表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祝縁の花嫁は竜の背に立つ  作者: 壱単位
第1章 堕ちた英雄
4/18

第4話 永く、お側にて


 バヤールに案内され、館に入る。


 ジンハとトゥトゥだけが奥へとおされ、他の付き添いたちは、すこし入ったところにあった広間に導かれた。酒肴が用意されている。

 ならわしにより、花嫁の介添人はこのあと夜通し、花婿の家でくつろぐことを許されているのである。満足したものから、めいめい、帰宅する。

 

 長い廊下。

 両側には竜の珠のちからによる灯火がいくつも灯され、落ち着いた色の上品な毛氈が敷き詰められている。

 トゥトゥは商用でこの館に来たことはあるが、いわば出入りの業者の立場だったから、裏の質素な通用口しか知らなかった。あたりを見回したい欲求とたたかい、しずやかに歩を進める。


 廊下を進み、いくつか曲がると、扉が開け放たれた部屋があった。なんにんかの侍女が頭を下げて控えている。バヤールに促され、部屋に入る。

 侍女たちが手早くトゥトゥの髪と化粧を整える。トゥトゥの見知った顔ではなかったが、彼女の肌を知悉しているような手際だった。


 侍女のひとりがうなづくと、バヤールはジンハを促し、部屋の隅へ下がった。

 トゥトゥは別の侍女に手をひかれ、入り口とは反対側、別の扉の前に立った。

 重々しく、扉がひらく。頭を下げる。


 「ウォジェ家ご次男、セイラン・ウォジェさまです」


 侍女の声に、顔をあげた。


 あのときの、風。

 上空の、緑鱗號りょくりんごうの背で受けた、あの日の風。

 夫の顔を正面からみたときにトゥトゥがまず感じたのは、それだった。


 セイラン・ウォジェは、身体にぴったりあった黒の装束に身を包み、儀礼用の外衣を揺らしながら、ゆっくりと彼女に近づいてきた。

 上空でみたときより、肌の色がうすい、と感じた。

 長い黒髪を、今日は艶やかに撫で付けて背に流している。


 「……トゥトゥでございます。永く、お側にて」


 目の前にたった夫に、決められた短い口上を述べる。

 セイランは表情を変えない。

 と、右手をあげた。

 トゥトゥの頬に触れる。

 びくっ、となった彼女に、セイランは太い眉をややひらき、苦笑のような表情をつくった。


 「ほんとに、きたんだな」


 小さな声で呟く。

 トゥトゥは、言われた言葉の意味をやや考え、ひとつの感想を抱いた。


 「は?」


 思わず声に出てしまう。

 侍女たちが、ひゅ、と息をのむ。

 が、セイランは気にする様子もなく、部屋の隅で控えているジンハに礼をとった。


 「ご息女、わが妻としてお迎え申し上げる。以後、わたしのことは息子とも思し召されよ」


 ジンハも深く礼をとる。顔をあげ、トゥトゥの目をみて、すこしくちを引き結んでうなづく。しっかりやれよ、との意味だった。

 それでトゥトゥも、いまが育ての親とのわかれのときだと思い至った。にわかに湧き起こる不安と寂しさに胸を塞がれる。

 永遠の別れではない。夫の方針しだいではあるが、竜に関わるものたちの間では、実家との行き来は比較的、自由である。場合によっては明日にでもまた会える。

 それでも、胸に去来するものをとめようもない。

 自然と涙がうかんでくる。

 ジンハは少し微笑んで、手をあげ、促すバヤールとともに部屋を出て行った。


 と、涙ぐんでいるトゥトゥの腕を掴むものがある。

 セイランだった。

 ぐいと掴んで、引っ張る。

 彼女の装束は裾の長い婚礼用のものだったから、思わずつまずきそうになる。


 「ちょ、ちょっと」


 思わず声を荒げた。それでもセイランは気にするそぶりもなく、そのままずんずんと歩を進める。先ほどの部屋を出て、セイランが現れたほうの部屋に移動する。彼の居室のひとつのようだった。先ほどのは、控えの間、というところなのだろう。


 「疲れたろう。そこで座って休んでくれ」


 セイランは部屋の真ん中でトゥトゥの手を離すと、近くの長椅子を顎でしめし、自分は少し離れた背高椅子にどかっと腰掛けた。足を乱暴に組む。

 トゥトゥは背後で侍女が扉を閉めたのを確認してから、できるだけ抑えた声で、それでも早口で抗議した。


 「なんなんですかっ、乱暴じゃないですか」

 「痛かったか」

 

