キリンはソルトバターの夢を見るか?
教授が、ソレを見せてくれたのは…私が数少ない教授のゼミを選択し、かつ、暇人だったからだろう。
いつものコマ終わり、私はいつもの様に教授室を訪ねていた。
教授はオープンな人柄からか、ゼミの人間以外も部屋に招いてお茶をしている時がある。
教授とは、暢気な生き物なのだと誤解されるに充分な老人は、欠伸を1つした。
どうやら、今日は来客は無いらしい。
パジャマだろう、チェックの上下に裸足で爪先にスリッパを引っ掻けている。
「君か」
振り返った顔を見るに、また徹夜した挙げ句に先程まで寝ていたのだ。
「先生、今度は何を調べてたんですか?」
「いやぁ、聞いてくれたまえよ。地球惑星環境学科の友達がだな…」
言いながら小振りな箱を取り出す。
「送ってくれたのだけれどもね」
そう言えば、今日が教授の誕生日だった気がする。
「はっぴばーすでーつーゆー♪」
「はは、ありがとう。で、だ」
私の手拍子と歌をスルーして、教授が続ける。
「何に見える?」
箱の中には、果たして、薄いピンク色の石が入っていた。
15センチ程の塊のソレに、違和感を覚え、顔を近付ける。
教授の手の中の箱が揺らされると、違和感の正体がはっきりとした。
石の中に空洞が出来ており、中の液体がゆらりと動く。
「水入り水晶ですか」
色からしてローズクォーツだろう。
面白くはあるけれど、大学教授から大学教授へ送るほど面白味のあるものでもない。
半貴石なので価値もそこまで高くはないだろう。
「面白くない子だねぇ」
大袈裟なため息と共に、教授が首を振った。
「こ、れ、は、岩塩だよ」
「がんえん…」
ああ、と合点がいく。
ローズソルトだ。
が。
「中の、液体、気になるだろ?」
岩塩は、地動により取り残された塩湖が長い時間をかけて干上がって出来るものである。
が、故に、この中の液体は水である事がありえない。
「後から穴を開けて注射器で入れたり…」
「浪漫が無いねぇ」
地学とは浪漫だよ、とは、目の前の老人の口癖である。
どうやら、この老人は、この岩塩に傷1つ付けず中の液体を同定する方法を調べていたらしい。
「放射線当ててみます?」
うーん、と教授が唸る。
「変質のおそれがあるからねぇ。もう少し考えてみるよ」
楽しげに言う彼に、確かに教授には特別喜ばれるプレゼントだったようだし、どうやら私が準備できるモノはアレ以上に喜んで頂くのは難しそうだ。
用事を思い出したと、今日の所はお暇させて貰う事にした。
2番目くらいには喜んで貰えるモノを探しに行かねば。
事件が起きたのは、数ヵ月後だった。
教授はその日、学会の為にどこぞのホテルへと遠征していたが、その際に例のあの岩塩を持って行ったらしい。
単に自慢したかったのだろう。
ついでに私のプレゼントしたミル付きガラスケースに入った食用のローズソルトも持って行ったらしい。
そして、盗まれた。という。
大事に大事に抱えて、ハイクラスのホテルから出て来た所を引ったくられて持って行かれたと。
「時差を考えてくださいよ。地元の警察はどうしたんですか」
電話口で憔悴した声を出す教授に呆れ果てながら言葉を紡いだ。
「動いてはくれるけれど、品物は戻って来ないだろうって」
そりゃあ、宝石だと思って見たら塩じゃあねぇ…。
「粉々にされてるかも知れませんねぇ」
不用意な一言に、電話のあちらで尚一層落ち込んだ気配がする。
「あー、とりあえず無事に怪我無く帰って来て下さいよ!」
「毛ならもう無いよ…」
なんと言う事だ。なけなしの毛すら強盗被害にあったとでも言うのだろうか?
