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おじさんと誕生日



   ◇◇◇



「メイ、もうおじさんの部屋には行くな。」




 月曜日の夜。


 お夕飯の席で、ふとお父さんが、私を見てそう言った。


 お母さんも、おじいちゃん、おばあちゃんも妹も、みんな頷いている。


 ……おじさんは、いつもみんなとは一緒に、ご飯を食べない。




「えーやだー!」



 私は、ひとり大声をあげる。


 一足先に食べ終わった黒猫のミイが小さく鳴き、迷惑そうにこちらを見て、ぷいとリビングから出ていく。



「ダメって言ったらダメだ」



「そうよ、メイは最近おじさんの部屋に入り浸りすぎ、ご迷惑でしょ?」



旺持オージは、昔からちょっと危ないところがあるからな」



「彼、メイちゃんに変なこと教えて節もあるわよね」



「お姉ちゃん、男の趣味悪っ!」



 突然のおじさんバッシング!

 どうしよう、みんな、おじさんがここにいないからって、悪口言い放題だ!

 こらー、食事中に、悪口言うとご飯がまずくなるんだよー!




「えーなんでー、けちー、」



 私がぶーたれると、お父さんは、お前のために言ってるんだぞ、とつづけた。




「あいつは、メイと同じで勉強は相当できるんだが、昔から精神的に少しおかしい。いつかあいつの爆発にメイが巻き込まれるかもしれないというのが、お父さんは一番怖いんだ、」



「そうかなー?」


 私は頭をひねる。そして、おじさんとの記憶を探ってみたが、爆弾抱えるようなそぶりなんて、ぜんぜん見当もつかない。おじさんは私と遊ぶ時、いつも柔和で、心穏やかだ。



 私の嫌がることは絶対しないし、ゲームでも、私が泣いちゃったとき以外は怒らなかった。


 

 それでも【危ない】と言うなら、おじさんというよりも、それはむしろ……




爆発おそうおうとするのは、おじさんじゃなくて、私のほうかもしれないねー」




「!?」



 目をむくお父さんたち。



「おじさんが知的で、かっこよくて可愛くて、魅力的で、話をするだけで私の本能が喜ぶんだよー」



 それに!




 ……近親婚インセストタブーは、歴史的な観点から言えば、エジプトの第19王朝のラムセス2世とか、ヨーロッパのハプスブルク家とか、近代に入るまでの長い期間、日常的に行われていた。



 宗教的にも、ゾロアスター教の聖典アヴェスターなどでは、近親婚をフヴァエトヴァダタと称して、もっとも尊い行為の1つと位置づけており……






 私の説明に、口からあわを吹き出すお父さん。



 お母さんはマイの両耳を手で塞いでいた。まるで、日光東照宮の、聞かザルだ。



「やっぱり私はおじさんだーいすき♡!」





 おばあちゃんが、勢いよくイスから立ち上がった!



「メイちゃん、落ち着いてよく考えてごらん?」




 おじさん好きなんてちょっと変じゃないかな?

 メイちゃんくらいの年頃なら、同級生の男の子や、かっこいい憧れのアイドルとかも、いっぱいいるはずでは?





 おばあちゃんの言葉に、おじいちゃんも勢いよくイスから立ち上がる。



「いやいや待て待て、メイちゃんは、まだ小学4年なんだ、多分、自分でも意味がわからないことを言ってるんだよ、そのうち大人になって、今の発言は黒歴史になる、」



 おじいちゃんおばあちゃんも、つばを飛ばして、こちらに身を乗り出してくる!


 でも、二人とも私を子供扱いして嫌な感じ!




「お願いみんな! 私たちの関係を差別しないで!」




 痛みのないラブストーリーなんて、この世にはないと、私は反論したがしかし!リビングはさらに激しく炎上してしまう。



「メイが狂ってしまったー」



 お父さんは発狂。




「メイちゃん、一体どこで、そんな言葉を!」


 お母さんは、絶叫!



「お姉ちゃん、将来ろくなことにならないよ!」



 マイの凶兆!




 でも、そんなの、関係ない!



「私は狂ってない! おじさんに借りたスマホで勉強したの! それに私の将来は虹の道路!」



 私は反論して、畳み掛ける。

 私はおじさんとすでにもう、将来を誓い合い、結婚の約束をしてるのだ!



