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どういうことですか!? イエリッツァさん

 話には聞いていたが、敗軍の将とは実に惨めなものである。

 今まで虜囚の辱めを受けたことがなかった俺は、薄暗い牢の中でしみじみと実感したのだった。


「次、イエール卿。五千エドルの身代金支払いを確認。出ろ」


 牢番がもったいぶって告げると、暗闇の中で俺の二つ隣の影がすっくと立ちあがる。奴は牢を出たところを兵士に両脇を抱えられて、ふらつきながら廊下を歩いていった。


 惨めポイント一。扱いが酷い。

 牢屋は天井から滴る雫がいつ凍り付いてもおかしくないほど寒にもかかわらず、捕虜に着せられたのは粗末な麻の服だけだ。


 そんな環境で石畳の上に、座ったまま放置されてみろ。大抵の奴はこの国と二度と戦いたくはないと思うんじゃないか?

 実際今しがた出ていったイエール殿なんかは、この牢がある方角を見るのも嫌になったのではなかろうか。


「次、ダラス卿。五千エドルの身代金支払いを確認。出ろ」


 隣のダラスがじゃらりと鎖の音を立てながら立ち上がり、俺を心配そうに一瞥した。どうやら俺の身代金が支払われないことに感づいているようだ。


 惨めポイント二。皆が皆、国に身代金を支払ってもらえるわけではない。

 国が金を支払うのはこれからも国のために尽力してほしい人材だけで、俺のような汚れ仕事専門の下級兵隊長に出す金貨は一枚もないだろう。


 俺の部下には正規兵は一人もおらず、全てが傭兵かくいっぱぐれた野盗で構成されている。それでやっていたのが自国の村から兵糧を徴収したり、国境付近の街を襲撃して侵略の口実を作ったり、自国を通過した商隊を他国領で襲撃したりなどの表にできないような仕事だ。


 祖国アデナウナーとしても、体よく国の恥部を処分できると考えているに違いない。


「次、リック・ライベル兵隊長。貴様の身代金支払いをアデナウアーは拒否した。誠に喜ばしいことだが、これより貴様の処遇は我が王の胸三寸になる」


 牢番がどこか上機嫌で俺に告げると、牢を出るように顎でしゃくった。


 惨めポイント三。身代金が支払われないと、俺の身柄は捕縛した国が好き勝手にできる。

 どのくらい好き勝手にできるかというと、女は騎士の慰み者にされた後、城下町の娼館へと売られてさらし者にされる。


 男は王城前で拘束されたままさらされて、観衆に好き勝手に身体を弄ばれるハメになるだろう。

 あ。そういえば男娼として売られたとかいう話も聞いたことがあるな。

 薬漬けの性奴隷にされる前に、死ぬ覚悟か決まるといいのだが。


「おい貴様! 何をしている!?」

 俺が腰を上げて尻についた埃を払っていると、不意に外が慌ただしくなる。

 顔を上げるとダラスの奴が、格子戸を掴んで俺に視線を注いでいた。


「リック。お前蓄えはあるか? 自分を買えるほどの金は持っているのか?」


「あるにはあるんだが……俺が軍で汚れ仕事をしていたのは知っているだろ? 生活費でちまちま使う分にはいいんだが、保釈金としてまとまって支払うと出所が問題になる。使うに使えない金なんだよ」


「悠長なことをいっている場合か? さっさとありかを言え。俺がそれでお前の身元を引き取ってやる」


 ダラスとは付き合いが長いから、ネコババするつもりはこれっぽっちもないことはわかる。

 しかしながら俺にも譲れない一線というものがあるのだ。


「俺の犯した過ちは、墓場まで持っていくつもりだ。悪事とはいえアデナウナーの民を想ってやったことだ。生きて民から罵倒されるぐらいなら、殉職者として知られ忘れ去られたいのさ」