「いや、本当に!」
軽口を叩きそうになって、慌てて言い直す。
「戻られるの待ってますからね。あと、時差考えて下さいね」
教授の乗った飛行機があと数時間で日本に着く、と言う頃、海外の妙なニュースが入ってきた。
丁度、教授が滞在していた国で、小動物の体が溶けて死んでいる事件が続いていると言う。
伝染性の病気と見ているが、詳しくはわかっていない、と。
教授が飛行機の中で溶けていたら嫌だなぁなどと思いつつ、駐車場へ車を入れる。
エンジンを切るとラジオも切れた。
空港には【歓迎!リンちゃん!】と大きく書かれた横断幕が飾られている。
そういえば、県内唯一の動物園に初めての大型動物が搬入されると誰かが言っていた気がする。
では、あのマスコミ軍は、我が教授の凱旋出迎えでは無い、と。
「…君!」
と、名前を呼ばれて振り返ると、教授がオデコをキラキラと輝かせて手を振って近付いて来る所だった。
「お疲れさまです、先生」
飲み干したコーヒーの缶をゴミ箱に捨て、教授が短い足でテトテトと走り寄って来るのを待つ。
「荷物はソレだけですか?」
中サイズのボストンバッグを受け取り、座席に放り込む。
そもそも教授は旅行は着替えのパンツが3枚あれば良いと言うタイプだ。今回の岩塩も置いていけば何と言う事も無かったのだ。自慢したかったばかりに、こうなる。
と、空港の中が、矢庭に慌ただしくなって来た。
嫌な予感がして、教授を急かして乗せると、車を発進させる。
『緊急ニュースです! 本日来県予定だったキリンのリンちゃんですが、突如として消えてしまいました! 番組では予定を変更してキリン消失の謎について…』
地元ラジオのDJが慌てた声色で叫ぶ様に言った。
「キリン?」
教授が首を傾げる。
「そうそう、キリンと言えばねぇ、あの犯人が判明したんだよ。岩塩を強奪した犯人」
ラジオの音を勝手に小さくし、教授が口を開く。
「一流のホテルで学会していて良かったよ。防犯カメラにバッチリ顔が映っていてね。動物園のキリンの飼育員だったんだって。品物を押収したら返してくれるって。飛行機に乗る直前に連絡来たから、岩塩が無事かどうかわかってないんだけどね。これで少し希望が持てるよ」
アクセルを踏んでスピードを上げると、教授の携帯が鳴った。
滑らかな現地語で何かを話し、信じられないと言う声を上げた後、見るからに落ち込んで電話を切る。
「ダメだったんですね?」
「犯人…消えちゃったらしい…」
「アレ、中の液体、何だったんスかねぇ?」
「…僕はね、アレはね、プランクトンが長い時間をかけて変質した液体だと思うんだ」
「つまり、石油だと?」
「近いモノだと思う。つまり、地球のバターだよねぇ」
「プランクトンなら海に居ますもんね」
「でも、もう、調べる事すら出来ない」
かける言葉に困り、ラジオの音量を上げる。
『…発前のリンちゃんは…、本日…から輸送され…』
ラジオがつい少し前まで教授が居た国の名を挙げた。
嫌な予感が強くなる。
大学の駐車場へと車を入れ、エンジンを切った。
「さっきの電話の、犯人消えたってどういう意味です?」
ボストンバッグをつかみ、教授と構内へと歩みを進める。
「それがね、消えた。溶けて消えたって言うんだよ。いや、溶けたって言うのはスラングなのかも知れないけどね」
腹が減ったと言う教授に付き合って、先に食堂へと向かった。
昼時で賑わう食堂では、大画面で地元ローカル局の番組が流しっ放しになっていた。
『次々と関係者が溶けて消え…』
『○○さん!? ○○さーん!!』
「君、何食べる? 僕は久しぶりに焼き魚定食が食べたいなぁ」
アナウンサーの悲痛な声と対照的に、のんびりと教授が言う。
「はいはい、定食ですね。席とっといてください」
私は、塩バターロールパンとビーフのセットにしよう。
なんせ、何故か塩分と油分を欲して仕方ないのだ。
「そういえば、キリンってどんな味がするんだろう?」
涎が、じゅるりとやけに大きな音を立てた。