恋に落ちている途中 前編
殿下がいらっしゃるかもしれないと思いながらの読書は、正直はかどらない。
三度目にお会いしたのは、また一ヶ月たった頃の保管室だった。
耳をそばだてていた私は、保管室へ続く廊下を歩く誰のものとも知れない足音を殿下と決めつけ、扉近くまで行って出迎えた。
「久しぶりだね、ウォルター嬢。会わない間、元気にしていた?」
誰にでも同じように接すると重々理解しているのに。
ブレンダン殿下のありきたりな問い掛けが「会えない間、寂しくしていた?」と聞こえる私は、絶対に恋に落ちているという自覚があった。
しかもまだ途中も途中、これからどんどん深く落ちるという確信もある。
朝目覚めてまず考えるのは殿下のこと、ふと想うのも殿下、寝る時に必ず思い返すのは「ウォルター嬢。はい、覚えた」と言った時の殿下のお顔とお声。
私の一日はブレンダン殿下を思うことで過ぎていく。
それを誰にも気取られないよう、すべき事を今まで通り粛々と行うのは、とても努力のいることだった。
「恋はいいわね。恋愛と違ってひとりで出来るから」
それが私の結論。密かにひとりで恋しがるだけなら、どこにも迷惑はかけない。ご一緒したほんのひと時を、一ヶ月大事に抱えて過ごした。
「ここのところ、何かと用があって。学校へ来るのも一ヶ月ぶりだ」
私の知らない行事や催しでお忙しいのだろう。珍しく「座ろうか」と言う殿下は、少しお疲れなのかもしれない。
「君のお気に入りの隅っこで」
悪戯をたくらむ子供のようにチカッと輝く瞳の深緑に、吸い込まれたい、何ならこの色の湖に沈みたいとすら思う私はもはや病的、つける薬はない。
殿下は脱いだ上着を無造作に床に広げて「どうぞ、こちらへ。ウォルター嬢」と、上着の上へ座るよう勧め、ご自分はお世辞にも掃除が行き届いているとは言えない木の床に、ためらいなく腰をおろした。
殿下の上着を! お尻の下敷きに!?
信じられない気持ちで首を横に振り固辞するのが精一杯。
声も出ない私に、殿下が真顔を向ける。
「まさか、子爵家の令嬢を床に座らせるなんて、できるはずがない」
私が床に座っているのを二度も見たのにそんな事を言う真顔は、からかっているのに違いなかった。
何が好きとか、どこが好きとか。そんなのもう自分でも分からない。ただただ殿下が好きだった。