殿下の後悔アリスの戸惑い・1
私と殿下の長話に付き合わせては、護衛と従者がお気の毒。区切りがついたところで「今夜はここまで」となった。
私の頭の中は絡まった毛糸のようになっているから、一晩眠る間に思考が整理されることを期待したい。
部屋に戻り、盥に張っておいてくれた湯を使い、お化粧を落とし身体を拭いた。
髪は明日も泳ぐからもうこのままでいい。
妙な緊張感と高揚感があって、眠れそうな気配がない。どこかにお酒でもないかと戸棚を開けたところで、トントンと小さな音がした。
廊下に面した扉からだ。「相手を確かめずに開けるな」と言ったケント伯の顔を思い出す。でもここは王宮、かまわずに開けると。
「眠れないんじゃないかと思って」
右手に持ったグラスをふたつ、私の顔の高さに上げて見せたのは、ブレンダン殿下だった。
こんな夜更けにいらして殿下のお立場は。などと言うのは、余計なお節介だろう。
部屋に入るなりお目についたのは半開きの戸棚だったらしい。あれは? と目で問われたので、正直に告白する。
「お酒がどこかにないかと探すところでした」
とろりとした琥珀色のデザートワインをグラスに注いだ殿下は、三人掛けの長椅子に座り、ふたつのグラスを並べた。
これはお隣に座ってよいということかしら。肩が触れるほど近くで、無言のままワインを舐めるように飲む。
「明日になったら、また君がいないのではないかと不安になって」
情けないね、笑ってくれていいよ。付け加えて微苦笑する殿下に「いるに決まっています」と言うのは簡単だけれど、軽々しく口にするのはためらわれた。
「さきほど聞きそびれたのですが、私がアリスだと気がつかれたのはいつですか?」
髪も瞳も黒い。昔の私を思わせる外見ではない。
「――コール嬢に『アリスという名を聞いたことは?』と尋ねた時に、彼女の態度に含みがあったところかな。君とお茶を飲みながら、ずっとアリスを思い出していた」
そんなことを考えていらっしゃるとは露知らず「手に水かきが」なんて話していた私。
「それで、確かめようと水泳を教えてくれるよう頼んだ。かつて君がトラバス嬢に熱心に指導していたのを知っていたから。引き受けた事に責任を持つ姿勢は、昔と変わらないね」
殿下の口元がほころぶ。
「でも、決め手は『幻の恋人』のカジノの場面を話題にしたこと。試しに『禁断の恋人』と言い違えてみたら、凄い勢いで訂正された」




