恋に落ちている途中 後編
そんな私の気持ちを知るはずもない殿下は「どうぞ」と上着を手でポンポンと叩く。
私は断りきれず遠慮がちに、本当に遠慮がちに上着にお尻をのせた。
片脚は膝を立てもう一方は伸ばして壁にもたれる殿下。
私としては、隣ではなく少し離れた所からお姿全体をじっくりと眺め記憶に刻みつけたい。
なのに近すぎて睫毛が長いことまで知ってしまった。
息をするのもつい控えがちな私と違い、殿下はいつもそうであるかのように自然に振る舞う。
「どこまで読んだの?」
本を貸してと、手のひらを向ける。指が長い。
そんなこともあろうかと官能的ではない場面のページを覚えておいたので、ためらわずに開いて渡した。
殿下が意外そうな顔をし、視線を落とすとすぐに「ふうん」と愉しげになった。
読み上げられてもここなら恥ずかしくはないけれど、そんな笑うような場面だっただろうか。
訝しむ私の前で、パタリと音を立てて本が閉じられた。
殿下は一度天井を見上げてから、これまでにないほど親しげな笑みを浮かべて、私を見つめた。
それだけで心臓が痛いくらい高鳴る。
形の良い唇がゆっくりと開いた。
「美しい女というものは、爪の先まで美しくできてるんだな。幾千の星より咲き誇る花よりお前が俺を惹きつける。こんなに夢中にさせて、俺をどうしたいんだ? 教えてくれ」
「神様、ありがとうございます。今ここで死んでも悔いはありません」
胸の前で指を組み早口に言う私を見て笑った殿下が、
「セリフが違うよ」
正しい指摘をする。
殿下が口にしたのは、文中の男主人公のセリフ。私が返したのは、私の本音だから全然かみ合わない。
「ウォルター嬢は純情だね。女の子は皆こういう事を言われたいと思っているのかな。言う側としては、なかなか厳しいものがある」
殿下が苦笑する。
「王宮の舞踏会などでは、着飾った美男美女が素敵な会話をして、恋愛模様を繰り広げていらっしゃるんですよね」
これは野性的な魅力のある男性のセリフだから粗野だけれど、舞踏会では甘く洗練されたおしゃべりが交わされるに違いないと、意気込んで尋ねる。
「どうだろうか。まだ舞踏会に出る年齢ではないから、僕が行く時は話す相手と内容はあらかじめ決められていて、言われたようにするだけだ」
さらりとかわされた。
「九月から二年生になるね、ウォルター嬢。編入生が来るのは聞いている?」
私は首を横に振った。