08 秘密の友人候補
その日、午前中の授業の担当の先生から、放課後、クラスの生徒の課題を集めて提出するという役割を仰せつかった。
本来は授業中に書き終えて提出するはずの課題だが、空き時間を利用するから放課後まで時間を使っていいことにしてくれという要求が生徒の間からでたことに教授が了承してくれた結果だ。
ただし、時間制限を守らせるためにだろう、教授は主席で公爵家の令息であるサミュエル=ハートリー様を皆の課題の取りまとめ役に指名した。その際、偶々目についたからかサミュエル様の後ろに座っていた私にもお鉢が回ってきたのだ。
強いていうなら先生は私達二人が時間を延長しなくても既に課題を終えているらしいことがわかっていたのだと思う。放課後になったらさっさと課題を纏めて提出にくると見越していたに違いない。
「皆、納得のいくものを書けた者も書けない者も時間だから課題の提出をしてくれ。まだ学院の授業は始まったばかりなのだからこの課題の提出によって何かを決定的に左右されるなんてことはないと思うぞ。だからこれ以上足掻いたりせずに潔く、な」
サミュエル様が気さくな調子で、だが滲み出る権威をこめた調子でそう言うと、瞬く間に課題が集まった。競うようにして私の元へ。
先生は適材適所という言葉を良く知ってらっしゃったようだ。
提出の号令は公爵家のサミュエル様に、雑用は子爵家の私に、と実はとっさの判断とはいえない巧妙に考えられた人選だったのだなと少し感心しながらも、せっせと全員分が間違いなく提出されてるかを確認する。
サミュエル様が友人たちと悠然と話をしながら文句も言わずに待っていてくださっているのを横目に見ながら、なるべく急いだ。
私の作業が終わったタイミングでサミュエル様が友人たちに先に帰るようにいい、私に向かっては労いの言葉をかけてくれた。
「特に二人で来いと指定されているわけではないから私が一人で教授のところに持っていってもいいのだが、課題を集める作業をしたのは君だ。手柄を横取りする気はないから急ぎの用がないのであれば一緒に教授のところへ行こう」
「はい、ありがとうございます」
その公正な態度は素晴らしいが、サミュエル様と二人で人目のある場所を歩くことに戸惑いというか躊躇があったため、おひとりで持って行っていただいたほうが良かったくらいなのだがこう言われてしまっては頷くしかない。
私が持っていた書類はスマートな仕草でサミュエル様に渡すように促されたのでお渡ししてから半歩遅れて後ろについて行く。教授の元につくまで無言で歩いた。
荷物は持ってきていたから教室に戻る必要はない。課題の提出をした後はそこで解散となるだろうと思っていたのだが、何故かサミュエル様はそのおつもりはないようだった。
「君とゆっくり話をしてみたいと思っていたのだが中々よい機会が得られなくてね。教室でも私のことを上手く避けているようだしね?」
「いえ、そんなことはありませんわ」
慌てる私をよそにサミュエル様は鷹揚に頷いた。
「ああ、いいんだ。別に責めているわけじゃないよ。難しいものだよね、こちらが話をしたいと思うような人はたいていそういうものなんだ。そうする気持ちはわかるし、こちらも何が何でもと相手に迷惑をかけたいわけじゃないしね」
どんな顔をすればいいのかわからずに曖昧に微笑む私に向かってサミュエル様はそう言って肩を竦めた。
「教室などでいかにも親し気に話すというのは難しいかもしれないが、これからもこういった機会があるかもしれないからね、人目の少ない時なら多少親しく話をしてもいいんじゃないかな? 君は一人っ子の跡取り娘だろう? そういう立場の女性でなければこちらとしてもおいそれとは話しかけられないんだよ」
下手に女性に話しかけると大変なことになるというのは少し傲慢にも聞こえる言葉だが、確かに公爵家の嫡男であるサミュエル様にとっては女性とのかかわり方はかなり難しいところがあるのだろう。
偶々話しかけられた女性が何かしらの期待をもつということもあり得るし、逆に特定の女性と親しくしすぎればそれが気にくわないと、あわよくばサミュエル様と懇意になりたいと願っている女性たちの嫉妬を浴びてしまうという二次災害のようなことが起きる可能性もあるから、学院のような閉鎖された場所では特に気を配る必要があるのをこの方はちゃんとわかっているのだ。
現に、私はその危険性を危惧して席が前後しているにも関わらずこれまでサミュエル様のいうように彼や彼の親しい友人たちとは常に距離を保つように心がけていたわけだから、彼のほうでもそういう配慮をしてくれているのだとわかってほっとするやらどこか申し訳ないような後ろめたい気持ちを感じてしまった。
