巡り合い2
少年は左胸に装飾された金色の十字架に手を添えると、元は同僚であったモノに視線を向け、
「キミが危ないところだった。ボクは、ボクの職務を遂行したまでだ」
そう告げて、再びゼネカの目を真っすぐに見据えた。
大人に成りきっていない、ちょっと高めの声。それでも、言外に覚悟を滲ませたその立ち居振る舞いは、実に見事なものであった。
ところが、である。ふと何かに気付いた拍子に――えっ!? あ、あれ? と口走ったかと思うと、日焼けしたその端正な顔に異変を生じさせた。
顔中にびっしりと玉の汗が浮かび、瞳は揺らぎまくり、口元には制御不能と見えるひくつきを起こしている。ついには、堪らずといった様子でゼネカから顔を背けてしまった。
「確かに、危なかった、な」
そこへ、トドメとばかりに追い打ちをかけたゼネカの鼻先には、一筋の赤い線が入っていた。端では滲み出た血が、ぷくりと丸い膨らみを作っている。先ほどの切っ先が掠めていたようだ。
少年は、「あれは、そっちの事では……。でも危ないどころか、ボクが傷を付けてしまったのは事実で、その……せ、責任を」と、ごにょごにょと口ごもり、噴き出す汗の量が一段と増している。
いよいよ滝のように流れ出した汗が、あご先から止め処なく滴り落ち、乾く間もなく地面に黒い染みを作っている。今や涙目となっている姿は、見ている方が居たたまれない思いを抱くほどであった。
ただ少年にとって不運な事には、目の前にいるゼネカはその範疇に入らない。
(おかしな奴だ。最初の毅然とした態度、あれは一朝一夕で身に付くものじゃない。かと思えば、この狼狽ぶり。まだ別人と言われた方がしっくりくる。それにしてもこの感じ、なんだか懐かしいような……。前にどこかで会ったか? 見たところ、似たような歳だとは思うが。けどこいつの髪色、ここまで強く出てる奴は近頃では珍しいし、こんなからかい甲斐のあるやつなら忘れないか)
少年の惨状にひとかけらの憐憫も、もちろん罪悪感も感じていない――そんなゼネカが着目した髪の色。
多少色合いの違いこそあれ、ほとんどの人間が金髪に分類される髪色をしたこの時代、少年のように赤みの強い髪色をした者は尊まれる。
それは、五〇〇年ほど前に突如現れた、ウイズと呼称される化け物に対抗する為の強い力を持つ証だからだ。
「そ、そのっ、ご、ごごご、ごめんっ」
「気にするな、このくらい」
――俺が見切りそこなった、ってのもあるしな。
胸中では感心しつつ、ゼネカは少年のしどろもどろな謝罪に素っ気なく返すと、乾き始めた血を服の袖で拭う。すると、その下にあるはずの傷が跡形もなく消えていた。
それを目にして少年は一瞬呆けたように固まったかと思えば、次の瞬間にはゼネカの両腕を掴んで傷のあった場所を食い入るように覗き込んできた。 眉間にしわを寄せ、右から左からと何度も角度を変えて凝視しては、「むぅぅ」、と唸っている。睨めっこでもしているかのようだ。
一方、ゼネカはじっとしているものの、少年の頭が動く度にその華やかな癖毛に顔を掃かれて、少々うんざりといった表情を浮かべている。
「もういいか? 髪の毛がくすぐったいんだが」
「あ、ごめ……んんん!?」
ゼネカに言われて少年が顔を上げると、鼻先が触れそうな距離で朱い瞳と銀の瞳が交わった。目を見張った少年の顔が、見る見るうちに赤く、髪よりも真っ赤に上気した。
またしても、だが今度はしばらく固まっていた少年が、何ともぎくしゃくした動きで後退りした。それまでずっと息も止めていたのか、空気を欲する魚のように、口をぱくぱくとさせている。あるいは、何か言葉を発しようとしているのか。
「どうしたんだよ」
「ななな、なんでもないっ。そ、そんな事より、キミの髪色でどうして治癒力が?」
あたふたと質問で返した少年の視線が、ゼネカの真っ白な髪と傷の癒えた鼻を忙しなく行き来している。
白髪は、ウイズに対抗する為の奇跡の力を持たない、とされているからだ。近年、確認されるようになったが、その報告数はまだ極めて少ない。人類は世代交代を経るごとに奇跡の力を失いつつあるのだ。
(あまり勘ぐられると面倒だな)
そう考えたゼネカは、皮肉混じりの言葉をわざと浴びせてみる事にした。
