現実の恋人は異世界より押せ押せです・1
「着替えたいから帰る」と主張する私。
「着替えならモールで買えばいいし、洗いたいならランドリーに出せば明日の朝までには届く」と言うケント伯。
攻防をへて、なし崩しに負けたのは私だった。
満足した敵は勝者の余裕からそれは優しく「月曜の朝、一緒に出勤しよう」と誘う。
私の住む田舎では、通勤時間帯を考慮してバスが走っているなんてことは、ない。職員のほとんどが自転車か車通勤だ。
私の車が土曜日から職員駐車場に駐めっぱなしであることは、皆が知るところ。何を思われているのか、想像するだけで恥ずかしい。
ケント伯には「絶対に、間違ってもキスマークなんて残さないで」と言い渡した。
「何日残るか興味がある」
「毎日、晦日市に来るわけでもないのに連日の経過観察は不可能ですよね」
朝食についで昼食も部屋に運んでもらい、ほぼ一日ベッドの上で過ごした。
これ以上の「ご無体」はお控えいただきたいと、私が「裂傷」と表現したせいで、ケント伯がぎょっとしたなんてこともありつつ。
月曜の朝は、いつもより早く出勤した。
一人暮らしのコーポの前に見慣れぬ高級車が停まっては、ご近所さんの噂になってしまう。寄るのは諦めて、クリーニングの済んだ土曜日の服を着ることにした。
もういい大人だから「朝帰り」なんてどうってことない、そう思うのに、恥ずかしいのはなぜだろう。
そそくさと車を降りた私に、助手席の窓を開けたケント伯が、運転席側にまわってくれと示す。
開けた窓から顔を出すから、内緒話かと身体を屈めると、私の後頭部に大きな手がまわった。
そのままキスに持ち込まれる。舌が唇をノックするので、つい薄く開いてしまい慌てて閉じる。
こんなところで! 全力で離れると、ケント伯は残念そうな顔をした。
「何をするんですか!」
「『俺の女に手を出すな』と知らしめておこうと思って」
悪びれもせず、そんなことをおっしゃる。
「言っておきますが、この世界で狙われるのは私ではなく『瀬名先生』のほうですからっ」
「なら『水野さん』が『私の男に手を出すな』と宣言してくれ」
「前は俺がした」と真顔で言い、またキスをしようとするケント伯を防ぐために、彼の口を手で覆う。
モゴモゴしながら「口はキスで塞いで欲しいと言ったのは、ミナミ嬢なのに」なんて、微妙に言い回しを変えないで欲しい。
「水野さん、目立ってますよ」
はっと気がつくと、ポツポツと出勤してきた職員が伏し目がちに通っていくところで、指摘してくれたのは後輩。
「朝から痴話喧嘩ですか」
――痴話喧嘩。そんなベタなドラマのような言われ方をする人生になろうとは。目まいを感じる私の手は、ケント伯がしっかりと握っている。
これでどう言い逃れをすればいいのか。




