は安泰だと思っていた特別生クラスの女生徒達は怒り、一致団結して彼らの家に訪問しては騒ぎ立て、人によっては現当主の愛人として居座ってしまった者もいるらしい。
これにはさすがの正妻も怒りを露わにして新しい愛人を階段から落とし、それが公爵家だったことから醜聞として新聞社がこぞって書き立てる。
ハリエットの婚約者も愛人にするつもりだったらしい女生徒から妊娠を告げられ、純粋な貴族の子でもない第一子がいるのは体裁が悪いと、あっさり貴族籍を抜かれて領地の隅で細々と暮らすことが決まったらしい。
助けてほしいと手紙が送られてきたが、ハリエットは躊躇うことなく破り捨てていた。
まともな女生徒達の家族も、娘が犯罪行為に走れば世間体も悪いことから、暫くは休学するために学生寮から離れている。
今や学園に在籍する子女のいる家は、どこも大騒ぎで対処に走り回っている。
その隙を突いて、アメリア達と同じように侍女として立候補した者も多い。
採用されなかった者も多いが、学園が機能しなくなったことからエリザベス王女殿下の嫁ぎ先が、留学生の受け入れを行うと宣言したので、留学の手続きを行った家も少なくはない。
「これも全部エドワードのお陰ね」
船の甲板から見える景色に目を細め、アメリアが呟く。
「あれは自業自得というのだから、感謝する必要はないと思うのだけど」
横で帽子が飛ばされないように押さえているハリエットが、呆れたように言葉を返す。
二人はエリザベス王女殿下と同船し、新天地へと向かう。
既に留学するために向かった友人もおり、会えるのが楽しみだ。
「それにしても、アメリアから侍女になろうと誘われた時、そんなの絶対無理だと思っていたのに。
言い方は悪いけど、本当に運が良かったわ」
「エドワードのこと、私は気にしていないから大丈夫よ。
彼にはいつものことだったし、私にだっていつものことだから諌めもしなかった。
それだけよ」
アメリアの言葉に、ハリエットが納得したように頷く。
ハリエットにも内緒にしている、アメリアのしたことは本当に些細な事だ。
他の女生徒の話をしたら、貴族らしく隠して付き合うように注意する。
下から数える方が早いエドワードの成績の話をする。
特別生クラスの女生徒の悪口を言う。
ささやかな積み重ねだったけれど、アメリアが少しでも異なる意見を言えば不機嫌になるエドワードには、常に不快感が伴ってストレスだっただろう。
お陰で学園在籍中はアメリアを避け、ひたすら女遊びに耽っていたのだから。
最後の一押しとして、他人のふりをしながらエドワードに婚約者がいるという話を、あの一途で純真だという黒髪の女生徒にしてあげたくらい。
「ねえ、ハリエット」
なあに、という返事を聞きながら、最後にエドワードから貰った贈り物をポケットから取り出す。
誕生日プレゼントだなんて言っていたが、手の中にあるのは他の女生徒の為に選んだだろうリボンだ。
そうでなければ金の髪のアメリアに、黄色のリボンなんて選ばない。
エドワードの髪の色でも瞳の色でもないのならば、他の女生徒に選んだもので間違いない。
渡すことができないまま次の子と遊び始め、処分するのも勿体ないから贈ったことくらい、それなりの付き合いだから想像するのは簡単だ。
「あっちに着いたら買い物に行かない?
私、新しいリボンが欲しいの」
アメリアの持つリボンを見て、趣味が悪いと言ったハリエットが溜息をつく。
「いいわね。とびっきり可愛いリボンを見つけましょう。
どうせだったら一緒に買って交換しましょうか」
屈託のない笑い声が甲板に広がって、そして消えていく。
掌から風に飛ばされて舞うリボンを、二人で見送る。
それは未練がましく宙を舞いながら、ヒラリヒラリと海面に落ちていった。
2025/7/20 いつもながら誤字報告ありがとうございます!職人の皆さんのお陰で文字が整います!
2025/7/20 感想・評価・ブクマ・リアクションもありがとうございます!ストレートにモチベになりますので、もりもり次を書いています!
025/7/21 [日間] 異世界〔恋愛〕ランキング - 短編 1位ありがとうございます!