有名無実
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有名無実……中身が伴わないこと。またその様。
簡潔な言葉で、小さな枠に書き込む。国語の課題として渡されたそれは、高校生の課題としてはいささか陳腐なものに思えた。調べて書き込むだけなんて。
それでも、これをしなくては評定が貰えない、と襟を正す。評定が貰えなければ指定校推薦もなくなり、頭が悪い俺の行き場が失われかねない。そうなれば、卒業後はただのニートになってしまう。
「先生。プリントが終わったので、自習をしていてもよろしいでしょうか」
さほど大きくない、けれどよく通る声が教室に響く。学年一の秀才、高砂だ。全国模試で1桁常連だの、偏差値85超えてるだの、眉唾物の噂がまことしやかに囁かれる優等生。
「あ、もちろん。提出だけしてもらえる?」
そんな高砂の言葉だからか、担当の教師もすんなりと受けいれた。俺が言ったら少しは嫌な顔したろうな。
にしても高砂は、どんな気持ちでこの課題やったんだろう。自分で勉強する方が効率的だろうに。高砂にとってはこんなの、ウォーミングアップにすらならないだろうに。馬鹿らしいとか、思わなかったのかな。
まあどうでもいいか、と思い直して、ペンを握る手に力を込めた。
放課後。意味埋めを簡潔にしすぎたらしく、手に戻ってきたプリントを睨みつける。お前がいなければ早く帰れたのに、なんてお門違いな念をぶつけて、あまりの不毛さに溜め息が漏れた。
気を取り直し、赤い線が引かれた四字熟語を、ひたすら電子辞書に打ち込んでいく。
教室の窓から、赤らんだ光が真っ直ぐに射していた。
「こ、う、うん、りゅーすい、と」
友達に写させてもらう手もあったのだが、生憎みんな提出済みだった。授業中にちゃんと辞書で調べて書いたらしい。真面目だった。
「うわ、長文出てきた」
こんなんこの枠に収まるかよ。収まるとしても読みにくいわ。もう少し枠を大きくは出来なかったのだろうか。推敲するにしても、原文が長すぎた。
喫緊の対策として、シャーペンをクルトガに持ち替える。線が細くなれば、その分多くの字を詰め込めるし、余白も増えるだろう。
「あ、片桐。珍しいね、こんな時間に学校に居るの」
やけに通る声がして。目線を教室の扉にやると、高砂が厚い本を片手に、教室に入ってくるところだった。
「あー。ちょっと、課題の受け取り拒否食らってさ。あれ、今日中に提出しないと評定下がるらしい」
言葉を返すと、高砂が近寄ってくる。
「なるほどね。もう受験近いもんね」
「うん。頭そんな良くないし、評定ないとやばい」
「片桐指定校組だっけ」
「そのつもりなんだけどなー」
なんて返して。そして、そこで言葉が途切れる。高砂と仲がいいわけではないから、当然といえば当然だ。だけど、少しだけ気まずい。
「有名無実、か」
不意に、高砂がプリントを覗き込みながら言った。これまで、この距離で話をしたことが無いから、妙に滑ったような気持ちになった。
「このまとめかたで十分だと思うけどな」
「やっぱり? 現文の小林、なんか厳しくてさ。面倒くさがって調べなかったのも悪いんだけど」
「小林先生は、ちゃんと自分なりの基準を持ってる先生だもんな。いい先生だけど、若干面倒臭いよね」
高砂も面倒臭いって言うんだ。なんか変な感じ。お綺麗な言葉しか使わないような奴だと思っていた。
「なあ、高砂はさ」
「ん? うん」
「なんでこんな普通の高校に来たの。高砂なら、もっと頭いいとこ行けただろ。それこそ、東大生百人とかばんばん出すような、とんでもねー名門校とか」
半分は、単純な興味。半分は嫉妬。脈絡がないことは分かっちゃいるけど、今聞くのが一番だと思った。
「そりゃいろいろ理由はあるけど」
ちょっとだけ怪訝そうな顔はしたものの、高砂はすんなりと答えてくれる。
「1番は、たくさんの人を見てみたかったから、かな」
まっすぐと、明日を見つめるような瞳で言う。俺は、こんな目で何かを語った経験はないな、なんてことを考えていた。
「僕は、長く生きてきたわけじゃないから、見識も狭いし価値観も偏ってる。自惚れだけど、確かに片桐の言うような名門校にも入れたかもしれない。でも」
少なくとも、片桐みたいなやつと出会う機会は、ほとんどなかっただろうからさ。
語り終わって高砂は、恥ずかしそうにはにかんだ。
何とかプリントを仕上げて、家に帰った俺は、高砂の言葉を反芻していた。
『片桐みたいなやつと出会う機会は、ほとんどなかっただろうからさ』
そりゃそうだ。名門校に行ってさえいれば、間違いなく俺みたいなやつと出会うことはなかっただろう。
それがいい事だったのか、悪いことだったのか。まず間違いなく悪いことだろうになぁ。
ぼろけたパソコンを立ち上げて、迷わずにとある掲示板を検索する。何度も利用した履歴が残っているからか、真っ先にサジェストされるから楽だ。
毒々しい色のサイトの書き込むボタンを押して、いくつかの文字列を残す。
『ウリ D〇 1回3マン』
学校は知らない。母さんが、この間若い男と駆け落ちして出ていったこと。先生は知らない。残された俺には、1円たりとも残されていなかったこと。友達は知らない。俺の家が、父親のいない母子家庭だってこと。
高砂は知らない。俺が、生活費を、体を売って稼いでるようなやつだってこと。
「なんで俺、こんな人生になっちゃったんだろ」
中身のない、上辺だけの人間。俺に相応しい言葉だよな、なんて思いながら、パソコンの電源を落とした。
読了ありがとうございました