§050 夜の帳に
宴の時間が楽しかったからこそ、この時間の静寂はより一層寂しさを際立たせる。
三日三晩寝ていたせいか、変に目が冴えてしまい、先程から寝付けずにいた。
俺はベッドに横たわりながら、最近の出来事を思い返してみる。
それにしても本当にいろいろなことがあった。
どれもこれもいい思い出で、山小屋で引きこもっていたら絶対に体験できなかったような夢物語ばかり。
余談ではあるが、僭越ながら、今年の首席合格は俺に決定したようだ。
まあ魔石100万個じゃ当然逆転できる者もなく。
次席は魔石900個のセドリック。
セドリックはクラウンから受けた攻撃により試験後半は終始気を失っていたようだが、前半だけで魔石900個集めるとは本当に【焔の魔法剣】は規格外の固有魔法のようだ。
今回は実際に魔法を交えることはなかったが、次の機会があれば、少しは成長したであろう俺の魔法陣を見せてやりたいと思っている。
ちなみにアイリスのペアであったユリウスはというと、アイリスの治癒魔法のおかげもあって、戦線離脱後は試験へと復帰。彼はかなり早い段階で気絶していたために、新・創世教の存在など知る由もなく、何事もなかったように試験の最後の最後まで魔石をかき集めていたらしい。そのおかげで何とか合格。「ユ、ユリウス様らしいです」と呆れ顔をしていたアイリスの顔が今でも忘れられない。
さて、『新・創世教』に洗脳されていたスコットだが、当然合格は認められなかった。
ただし、新・創世教に繋がる重要な参考人であることに加え、洗脳解呪の経過観察を行うため、しばらくの間、シルフォリア様が統治するこの王立セレスティア魔導学園で保護観察処分になったということだった。「まったく。また奴にはお説教をしなければならない」と嘆息していたシルフォリア様の表情が記憶に新しい。
……何はともあれ。
予定とは随分異なってしまったような気がするが、目標であった『王立セレスティア魔導学園』に俺とレリアは揃って入学を果たしたのだった。
俺は左手を天井にかざしてみる。
完全に元通りになった左腕。
しかし一点だけ以前と違う部分がある。
そう。この左腕にはもう『常闇の手枷』がないのだ。
解除することが目標だった『常闇の手枷』。
本来であればシルフォリア様にお願いするはずだったが、慮外な結果になってしまった。
もちろんシルフォリア様に迷惑をかけずに解除できたのだから、別にこの結果に文句はない。
けれど……いざ、こうやって外れてしまうと、一縷の寂しさを感じてしまう。
別に『常闇の手枷』が無くなったからって、レリアとの関係性が切れるわけではない。
……それでも、思えば最近はどこに行くときにも隣にはレリアがいた。
できれば他言は避けたいところだが、寝るときは一緒の布団で寝ていたし、お風呂も壁一枚を隔てたところで入るのが日常になっていた。
そんなことを恥ずかし気もなくできていたのは、案外、『常闇の手枷』という免罪符の存在が大きかったのではないかと、今では思う。
……今、この場に、レリアはいない。
俺は左手を下ろして嘆息すると、これでもかと両の手を大の字に拡げてみる。
ベッドというものはこんなにも広い。
それを再認識させられる瞬間でもあった。
更に夜が更ける。
いつの間にか寝てしまっていたようだ。
俺は何か布団の中をもぞもぞと動く気配に目を覚ました。
何やら嫌な予感がして、俺はザバッと布団をめくる。
「ひゃい」
可愛らしい悲鳴とともに、顔を出したのはガーリーなパジャマに身を包んだ金髪の少女。
まあそんな気がしていたけど……案の定、レリアだった。
「こんなところで何をしているんだ」
俺は少し強めの口調で問いただす。
「あの……それが……」
レリアは布団の中から渋々這い出てくると、何か言いたげに俺の方をチラチラと見る。
そのあまりにも幼気な仕草に俺は思わず嘆息する。
「いや、別に怒っているわけじゃないんだ。少し驚いたというかなんというか」
さすがにドキッとしたとは口が裂けても言えない。
「あの……今までずっとジルベール様と一緒に寝ていたので……その……急に一人で寝るとなったら寂しくなってしまいまして……」
若干顔を赤らめて、身体をもじもじさせながら言うレリア。
やはり怒られると思っているのか、言葉は尻すぼみになっていく。
その姿に俺は再び嘆息するも、レリアも自分と同じ気持ちでいてくれたことにほんの少しだけ嬉しい気持ちになる。
