表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/9

忘れ物

夜間、車を走らせていた。

街灯もない真っ暗な夜道を、車のライトだけを頼りに。

速度メーターは70km/hを指している。

山道だろう、緩く傾斜した道はぐねぐねとしており、反射板がキラキラと道の端を示している。

ふと、対向車がぞろぞろと現れ、トンネルに吸い込まれて行くのが見えた。

バックミラーに映るトンネルに。

知らず踏み込んだのか、メーターは80㎞/hを指している。

再び対向車の群れがやって来て通り過ぎ、そして再びトンネルへと吸い込まれていった。

何かが奇異(ルビ=おか)しかった。

そもそも何故こんな場所で車を走らせているんだったか?

そうだ。

祖母だ。

祖母が、忘れ物を取りに行って欲しいと頼んできたのではなかったか?

「……さんていうお家なんだけど……を忘れちゃって」

何さんで、何を忘れてたんだったか?

三度、対向車の群れが、今度は随分と長い行列が前からやって来た。そして背後のトンネルへと吸い込まれていく。

いや。

何故、気付かなかった?

速度メーターは95km/hを超えようとしている。

トンネルは、変わらずバックミラーに映り込んでいる。

山道を、ぐねぐねと走るこの車の後ろに、トンネルはまるで当たり前かのように存在し、次々と対向車を飲み込んでいっている。

スピードを落とせば、対向車と同じ様にトンネルに呑み込まれるだろう。

祖母には、今日は諦めて貰おう。

片手でスマホを操作し、祖母へ電話をかける。と。RRRRRR……と後部座席で呼び出し音が鳴った。

思わず振り返ると助手席の後ろに背を丸めた小さな影が見える。刹那、派手なクラクションに慌てて正面に向き直った。

「なあに、電話なんかして」

祖母がのんびりと声を上げる。

「ば、ばあちゃん、あのさ……」

祖母が居た事に、1人では無かった事に安堵する自分を感じる。

「ごめん、忘れ物、今度で良いかな?」

今はちょっとそれどころではない。

「ああいや、大切なものでねぇ……。大切なものなんだよ。取りに行かなきゃ。お願いだから、ねぇ?」

懇願するように祖母が言う。

数瞬の迷いの後、兎に角逃げ切ってから考えようと決めた。

「ばあちゃん、ちょっと飛ばす。しっかり捕まっててね」

上っているか下っているかわからない道を、アクセルをグンと踏み込み、メーターは100㎞/hを超えた。

徐々に、徐々にトンネルが遠去かり、一時間も飛ばしていただろうか、気が付けば車は見知った道を走っており、トンネルは何処にも見えなくなっていた。

スピードも60㎞/hまで戻し、コンビニの駐車場へと車を入れて停める。

「ちょっと珈琲買ってくるけど……」

振り返って祖母に声を掛けようとすると、祖母の姿は何処にも無かった。ただ、祖母の携帯電話だけが後部座席に置いてあった。

スマホが鳴る。

母の名が表示されていた。

「……はい」

「繋がった! あんた今どこ? お婆ちゃんが大変なの! すぐに病院に来て! わかるわよね?」

母が取り乱して病院の名を告げる。

そうだ。

祖母はもう何ヵ月も入院していて、何度も見舞いに行っていたではないか。

「わ……かった……。すぐ行く」

病院はここから車で30分程で着く。

訳もわからず祖母の携帯電話をポケットに突っ込み、珈琲を買う。

温かい珈琲は、何故かしょっぱかった。

祖母は、もしかして、祖母が、最後の力を振り絞って助けてくれたのだろうか?

