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食用花

 仕事のストレスから何もかもが嫌になり、有給を取って趣味の登山へ出掛けた。

 険しくは無いがそれなりの装備が必要であるその山の頂上付近で不思議なモノを見た。それは、避暑地でも散歩しているかのような、軽装のワンピースの若い女性だった。

 天女か妖精かとも思ったが、山の危険性を知らぬ無知な女性だろうと声を掛けた。だが彼女はそこからすぐの山荘に住んでいるのだと、笑って招待してくれた。


 彼女は心根の優しい人だった。花が好きで食用花を好んで食べ、肉を嫌った。食用花を口に運ぶ様は妖艶でいやらしかった。唇で一枚一枚花弁を咥えて舌で迎える様に口の中へと誘い込む。僕は夢見心地のまま花弁と一緒に心まで呑み込まれたような気がしていた。


 どうしようもなく彼女に惹かれ、ずるずると山荘に留まった。彼女は優しく僕を受け入れてくれた。彼女と付き合って気付いたのは、彼女がとても良い匂いだと言う事、赤い花が好きだと言う事、そして今、僕は幸せだと言う事。


 僕は仕事を辞め、彼女の実家だという山荘を手伝う事にした。彼女の温室ではいつも赤い食用花が咲き、水を撒く姿さえ美しい。両親は既に他界したと儚げに微笑むので、そこには触れない事にした。山荘には客は全く訪れず、のんびりと僕達は甘く優しい日々を過ごしていた。


「頭蓋骨に花が咲く病気があるのよ」


 彼女の横顔がキャンドルに照らされ浮かび上がる。微笑む彼女の瞳に炎が揺らぐのを眺め、「面白いね」と返す。

「本当なのよ、信じてないでしょう」

歌う様に言い募る彼女の唇を指でなぞり、「信じてる、信じてる」と宥めた。花の香りが鼻腔をくすぐる。肉や他のモノが食べたいと言う欲求は、不思議な程湧き上がらなかった。彼女と共に、花弁を食べて過ごしていた。


 台風が直撃した日、彼女が温室を気にして家を出ようとするのを止めた。花なんかよりも君が大事だと怒鳴った気がする。翌朝、温室は見事に潰れていた。硝子は割れ花は滅茶滅茶になっていた。彼女の沈痛な溜め息が聞こえる。

「…また一からやり直しね…」

 吹き飛ばされ荒らされた土の間に、二つの頭蓋骨が転がっていた。ぼんやりと眺め、ゆっくりと這い寄る嫌な予感に、彼女の横顔へ視線を巡らせる。

「…ええ、そうよ…」

 言いたい事を理解したのだろう、彼女が頷く。

 では、そうなのだ。それは、その頭蓋骨は、頭蓋骨に花が咲くという奇病を患った彼女の両親なのだろう。


 だが、聞けない。


 聞いてはいけない。


 だって。


 だって、その花を、彼女と僕は、その花を、その赤い花を……。


 その日から、僕は熱に浮かされて寝込んだ。目を開けると彼女が微笑んで此方を見つめている。顔に花弁が舞い落ちてくる。「水が欲しい」と言う僕の頭に水をかける彼女に苛立ちを覚える。喉が焼けつく。

 ―ああ、でも、この目だ。

 蕩けるような瞳を僕へ向ける彼女。

 僕の枕元で唇で花弁を咥えて舌で迎える様に口の中へと誘い込む。

 ―ああ、なんて妖艶でいやらしい。


 そうか、僕は完全に彼女のモノになるのだ。


 僕は、今この瞬間、彼女に食べられ愛されている。

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