表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編集

ゾンビに成る

作者: ぬさ

 俺は、ゾンビだ。ついさっき成った。


 ゾンビに成って五分。ゾンビに鮮度があるかは分からないが、フレッシュなゾンビと言っていいだろう。


 周りには、俺よりも鮮度の劣るであろうゾンビが蠢いている。『蠢く』とは、こういうときに使うのだなというのが最初の感想だ。ゾンビがうぞうぞと蠢いている。


 目的はわからないが、皆が同じ方向に移動していてちょっとしたお祭りみたいだ。

 見ず知らずの人間たちが、ゾンビという共通項によって一致団結している。年齢、性別、職業を超越した集団だ。こんなこと、今まで一度だって見たことはなかった。人類の新たな可能性を感じる。


───


 昔から不思議だった。ゾンビ映画を見ると、みんな一様に必死に逃げている。

 なんで逃げるのだろう、いっそのことゾンビの仲間になった方が楽なのに、と。


 だから、彼らから逃げる理由を考えた。


 一つは、『未知に対する恐怖』というものだろう。

 一応、その気持ちも理解できなくはない。だが、だからといって彼らを一方的に拒絶するというのは、自己の認識に縛られて他者を受け入れない狭量さを露呈する行為に他ならないと思う。これは、昨今の社会問題の根幹にある考えと通じる物がある。


 まず、ゾンビになった状態が良いのか悪いのか、はっきりとさせてから話を進めて欲しい。その辺りが、理論的に説明されている作品は少ない。いや、ほとんど無いといった方が良いだろう。


 もう一つ、『追いかけられたら逃げる』という、小学生男子みたいな理由も少なからずあると思う。誰だって、知らない人に追いかけられたら怖いものだ。俺だって怖い。


 とにかく、逃げるのは相手への無理解ゆえのことだと思う。だが、俺にそんな偏見はない。ただただ、ゾンビを理解したい。だから、ゾンビに成りたい。そんなことを日々考えながら生きていた。


 ───


 そうしたら今日、幸運にもゾンビの集団に出くわした。

 昼飯を食べた後、春の陽気に誘われて近所の土手に桜を見に来たら、彼らが居たのだ。


 俺は、これ幸いと彼らの元に歩み寄り、袖を捲って腕を差し出した。

 彼らは少し戸惑っているように見えた。今までそんなことをする人間に会ったことがないからかもしれない。なんだ、随分と人間らしい反応をしてくれるじゃないか、と感動した。


 しかし、違ったようだ。単に、彼らが仲間を作るプロセスが俺の想像と違っていただけだった。

 彼らの内の一人が歩み出て、顔を近づけてきた。そう、近づけてきたのだ。俺の顔に、おじさんが。


 いつのまにか、俺は他のゾンビに羽交い絞めにされていた。身動きの取れない俺の口に、おじさんが唇を重ねる。情熱的な接吻だった。


 まさかの()()()()であった。


 こうなると分かっていたら、さすがの俺も全力で逃げていた。どれだけジェンダーフリーが叫ばれても、嫌な物は嫌だ。それくらいの自由は認めてくれたっていいはずだ。


 だが、抵抗虚しく俺はおじさんの手によって、というか口によって感染を果たし、無事ゾンビに成った。

 初めてをおじさんに奪われてしまったが、この際それは忘れよう。おじさんの頬がほんのり赤みがかっていたが、それも忘れようと思う。


 とにかく、今こそ長年の疑問に自ら答えを出す時だ。実学を地で行く所存である。


*****


 ゾンビに成った俺が知りたかった疑問は、大別すると以下の三つになる。

 ・ゾンビは鈍いのか? それとも素早いのか?