「しかし——」

 ダラスが食い下がるが、俺は話が済んだといわんばかりに首を振った。

「俺のことなんざどうでもいい。それよりも召使いのキーラを頼まれてくれないか? 主人を失って路頭に迷うことになる。お前のとこで雇ってくれ」


「キーラ・カッツェの件は了解した。しかしお前は……いや、すまん。もう何も言うまい」

「きついの一発貰う前にさっさと行きな。元気でな」

 俺はダラスの後ろで兵士が警棒に手をかけたのを認めて、さっさと鉄格子から離れるように促した。


 ダラスが両脇をがっしりと兵士に抑えられて、廊下の暗闇へと消えていく。

 俺はその後姿が見えなくなるまで見送ると、牢を出て深いため息をついた。

「俺も行くか」


 俺の両腕を兵士が抑えて、ほの暗い廊下をどこかへと連れていった。

 かび臭い地下室を出て、王城の廊下を通り、高価な赤絨毯が敷かれた道を進んでいく。

 やがて謁見の間へとたどり着くと、俺は王座へと続く階段の前で膝をつかされた。


 太陽の眩しさに目を細めながら玉座を見やると、腰かける壮年の王が、たっぷりとした口ひげを撫でているのだった。

 我がアデナウナーを破ったブルムヘルグの王が、わざわざお目通りしてくださるとは。


 嫌な予感がする。


「お前がリック・ライベルか?」

「はい。ブルムヘルグ王。お会いできて嬉しいです」

 口汚く罵るべきなのだろうが、有終の美を飾りたいのでひとまずは礼節を尽くす。


「さて。リック・ライベル。先のアデナウナーとの交戦で貴様を捕えたわけだが、その身代金の支払いを先方は拒否した。よって、貴様の処遇は余の一存によることとなる。何かいいたいことはあるか?」

「戦いは我が祖国、アデナウアーが必ず勝利するでしょう。私は一足先に地獄に堕ちて、閣下がどのような最期を迎えたか聞くのを、楽しみに待つとします」


 不敵な笑みと共に高らかに告げる。

 どのような汚れ仕事を押し付けられようと、いかに惨めに見捨てられようと、俺はアデナウナーの民だ。

 アデナウナーを支えた一人として、誇り高く死にたい。

 沙汰を待って首を垂れると、辺りを痛々しいほどの沈黙が支配した。


 やがて——

「えー? 本当にこいつなの? 小説と全然違うんだけど」

 とても王が口にするとは思えない言葉が聞こえた気がした。

 それに小説ってなんだ? いったい何の話をしている。


「余はもっと饒舌でキザったらしい男を想像してたんだけど……大臣ウーゼ、どう思う?」

「私も王と同じ意見です。三分に一度、歯の浮くようなセリフを吐かないと死んでしまうような、売れない俳優みたいな男を想像しておりました。もしかしたら赤の他人を捕縛してしまった可能性もございます」


 王はうーんと首をひねると、疑り深い眼差しを俺に向けた。

「君ホントにリック・ライベル?」

「は……はい。私は確かにリック・ライベルですが……」


 神妙に頷くと、列席する騎士たちがにわかに小声で話し始めた。

「違う。絶対違う」

「うん。違う。こいつは別人だ」

「やはり影武者ではないのか?」

「本物なら身代金が支払われているはずだものな」


 俺はここブルグヘルムで、どんな評価がされているんだろう。

 相当キザったらしい人物だと思われているみたいだが、ブルグヘルムに関わったのは国境の町を襲うか、商隊の追撃で不法入国した時だけだ。

 騎士のお偉方とははち合わないようにこそこそ活動していたので、面識もなければ名も知られていないはずなのだ。

 唯一の例外として、とある女騎士とは幾度となく刃を交えた仲ではあるが——まさか。


「イエリッツァ本人に聞いてみてはいかがでしょうか?」

 大臣ウーゼが王に進言すると、

「それもそうだな——」

 王はコホンと咳払いをし、「イエリッツァを呼べ」と厳かにいった。


 やっぱりか。


 あの女騎士は襲った街を警護していたので、俺の汚れ仕事をある程度知っている。

 となると俺の悪行を、ブルグヘルムは全て承知だったというわけだ。

 本物かどうか疑われたが、汚い仕事に手を染めてきた人間が、こんな冴えない青年だとは考えてもいなかったのだろう。


 ああ。


 瞳を閉じるとまぶたの裏に、王城の前で晒し刑にされる俺の姿が浮かぶよ。

 捕まる前に腹を斬ればよかった。


 カツン。


 床を固いヒールが叩く音が辺りにこだまし、それまで小声で話し合っていた騎士たちが一斉に口をつぐんだ。


 カツン。カツン。カツン。


 背後から聞こえるヒールの音が、俺の正面に回ってぴたりとやんだ。

 顔を上げると、白銀の鎧をまとった女騎士が堂々と佇んでいた。

 風に遊ぶ金色の長髪。きりりと引き締まった表情。剣の切っ先のように鋭い視線。

 それらが織りなす、思わず息を飲んでしまうほどの美貌。


「イエリッツァ・アーデルハイト……」

「久しいな……ライベル」

 苦々しくその名を呼ぶと、イエリッツァは口の端を釣るようにしてほくそ笑んだ。


「しかし人生というのは残酷だな。幾度となく私に辛酸を舐めさせた貴様が、今では私の前で自由を奪われ膝をついている。将軍へと躍進した私の前で、一介の兵隊長としてだ。これ以上の恥辱はあるまい」


