§013 銀髪の少女
今、俺達の目の前には噴水の縁に腰かけた銀髪の少女が一人。
大仰に足を組み、その足に立て肘をした彼女は、妖艶に微笑みながらこちらの様子を窺っていた。
俺は彼女から目を離すことができなかった。
歳は俺と同じくらい。いや、むしろ俺よりも幼いかもしれない。
体躯も豪奢ではなく、むしろ華奢だ。
本来であれば、特に警戒の対象にもならないだろう。
それにもかかわらず俺が彼女に釘付けになっていたのは、言葉では形容しがたいが、彼女には隙という隙が全くないのだ。
確かに存在しているのに、まるで存在していないような。
彼女が世界そのものであるかのような、俺の持っている常識が全て塗り替えられるようなそんな感覚。
俺はたった一人の少女に今まで感じたことのないぐらいの畏怖を抱いていた。
「あは、驚かせちゃったかな? 別に敵意はないから安心して」
彼女はにへらと笑って、「丸腰だよ」とばかりに両手を挙げる。
だが、魔導士にとって丸腰であることは何の証明にもならない。
それよりも彼女の「手を挙げる」というただの動作が恐ろしいほどに流麗で、あまりにも洗練されたものであったため、逆に俺の警戒心を強める結果となった。
俺は思わず身構える。
「そんなに怯えないでよ。それより、君さぁ、随分変わった魔法を使うんだね」
そんな俺の気持ちとは裏腹に、珍しいものを見たと言わんばかりに目を輝かせた少女は、無邪気な口調で問いかけてくる。
おそらく彼女は先ほどの空間転移の瞬間、つまりは何もないところから俺とレリアが現れる瞬間を目の当たりにしたのだろう。
それであまり見かけない魔法だったものだから俺達に興味を持っているのだ。
ただ、俺は彼女の表情を見て、直感的に『魔法陣』のことは秘密にした方がいいのではないかと思った。
『魔法』とは、この大魔導時代において、いわば生命線のようなものだ。
能ある鷹は爪を隠すとよく言ったものだが、優秀な魔導士であればあるほど、自分の実力は秘匿するものだ。
自ら手の内を晒すなど愚策中の愚策。
特に俺が使ったのは現代では廃れゆく魔法の筆頭である『魔法陣』だ。
そんな天然記念物のような魔法を使う者が街中に急に現れたとあっては悪目立ちするのは必須。
俺としては出来れば魔法の話題は避けたいところだった。
「変わった魔法? 俺達はまだ初級魔法しか使えない駆け出しの魔導師ですよ」
俺は反射的に嘘をつく。
こんな得体の知れない少女に魔法のことを教えてやる義理はない。
しかし、彼女はまるで極上の獲物を見つけたかのような満面の笑顔を張り付けると、幻想的なまでに透き通った瞳で、俺のことを真っすぐに射抜いてくる。
「なるほど。『空間転移魔法陣』か。これは想像以上だね」
彼女は俺の心を見透かしたように躊躇いなく『空間転移魔法陣』という言葉を口にする。
「なっ!」
その予想外の言葉に俺は思わず声を上げてしまった。
心を読まれたのか?
いや、そんな魔法は俺の知る限りでは存在しないはず。
特殊な固有魔法か?