 セイランは腹の前で指を組んで、不思議そうな表情を浮かべた。


 「痛くはありませんが、言葉でいっていただければわかります。それにさっきのはいったい、どういう意味ですか」

 「気に障ったならすまなかった。俺は気が短いんだ。行動で示した方が早いだろ。あと、なんだ? さっきの? ああ、ほんとに来たのか、ってやつだな。まあ、そのまんまだ」

 「……どういう、ことですか」


 トゥトゥの言葉に、セイランはふっと笑った。どこか自虐的な笑みだと感じた。


 「まさかほんとに来るとは思わなかったんだ。あの日……君に助けられた日、ここに戻ってから竜使いたちは君のはなしで持ちきりだった。君のようなひと、竜の祝縁を受けた竜使いがこの家にいてくれれば、次の飛演祭ひえんさいはウォジェ家のものだ、ってね」

 「……」

 「だが、飛演祭はその家の者でなければ参加できない。竜の世話もね。それで、俺が冗談まじりに言ったんだ。なら、嫁にでもとるか、って。そうしたら家令のリッセンが真に受けてね」


 そういってくすくすと笑う。


 「あれよあれよという間に手続きが進んでゆく。止めようかと思ったんだが、面白いから放っておいた」

 「……それじゃ、ほんとは結婚する気はない、ってこと、ですか」

 

 トゥトゥがセイランの黒い目をじっと覗き込む。セイランは手をひらひらと振って横を向いた。


 「いやいや、俺は構わない。結婚してもいいんだ。だが、きっと君のほうが嫌になるだろう。俺のような、堕ちた英雄なんぞと、没落しかけた家で暮らすのは。俺がみんなにどう言われてるか、知ってるだろう?」

 「……」

 「まあ、我慢できなくなるまでここで過ごせばいい。部屋はあとで案内させる。必要なものはリッセンかバヤールに言いつけてくれ。ああ、実家にもいつでも」


 たん、と、トゥトゥが床を踏み鳴らしたのでセイランは黙った。彼女の目を見る。あの日と同じ翠の瞳が、じっと彼をにらんでいた。


 「承知しております。あなたさまのお噂。竜を、堕とすと」


 いわれて、セイランはしかめつらをした。


 「はっきりいうじゃないか」

 「わたくしが今日、ここにいるのはそのためでもあります」

 「ん?」

 「竜たちが、かわいそうです。この家の竜はみな、ちからを弱めていると聞きました。なにか原因があるはず。たとえば、あなたのような方。乱暴な扱いをされてるとか」


 う、と黙ったセイランに、トゥトゥはにっこりと微笑んだ。


 「わたくしはあなたさまとだけ結婚したのではありません。この家が、竜たちが、ぜんぶの生き物たちが、わたくしの伴侶おっとです。みんなと共に暮らすと決めたから、来たのです。あなたさまがその気であろうがなかろうが、わたくしは、もうこの家の者です」


 そういって、ふんと背筋を伸ばし、くるっと向きを変えて、一度つまづきかけながら、別の扉に向かった。ばん、と開ける。外に控えていた侍女たちが仰天する。


 「セイランさまはお疲れのため本日はもうお休みになるそうです。わたくしも休みます。お部屋、ご案内いただけますか」

 「……えっ、あの、本日は、セイランさまの寝室にて……」

 「お疲れ、との、ことです!」

 「は、はい」


 侍女たちは相談し、トゥトゥにこちらですと示した。

 トゥトゥは一度振り返り、ふたたびにっこりと大きな笑顔をつくって、優雅な礼をとった。


 「永く、お側にて。おやすみなさいませ、旦那さま」


 そうしてつかつかと、侍女たちを追い抜く勢いで歩き去った。

 侍女のひとりが戻り、扉が閉められる。


 「……あの……よろしいので……」


 呆然としているセイランに、侍女が恐る恐る話しかける。やがてセイランはくちを手のひらで覆い、やや俯いて、首をふった。


 「……あれはほんとうに、この間の緑の竜の竜使い、なのか……?」

 「あ、わ、わたくし分かりかねますが……たしかにあの方は、白薄荷しろはっかの宮の、トゥトゥさまでございます……」

 「……そうか……」


 どうしたことか、彼の浅黒い頬がわずかに赤みを帯びている。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