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ノイズ(ゾンビ法)

『……ゾンビの人権を主張する団体が設立されました。代表の……』

 骨董品のブラウン管テレビが雑音交じりに音を吐き出している。画面はノイズだらけだ。

 外は乾ききった砂が風で巻き上げられ、かすむ景色の中、左右に揺れながら何かがノロノロと右往左往している。件のゾンビだろうか。


 『ゾンビ』と呼ばれる存在が現れ始めたのはここ十年位の事だ。俺はその日も朝から母親に急かされながらスクールバスに乗り込んだ。到着した学校では既に教師も先に到着していた生徒達もおかしくなっていた。

「ゾンビよ!」

 誰かが叫んだのを皮切りに、悲鳴と怒号でバスの車内はパニックに陥った。

 やがて、気が付けば俺はシェルターと呼ばれる地下室に保護されていた。正直この前後の記憶は無い。

 そして、そのシェルターでもとりわけ頭の良さそうな大学生達が議論を交わしていた。

 曰く、ゾンビを斃す事について何らかの刑法的な責任を問われるか。『脳死説』なら、何らかの脳からの電気信号を受け取って体を動かしているのだろうゾンビは死体ではないと言える為『殺人罪』が適用される。だが『脈拍停止説』なら心臓が停止している死体と言う事ができ『死体損壊』となる。『呼吸停止説』なら呻き声を上げるゾンビは生きていると仮説付けられ、やはり『殺人罪』が適用される。


 この時に『呼吸停止説』を声高に唱えていたのが、現在テレビに映っているゾンビ人権保護団体代表カム・チャツネである。確か、魂が身体に入っている限りそれは死体ではないとか何とか言っていた気がするが、最終的にキョンシーとゾンビの相違性の話になっていた気がする。

「相変わらずこんな事言ってんのね、この人」

 リインがブラウン管テレビの角を手刀で叩くと、一際大きく画面が乱れた後、チャツネの顔が映りだされた。

「まぁ、そう言ってやるなよ。引っ込みがつかないんだろう」

 涅槃が穏やかに笑ってリインを窘める。俺とリインより五歳程年長だと思う。

「涅槃は優しいよねぇ。もうちょっと怒っても良いと思うよ」

「あっはっは、無理無理」

 リインの言葉に被せる様に豪快な笑い声が響いた。

「この子は怒るって感情をお母さんのお腹の中に忘れてきちまったんだよ」

 ここで一番年嵩のマダムが食材を手に口を出してきた。彼女の事でわかるのはアングロサクソン系だという事と女性だという事と、恐らく俺らの親世代だという事くらいだ。

「ったく、奴らも懲りないねぇ」

 まぁ、ゾンビが学習能力が無いのはここ十年でよく理解した。

「あんたもなんか言ってやりゃ良いのに」

 口をきけない俺に、マダムが笑って玉ねぎを投げた。リインが横から細い腕を伸ばして玉ねぎをキャッチする。皆、痩せぎすで食事は充分とは言えない。それに比べてどうだろう、テレビの中のチャツネのでっぷりとした体つき。マダムが「シェラスコにしてやろうか」と言うのも冗談とは思えない。ここいらで採れるのは毒キノコと少しの野菜と芋くらいだ。肉類はゾンビ化が怖いので食べないようにしようとみんなで決めていた。だが、それで必要な栄養が十分に取れる筈もない。若く綺麗なリインがガリガリなのは見ていて胸が痛んだ。

「安全な肉を売ってくれる店があるって噂があってね」

 マダムがみんなを集めて話す内容は、つまり、そういう事だった。

 飢えで死ぬか、騙されていると言う可能性があっても『安全な肉』という触れ込みに賭けてみるか。

「一応、多数決で決めたいと思う。もし、ここを出て行くと言うならそれを止めたりしない。その結果、どうなっても誰にも責任は無い」

 俺は、リインに、みんなに、肉を食わせてやりたい。

 結果は、六割が肉を買う、三割が決められない、一割が反対派だった。反対派と一部の決められない人達は、肉を買う派に対し出て行けと主張したが、逆に彼らが出て行く事になった。

