黒髪は茶髪にミナミはアリスに
私の涙が落ち着いた頃、バージニアとライリーさんが戻ってきた。
地下には毒沼のあった痕跡もなければ、スカーフ一枚落ちていないという。
「アリスが行くなら同行しよう」とおっしゃったブレンダン殿下に、行かないと目配せで伝える。
せっかく止まったのに、地下室に行って涙腺が崩壊したら大変だ。
泣いたせいで重くなった目蓋を閉じ殿下にもたれていると、床板を元に戻す音がした。
帰国する機会がこれで永遠に閉ざされた、そんな気持ちになる。
「コール嬢、こちらの女性はミナミ嬢でよろしいのですよね」
ライリーさんがおかしなことを言い出した。毒は消えたものの、地下には名残があってお脳がやられてしまったのかも知れない。
すぐに癒すかと思ったのにバージニアは会話につきあっている。
「ええ、そうよ。でもアリス・ウォルターさんとお呼びする方がしっくりきそうね。私もアリスと呼ばせてもらおうかしら」
このふたりは何を言っているのか。
「彼女の容姿の変化は、聖女としての任務が完了したことを見て分かる形にしたものだろうと、理解している」
容姿に変化? 座ったままで顎を上げ殿下の顔を見る。
「気がついてなかったのかな? ほら、ごらん」
肩に落ちていた髪を一筋すくい、私に示す。これ、私の?
「茶色? いつから!?」
「私が見た時には黒髪ではありませんでしたよ。そんな風なら、首に傷跡のひとつもない事もご存知ないわね。元通り本当にきれいなものよ」
素っ頓狂な声を上げた私に、バージニアはいたって冷静な態度を取る。
指で首をあちこち辿ってみても、どこにも引っかかる箇所はない。
まさか顔も。今度は頬、鼻から唇へと順に撫でる私を、ブレンダン殿下が笑う。
「指で触れても、形の違いは分からないんじゃないかな」
教えてくれたのは、これまたバージニア。
「私の見慣れたお顔と違うけれど、確かにミナミだと分かるわ。いかにもアリスというお顔でもね」
殿下が私の耳に口を寄せて。
「僕が最後に会った時のアリスそのものだ。僕も十年戻してくれればいいのに。そうすれば十年余計に君といられる」
ささやきを聞きながら「ミナミ」はケント伯が連れて行ったのだ、と思った。
その後のことは、ライリーさんとブレンダン殿下が決めていった。集会所に戻ってわかったのは、皆の記憶からケント伯が抜け落ちていないこと。
「逆に厄介だな」
その時は聞き流したブレンダン殿下の言葉の意味が私に分かったのは、王都に戻ってからのことだった。




