水滴の恐怖
## **滴る音**
午前三時。
目を覚ましたのは、天井から聞こえる「ポツリ」という音だった。
ポツン……ポツン……と一定の間隔で、何かが水を滴らせている。
雨でもない。エアコンの水でもない。静まり返った部屋のどこか、天井の一点から確かに音がしていた。
アパートの一室。築三十年の木造建築。壁は薄く、風が吹けば揺れるような古さだが、少なくとも天井から水漏れしたことは今まで一度もなかった。
不思議に思い、ベッドから抜け出して、部屋の中央に立った。見上げると、天井に染みができていた。まるで誰かが水をこぼしたような、円形の淡いシミ。それがわずかに広がっている。
音はそこからだった。
見ている間にも、水滴が一つ、ゆっくりと膨らんで、重さに耐えかねて──
**ポツン**
畳に落ちた。
その時、背後の窓ガラスが「コツ」と音を立てた。振り向くが、カーテンの向こうは暗い。外灯もない。
心拍が上がる。冬なのに汗が滲む。
とにかく、上の階の住人に連絡してみようと思い、スマホを手に取った。だが、連絡先が見つからない。よく考えれば、ここは最上階のはずだ。天井の向こうに人間の住む部屋など、ない。
それでも、水は滴り続けている。
それどころか、音の間隔が短くなっていた。
ポツン、ポツン、ポツンポツン──
心がざわついた。何かがおかしい。
そのとき、畳に落ちた水滴に目をやって、凍りついた。
**赤い。**
明らかに、水ではなかった。
濃い、どろりとした赤。血。
その水滴は、畳に滲んで、小さな花のような模様を作っていた。
──何かが、天井にいる。
◇
翌朝、大家に連絡し、天井裏を見てもらった。
だが、天井裏には何もなかった。湿気も水漏れも、まして血の気配も。
「気のせいだろう。夢でも見たんじゃないか?」
そう言って、大家は帰っていった。
だが、その晩も、水滴の音は続いた。
むしろ昨晩よりもはっきりと聞こえる。
それも、天井の一箇所だけではない。部屋の四隅から、まるで囲むように「ポタ……ポタ……」と赤い液体が畳に落ちている。
照明をつけても、何も見えない。赤い色は光の中で消えてしまう。
だが、電気を消せば──月明かりの中、確かに染みている。
**そしてまた、窓が鳴った。**
今度は一度ではない。
「コツ、コツ、コツ、コツ、コツ」
何かが、指で窓を叩くように。
恐る恐るカーテンを開く。
窓の外には、何もいない。だが、ガラスには……**手の跡が**ついていた。濡れたような、細くて長い指の跡。五本。ぬめるように滑った痕。
吐きそうになる。
逃げようとしたその時、後頭部で気配がした。
水が落ちる音とは、違う音。**ずるり**という、粘ついた音。
振り返った先──天井の染みが、真っ黒に膨れあがっていた。
そして、裂けた。
**目玉が落ちてきた。**
どろりと。水滴のように。
赤い液に包まれた、剥き出しの眼球が。
それは、ぎょろりとこちらを見た。
叫ぶ暇もなかった。部屋は一瞬で、冷たい水音に満たされた。
◇
警察により発見されたのは三日後だった。
通報のきっかけは、部屋の階下に住む住人が「天井から血が漏れている」と報告したためだった。
警官がドアを開けたとき、部屋の中は**水浸し**だったという。
しかし、天井には水道も配管もなく、血液や遺体も見つからなかった。
畳は腐り、赤黒い染みが広がっていた。
中央には、ただ一つの水たまりがあった。
その水面には、**一つの目玉が浮いていた。**
◇
この話を聞いたのは、ネットの怪談掲示板だった。
投稿者は「兄が住んでいた部屋での出来事」だと言っていた。
住所の詳細は伏せられていたが、写真が一枚だけ添付されていた。
そこには、濡れた窓ガラスに**ぬるりと滑る手の跡**が写っていた。
そして、天井の中心に、小さな染みがある。
写真の上には、こう書かれていた。
**──あの部屋では、今も「ポツリ、ポツリ」と音がするそうです。**