 肉の買い出し班はマダムと涅槃と俺で行く事になった。マダムの掴んだ情報では車で約半日走った場所だと言う。すんなりと行けば、だ。ゾンビは動きが鈍いし車に追いつけないだろうが問題は燃料だ。途中で補給できる場所があれば良いのだが……。そんな杞憂をよそに、車の荷台には既にたっぷりの燃料が積まれていた。他のシェルターへ肉を分けるのを約束し、代わりに燃料を譲って貰ったと言う。さすがとしか言いようが無い。

 多少の水とふかした芋を持って、俺達は出発した。ゾンビの非活発時間である日の出から出発し、日の入りを過ぎた頃、目的地に到着した。そこは、一言で言うと、刑務所だった。大きな刑務所の門番が俺達の車を止める。ニコニコと笑顔で。

「あんたたち、買い付けかい?」

「ああ。安全な肉を買えるって聞いたんだけど、ここで良いのかな?」

 運転をしていたマダムが門番と声を交わす。門番に促されて門の中へと車ごと進めると、駐車場だろうか、開けた場所に何台か車が停められ、車から降りて談笑する男達の姿があった。

「よう、どこから来たんだい?」

「半日ほど南へ行った所のシェルターです」

 軽薄な声に涅槃が穏やかに応じる。

「そりゃあ大変だったなぁ。こっちも四時間はかかったけど。まあ、嫁と子供にイイトコ見せたくってな」

「それで、買えたんですか?」

「いや、今日はとりあえずここに泊まって、明日の朝配るって聞いたよ」

「そうなんですね」

「受付はあそこだよ」

 指の先へ視線を向けると、マダムが何やら紙を持って戻ってくる所だった。

「今日は泊まりだよ。部屋はあたしと一緒だけと変な気は起こすんじゃないよ?」

 豪快に笑い飛ばすマダムに、俺は肩を竦める涅槃を眺めて苦笑だけしておいた。

 寝室に割り当てられた部屋は勿論、受刑者の為の部屋だ。部屋の中にベニヤ板のパーテーションで区切られたトイレ、粗末なベッド、申し訳程度のブランケット。元が四人部屋だろう、ベッドが四つもあるのが有難い。煮込んだ肉と野菜のスープを配られたが、俺は自分が思ったより疲れていたのだろう、食事もせずに眠りへと落ちていた。

「……シッ。起きましたか?」

 声を潜めた涅槃の声で、目を覚ます。涅槃はマダムを揺り起こした所だった。

 マダムの表情が険しくなる。

 廊下の物音に気付いたのだ。

 部屋に鍵は無い。正確には、内側から掛けられる鍵は無い。

 小窓を覗いて回っているのだろう、数歩歩いては止まり、数歩歩いては止まり。やがて、俺達の房の前に立ち止まった。そして、立ち去って行く。カム・チャツネだった。ゾンビ人権団体代表、その人だった。寝たふりをしていた涅槃とマダムも気付いたようだった。無言でマダムを見るとマダムが涅槃を見て頷いた。ソッと扉へ力を籠めるが、開かない。鍵を掛けられていた。

 遠くの部屋からガチャリと鍵が開けられる音、ズルズルと何かを引きずる音が聞こえる。

「スープに睡眠薬が仕込まれていたのでしょう。これが『安全な肉』の絡繰りですね」

 安全な、つまり、ゾンビ化していない肉。

 なるほど、ゾンビ化していない人間は安全な肉と言うわけか。

「恐らく、半分の人間は本当に肉を持たせて帰らせているのでしょう。そしてまた噂を聞いたシェルターが安全な肉を求めてやって来る。帰って来なかったシェルターの人間は、帰る途中でゾンビに襲われたのかも知れないとでも言っておけば、それを確認する術も無い」

 俺達みたいな遠くからの訪問者ならなおさら、と言う所か。

 音を立てて鍵を開けられた扉から男が数人入ってきた。涅槃とマダムがブランケットを跳ね退ける様に広げ、視界を奪われた男達は声を上げる間も無く床に伏せていた。一瞬の出来事だった。