「おとうさん! 私の義理の兄になってよ!」







「うん、わかった」


 お父さんは、神妙な顔で頷いた。さすが、おじさんのお兄さんだね、理解が早くて助かる!







「……メイは、絶対におじさんの部屋に行くの禁止だ!」




「会ってお話しするのも、もうダメ!」


 おばあちゃんとお母さんも、ヒステリックな声をあげる。




 えぇーうそー、やだー!?


 お父さんたち、私の話、全然話聞いてないじゃん!



 私は猛反発したが、結局、おじさんの部屋に行くことを禁止されてしまった。




 そんなぁー!






   ◇◇◇




 翌日。


 帰りの会が終わるなり、教室をスタートダッシュ!


 小学校からの帰り道をまっしぐらの一直線……

 とは、いかない。


 通学路。私は動かす足の速度を落として、わざとゆっくり歩く。

 おじさんの部屋に遊びに行けないなら、早く帰る理由もない。

 見上げると、どんよりの曇り空。


 朝出かけるときは、降っていなかった雨が、ぽつぽつと、私のほほに落ちてくる。


 ため息をついて、ランドセルから出した折りたたみ傘をさす。

 


 ――おじさんと、今日は何して遊ぶ?



 そう考えながら、ワクワクして息を切らして走った青空に続く坂道が、今は、長い登り道だ。


 風のにおいのする橋も、宝物のような草原も、今日の私の心はときめかない。


 歩くうちに、雨がどんどん強くなってきたけど、気分は、このまま濡れて帰りたいくらいだ。




「ただいまー」 



「何やってるのメイ! 今日は台風来るから早く帰ってきなさいって言ってたでしょ?」


 おかあさんが、妹の体をタオルで拭きながら、怒っている。



「はーい」



 風が強くて、傘をさしてるにもかかわらず、ちょっと濡れちゃった。


 気分は乗らないけど、私も素早くお風呂に入り、着替える。

 そうすると、夕飯まではもう何もやることがない。



「メイー、宿題おわったのー?」

「10秒で終わったー」



 適当にスマホをポチる。髪を櫛でとかす。


「お姉ちゃん宿題手伝ってー」

「やだー」



 ひどく退屈なのに、おじさんの部屋に入れない。

 私は妹が騒いでいる子供部屋から出て、廊下を歩き、おじさんの部屋の前をうろついた。


「ミイただいま、」


 今日は、黒猫のミイも部屋に入れてもらえないらしく、おじさんの部屋の扉の前で丸まって寝ている。



 外からは、ごぉーっという風の吹く音が聞こえてきた。



「……台風は今週中ごろ、3· 4日にかけて低気圧を急発達させながら日本付近を進みます。中心気圧は一日で50hPa以上も低下の予報、近年まれにみる急激な発達をする低気圧です。事故やけがのおそれがあるため、外出は控え、お出かけの際はくれぐれも……」



 1階から、とぎれとぎれにニュースの音声が聞こえてくる。


 悪いことは重なるものだ。おじさんと遊べないだけでなく、外へ遊びに行くこともできない。

 あてもなく、私は廊下をうろうろした。



 あ! 今気づいたんだけど、おじさんの部屋に入るの禁止なら、借りてたスマホも返せないじゃん!



「どうしよう、こっそり遊びに行っちゃおうかな?」



 借りたものを返さないのは悪い事だから、おじさんの部屋に行くのは、しょうがないことだよね!



 そんなことを言っていると、部屋からゴホッゴホッと咳をする音が聞こえた。そして、なんかソファがきしむ音までする。



「おじさん?」



 私がドアごしに聞くと、くぐもった声で返事があった。



「……メイちゃんか、ごめんな、今日はおじさん遊べない」



 ゴホゴホとせきこむ音がする。え?




「おじさん風邪なの?」



 私の問いかけに、ゴホゴホとせきこむ返事。


 ぎしぎしと床のきしむ音も、苦しそうだ。どうやらおじさんは、ソファに寝転がっているらしい。

 その瞬間に私は気づく。



「わたしだ、私のせいだ!」


 おじさんは、いつも家にいて、部屋から出ない。

 つまり、風邪を引くことなんて基本的にありえない。


 そのおじさんが風邪をひいているということは、感染経路は部屋に入り浸っている私ということなんだ!


 私はピンピンしてるのに!





