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確かにこういうことありましたけど!? イエリッツァさん!?

 俺がイエリッツァと初めて出会ったのは、王が代替わりしてから間もない事だった。

 当時先王が崩御したばかりで、俺の身柄は請け負っていた汚い仕事と共に、現王であるアーゼル様へと受け継がれた。


 人の悪口をいう趣味はない。それも世話になった先王のご子息ならことさらだ。

 しかし客観的な評価という言葉を使っていわせてもらえば、アーゼル様は若く、未熟で、浅薄だった。

 アーゼル様は俺という国の暗部の存在を知ると、あくまで非常時にこだわった先王とは違い、積極的に利用するようになった。


 黒煙を空に巻き上げる村に背を向けて自問自答に耽る。

「俺は何をしているのだ」

 答えは罪悪感となって心をえぐる。

 やがて我が国アデナウアーは領土拡大という野心を胸に、友好関係にあった隣国ブルムヘルグとの小競り合いを始めた。


 俺に与えられた任務は三つ。

 ブルグヘルムとの戦争に備え、野盗の仕業に見せかけて自国領から食料を強奪すること。

 ブルグヘルムの評判を落とすため、ブルグヘルム領で商隊を襲撃すること。

 ブルグヘルムとの開戦の口実を作るため、国境の農村で問題を起こすこと。

 命ぜられるがまま、野盗を率いて国境を駆け回った。


 そして出会ったんだ。

「村の食糧を脅し取る不届きな野盗とは貴様のことか!」

 金糸をなびかせ、桃香を漂わせる、白銀の鎧に身を包んだ女騎士と。

「我が名はイエリッツァ・アーデルハイト! 私がこの領地の騎士として参ったからには、村人には指一本触れさせんぞ!」


 その時はいいスケープゴートができたとしか考えていなかった。

 この女騎士と一騎打ちをし、その隙に少量の食糧をちょろまかして逃げれば、村人に必要以上の被害が出なくて済む。


 一騎討ちは俺の連戦連勝。

 馬から叩き落したところを、襲撃がばれたということにして逃げるように引き上げる。

 俺には邪魔されたという免罪符が、彼女には俺を追い払ったという結果だけが残った。

 しかし幾度となく敗北の恥辱を受けながらも、イエリッツァ決してへこたれることはなかった。

 襲撃に出向くと、右に槍、左に手綱を構えた彼女が紺碧の瞳を爛々と輝かせて、俺を待ち受けていた。

 訓練を怠らぬことを知らしめる力量の上昇、鋭さを増していく技の冴え。

 そしてそれらを正しきことに使おうとする気高さを、彼女からひしひしと感じた。


 いつしか。


 俺はイエリッツァと刃を交えるのを、楽しみにするようになっていた。

 やがて国境に頻出する俺という賊に対応するため、アデナウアーとブルムヘルグとの間で、会談の席が設けられることとなった。


 アーゼル様は未熟で、若く、浅薄だったが——それ以上に狡猾だった。

 会談が行われた辺境の街を、飼っている野盗たちに包囲させたのだ。

 あのお方は短いあごひげを撫でながら言った。


「このままでは民が襲われる。幸いこの会談の場には、身代金を要求できる高位の人間が来ていることだ。賊どももあわよくば人質にと考えていることだろう。そこで一人を姫君に扮させて囮に出し、賊を引きつけようではないか」