 倒れた男から鍵を奪うと片っ端から部屋の鍵を開けていくがぐっすりと眠り込んだ男達を背負うのは無理だ。マダムと涅槃を追い掛けて車へと急ぐ。

 車に乗り込むと同時に他の何組かがエンジンをかけた。駐車場で会った彼もいる。やはり警戒して夕食を口にしなかったようだ。

「あんた達はどうする?」

「こっちは一旦帰って相談だ!」

「俺らは奴らのアジトをぶっ潰しに……」

「何、バカ言ってるのよ? こんな時間、外はゾンビだらけに決まってるでしょ!」

「そっちこそバカ言うなよ! こんな所で肉に潰されるのを待ってられっか!」

 喧々囂々だが、とにもかくにも車は動き出した。

 しまった。外からゾンビが入って来るのなら、刑務所の分厚い部屋の扉は鍵を掛けて置いた方が良かったか? などと一抹の不安が脳を過ぎるも今更どうこう出来ない。

 ゾンビは知能が低く、ドアを開けるとかボタンを押すと言うような事が出来ないのが救いだ。

「ちっ! どうやってみんなの目を覚ます?」

「こうやってさ!」

 マダムが、シートの下から引っ張り出した長い鉄パイプの先に、ロケット弾を取り付けた。

「それは……?」

 轟音と共にロケット弾が押し寄せるゾンビ共を四散させた。その隙をついて数台の車が無理矢理、外へと飛び出していく。

「ロケットランチャー……」

 なんて物を隠し持ってたんだ、この人は……。

「走るよ!」

 涅槃が車を出し、開けっ放しのドアへマダムが掴まる。ふと、裏口の方へ慌てて逃げて行く見知った姿を見つけ、思わず頭に血が上った。マダムを車に押し込むのと同時に俺は車から転がり落ちていた。いや、降りた。遠ざかって行くマダムと涅槃の乗る車に背を向け、俺は、奴を追った。

 慌てて装甲車に乗り込もうとしているでっぷりとした男とその愉快な仲間達。

「なぁ、定員オーバーだろう? 一番太った人間を下ろせば二人は乗れるんじゃないか?」

 俺の言葉に、カム・チャツネが跳ねる様に振り返った。

「カム代表? どうかしましたか?」

「カム先生、お早く!」

 口々に取り巻きに促されるが、カム・チャツネは動かない。いや、動けない。

「……ニライ……か……?」

 絞り出すような声、蒼白の顔色、脂汗。組織の代表の異常な様子に、狼狽える諸々。

「……バカな……そんなバカな……お前は、お前が、生きているわけが……」

「なぁ、俺達を捨てて、俺達を裏切って、いや、人間を裏切って、人間を殺して、人間を喰って。お前はゾンビと何が違うんだ? お前は、本物の化け物になってしまったんだな……」

「……違う……違う! 俺は神だ! お前らともゾンビなんかとも違う! 俺は!」

「お前は、ただの、化け物だよ」

「カム先生! しっかりしてください!」

「幻覚が見えているのか? 気付薬を!」

「代表! 私の声が聞こえますか? 代表!」

 周囲を取り囲む団体員達の目前で、カム・チャツネが膝を付き、目を剥く。首に手の形の凹みが現れ、顔色が赤黒く変化していく。

 何かがおかしい。

 何もかもおかしい。

 団体員達がそう結論付ける前に、なだれ込んで来たゾンビ達によって、堅固な刑務所は阿鼻叫喚の地獄と化した。

 俺は、いや、俺も、やっと別の地獄へと逝けるのだ。


「ごめんよ、本当に申し訳ない」

 深々と頭を下げるマダムと呼ばれるリーダーの女性に、シェルターのみんなが苦笑を浮かべる。

「仕方ないじゃない。元々ダメ元だったんだし」

「二人が生きて帰ってきただけで儲けもんでしょう」

「……ね、なんか、一人足りなくない?」

「え? おかしいな。みんな居るよね。あれ?」

「ずっと、一緒に居た気がしていたの。誰か。もう一人、お兄ちゃんみたいな存在が」

「居た、様な気がしていたんだけど……」

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