溢れ出る涙を止められず、車の中で一頻り声を上げて泣いた。

泣いて泣いて、やっと息を整えた頃には珈琲はすっかりと冷めていた。

病院へ行かねば。

エンジンをかけて病院へと走らせる。

到着すると祖母はもうすっかりと冷たくなっていた。

微笑むような安堵したような表情に、再び涙が溢れる。

父と母が疲弊しきった表情で椅子に座り込んでいた。

それからは目まぐるしく時が進んだ。

葬儀屋の手配、火葬、喪服、お坊さんの読経、忌明けの食事会……。

慌ただしく、しなければいけない事が押し寄せてきた。

「そう言えばさ……」

食事会を終えて家に帰ると、両親がソファーへ沈み込むように座った。

せめてもの労いにと珈琲を淹れる。

「俺、あの日、ばあちゃんに助けて貰ったんだ」

「あの日?」

「ばあちゃんが死んだ日」

「死んだ日って……」

「あの日、何かわからないけどトンネル?穴?に追い掛けられてて……。ばあちゃんが忘れ物を取ってきて欲しいって一緒に車に乗ってて……」

「それって、婆さん、幽体離脱してたって事か?」

「お婆ちゃん、最期に雄太の所に行ったのねぇ……」

「ばあちゃんのおかげで俺、助かったんだと思う」

「そっかぁ、お婆ちゃん……」

「婆さん、雄太の事ずっと、気にしてたもんな」

「で、さ。ばあちゃんの言ってた忘れ物を、取りに行こうかなって思うんだ」

それから少しして、葬儀に来て貰った祖母の交友関係を当たり、忘れ物を預かってないかを聞いて回った。

すると、それならあの人だろうと1人の名前が上がった。

入院前、祖母が懇意にしていたと言う祖母と同年代の女性。

電話は無いというその女性の家へ、住所を頼りに車を走らせる。

マップは何も無い場所を指し示したが、まぁ近くまで行けば分かるだろうと高を括った。

果たして、その住所には平屋の古そうな木造の大きな家が建っていた。

30分程で迷う事なく辿り着いたその場所は、あの日、母からの電話を受けたコンビニに程近かった。

弔問客の中で、ただ1人、名前だけで住所を書かなかった人物。

インターホンは、無い。ノックをし、引戸をおずおずと開け「すみません」と奥へ声を掛けた。

随分と暗い。人が住んでいるのが疑わしい程度には。だが、返事は意外にもあった。

「はぁい」と返ってきた声に相応しい腰の曲がった、小さな老婆が奥から現れた。

「あら、フミさんのとこの」

「その節はありがとうございました」

「いえいえ、御愁傷様でございます」

「何か祖母の忘れ物を預って頂いていると伺っておりまして」

「……ああ、そうでしたわね」

老婆は残念そうに頬に手を当てる。

「四十九日迄待って頂けませんか? そちらさんも落ち着かないでしょう?」

「いえ、折角来たので、受け取って帰りたいのですが」

「困ったねぇ。あれは質草なんですよ」

「え?」

祖母が借金をしていたという話は聞いた事が無い。

「いくら借りていたんですか? と言うか借用書はあるんですか?」

「金じゃないんですよ。フミさんはまだ女学生だった頃にある約束をアタシとしましてね」

長くなるからと老婆は奥へ招き入れた。

老婆の話はこうだった。

身分違いの恋をしていた当時の祖母は、学校裏の山で朽ちた社を見つける。

祖母は、まだ幼く、初めての恋におぼれていた。

そして、恋の成就を社に願った。

自分の全てを捧げても良い、と。

恋は叶った。

子ができ、孫ができ、人生も終盤になった頃、ヨリ子と名乗る老婆が現れた。

雄太の目の前の老婆である。

二人は仲良くなり、ある日、フミが言ったと言う。

「孫はアタシの全てだよ」と。

だから。

忘れ物というのはその言葉だ。

老婆の目が、口が、冥く沈む。

歯が、まるでトンネルの中の照明の様だった。

ぐらり、と目眩がした。

気が付くと、車を運転していた。

日が落ちていたのだろうか。

街灯もない真っ暗な夜道を、車のライトだけを頼りに。

速度メーターは70km/hを指している。

山道だろう、緩く傾斜した道はぐねぐねとしており、反射板がキラキラと道の端を示している。

対向車がトンネルに吸い込まれていった。

バックミラーに映る、あのトンネルに。

後部座席で、祖母の携帯電話が鳴る。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