「ごめん、ごめんねおじさん!」


 私が感染うつしちゃったんだという声に、


「大丈夫だから、心配しないでメイちゃん、」


 おじさんの苦しそうな返事。


 そうは言っても……と、私は考える。



「……おじさんは、口で言うことと体が一致してないから、心配だよー」



「ゴホゴホ!」



 おじさんの体は正直だった。


 私は、片目をつぶって、昨日の記憶を呼び起こす。おじさんの冷蔵庫に入ってたのは、たしか。

 冷凍もののカレーとハンバーグだった。


 簡単に作れるけど、風邪で体力弱っているのに、脂っこくて、濃い味で消化に体力使うものばっかり!


 これじゃ、体調、悪化しちゃうよ!

 あわてて1階に降り、冷蔵庫の中身を確認する。



 しなびたいくつかの野菜と、とんこつラーメン、それから焼きそばが残っていた。


「やだ! みんな脂っこいものじゃん!」


 しかも、お父さん、お母さん、おじいちゃんおばあちゃん、妹、そして私の6食分以外、ほとんど何も入ってない!


 今日は水曜日。

 いつもだったら昼の12時に、食品の特配サービスが届く日なのだけど、今週は、台風の影響で遅れているのかもしれない。

 念のために、乾物を入れるインスタント食品の棚も確認してみたけど、缶詰や袋麺ばかりで、体に優しいものは一つも残っていなかった。



「病気の時に、食べるものがなかったら、大変だよー!」



 おじさんの食事と薬、いそいで買ってこなくちゃ!

 私は、必要なものを頭の中にリストアップしていく。


「ポカリ、春ミカン、うどん、ご飯は残ってるから、だしと、雑炊のもと、それから……」



 体温計や、常備薬を、電話機の棚にしまってある薬箱から取り出して、おじさんの部屋の前に持っていく。

 ノックをして、扉の前に置いておく。


「おじさーん、薬持ってきたー」



 ゴホゴホというせき込み。


「おじさんー? 開けるよー?」


私がドアノブに手をかけた瞬間。




「メイ、おじさんの部屋へ行っちゃダメって言っただろ!」



 私が、大声に驚いて後ろを振り返ると、お父さんがいた。

 どうやら今日の仕事は、台風で早め切り上げて帰ってきたらしい。


 私は部屋には入ってない、話してただけと言おうと思ったが、それどころではないことを思い出してお父さんに伝えた。


「おじさん、風邪引いて!」 


「じゃあ、なおさら、入っちゃダメだな」


 風邪がうつると言って、私の腕をつかみ体を引きずって、扉の前から引きはがす。




「お父さん! それならおじさん誰が看病するの!?」




 おじさん一人で苦しんでる、という私の言葉に。

 放っておけ、大人なら体調管理は自分でできる、とお父さん。

 私は愕然とした。


 もうすでに、風邪ひいてるのに!



 なんでおじさんに、そんなひどいこと言うの?


 私は、おじさんが、部屋から出てこない原因の一端を見てしまって、ただでさえ憂鬱な気分が余計に暗く落ち込んだ。



「まったく、誕生日に風邪引くなんて間抜けなやつめ」



 しかし、次の言葉を聞いた瞬間、私の頭をひらめきが走る。



「ん……お父さん、今、誕生日って言わなかった?」


「そうだ、今日はやつの誕生日だよ」



 おじさんは、自分のことをあまりしゃべりたがらない。だからちっとも知らなかった。なんと今日はおじさんの誕生日だったのだ!


 でも誕生日に、風邪をひいてつらくて、ひとりぼっちなんて、私だったら、絶対や!



 私は、お父さんの後に続いて、一度、子供部屋に戻る。


 そうだ、風邪を治して、嵐の夜に、みんなでバースデーケーキ食べれば!


 おじさんは、大人のみんなとドラマチックに仲直りできるかもしれない!



 でもきっと、お父さんたちに言ったら、絶対、外出ダメって言われるよね。

 だから、私は何も言わずにコッソリ出かけることにした。




「お姉ちゃん、どこ行くの?」


「宿題わすれたー」




 子供部屋で、邪魔してくる妹をかわし、なるべくさりげなくランドセルをゲット。学習机に寄って、ほとんど使う機会のない500円玉の貯金箱を開ける。


 ゲームも漫画もおじさんから貸してもらってばかりだから、目いっぱいたまっているそれを開けて、小さなお財布にパンパンになるまで目いっぱい詰め込む。



「お姉ちゃん?」


「マイー、私、今算数の宿題やってるから、邪魔しないでね」


「さっき秒で終わらせたって言ってたじゃーん」



 風邪ひいてるときに、冷たいケーキはダメだよね、焼きリンゴケーキとかがいいかな?