「……大変ですね」
ぽろりと零れ落ちた言葉に何故かサミュエル様はこれまでの良家の子息に相応しい泰然とした雰囲気を消し去り、年相応の青年の顔で笑った。
「自分は関係ないと思っているのか? いいかい、君はまだ自分の立場をよくわかってないようだから親切な私が教えてあげよう。私ほどではないにしても、君だってよくよく気を付けなければならない立場なんだぞ。
いや、もしかしたら、立場的には私なんかより君のほうがずっと大変かもしれないくらいさ。
君の実家の子爵家はかなり有望な婿入り先だと目されている。伯爵家だけでなくたぶん侯爵家でも君の家なら検討の範囲内だな。それに上昇志向のある子爵家、男爵家と続く。
まだ表立って動くものがいないようだから悠長にしていられるのかもしれないが、君自身、かなり話題になってるみたいだから本気で気を付けたほうがいいぞ」
「話題になっている……ですか?」
「そうだ。裕福な爵位継承者であるちょっと見ないような美しい女性。王都の人間からしたら君は突如現れたとっておきの優良株だ。かなり注目を浴びているよ」
「……」
誰のことだというような評価に絶句したが、サミュエル様は冗談をいってるわけではなさそうだった。
「気を付けるとは具体的にどういうことにどう対応すればいいのでしょうか???」
実家が裕福なのは知っている。そして、母に似た容姿が人から見てそれほど悪くないのも事実なのだろうと思う。だが、具体的に何を危惧するべきなのかがピンと来ない。
「怖がらせるわけじゃないが、爵位の上の者には気をつけたほうがいいな。強引に意に沿わない縁談を押し付けられるのは嫌だろう? それになるべく一人にならないほうがいい。学院で不埒なことをするほどの者がいるとは思えないがそれでも女性の場合は特に警戒しておくに越したことはないからな」
「……!」
そのあまりの内容に衝撃を受けて固まってしまった私。サミュエル様は憐れみを込めた目でそんな私を見て吐息をついた。
「君、なんというか、色々と気にしている割にはあまりそういうことを真剣に考えていなさそうだなと思ってたんだよな。そんなことでは王都ではやっていけないぞ。幸いにもクラスに友人もいるようだし、まあ、これからは今言ったことを忘れないように気を付けれていればそうそう悪いことにはならないだろう。だが、いいか、忘れるな、君は選ぶ側なんだ。その特権を手放すようなことはするなよ。決して隙を見せるな。わかったな?」
「はい。わかりました」
サミュエル様は私の返答に満足げに頷いた。
「よし。私の忠告を無駄にするなよ。私に次ぐ成績を取った優秀さとその素直さが気に入ったから困った時はできるだけ力になってやろう」
サミュエル様の善意は有難く思ったが、そこまで言われると、何か裏があるのかと勘ぐりたくなるというものだ。
「あの、どうしてそこまで言ってくださるのですか?」
すると、サミュエル様はまたにやりとでもいうような感じの笑みを浮かべた。
「疑っているな? 確かに私には下心がある。だがそれは決して邪なものじゃないぞ。私には学院生活において叶えたい密かな夢があるのだ。私が将来継ぐ爵位に対して思うところなどない女性と気を遣わずに話をしてみたいというのも大雑把に言うとその夢の一部だな。
だから領地経営の勉強という共通の話題があり、恋愛関係を望むなどという面倒なことにならないでいられる友人候補として君には目をつけていた。多少世間知らずで考えが甘いところが見られるが律儀で真面目そうな性格も好ましいと思ったし、家同士の関係を考えてみても君の実家の立場は悪い点が見当たらない。君は私が女性の友人にするならこういう人だと考える条件にぴったりだ」
打算的で身勝手な話を悪びれることなく堂々と語るサミュエル様。でも、逆に私はそこに好感が持てた。
「私も学院に入学したら色々な方と友人になりたいと考えていました。ハートリー様の友人になるなど私には恐れ多いことですが、こういった機会がまたあればお話させていたくことができれば光栄です」
「うむ。心配するな、私だとて無用な面倒は避けたい。君の悪いようにはしないさ。ごくたまにこのような機会があればそういう時には遠慮なく話をしよう」
「はい、楽しみにしています」
こうして私には秘密の友人候補ができた。
しかし、私がサミュエル様の希望通り友人のような関係になどなれるのかはどうかは神のみぞ知る、だ。