 アーゼル様は俺を前に押し出した。

「しかしあいにく我が軍には、姫君の代わりとなるような女子がいない。そこでアデナウアーからはこのリックを護衛としてだそう」


「そうか。では我がブルムヘルグが、姫君の代わりとなる人物をだそう。といっても女だてらに騎士をやってる者は一人しかおらぬが……参れ」

「はっ!」

 ブルムヘルグ王を取り巻く騎士の中から、金糸を揺らしながら一人の女が歩みでる。

「頼んだぞ。イエリッツァ」


 神様。悪い事をすると罰が当たるというのは本当ですね。

 ブルグヘルム王が姫役に選んだのは、賊の正体をよく知るイエリッツァだったのだ。

 いや。きっとアーゼル様はイエリッツァの出現で略奪品が減ったのを知って、彼女を狙い撃ちにするためにこの席を設けたのだ。


「ライベル。お膳立てはしてやった。今度はちゃんと仕留めろよ」

 アーゼル様はそう耳打ちして、近衛を率いて天幕を去っていった。

「イエリッツァ……辛い務めだがくじけるでないぞ……リック殿。どうかイエリッツァを宜しく頼む」

 ブルグヘルム王は俺にもお声かけ下さると、騎士たちを率いて天幕を後にした。


 会談の場には、俺とイエリッツァだけが残された。

 ものすごく気まずい。このままだと俺が賊だとばれるのは時間の問題だ。

 頼むからこっちを見るんじゃないぞ。そのまま所在なさげに、視線を地面にさまよわせてくれ。

 俺の願いもむなしく、イエリッツァが意を決したように顔を上げた。

「我が名はイエリッツァ。このラウム領の騎士である。今回の囮で姫君役を任された。他領の民に命を懸けることとなって、貴君にとっては災難だろうが、どうかよろしく頼む」


 イエリッツァは騎士の身分を偉ぶることなく、礼節をもって俺に手を差し伸べた。

 桃のいい香りが鼻腔をくすぐり、不思議と気持ちが落ち着く。

 やっぱりこいつは、いいとこのお嬢様なんだろうな。

 その仕草はどこを見ても丁寧で、生まれ持った気品を感じさせる。

 スラム育ちの俺にすら、その高潔な手を握る資格がないことぐらいはわかる。


「俺はリック・ライベル。アデナウナーで兵隊長をやっている」

 差し出された手を無視して素っ気なく挨拶を済ませると、俺は顔をよく見られないようにそそくさと背中を向けた。

「そう邪険にするな。これから互いに背中を預ける仲だ」

 イエリッツァが俺の正面に回り込み、ずいと鼻先に顔を近づけてくる。

 う……しかし本当に美人だな。

 雪のような白い肌に、肩口で切り揃えた金髪がよく似合っている。

 鋭い切れ目をしているが、子供のように無邪気な瞳がじっと俺を見つめている。

 そのためか冷たい印象はかけらもなく、町娘のような快活さが感じられるのだった。

 思わず見とれてしまったが、不意にイエリッツァの表情が不審げなものになった。


「貴様……もしや……」

 やっぱりばれた? あれだけ顔を合わせていれば、そりゃ気づくわな。

 だが揉め事は後にして欲しい。

「あの時の賊ではないか——むぐーっ!!!」

 余計なことをいわれる前に、彼女の口を手でふさぐ。

「証拠もないのに決めつけは良くないですぞ。なにせこれから背中を預け合う仲なんですからな」

「ふざけるな! この場で手打ちに——」

 口を塞がれたまま喋るな。手のひらがくすぐったい。


「はっきりこれだけはいっておく。あんな真似しておいてなんだが、俺だって民が死ぬのは嫌だ。今だけは協力しよう」

「賊の言葉が信じられるかこのたわけがっ」

「信じてもらうしかないな。お前が喚いても、賊がこの街になだれ込むのは避けられない事実だ。俺たちが囮にならないと、野盗は村を略奪する。時間がない。行くぞ」


 いくらお前が納得いかなくて、うなったところでどうでもならないぞ……いや……なんだその仕草は……太ももの位置でこぶしを握り締めて、プルプル震えるんじゃあない。庇護欲をそそられるだろうが。