 おじさんは、いつも私にくれるばかりだ。

 ジュース、お菓子に、ゲームに漫画。

 だから今回は、私がおじさんに返す番!



「お姉ちゃん、やっぱりどこか行くの?」


「トイレー」



 時刻は、午後の5時。そろそろ暗くなってきたけど、私は希望に満ちてランドセルを背負い、傘を差し、家の扉を静かに開ける。


 玄関はもう、水たまりの海が出来ていた。






「待ってておじさん、誕生日ケーキと、夕ご飯買ってくるからー!」





   ◇◇◇




「あざざっしたー」



 こんな台風の日にも、ちゃーんと開いてるコンビニと、働いてる金髪のお兄さんに、敬礼っ!


 しかし、店を出るなり、私の顔には大雨粒が、降り注ぐ。

 まるでシャワーだ。

 お風呂に入って温まっていた体は、完全に冷えてしまった。

 靴下にも泥が入り込んで、気持ち悪い。


 どうやら、またお風呂に入り直さないといけないみたいだ。

 でも、問題はそれだけでなく、両肩にずしりとのしかかる重みである。



「ふぅ、はぁ、思っていたよりも、きついね」


 雑炊のもとはともかく、アップルケーキと、ポカリ、春ミカン、冷凍うどんは、水を大量に含んでいて、肩の負担が大きい。


 さらに間が悪いことに、一歩歩くごとに雨足が強くなり、風も吹いてきた。


 普段なら、家まであと10分の距離。でも雨風に足をとらていれる今、あと少しではぜんぜんたどり着ける気がしない。


 前に進むのだけでも一苦労だ。

 青空に続く坂道が、富士山登頂5号目の気分である。


 肩がどんどん辛くなってきたので、私は、よいしょとランドセルをしょいなおす。ランドセルは、中が大きいのでかなりたくさんものを入れられるし、両手が自由になり、防水加工もされていて、中を密閉できる。



 この選択は正解だったのだが、荷物が多くなることを見越して、大人用の大きな黒い傘をもってきたのは、完全に失敗だった。



「うわっと! うわわ!」



 強風にあおられて、傘が大きく、揺さぶられる。


 今や雨は横殴りで、傘は、まったく機能しておらず、それどころか、かぜにあおられて何度も手を引っ張り、道行く私の足を引っ張った。

 ごぉーっという音と同時に両手で傘を持たないと、飛ばされてしまいそうな強風!


 全身はとっくに、下着の中までずぶぬれだ。


 視界は暗くてよく見えない。私がほうほうのていでいで、道を渡っていたら、




 パァ――――――――ン!




 突如、爆音とまぶしい光が私を襲った。


 ゴォーッ!



 私が体をすくませると、泥水が、全身に降り注ぎ、ほんの5センチ左横を積載量15トンもある大型トラックが通り過ぎて行くのが見えた。


 ベリベリベリ――ッ!


 トラックは通り過ぎるとき、傘を骨ごと、引きちぎっていった。


 ドライバーには、黒い傘で私の体が覆われていて、見えなかったのだろう。


 私がとっさの判断で、傘を手放さなければ、車輪に巻き込まれて大けがを負っているところだった。



「バカヤロー!」


 怒声が聞こえる。


 へしゃげた傘が、地面に叩きつけられて、粗大ゴミになる。



 直後、傘を引っ張られた衝撃で、私はバランスを崩し、側溝に落ちた。


 ランドセルがクッションになったが、鍵が衝撃ではじけとび、中が漏れて、ケーキが泥だらけの路上に転がる。



 ラッピングされた箱が――、ぺしゃんこになっていた。







「あぁ! おじさんの誕生日ケーキが!」



 痛いと思うよりもまず先に、気持ちまで泥だらけに踏みにじられたようで、ケーキの心配が口をついた。


 直後、転がったときに、傘を持つために露出していたてのひらが、アスファルトに削り取られて擦りむける。右手はもう、血まみれだ。



 直後!


