王子と伯爵
ブレンダンは広い歩幅で廊下を進み、階段を一階分おりると足を止めた。
階段下に立っていたのは、ケント。
「使いと行き違いになったのかな」
見上げたケントがブレンダンの姿を認めて、軽い礼を取った。
「いえ、ミナミ嬢が今夜は戻らないと聞き及び、着替えを届けに参りました」
「わざわざ君が来なくとも、使いの者に持たせればよかったのに」
ブレンダンの目配せひとつで、音もなく現れた従者がケントの手から包みを受け取った。
「コール嬢がまとめてくれましたが、他に入り用な物があればと思いまして」
少し間を置いて、ブレンダンは残念そうな顔つきに変わった。
「そうか。彼女は疲れたようで、早々に休んでしまった。明日、私が聞いて不足があればこちらで用意する」
「それには及びません。今、直接――」
「ケント」
王家らしい感情の読めない眼差しに比べれば、声音は穏やかだった。この場合引くべきはケント。
「失礼いたしました」
「いや、疲れさせたから起こすのは忍びなくてね」
「では明日あらためて迎えにあがります」
ブレンダンが、ゆるゆると首を横に振った。
「ケントも多忙だろう、何度も足労をかけるのは申し訳ない。こちらで屋敷まで送る、心配は無用だ」
「――お気遣いいたみいります。水泳はいかがでしたか」
「興味深い。ミナミ嬢が言うには、水中を歩くことでも身体能力は向上するらしい。浮力があるから関節への負荷が少ないそうだ。怪我明けの兵などに適しているという、そのあたりは明日詳しく聞くつもりだ」
ケントの雰囲気が和らいだ。
「まさか殿下が泳ぎに興味をお持ちになるとは、思いませんでした」
「彼女が水の精のごとく泳いだ様子を、見た者から聞いて、自分でも試してみたくなった。ミナミ嬢は優秀な先生だ」
「でしょうね。それに勇敢です」
「ああ、そうだろう」
男ふたりに微かな笑みが浮かぶ。
会話に区切りがついたところで、ケントが一礼した。
「では、今晩はこれにて失礼いたします」
「もう一日延ばしたくなったら、また連絡する。知っているか、泳法は四種あるらしい」
口を開きかけたケントを、ブレンダンが気さくに遮った。
「わかっている、明明後日は外せない用があるのだろう。それまでには帰す」
そして返事を待たずに背を向けた。




