ブレンダン殿下到着・3
バージニアがケント伯に向き直る。
「ケント伯、体調はいかがですか?」
「良好だ」
地下室でのケント伯は茫洋としたとらえどころのない瞳になっていた。
脂汗を浮かべていらしたから問い詰める状況ではなかったけれど、おっしゃる通り私の名乗る「晦日市」は地名。伯が日本人だとしても、地方の一町村名をご存知であることへの疑問はある。
しかし今聞いてもきっと首を傾げるだけだろう。
「残念ながら、私の力の回復には一晩かかりそうです。明日ならば、殿下の体調が悪化されたとしても、お役に立てることでしょう。あくまでもこれは私見ですので、隊長のご指示に従いますわ」
ケント伯はバージニアの意見に耳を傾けた後、しばらく思案して。
「――では明日正午前に集会所へとお出で願えますか、殿下。これからライリーを伴い集会所へ戻りまして、コール嬢の携行品をライリーに託します。明日はコール嬢、ライリーと共にお越しください」
「行くのが朝ではいけない理由は?」
「少しでも長く聖女様方に体を休めていただきたく」
そう言われれば、殿下といえども引き下がらずを得ない。
ケント伯が伏し目がちなのは「偉そうに」と思われない為、のような気がする。
こっそり分析していると、殿下の矛先は私へと向いた。
「聞きたいことがある、少しいいかな。別の部屋へ」
私ひとりに聞きたいこと? これは露骨な切り崩し工作というものか。頭が働かないほど疲れている今、私に勝ち目はないのに、お断りできる身ではない。
少し離れた部屋に連れて行かれ、ふたりきりになった途端「ケントは君に触れていない?」と聞かれた。
いきなりの質問がそれですか。叙勲に関わることであり慎重な対応が望まれるところだ。
「ブレンダン殿下、申し上げます。ケント伯は誇りを持って衛兵隊長を務めておられ、常に身を律していらっしゃいます」
隊員は私とケント伯が付き合っていると信じているけれど、それはフェイク。
疑うのも失礼だと軽く呆れてみせると、殿下の頬がゆるんだ。
「良かったよ、ケントが忠誠心の強い男で」
そこは「友情に厚い」にして差し上げないと、なにやらケント伯が気の毒に思える。
「もう少し近くへ、アリス」
言われて少しだけ寄ると、殿下が私の両手をとった。
「君に苦労をさせて、心苦しく思っている」
そんなの。そのために来ているから当然だ。私は首を横に振った。
「何か良い事がないと可哀想だね。この件がすんだら君にあげたい物がある。楽しみにしていて」
悪戯っ気が宿る目つきに惹かれながら「物?」と聞き返した。
「君以外は価値を見出だせないかもしれない物だ。思わせぶりな言い方はよくないね?」
かまいません。と微笑みを返す。
「楽しみにしています」
「期待は裏切らないよ」
あまり遅くなると、ライリーさんの戻りが日没後になってしまう。
「殿下、そろそろ行きませんと。バージニアのお荷物をこちらへ持って来たいので」
「ああ、そうだね。明日また会おう、アリス」
離し際にきゅっと手を握ってから、殿下は女生徒全員が好きだったあの頃のお顔をなさった。




