アリスのドキドキパニック・1
殿下をお見かけすることはあっても、本を読みに保管室へ行く余裕はなかった。
「あ、あの人……あの方がブレンダン殿下ですか」
私からの無言の非難を受けて「あの人」を「あの方」に言いかえたのは、隣にいたエミリーさん。
殿下に泣き言をさんざん言ってから少し気持ちが落ち着いた私は、エミリーさんについて前向きに考えるようになった。
模範とならなくては、と思えば自然に姿勢を正すから、私にとっても悪いばかりじゃない。
九月にお引き受けしたので、年末までを一区切りとする。そこで一度先生にお伺いを立て「もうしばらく」と言われたら三月まで教育係を延長、それ以上は辞退しようと決めた。
思うに、そこまでに身につかないことは私では教えられないか、私と彼女の意思の疎通がうまくいっていないかだ。他の人に変わったほうがお互いのため。
失礼とは知りつつ、こっそりと殿下の様子を目で追う。
「あ! 殿下がこっちを見ました! 私目が合いました!」
エミリーさんが興奮気味に報告して、私の袖をひく。
「『こっちを見た』ではなく『こちらをご覧になった』です。エミリーさんが『目が合った』とお感じになるのなら、ここにいる全員が同じように感じています。そういった視線の配り方をなさるのです」
「へぇ、そうなんですね。アリスさんは何でもよく知ってますね」
大げさにエミリーさんが感心する。「へぇ」はない、と言うのは止めた。これは揚げ足取りになっていないかと、自問することも多々ある。
小言の多さはまるで私の母。もう似てきたかもしれないと思うと、一気に老けた気分になりもした。
それより。この時間に学校にいらっしゃるなら、お会いできるかもしれない。私は胸の高鳴りを静めようと、目を伏せた。
珍しく私より殿下が先にいらした。
「本を読む暇もなさそうだね。最近はどう?」
聞かれて、放課後のエミリーさんに個人授業が入り、私の負担は軽くなったとお伝えする。
相談するというのもおこがましいけれど「教育係に期限を作るのはどうでしょうか」とお尋ねする。
「よい考えだと思う」
即答された。
「良かった……」
気負いが抜けてつい呟いた私に、なにか言いかけた殿下が口をつぐんだ。次のお言葉を待つうちに、私の耳が足音をひろう。声もする。
「アリスさぁん、あれ、こっちに来たと思ったのに。どこ行ったんだろ?」