 ・ゾンビのエネルギー源はなんなのか。

 ・そして最大の疑問、なぜ、ゾンビは人間(=非ゾンビ)を襲うのか。



 一つ目の疑問である、『ゾンビは鈍いのか? それとも素早いのか?』についてだが、結論から言うと鈍かった。たぶん、本気で逃げれば捕まることは無いだろう。

 ゾンビに成って以降、明らかに運動能力が落ちている。ゾンビの元が、細菌なのかウイルスなのかは分からないが、恐らく脳か神経系に影響を及ぼしているのだろう。


 しかし、動きが少々鈍くなっただけで、動けないわけでは無い。遅いだけで、しっかりと両の足で大地を踏みしめ歩けている。

 高校生の頃、付き合いたての彼女と帰宅する際、ずっと一緒に居たくてわざとゆっくり歩いたものだが、あのぐらいのペースだ。結局、手を繋ぐだけで終わってしまったのは、ほろ苦い思い出として今も覚えている。


 そう考えると現在ゾンビになっている周りの方々は、不意を突かれたか、余程彼らをなめ腐っていたかのどちらかだろう。ゾンビだけに。

 同じに見られるのは、少しだけ癪である。



 次に、『ゾンビのエネルギー源』だ。

 これはまだ分からない。なぜなら、俺はフレッシュなゾンビだからだ。まだ飢餓感に襲われたりはしていない。それに、ゾンビに成る前にがっつりと二郎系を平らげたばかりだ。平時でも、あと二日は何も食べなくても平気だろう。胃に血液が集中して、今ちょっと眠い。

 まあ先は長い、追々調べて行こうと思う。



 最後に、『なぜ人間(=非ゾンビ)を襲うか』だ。

 ゾンビたちは、最初こそ戸惑っていたものの、明らかに俺に向かって来た。というか迫って来た。まるで、抑えきれない情熱を発散するように。何らかの情動があると見て間違いないと思う。

 現時点で、自分自身に何か目的意識が芽生えたりといった感覚はない。幸い、考えることは出来るから頭を働かせてみよう。

 

 食べる為か?

 → いや、俺は唇を奪われただけで、齧られてすらいない。甘噛みされたぐらいだ。


 動くものを反射的に襲っているのか?

 → それなら、なぜゾンビ同士は襲わない? そもそも、どうやって生者とゾンビを区別しているのだろう。ちょっと顔色が悪くて動きがおかしい以外、人間と見た目は変わらない。二日酔いでグロッキーな人と並べたら、判別はつかないだろう。

 

 人間(=非ゾンビ)の何かを感じ取っている?

 → フェロモン的な何かを嗅ぎ取っているのかもしれない。これを検証するには、俺も一度人間を襲う必要がある。見ず知らずの人間を巻き込むのは忍びないが、致し方あるまい。ゾンビに成ったら、訴えたりは出来ないだろうし。



 それから一時間、皆でそろって行軍した。

 三月下旬、柔らかな日差しのもとで草花がそよ風に揺らぎ気持ちよさそうにしている。小鳥たちは唄を歌い、春の到来を喜んでいる。現代人はもっとこういった時間を大切にしたほうが良い。


 行軍の間に、七人程がこの集団に加わった。そこで気付いたことがあった。

 男は男に、女は女に向かって迫っていた。サンプル数としてはまだ少ないが、今のところ例外はない。もしかすると、同姓のみを襲うのかもしれない。


 そこで、今度は俺が一番に襲えるように、気力を振り絞って早歩きをする。集団の先頭に躍り出て、最初に獲物に食らいつくのだ。


 少し歩くと、ベンチの上に寝そべったおじさんがいた。我々が近付いても、逃げる素振りは無い。見ると、気持ちよさそうに寝息を立てていた。へへっ、油断しやがって。


 おじさんの前に立ち、じっくりと観察する。すると、不思議な感覚が訪れた。

 なんだか、こう、おじさんが薄らぼんやりと輝いて見える。どう見ても冴えない中年のはずだが、見ていると胸がときめく。なぜだ。多様性の時代だし否定する気も無いが、俺の好みではないはずなのに。

 

 おじさんの顔を見ていると、情動が俺を突き動かす。端的に言うと、すごくムラムラする。口元にかぶりつきたい。これか、これだったのか。


 俺は興奮と少しの諦めを胸に、おじさんの口に顔を近づけた。

 おじさんは、俺の口から漂うニンニク臭に顔をしかめた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