殿下の後悔アリスの戸惑い・3
「王宮舞踏会に子爵家の息女を招くことは、ほぼない。でも、侯爵家の後見するトラバス嬢の教育係を勤めれば、一度は呼んであげられると思った」
伏し目がちの殿下の横顔に苦さを見るのは深読みのし過ぎか。私は言葉がみつからず、殿下の肩に頭をすりつけた。
思いもよらない理由は、殿下のお心遣い。でも……そうはならなかった、と胸のうちで呟く。
「君には、どれだけ詫びても足りない」
「いいえ。教育係を任されたことと、私がこの世界から消えたのと関係があるわけでは」
「あると考える。――証拠はない」
きっぱりと言い切った殿下は、優しく独り言のように続ける。
「あの竜巻の瞬間、君はどこにいたのだろう。僕は君とトラバス嬢の間に何かあったのではないかと、ずっと疑っている」
閉じた私の瞼の裏に浮かぶのは、保管室で開いた本に目を落とす殿下の姿。その時、私は?
殿下が登校していると知っていたなら、何を放っても保管室へ行きたかったはず。そう思うのに、日本で暮らした年月が邪魔してか、思い出せない。
「すみません。……覚えていません」
謝る私の肩を殿下がぎゅっとした。
「問い詰めて、ごめん。混乱させたね」
私の知る殿下はまだ学生で、今は立派な大人の男性なのに、昼間より繊細な気配は少年のものだ。
「エミリー・トラバスさんは、私をアリスを覚えているのでしょうか」
触れている殿下の体が強張ったのがわかった。思わず顔をのぞくと、真剣な眼差しが返る。
「それを彼女に尋ねるのは、止めて欲しい。私は彼女に信頼をおいていない」
「もし会う機会があったとしても、私がアリスであることは伏せたまま?」
無言で頷く殿下は、声にすることで招く何かを恐れているかのように見える。
世界を疑い時には自分の記憶を疑う。そうしてきた殿下のお心の内は、私には計り知れない。
日本で不自由なく暮らしていると伝える手段があればよかったのに。何も考えずのんきにしていた申しわけなさに、身がすくむ。
「おいで、アリス」
愛猫でも呼ぶように優しく言った殿下が、また私の頭を肩につけて、ソファーに深く座り直した。
電車で隣の人にもたれて寝る姿勢。
「帰ってきてくれて、ありがとう」
「はい」
「君には想像がつかないと思う。再び会えて僕がどれだけ嬉しく、安堵しているか。二度といなくならないで」
承知しました、とは言えなかった。なぜなら、毒の無効化が済めば私は帰るつもりだから。
でも今は、
「はい」
これでいいと思った。
「優しいね、君は」
殿下の手甲が私の頬を掠める。
お言葉をどうとればいいのか。なにも言えずに私は目を閉じた。