「お二人方! 急いでください! 野盗のかがり火が動き始めました!」

 時間がないことを知らせる、衛兵の呼び声が外から聞こえた。

 イエリッツァさん。納得はしてないが、覚悟は決まったようだ。

 視線を剣にして、俺につきつける。

「変な真似をしてみろ。殺してやるからな」

「姫様。お口の利き方にはお気をつけになってくださいよ」


 俺はブルムヘルグ近衛兵の鎧を身にまとい、イエリッツァは王女の装いをして馬車に乗る。

「王女を頼むぞ!」「野盗はここで食い止めろ」「騎士の名に恥じぬよう守り通して見せろ!」

 ブルグヘルム兵の見送りを受けて、俺たちは野盗の目を引くように街を出た。


 初日は激しく口論をしながら馬車を走らせ。

 二日目に互いの国をけなしあった。

 三日目に馬車を乗り捨て、馬に二人乗りして逃げた。

 四日目にイエリッツァが負傷し、手当てを行うため森へ逃げ込んだ。

 五日目で互いを気使うような言葉をかけ合い。

 六日目に野盗の首領を打ち倒し、見せしめにして。

 そして……七夜八日に渡る逃走劇の末、賊を振り切ることに成功した。


 風がそよぐ草原を、二人掛けの馬が走り抜けていく。

 手綱を握りしめる俺の背中に、イエリッツァが弱々しい力でしがみついている。

 彼女は野盗に襲われ、腹と肩に矢を受けていた。野盗を引き付ける任のため手当てはしたが、失った血はどうにもならない。かなり弱っているはずだ。


「もう十分に引き付け……賊も振り切った……」

 俺の背中に額を押し当て、イエリッツァがくぐもった声で言う。

「その薄汚い本性を隠す必要もなくなったというわけだ……殺せよ……」


 その通りだ。

 わざわざアーゼル様がお膳立てをしてくれたんだ。

 今始末してしまえば、表向き野盗の仕業にすることができる。

 それにこの逃避行を経験して分かったが、イエリッツァは優秀な騎士だ。

 いずれ我が国を脅かすほどの、大人物となるだろう。


 しかし——俺はイエリッツァを始末する気には到底なれなかった。

 七日八晩の逃避行を共にして分かった。

 彼女は——俺の理想像だ。

 彼女は俺と同じように民を愛し、国を想い、王に仕えている。

 だが俺と違って気高い生まれに、誇りある職を持ち、理想の実現に邁進していた。

 俺は何をしていた?


 民を愛するといいながら食料を奪い、それを命ずる国に諌言できず、いたずらに——ただいたずらに時間を費やして……このざまだ。

 自分が理想を実現できなかったのだから、実現した理想である彼女を消すことができない。

 俺の代わりに、たとえ他国の民であろうと、存分に活躍してほしかった。


「任も終えたし……帰ろうか」

 何でもないようにつぶやくと、腰にしがみつく彼女の腕に力が込められた。

「とことん私をコケにするのだな……馬鹿にしてないでさっさと斬れ! いつものように私を嘲笑って、勝てばいいじゃないか!」


「それは違うな……おそらく……」

 イエリッツァが気を失ったのか、腰にかかる圧力が抜けて、ずるりと馬からずり落ちていく。

 落馬する前に彼女の身体を支えて、姫君のように腕の中に抱え込んだ。


「……俺は一度もお前に勝ったことがないのだろう……」


 俺はブルグヘルム辺境の農村に辿り着き、民家の戸を叩いた。

 農民に金を握らせようとしたが、そんなものはいらないと突っ返される。

 彼女は平民からの人気が高いらしく、農民たちは無償でかいがいしく彼女の介抱を始めたのだった。

 俺は農民の注意がイエリッツァに集まっている隙をついて、誰にも気取られないように村を後にした。

 それからイエリッツァとは会っていない。



「一年前の出来事だ……覚えているか?」

「覚えてはいますが……それがどうかしましたか?」

 イエリッツァの私邸に通された俺は、高価な椅子に座らされて、彼女の昔話に自らの回想を重ねていた。


「あれから貴様のことがどうしても頭から離れなくなってしまった。いろいろ疑問だったのだ。私、約束、民——それらを護りぬいた気高い人間が、どうして賊として街を襲っていたのかがな」

「それが俺の仕事だからですよ」

「個人で調べるうちに、お前という人間がわかってきた」


 ばさぁ。イエリッツァがどこからともなく、分厚い紙の束をテーブルに叩きつけた。

「うわぁーぉ……その分厚いファイルは一体なんですか? ちょー怖いんですけど?」

 イエリッツァはにへらと相好を崩しながら、ファイルを上から数枚めくった。

「リック・ライベル。十五の時にアデナウナーに国防兵団に入営。二年間前線で斥候を務めた後、その腕を買われて前王のギーベルに工作部隊へと抜擢された」


「ちょっと待って! それ俺の情報!? 汚れ仕事始めたときに俺の来歴抹消されたはずなんですけど何で知ってんの!?」

「アデナウナーには私の密偵が潜り込んでいるんだ」

「マジで!? 祖国に伝えなきゃ!」

「絶対にお前は帰さんぞ……それで悪どくやっていたようだが、良心の全くないクズというわけでもなかった」

 イエリッツァはその目を優しく細めて、俺の恥ずべき過去を口にし始めた。


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