彼女は俺の焦った反応がたまらないのかくすりと笑うと、噴水の縁からぴょんと飛び降りて、ずいずいと俺の方に向かってくる。
この時点で俺は彼女のことを完全に『敵』と認定した。
人の心を読める固有魔法の所有者となると、仮に相手に敵意が無かったとしてもこちらには害しかない。
俺には真っすぐに心臓を射抜いてくる紺碧の瞳が、吸い込まれそうなほどに美しい瞳が、恐ろしくて恐ろしくて仕方がなかった。
俺はレリアに小声で「逃げよう」と声をかけようとする。
しかし、俺の言葉はなぜか空虚に霧散した。
こ、声が出せない……。
どういうことだ……。
次にレリアの手を取って走りだそうと試みるが、気が付くと身体の自由も利かなくなっていた。
まるで俺に向かってくる少女以外の時間が停止したかのように。
俺達は確実に攻撃を受けている。
これは想像以上にまずい状況なのかもしれない。
だが、ここは街中だ。どうにか声さえ出せれば状況は変えられるはず。
頼む……。動いてくれ俺の身体……。
しかし、そんな俺の抵抗も虚しく、彼女は顔と顔がくっつきそうなくらいの距離まで近付いてくる。
そして、彼女は自分の瞳を殊更に指差してこう言った。
「ああ、私に嘘は無意味だからやめた方がいいよ。この『心眼』はね、全てを見通す能力を持っているんだ。例えば、君が私のことを『少女』と思ってることとか……ねっ!」
そう言うと彼女は俺の脛を思いっきり蹴飛ばす。
「いっ!」
俺は身体が動かないことから回避すらできずに、もろに彼女の蹴りを受ける。
その蹴りは小柄な少女から繰り出されたとは思えないほどに力強いものだった。
「私はこう見えても十八歳なんだよね。君よりも三歳も年上なんだからもう少し敬意をもって接してくれてもいいと思うな」
不服そうな表情を浮かべながら、小ぶりな胸の前で腕を組む彼女。
こうやって彼女を目の前にすると、俺が呼称していた「少女」という言葉には明らかな語弊があったことに気付かされる。
確かに彼女は少女ではなく、れっきとした女性だった。
しかも超飛びっきりの美少女。
精巧という言葉がピッタリなほどの端正な顔立ち。
月光のような銀髪は流麗を帯びて足元まで流れ、透き通る紺碧の瞳はまるで宝石をそのまま埋め込んだかのように美しい。
官職者とも聖職者ともとれる神々しさを体現したワンピース風のローブは、スラリとした彼女の体躯をひときわ強調している。
遠目で見たところ、身長(と胸)がレリアと比べても小柄(で小ぶり)であったため『少女』と判断してしまっていたが、よく見れば化粧もしているし、何よりも子供では決して真似できない尊大なオーラを身に纏っていた。
その彼女から発せられる威厳のようなものに俺は圧倒される。
どうやら彼女が俺の心を読めるというのは本当のようだ。
彼女は俺が心の中で「少女」と呼称していたことを見抜いた。
更になぜか俺の歳が十五歳なのもバレている。
そして何よりも俺が使用した魔法を『空間転移魔法陣』と言ってのけたのだから。
彼女は一体何者なのだ……。
俺はそんな疑問を彼女にぶつけてみようとするが、先ほどと同様に声が出ない。
そんな俺の心中を察したのか、彼女は謝罪を口にする。
「あ、ごめんごめん忘れてたよ。君が私を子供呼ばわりするものだから一発蹴りを入れてから解除してあげようと思ってたんだよね」
そう言って彼女はパチンと指を鳴らす。
同時に磔から解放されたかのように身体の自由が戻った。
レリアに視線を送ると、「あれ?」と自分の手指をグーパーしている。
彼女もどうやら俺と同様に身体の自由を奪われていたみたいだ。
「君は一体……」
俺は圧倒的な実力差を感じたことから逃げるという選択肢を捨て、当初から抱いていた疑問を目の前の彼女にぶつけることにする。
「私はね、君を……君達をここで待ってたのさ」
「俺達を?」
「そのとおり。本当は明日まで待てばよかったんだけど、どうしても早く見てみたくてね。でも来てよかったよ。『原始・空間転移魔法陣』を生で見られるなんて滅多にあることじゃないからね」
彼女は俺達をここで待っていたと言う。
それはまるで俺達がここに現れることを知っていたかのような言い方だった。
それに……原始・空間転移魔法陣?
俺には聞き覚えのない言葉だった。
「あの、正直分からないことだらけなのですが、まずあなたが何者なのかを教えていただいてもよろしいでしょうか」
この女には聞きたいことは山ほどある。
だが、この雰囲気では聞いても答えてくれることは限られてそうだ。
それであれば、まずは「俺達を待っていた」という彼女の目的から探っていくのが得策だろう。
「ジ、ジルベール様……」
そんなことを思案していたところで、横から俺の袖を引っ張るレリアの声がした。
「なんだ、レリア」
そう言ってレリアに目を向けると、彼女は驚きと戸惑いが入り混じったような表情を浮かべていた。
「そのお方は……」
――六天魔導士のシルフォリア・ローゼンクロイツ様でございます――