 擦りむいた痛みよりも、激しい腹痛が、私を襲う。



「……っ!? 痛い! いたたたたたた!」



 ――なんで? 痛い、身体動けない、だれかに連絡を……


 頑張って、スボンのポケットからおじさんのスマホを取り出すと、画面がひび割れて真っ暗だった。

 復帰ボタンを押しても電源がつかない……



「っ……あっ!」



 そうしている間にも、激痛はどんどん、強さを増して、私のお腹を襲う。冷や汗が止まらない。


 大変だ、どうしようどうしようどうしよう、


 誰にも何も言わずに、私は家を出てきた。


 だから、みんな私が家にいると思っている、誰も助けには来ては、くれない!



 雨の中、側溝に横たわり、体を丸める、私の目に熱いものがこみあげてくる。




「ごめん、おじさん、ごめん……!」


 

 おじさんの部屋に行けなくなってからというもの、何もかもがうまくいかず、辛いことばっかりだ。


 本当だったら今の時間は、おじさんとマンガ読んだり、楽しくお話したり、ゲームで笑ったりしている時間だったのに!


 激痛の中、涙がにじみ、助けを求める声さえかすれて、出てこない。



 痛みのショックで朦朧とする意識の中、私の頭の中でグルグルと、疑問が渦巻いた。





 ――もう二度と、おじさんの部屋には行けないのだろうか?

 ――もう、おじさんとは楽しく遊べないのだろうか?

 ――もう、おじさんとは話もできないのだろうか?



 おじさんは家族と仲直りもできず、嫌われ続けて、一人で、やがてどこかに消えていってしまうのだろうか?


 自分がまだとうしようもなく子供で、無力なことに絶望する。


 バケツをひっくり返したような雨の中、泥水につかり、体がどんどん冷えていき、おじさんの言葉が頭によみがえる。



「夢はあるのに、それを叶える力がない」



「やりたいことをできずに、何もせず、何も成し遂げられず俺の人生は無為に終わるのか、それに意味などあるのか?」




 あぁ、自分の頭で考えて挑戦して、それで現実に拒絶され、絶望を味わい、打ちのめされた今ならあの無力感が、よくわかる。



 おじさんは、あの時、こんなみじめで悲しい気持ちだったのか。



 私はおじさんのために行動をしようとしたけど、結局、何にもならなかった。

 闇の中、人の輪郭がぼやけて溶けだしていくように、激痛の中、私の意識はゆっくり遠のいていていった。




「おじさん……」



 私が小さくつぶやいたその時。



 しかし、闇の中で、ひとつの光が輝くのが見えた。



「……メイちゃん?」


 おじさんの気配がした。

 おじさんの声が聞こえた。



「……メイちゃん!」



 それはほんの小さな光だったが、闇の中で、私は輪郭を取り戻す。

 安心できる声が、すぐ隣で、響いた。





「メイちゃーん! どこだー!」





   ◇◇◇




「おじ……さん?」



 なんでここに。と思ったが、私は痛みの中、うまく動かないのどを必死に動かして、声をあげた。



「おじさん! ここ! 側溝の中!」



 すぐさま、懐中電灯の光が近づいてくる。大雨と大風の中で、その上、子供の細い声であったにもかかわらず、その反応は、素早く、まるでこちらが見えているかのように、一直線だった。



「……子供の叫び声は、周波数が高いから苦手なんだ」



「なんで、なんでここに……」






 おじさんはいつも家にいる。

 それは、外に出たくないからじゃなかったのか?

 風邪で、天気も台風。

 おじさんが、なぜここに来たのか、理由が全くわからない!





「ゴホゴホ!」


 おじさんは、大きな暖かい手で即座に私の体を側溝から引っぱり揚げて、素早くレインコートをかぶせて私を雨から守る。


 しかし、その顔は赤く、息がゼイゼイと上がっていた。少し触れたおじさんの肌は、猛烈に熱かった。



 私を抱え込んだまま、おじさんは道路わきでしゃがみこみ、再び、激しくせき込んだ。おじさんは誰がどう見ても明らかに、かなりの無理をしていた。



「おじさん、なんで、なんで……」



「……嵐で雨の中、メイちゃんに貸したスマホのGPSが突然反応して外出したと思ったら、帰り道で5分もその場を動かなかった、」



 おじさんは、私の体を、道路わきに横たえ、楽な姿勢にさせてから、車の来る方向に、目印になるように私のランドセルを置いて、安全策を講じ、防犯ブザーを鳴らして、危険信号を鳴らした。





