謎多きこの世界で
「先日は、すみませんでした」
なんのことだか。ライリーさんの謝罪に心当たりがない私は、しばらく考えてようやく思い出した。馬車に駆け寄ってきた母子のことだ。
「いえ、ライリーさんもお仕事でしょうから」
私の取る行動を見たかったのは、ライリーさんではなく別の誰かであるのは明らかだ。
「それで、彼女の行動はどのように受けとめらましたの?」
尋ねるバージニアの感想は「君子危うきに近寄らず、ね」だった。
「若い娘さんながら、ものの分かった方だと」
「扱いやすいということですね」
即座に断じた私に、ライリーさんは少し笑うだけで、はっきりと肯定しなかった。
私とバージニアは、ライリーさんと一緒に街に出て生活に必要なものを買っていた。
バージニアの欲しい物リストの一行目は裁縫道具。日本にいても私はほぼ使わないものだ。
「和裁は母に習いましたし、洋裁学校にも通いましたのよ。ちょっとしたものなら縫ってさしあげる」
やはり万能でいらっしゃると感心していると。
「おふたりとも、とても十代とは思えませんね、さすがは聖女様」
ライリーさんが持ち上げてくれる。
「まあ、ほほ」と上品に笑うバージニアは人生の大先輩である、と教えたくなるけれど、思うだけにとどめた。
今日もライリーさんは様々なことを話してくれた。
ケント家は代々聖教会の衛兵を束ねる要職についており、セナ様は家督を継ぐと同時に衛兵隊長に。
王家であるグランヴィル家とは縁続きで、セナ様はブレンダン殿下のご学友――そんなはずはない。
「高位の貴族は学校へは通わないものでは」
「ブレンダン殿下は『視野を広く持ちたい』と、時間の許す限り受講されたそうです。セナ様は必ず同行されたと聞いております」
素知らぬ顔で尋ねる私に、ライリーさんは丁寧に答えた。
嘘だ、と思った。日本での年月が長く、アリスだった頃の記憶はかなり薄れているが、ブレンダン殿下には決まった「ご学友」はいなかった。
あれだけ熱心に盗み見していた私が言うのだから、間違いはない。
当時、学年女子代表として他学年の貴族クラスの生徒名は覚えた。そこにケントという家名はなかったはずだ。
図書館で調べたのは、この国の歴史と貴族名鑑。貴族名については元々たいして知らなかったから、思うほどの成果は得られなかった。
分かったのは、ブレンダン殿下が二十七歳であること。そして、この世界のどこにもウォルター家は存在しないことだった。