魔が差したというわけではないが、センチメンタルな気分だったことは否定しない。
俺は、彼女を受け入れる。
「……わかった。さすがに『常闇の手枷』が無い以上、一緒に寝るわけにはいかないが、少しだけお話しようか」
「はい!」
月明りに照らされたレリアの顔がパァっと明るくなるのがわかった。
そして、さも当たり前のように布団に潜り込むと俺の隣を陣取ってきた。
あれ? 布団の中に入れるつもりはなかったのだが……。
それは寝かしつけの際に絵本をねだる少女さながら、レリアはしっかり布団をかけ、顔を半分ほど出すと、開口一番にこう言った。
「……私、ジルベール様に謝りたくて」
「……謝る?」
「はい。その……私……約束していたのに……また世界奉還を使ってしまいました……」
その言葉に一瞬、沈黙する。
俺はあの時の戦いのことを思い出していた。
左腕が切られた時、最後に『常闇の手枷』に触れた時のあの感覚を。
「レリアの記憶を失っていた時、俺は夢を見たんだ」
「夢……ですか?」
「うん。女の子が一切の光が差し込まない暗闇の中、一人うずくまって泣いている夢だ」
「…………」
「同時にその子の感情も俺に流れ込んできた。感情を言葉で言い表すのは難しいけど、その感情の大部分を占めていたのは『悔恨』だったと思う。自分の選択が誤っていたこと、それによって人が傷付いてしまったこと、約束を守れなかったこと。様々な後悔が入り混じって、深い深い闇へと落ちていくような、そんな感情だった」
「…………」
「でもな……その女の子は、時折、誰かを待っているかのように、一縷の希望を探すように、スッと顔を上げるんだ。その顔を見た時、俺の中からすっぽりと抜け落ちていた記憶がまるでピースをはめ込んだみたいに戻ってきたんだ。そしてレリアとの……もし魔法が暴走した時には俺が絶対に止めてみせるという大切な誓いを思い出した」
「…………」
「世界奉還を止めた魔法陣。あれは以前にシルフォリア様が使った魔法なんだ」
「…………」
「シルフォリア様の――世界創造魔法・破滅の創造者――は魔法を創造する魔法だ。つまり、創造された魔法はシルフォリア様に限らず誰でも使えるということではないかと思ったんだ。もちろんあんなに複雑な魔術式は一度見ただけでは覚えられないから、即興なところはあったけど。レリアを救いたい一心で無我夢中で陣を描いた」
「あれはジルベール様の魔法ですよ」
今まで静かに俺の話に耳を傾けていたレリアが、唐突に口を挟む。
「え?」
俺はレリアの言葉の意味がわからずに思わず聞き返してしまった。
「これは私だけしか分からない感覚なのかもしれないですけど、シルフォリア様の魔法は全ての者に手を差し伸べるような寛大さを感じさせる魔法なのです。でも、ジルベール様の魔法は……もっと個人的というか……その……」
そこまで言ってレリアはなぜか口を噤む。
そんなレリアに視線を向けると、顔に熱が灯っていた。
「……レリア?」
思わず声をかけると、レリアはハッとしたように身体をビクンとさせ、途端身体を捩ると、俺とは反対方向を向いてしまった。
「……明日は早いです。もう寝ましょう」
明日って何か予定があったっけかと首を傾げるが、特に思い当たるものはなかった。
心なしか布団の中の温度が上がった気がする。
やっぱり二人で寝るのと一人で寝るのは違うんだなと思いつつ、俺は目を閉じる。
二人の空間に静寂が訪れる。
「ジルベール様、最後に一つだけお聞きしてもよろしいですか」
しばしの沈黙の後、顔を向こうに向けたままのレリアが静謐な声を出す。
「……どうした」
俺もその静寂を壊さぬよう、静かに頷く。
「ジルベール様は……私が『約束』の時に言った言葉……どこまで覚えていますか?」
そう問われて俺は重大なことを忘れていたことに気付いた。
……口づけだ。
そんな重大なことを今まで思い出せていなかったことに罪悪感を覚えつつも……意識をしてしまった。
レリアのチョコレートのように甘く、マシュマロのように柔らかい唇を。
その瞬間から、俺はもうダメだった。
頭はショート寸前まで沸騰し、体温が見る見るうちに上昇していく。
触れていないのに布団を通してレリアの熱が伝わってきて、それが更に心臓の鼓動を速くさせる。
緊張のあまり身を固くしていた俺に対し、迷いなく動いたのはレリアだった。