「風邪ひきで嵐でも、外出するには十分すぎるほどの理由だ」





 異変や危険を察知することにおいて、おじさんは他者の追随を許さなかった。



「少しだけ我慢しててな」



 おじさんは私の両足を曲げ、膝を立てて、上の服をぬがせて、お腹を触る。


 初めは手のひら全体で、軽く触り腹部全体を観察、次いで少し指先に力を込めて内臓の固さや大きさを探る。



 上、中、下、右と左、中央と9ヶ所。触り方は丁寧だが機敏で、お医者さんみたいな手つきだった。




「背中や肩に痛みが放散するか、原因に心当たりがないか、食事との関係はどうか? 時間の痛みの変化はあるか?生理は?」


 おじさんは、防犯ブザーの鳴り響くなか、私の耳元に口をよせて早口で尋ねた。



 私は、背中と肩は擦りむいて痛いこと。

 トラックに轢かれかけた時、光と音のショックで急に痛み出したということ。

 時間の変化はないこと。

 食事や生理も関係ないと思うことを伝えた。



「うっ!」


 おなかの左下側を押されたときに、強い痛みを感じて、私の顔がゆがむ。

 おじさんの顔色も変わった。




 パパパパーン!


 道に置かれたランドセルを見て、車のクラクションが鳴り、停車する。

 中からドライバーが2人、下りてきた。



「おい、そこのお前!」


「お前だお前! そこで何してる!」


 ドライバーは、おじさんに殴りかかった。

 後続の車からも、ぞくぞくと人が下りてきて、おじさんともみあいになる。




「え、何なに!?」


「何してるの!」


「女の子が倒れてるぞ!」


「やめろ!」



 焦るその声に、私は気づいた。


 客観的にみると、黒衣のおじさんは、雨の中、血まみれで路上に倒れる女の子の服を脱がしていることになる……




 ちがうよ、みんな違うんだよ!

 おじさんは、私を助けに来てくれたんだよ!

 叫ぼうとしたけど、でも、声がかすれて出なかった。


 しかし、おじさんは、ほかの人たちの静止をふりきって、私の体を触り、普段出さないような声を出す。



「外野は黙れ!」



 そして、すぐさま、自分の服をぬいで、私にかぶせる。さらに、レインコートをかけて、メイちゃん、しっかりしろと声をかける。


「これは医療行為だ!」



 と言って、ポケットから新しいスマホを取り出し、集まってる人たちに向かって放り投げる。


「わっ!なんなんだ、お前、これで警察を呼ぶぞ!」


「警察じゃない! 救急だ! 救急を呼べ!」





 俺は初期治療で、手が離せないというおじさんの言葉に、その場の空気が変わる。



「何ボサッとしてる、早くしろ!」



 子供を殺すつもりかというおじさんの怒声に事態を把握した人が、あわてて、電話をコールすると、すぐにつながる。おじさんは間髪入れずに、ものすごい早口でしゃべりはじめる。




「救急の女の子!10歳!生理痛、妊娠の可能性なし、専門外なので理解が誤っているかもしれませんが、急性腹症のショック症状で、腹部左下部にはげしい痛みあり、転倒の際に鈍的腹腔内出血の可能性、CTと超音波、尿検査、静脈内輸液の用意、念のため、急性膵炎用の血液オートアナライザーも用意を!」




「八王子市南3丁目、明応ビルの川べりで、現場付近では、防犯ベルの警告音が鳴ってます、救急を至急おねがいします!」





 電話が終わると今度は、何事かと集まってきた人たちに服やタオルケットを持っていたら貸すように頼んだ。


 そして、自分のことは後回しで、私のことを、「すぐに救急車が来てくれるぞ、頑張れ!」と励ましながら私の体をふいてくれた。



 風邪引いてふらふらのなか、おじさんは、咳をしながら。泥まみれ、血まみれで、ずぶ濡れになるのもいとわず、ずっとずっと私を抱きしめて体を温めてくれた。



 ……そして、救急車到着と同時に、気を失って倒れた。


 そこから先は、あっという間だった。



 幸い、地域医療の拠点となっている大きな病院が事故現場近くにあったこともあり、私はすぐに搬送され、1時間後には。


 もうすっかり回復していた。



 でもおじさんのほうは、無理がたたってか、1週間の緊急入院になってしまった。


 お医者さんは、連絡を聞いてすっ飛んで来たお父さんに、こういった。




「ええ、初期対応と処置が医師の目から見ても本当に完璧で驚きました、軽傷かつ、救護が迅速だったので、今回は注射と輸液療法ですみましたが、これ一歩間違えば命の危険と、開腹手術もありえましたよ」