「昔、ウイズの毒に侵されて死にかけてな。この髪は、その時に変色したものだ。もっとも、【先祖返り】などと羨ましがられるような、お前みたいに立派な赤髪をしていたわけではないんだけどな。この髪色に不相応な治癒力はそういった理由なんだが、ご納得頂けたか?」
「知らなかったとはいえ、ごめん。それと、不相応だなんて……決してそんなつもりは。気を悪くさせてしまったなら誤る、本当にごめん」
俄に表情を曇らせた少年は謝罪の言葉を口にすると、体をくの字に折って深々と頭を下げた。
(天から与えられし才能。選ばれた者。この髪色だ、年齢からしたらもっと傲慢になっていてもおかしくないんだが、拍子抜けするくらいのお人好しだな)
上手くはぐらかせたというのにこれでは素直に喜べない――下げられたままの朱色の頭を見つめながら、ゼネカはそんな顔をしている。
「もういいよ。それで、これはどういう状況なんだ?」
顔を上げた少年は、「ありがとう」、そう言うと物憂げな面持ちで語りだした。
「ここから一日ほど行った所に村があったんだが、そこにウイズが現れた。この人は、その討伐に派遣されたチームの一人。もう一人もすでにウイズと化していた為、ここに着く前にボクが対処してきた。彼らからの応援要請を受けて駆けつけたんだけど、……残念だ」
「村があった、か。なるほどな。一般人よりも免疫力の高いハンターを変質させたとなると、元凶のウイズは二級以上の個体か。そんで、お前の他には?」
「他?」
「予想される討伐レートが二級以上の個体だ。それを相手どるのに応援が一人って事はないだろ? まさか、みんなやられたのか?」
「ボクは、……ボク一人で充分だ。足手まといは必要ない」
言葉を詰まらせた少年は、苦虫を嚙み潰したような顔で言ってからバツが悪そうに視線を逸らせた。その反応だけでもゼネカには充分であったが、垣間見えた悲壮な眼差しが確信に近いものを抱かせる。
(規定では、最小でも二人一組のチームで当たるはず。二級相手にソロでの対応を許されている? それだけの力は持ち合わせているんだろうが……嫌な予感がする。面倒事に巻き込まれる前に、さっさと退散した方が良さそうだ)
「確かにな。それじゃ、俺もお前の足手まといにならないうちに――」
「待て、アストラだ」
「あすとら?」
「さっきからキミが、お前、お前と言っている、ボクの名だ」
「ああ、はいはい、名前ね。覚えとくよ……」
立ち去るきっかけを挫かれたゼネカは、まじまじと見つめてくるアストラの視線に縫いとめられてしまう。もちろん、その視線の意味する所は理解しているはずだが、気付かないふりをしている――つもりなのか、あからさま過ぎて反感を買うレベルであった。
ある意味そう仕向けられたアストラが、これ見よがしに口を尖らせ、地面をつま先で打ち鳴らし始めた。不満を表現する単純かつ明確な方法だ。
そして、どうやら導火線が短いらしい。大した時間も掛からず、すぐに地面を叩く足音を加速させると、「ボクが名乗ったんだから、次はそっちの番だろ?」、と直接催促するに至った。
対するゼネカは、「さっきまでのしおらしさは?」とか「聞いてもいないのに勝手に名乗ったんだろ」とか、果ては「新手の売名行為か」などと、わざと聞こえるように愚痴を並べた挙句、とっておきの作り笑いをアストラに向けると、
「名乗るほどの者じゃない」
「そういうのはいい」
間髪をいれずばっさりと、言葉で斬り伏せられる。だが、そこで終わるはずもない。
「じゃあ、ジョンソンで」
「じゃあ、ってキミ。息をするようにぬけぬけと……。それ絶対に偽名だろ。何か名乗れない、後ろめたい理由でもあるのか? そういう態度をキミがとるなら、こっちも相応の対応をさせてもらうぞ?」
半眼になったアストラに詰め寄られたゼネカは、心底面倒そうな面持ちで、
「ちっ、ゼネカだよ。すぐに忘れてくれていいぞ。やっぱり、今から三つ数えたら忘れろ。いくぞ? いち、さんっ」
「舌打ち! それに忘れろって……。しかも今の、【二】が抜けていたじゃないか。そんな事をされて忘れられると?」
ぴくぴくと脈打つ、こめかみに浮き出た青筋。ゼネカのぞんざいな態度にアストラは噴火の一歩手前といった様子だ。
そんなアストラを前にしてゼネカはといえば、『こいつ、本当にからかい甲斐のある奴だな』と、本人が聞いたなら間違いなく最後の一線を越えるだろう事を考えていたりする。
それから、『らしくない』、と自分自身に呆れて鼻白むのだった。