聖女ミナミの功績は水泳技術の伝授です
潰れるほど飲んでいない。自分が昨夜とった行動は全て記憶にあった。
ブレンダン殿下は大人なのに、なんてことを。翌朝会って私は深々と頭を下げた。
「謝罪はいらない。丁寧な指導は大変分かりやすかった」
殿下はそんなことを言ってくださるから恐縮してしまう。習った頃の私は子供だったから足を持たれたけれど、大人には別の教え方があると思う。
それに水中でなければあの格好は、みっともない。お手本を見せた時に私を止めてくれればよかったのに、とちらっと恨みがましい気持ちになる。
いえ、始めたのは私だと承知しておりますが。
「本日もよろしくお願いします、先生」
気を軽くしてくれるつもりか、殿下が「先生」と私を呼ぶ。
「一時間半で休憩をいれましょう」
殿下より私の体力がもたないとは言わずに、昨日の復習から入った。
クロールの息継ぎは完全にマスターしておられる。プールで泳ぐわけではないのでターンの練習はいらない。
フォームは私の方が美しいと自負するが、本気で泳げば距離によっては殿下の勝ちかもしれないほど力強く安定した泳ぎだ。
始めたばかりの平泳ぎには苦戦中。泳ぎ疲れて一旦切り上げ、木陰の草地に敷いたブランケットの上にゴロンと横になったのは、殿下ではなく私。
殿下が「え!」という顔をしたの横目にしつつ。
「この方が回復が早いので」
座ったくらいで疲れが取れると思うなよ。連日泳ぐなんて大人になってしたことがないんだから。心のなかで愚痴る。
両膝を立てて寝転がるのは最高にお行儀が悪いと知っているが、腰が楽。上から布を掛けて素肌が目に入らないようにするので、許されたい。
命じられなくても護衛と従者は背を向け続けている。
「ここで危ないこともないと思うけれど、あまり人に見せたくはないからね。誰か来たら彼らが対処する」
座っていた殿下も「気持ちが良さそうだ」と、寝そべった。
ふたり並んで木洩れ日を見上げる。少し眩しく感じた私は、上腕を目の上にのせ瞼をとじた。
「食事に戻るのは面倒だね」
寝転ぶと動きたくなくなるのは、王子様も庶民も同じらしい。
「続けて泳ぎますか」
「いや、運ばせようかと思う」
「食べてすぐ泳ぐと、気持ちが悪くなりますよ」
「ごく軽いものにしよう」
身を起こした殿下の指示する声が、途切れ途切れに聞こえる。
「準備が整うまで、僕達は休憩だ」
もつれた髪をほぐしてくれているような気がするから、目はより固く閉じる。
「今晩、カジノに行ってみない?」
「カジノ?」
「君に勝ち方を教えたい」
それならバージニアに。言いかけて、これはスイミングコーチのお礼だと思い当たった。
今後の人生でカジノに行くことは一生ないと思う。今は怠くて動きたくないけれど、一眠りすれば大丈夫。
「ありがとうございます。かなうなら少しお昼寝の時間を取ってくださいますと……」
クスリと笑う気配がして、濡れ髪の根元をほぐす殿下の指が肌に当たる。撫でられているわけでは、断じてない。
「いいよ。一眠りしてから出掛けよう」
「その前に、もうひと泳ぎですね」
「ご指導よろしく、先生」
いえ、先生は本当は「今日はもう上がろうか」と言われたかったのです。
聖女ミナミはこうして水泳技術を異世界に伝えましたとさ……と、私は内心呟いた。