「……やっぱり……答えなくていいです……その代わり……」
そんな消え入りそうな声が聞こえた途端。
レリアは布団の中で身体を器用に回転させ、ゆっくりと俺の胸に潜る。
胸板にレリアの額が当たる。
俺の早鐘の鼓動がおそらくレリアには伝わってしまっているのだろう。
恥ずかしさのあまり俺は少しでもレリアから顔を離そうとする。
それでも限界があり、結局はレリアの頭は目と鼻の先。
俺に顔を押し付けているために表情は見えないが、蠱惑的な甘い香りが鼻孔を刺激する。
加えて、新調されていたパジャマの生地はとても薄く、扇情的な柔らかさがこれでもかと伝わってくる。
俺は意を決して手を伸ばし、彼女の身体を抱く。
「ぁ……」
一瞬、本当に小さくレリアは声を漏らした。
だが、俺にはこれが限界だった。
冷静に物事を考えることができず、何一つ合理的な選択肢が思いつかない。
これからどうしていいかもわからず、もはやこういう状況になった経緯すらも思い出せずにいた。
俺は魔法陣を数える。
魔法陣が1陣……魔法陣が2陣……。
更に夜が更ける。
魔法陣が9652陣……魔法陣が9653陣……。
俺はハッとした。
一体俺はなんでこんなにも必死に魔法陣を数えているのだ。
ほんの少しだけクリアになった脳をもって、俺はゆっくりと視線を落とす。
するとそこには幸せそうな寝顔を浮かべているレリアがいた。
規則的に身体を上下させ、くぅくぅと可愛らしい寝息を立てている。
「あり……がとうごじゃいましゅ……じるべーりゅ……さま……」
「///////」
時折、そんな恥ずかしい寝言を口ずさむレリア。
「まったく……人の気も知らないで……」
そんな俺の悪態は窓から差し込む朝日の中に吸い込まれていった。
♦♦♦
私は今、墓前にいる。
いや、墓前と言えるほどの大層なものではない。
正規の霊園への埋葬は叶わなかったゆえ、私が見繕った土地に剣を突き立てただけのもの。
もちろん亡骸はしっかりと弔ったが、それだけのものといえばそれだけのものだ。
それでも私なりに場所は選んだつもりだ。
彼の故郷に近く、世俗から離れた花々が咲き乱れる草原。
そこは確かに『春』を感じさせるものだった。
私は瞑目していた目をすっと開ける。
風が頬を撫ぜ、流麗な銀色の髪を静かに揺らす。
この場所を知るものは私しかおらず。
彼の死を知るのも私だけだ。
こんな弔い方しかできない私を許してほしい。
心の中でそう呟くと、着慣れぬ喪服の膝を折って、そっと花を手向ける。
そして、持参した水筒から紅茶を注ぐ。
コップにほんのりと温かさが宿り、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
その香りに懐かしさを感じてしまい、心が軋み、思わず唇を噛みしめる。
私は静かに献盃をする。
亡者を悼むのはいつになっても慣れない。
そんなことを考えながらそっと紅茶に口づけると、先ほど感じたほのかな甘い香りがより一層強く感じられた。
同時に一筋の雫が頬を伝う。
「う……ぅぅ……」
声にならない声を漏らす。
私はいつまでこんなことを続けなければならないのだ。
自分の使命を忘れた日など一度もない。
それでもどうしても耐え難い日というのはある。
私は震える手を抑えきれずについには紅茶を取りこぼす。
コップは転がり、紅茶はそのまま地面に染み入る。
グッと両手で胸を抱く。
手に力が入り、思わず自分の二の腕を痛めつけてしまう。
私は何度大切なものを失い……そして、何度それを忘れていかなければならないのだ。
そう。私は皆を救う代償として、彼に関する一切の記憶を失った。
私は……彼の名前を知らない。
私は彼を弔う資格も、盃を交わす想い出も持ち合わせぬまま、今、ここに立っているのだ。
(了)
第3章完結までご愛顧いただきありがとうございました。
拙い物語だったと思いますが、お楽しみいただけましたでしょうか。
ここまで読んでくださったということは、きっと楽しんでいただけたのだろうと前向きに解釈し、今後の執筆活動の糧にしていきたいと思います。
本作をお読みになって面白かったと少しでも思っていただけた方は、広告下の【☆☆☆☆☆】から☆1~5の五段階で評価をいただけると嬉しいです。
本作はこの第3章で一区切りとなります。
今後の更新予定については、未定とさせていただきます。
ご理解いただければと思います。