餅は餅屋、毒には聖女
聖女の能力はさすがだったと言ったら「他人事のように」と眉をひそめられるか。
私とバージニアは、毒霧毒沼に充分に対応できた。本日手を焼いたのは凶暴化したイノシシだった。
イノシシが罠にかかって生け捕りになっていれば、バージニアが正常な状態に戻せるけれど、襲ってくるのは狩るしかない。
「餅は餅屋という言葉があります。妙な毒にはわたくし達、護衛には皆様、獣には狩人。事情を知っている地元の狩人をお連れになるべきだと進言いたします」
バージニアの意見を尊重したライリーさんの後押しもあり、念の為にと急遽同行させた狩人がいなければ、対イノシシ戦はさらに苦戦を強いられたに違いない。
「ここは任せろ、モチはモチ屋!」
「さあ、行くぞ!モチはモチヤ!」
自分を奮い立たせる言葉と勘違いしたのか、そう声を掛けあいながら衛兵が狩人と連携を取る。
緊張感のなかの可笑しみに笑いを堪えるのは、私とバージニアだけ。ぜひともケント伯とライリーさんの声でも「餅は餅屋」を聞きたいと思った。
「見落とされている毒沼は、ないのでしょうかしら」
「ありそうですよね。人の行かない場所まで全て把握しているとは、思えません」
人が行かなくても獣は行き、毒にあたって凶暴化する。人と行き合わなければ問題はないけれど、獣が人の生活圏に進出してくると厄介だ。
「毒沼に比べると魔王はその点は、よかったわ。おひとりですから、倒せばお終い」
「魔王には配下とか手下とか悪の幹部とか蠢く眷族なんかがいて、おひとりって事もないんじゃないですかね」という私の頭に浮かぶ疑問は、本日も乗り物酔いで気分がすぐれないので、声には出さない。
ただ今、宿の寝台にだらしなくのびる私と、お行儀よく椅子にかけるバージニアふたりだけの反省会中である。
「霧におかされた村人も回復してなによりでした」
「ミナミの『浄火』も、効果抜群ね」
そう、「浄火」は沼の面積が広ければ「強火」と呟けば浄化の速度が上がる。試しに「とろ火」にしてみたところ、目に見えて効果が落ちた。感覚としては無段階調整に近い。
練習と言い訳しつつ試して遊んでいたら、ケント伯に見つかってしまい「浄化はやはり体力を消耗するのか! 身を削って能力を使っているのか!? 答えてくれ、俺に嘘はつくな」と、血相を変えての多大なご心配を頂いた。
「そんなことはありません」と強く否定したが、「身を尽くして毒霧に立ち向かう健気な女」と盛大な勘違いをされていたらどうしよう……と思うのは、それこそヒロイン気取りと笑われるだろうか。




