第4話 子供は楽しい 老人は悲しい 子供は元気で楽しそうで老人が暗いのには理由があります
子供はいいですよね。いつも楽しそうにはしゃいで飛び回って、好奇心旺盛でいつもニコニコしています。
それに引き換え大人や老人は深刻そうな顔をしてたり、つまらなそうだったり、1950年生まれの老人としては自分の事はしっかりと棚に上げて、どうにかならないのとか、なんでそうなるのとか思ったりします。
それで、考えたら当たり前なんですね。
子供は楽しい、老人は悲しいって。
胎児なんかもっと楽しいでしょうね。
生き物は栄養を取り、増殖・繁殖することが基本ですよね。
増殖・繁殖できればうれしいし、数が減れば落ち込みます。
胎児や子供はどうでしょう。1つだけだった細胞があっという間に2つになり、4つになり、何億になり、どんどん増殖しています。
生物としてはそりゃあ楽しいですよね。ただ食っちゃ寝してれば増殖するんですから。人生満喫です。
ですが、やがて青年になると細胞はもう増えません。
困りました、もう食っちゃ寝しているだけでは楽しくありません。それどころかそこはかとなく悲しくなります。将来が不安になります。
人生における苦悩の始まりです。青春時代の到来です。
細胞数が増えない予感、それだけでティーンの男女は悲しくなり、ついでに詩などを書いてみたり、ギターを弾いてみたりダンスを習ったり、おめかしにのめりこんだり、演劇論や人生などを語ります。
細胞が増えなくなったティーンの男女は、つがいを見つけて繁殖する以外にもう道がありません。おめかしして必死に繁殖相手を探し回ります。中には乱暴して力を示そうとするおバカなオスも出てきます。
なんせ性ホルモン出まくりですから、繁殖命ですから、なんでもありです。
大量に出まくる性ホルモンによって血走った男と女はつがいになったりします。性ホルモン出まくりのオスとメスですので、冷静な判断力はありません。ですから女を求め、男を求め、番になるなどという浅はかな事を真剣にやったりします。
大量に出まくっていた性ホルモンの放出が落ち着けば、多くの番はやがて離婚し、その他のほとんどの番も家庭内別居・家庭内離婚という状態になります。悲しい事ですが、それが現実です。
本当に幸せな夫婦などまずいません。みんな世間体を気にして、子どもの事を思って、我慢して、結婚なんて所詮こんなものだとあきらめて暮らしていきます。
やがて時がたち、人は皆年寄りになります。閉経したりなんやらで増殖も繁殖も絶望的になります。
さらにひどい事には背が縮んだリと、明らかに細胞が減ってる実感がもたらされます。
人生初体験。増殖も繁殖もしないだけならともかく細胞が減ってゆく実感ですよ。
増殖ではありません「減殖」ですよ。ひどいじゃありませんか。お迎えの予感が漂います。
これじゃ誰だって悲観に暮れるというものです。
それでもあきらめきれない人は孫に期待したりします。
増殖・繁殖という生物の原理原則にどこまでも執着します。
それは孫に対する愛なのでしょうか繁殖という欲なのでしょうか。
ちなみに仏教では愛とは執着であり欲です、そして欲とは執着であり愛なのですが。
そんなことはともかく、子供は楽しい、そして「減殖」を実感した老人は悲しく、やがて消え去るものなのです。お迎えは近いのです。
次回は「第5話 胎児と母体の大戦争 親子喧嘩は胎児の時から始まっている」を投稿します。
愛したり虐待したり殺したり、親子というのは複雑です。