 女医さんは、にこにこ笑っていた。



「それに雨の中、風邪引きの状態で、自分のこと後回しにしてお子さんの救護なんて本当にいるんですね、こんなカッコいいヒーローみたいな人、」



 うんうん、おじさんは、やっぱり優しくて平和な人なんだ。決して、お父さんたちがいうような、危険な存在なんかじゃない。私の他にも、ちゃんとそれを分かってる人がいることに、私は大いに勇気づけられる。この人は、私の味方だ。




 ……彼には、よくよくお礼を言っておいてくださいね、と続ける女医さん。



 お父さんはそれを聞いて、黙り込んでしまった。



「ところで、彼はどこの病院にお勤めで?」



 女医さんの目の奥がハートになっていた。



 あっアカン、この人は私の敵だ!



「おいどうしたメイ、急に髪の毛逆立てて!」




   ◇◇◇





「ごめん、ごめんなさい、おじさん」



 翌日は、昨日の嵐は嘘のようにスッカリ晴れた。


 昏睡状態だったおじさんが目を覚ましたと病院から連絡があったので、私は、すぐさまお見舞いに向かった。

 小さな白い病室で、おじさんは管につながれながらベッドに寝ていた。

 顔色が悪く、白衣はまるで死装束だった。

 そんな状態なのに、おじさんは開口一番に、私に尋ねた。




「メイちゃん、もう体調は大丈夫なのか?」


「うん……」



 念のため学校をお休みしたけど、もうすっかり元気、と私は答えた。



 最近の医療の進歩は著しいな、と、おじさんは呟いた。



 少しの間見つめ合い、どちらともなく頷くと、私とおじさんは、病院のベッドの上お互いを慰め合うように抱擁をした。

 おじさんは無言で、私の背中を撫でていた。

 とてもとても優しい手つきだった。


 一緒にお見舞いに来ていたお父さんは、それを止めなかった。



「おじさん怒らないの?」



 昨日の夜、家に帰った私は、無断の外出と、嵐の中の危険行為をお父さんたちに、たっぷり30分も怒られた。




 おじさんの傘とスマホを壊して、心配をかけ、さらに医療費まで支払わせてしまった。大迷惑のはずだった。おじさんに怒られることは、当然のことだったし、私は、それを受け入れていた。おじさんに嫌われて、もう一緒に遊べなくなるかもしれない、そんなことも考えていた。



 でもおじさんは、私を攻撃しなかった。




「反省して泣いている子を、怒鳴りつける教育的な理由はない」



 おじさんは、謝り続ける私の頭を、静かに優しく撫で続けた。



「それに、俺の誕生日、お祝いしようとしてくれていたんだろう?」




「おじさん……おじさん、大好き」



 おじさんの匂いを嗅いだり、優しく撫でてもらったり、そんなことで、私はこの上なく、安心できる。




旺持オージ、メイが壊したスマホは俺が弁償するから」


 お父さんが、気まずそうに、おじさんに声をかける。



「……気にするな兄貴、あれは機種変更したあとの型落ちジャンクでもう5年も前のモデルだ」



 市場価値はないと、おじさんは、窓の外を見ながら答えた。

 お父さんも、病室の扉の方に顔を向けて声を出す。同じ部屋で会話をしているにもかかわらず、2人の距離はぎこちなく、そして、どうしようもないほど遠かった。




「……今回は迷惑をかけた。それと、メイは、普段からお前の部屋に入り浸ってるらしいが、そちらの方は迷惑ではないのか?」



「……問題ない、本当に嫌なら、俺は扉を開けない」




 

 しばらく沈黙が続き、やがてお父さんは、花を買ってくるといって病室を出た。

 私は久しぶりに、おじさんと二人きりになる。



「おじさん、ありがとうね」



「当然の事だ、大した事はしていない」


 私が、お礼を言うと、おじさんは、ぷいと目を背けて、寝返りを打ち、窓の外を向いてしまった。


 後ろ姿の耳の先が、赤くなっている。




「おじさん、体調の方は、もう大丈夫なの?」



 私の質問におじさんは、ふう、とため息をつき、体調不良よりも精神不調のほうがこたえてる、とこぼした。




「……医療行為だったとはいえ、警察にはこってり絞られた」


「身内とはいえ、小学生の女の子の服を路上で脱がし、医師免許も持っていない人間が初期治療を行ってしまった」


 現場の判断が適切とは到底言えない、次はないと脅されたと続ける。





「なにそれひどい!」



 私は怒る。


 嵐の中、交通事故になりかけて、私が助けを求めていても、一番最初に来なかったのに、後から来て文句を言うなんて!