 しばらく街を襲撃しても姿を見ないとは思っていたが、将軍にまで成り上がっていたのか。

 しかし出世すると同時に以前の慎ましさや、誇り高さは失ってしまったようだな。

 俺の知っているお前なら、権力をカサにきた物言いはしなかっただろう。


「お前のような女が将軍になれたのか。この国ももう長くはないな」

 侮蔑を込めて呟くと、ひくっと、イエリッツァの表情が引きつった。


 こんな安っぽい挑発が効くほどやわではなかったはずだが、昇進は彼女の心をも弱くしたらしい。

 最後の最後で、お前の情けない姿を見る羽目になるとはな。

 本当に……戦場か牢屋で死んでおけばよかった。

 

 イエリッツァは王の方を振り返ると、恭しく首を垂れた。

「王。それでこの男の処遇は、私に任せてもらえるのですね」

「いや……その前にいっこ聞いていい? そいつホントにリック・ライベル?」

「何を仰います。どこからどう見ても、こ奴があのリック・ライベルに間違いないではありませんか」

「あ……そうなの……まぁ約束は約束だし……その方の好きにせい」

「感謝いたします」


 正直これから行われるイエリッツァの処遇より、どうして王が肩を落とすほどがっかりしているのかが気になる。

 イエリッツァの野郎、国になんて報告をしやがったんだ——質問を兼ねて彼女に視線を戻したところ、彼女は桃花の良い香りを残して、俺の背後に再び回ったところだった。


 しゃらん。背後から剣が鞘走る冷たい金属音がして、背筋を冷たい悪寒が撫でた。

 この場で首を切られるのか。

 まぁ、晒し刑よりはるかに温情だな。


「リックよ。『アデナウナーの民』として、最後に言い残すことはあるか?」

 イエリッツァが耳元で囁く。

「さっさと斬れ」

 言葉を残しても受け取る人はいない。

 惨めな命乞いなんて御免だ。

 でもできれば最後に。


 祖国アデナウナーの景色を拝みたかった。


 ひゅんと刀身が風を切り、振り降ろされた刃が床を叩く音が響いた。

 斬られた!

 斬られるとまず冷たいんだ。

 それから傷口が徐々に熱くなって、燃えるように痛む。

 首を斬られるとどうなるのか考えたことはあるが、それを体験できる。


「……ん?」


 剣が振り下ろされて結構な時間がたったが、首には何の異変もない。

「あえ……?」

 その代わりに後ろ手に縛られていたロープが切られ、身体の自由が戻っている。


「あの……イエリッツァ……外れているんだが……」

 俺は諸手を上げて降参の姿勢をとったが、イエリッツァは俺の肩に顎を乗せて抱き着いてきた。

 むふーっと満足げな吐息が耳にかかり、めまいがするほど甘い桃花の香りが鼻をくすぐった。

「何……してるんだ……?」


「抱き着いているんだ。乙女に何を言わせるんだ全く。いやぁ……一年前を思い出すなぁ。実にいい。この感触が忘れられなかったのだ」


「あの……俺が聞きたいのはそういうことではなくて……俺はこれから処刑されるんですよね?」

「殺すものか。お前はこの国では英雄だぞ?」

「ごめん。ちょっと何言ってるかわからないです。俺が。なんだって?」

「何度もいわせるな。お前はこの国では英雄だ。今、アデナウナーに仕えていたリック・ライベルは死んだ。これからはブルグヘルムに仕えるリック・ライベルとして生きてもらうぞ」


 イエリッツァは俺の手を取って立たせると、謁見の間から見えるブルムヘルグの街並みへと身体をむけた。

「これからお前はこの国の民として生きるのだ!」


 は?


 混乱して頭が真っ白になった俺をよそに、列席する騎士たちが祝福の拍手を奏でた。

「ど……どういうことですか!? イエリッツァさん!?」

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