 そして、怒りと同時に怖くなる。


 

 ――もしあの時、おじさんが、私に乱暴をしていると勘違いされたままだったら、私は今ごろ、一体どうなっていただろう。

 もしかしたら重症化して死んで、おじさんも、誤解が解けず、下手したら、刑務所に連れていかれたかもしれない。




「お前何してる!」


「バカヤロー!」


「放っておけ、大人なら体調管理は自分でできる、」




 ……これがおじさんの見てる世界なんだ。


 「健常」とか「普通」のパワーは、無自覚の凶器だと気付き、私はこの世の残酷さに、心をひどくかき乱される。




 病気の仲間を助けるのは当然のこと。


 人への思いやりや配慮を持つ大事さ。


 でも、そんな当たり前のことすら、私たちの生きるこの世界では、ままならない。




 ああ分かった、おじさんは、この世界に絶望してるんだ。



 あの仄暗い宇宙プラネタリウムみたいな部屋はきっと、おじさんの寂しさの象徴なのだ。

 暗闇の宇宙は、めまいがしそうなくらい

星のひかりで眩しく。同時に、絶対零度で完璧なまでに人を拒絶する。


 人生の悲しみの、痕跡と破片が、宇宙を覆いつくして、人生を包む丸い膜になる。



 スマホの電波の届く距離でも、あの部屋の中に、人の心だけは決して届けられない。








 ――いつも家にいるおじさん。



 それは逆に言えば、いつも家にいるしかない。そんなおじさん、なのではないか。



 おじさんは、白いシーツをぎゅっと握りしめて静かに語る。



「誕生日が来るたび、何を祝うのかいつも謎だった。」


「いつの世も、赤ん坊は、大声で泣きながら生まれてくる。人が生まれる日は、喜びではなく、終わりの見えない苦しみの始まりそのものだ」



「……俺には、生きている意味がわからない」



 おじさんの私を見つめる表情はいつも優しい。

 だからこそ、その悲しみが強く伝染してくる。





 でも。



 そんな意味のない悲しい世界の中で、おじさんは私を傷つけず、何も奪わない。

 それどころか、いつも私にくれるばかり。





 だから、私はシンプルな答えを口にする。



「私はおじさんがいてくれて、良かった!」



 おじさんは、驚いたようにベットから振り返った。

 私は、おじさんの肩に両手をまわして、正面から瞳を見つめる。



 大切な人に、特別な接し方をされることで、胸の奥に、特別で大切な感情が込み上げてくる。



 私は今感じてるこの気持ちを、おじさんにも渡したいんだ。




 私だ!


 私が、おじさんの生きる意味になればいい!



「おじさん、お誕生日おめでとう!」



 私は、心の底から、とびっきりに微笑んで言った。



 先の見えない闇の中で輝く愛がある。


 暗闇の中でこそ、愛は輝いて強く育つ。雨の中やってきたおじさんが、それを、私に教えてくれたんだ。




 

「……でも、おじさんの誕生日ケーキ、泥だらけになって食べられなくなっちゃったね、ごめんね」



 退院したら買い直して、ちゃんとお祝いするからね、と私が続けると、おじさんは思いがけない事を言った。



「ああ、あのアップルケーキか、美味しかったぞ」




 驚いて固まる私の顔を見たおじさんは、今日初めて、心から楽しそうに笑った。




「最高の誕生日だった」




 おじさんの枕元には、泥の跡が残るリボンと、胃薬の錠剤が置かれていた。

 私の目から、涙がとめどなくこぼれはじめた。



「……こらこらメイちゃん、おじさんに、あんまり強く抱きつくな」




 やっぱり、私はおじさんだーいすき!





   ◇◇◇


この話、気に入ってもらえたなら、評価とブックマークよろしくお願いしますー


次回は、来週13日土曜の夜を予定してます、

よろしくー


と、書いたがすまぬ……10日現在、体調崩して、寝込んでる……まだ連載できるほど、体力回復してなかった説


投稿は多分来週になると思います、よろしくお願いします。

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