3話 母との再会
翌朝、街の門が開くとユエとイクスはローダスを出た。
二人の故郷であるメガル村はローダスから少し離れた森の中にある。
徒歩だと半日ほどかかり、基本的には自給自足の、のんびりした村だ。
村には『若い者は外に出ろ』という慣習があり、ユエもイクスもそれにならって十八になると村を出た。
若い働き手が外に出るのは困りそうなものだが、森暮らしの賜物か村人達は元気で全然困っていなかった。
それぞれの家では山羊や鶏を飼い、畑を耕し野菜を育てているので食事情も悪くない。
そのため村を出ても帰ってくる者も多く、結婚して村で子育てをする者も多かった。
「そう言えば、おばさんユエが帰ってくるって知ってるのか?」
「······ううん、知らない。手紙を出す間もなかったし、下手すると手紙より先に自分が着きそうだったから」
この世界、流通にはかなり時間がかかる。
それは人も物もで、手紙一枚でも出せばかなりの時間が必要だ。
個人で人を雇うならともかく、庶民が遠くへ手紙を出すとなると商業ギルドに持ちこむのが一般的で、一定の料金を払えばあとは商業ギルドが手配してくれる。
それでも移動手段が限られるこちらでは想定以上に時間がかかるので、ユエは手紙は書かなかった。
「おばさん驚くだろうな」
「だろうねー······」
驚くだけで済めばいいのだが。
昨日のイクスの反応を見ると母も怒りそうだ。
その時は自分がしっかり止めよう。
森に入る前に休憩し、二人で宿で作ってもらった肉を挟んだパンを食べる。
甘辛く味付けした肉が野菜とパンでちょうどいい味になる。
食べごたえもあるので一個で充分だったが、ユエの横でイクスは三つ食べていた。
森に入ればあとは道に沿って進めばいいので、話しながら歩いた。
この森はローダスの冒険者も依頼などで訪れる場所で、薬草も多く自生している。
中には希少な物もありポーションや魔法薬などの材料にもなるので、冒険者ギルドでは森を守るためにも冒険者に薬草採取の講義を行うそうだ。
この講義を受けないと森での薬草採取の依頼が受けれないらしい。
森の中にある村としてはありがたいことだ。
なお、メガル村では小さい時に薬草の取り方について習う。
取りすぎないこと、また生えてくる物は葉っぱだけ摘み取り根は残しておくこと、素手で触ってはいけない物など、身近にあるので割としっかり教えられた。
騎士団に入ってからその内容がかなり専門的だと医者に驚かれた。
訓練後に医療班に囲まれた時には驚いたが、あれもまた今となっては懐かしい思い出だ。
村では子供でも知っていることなのであまり役に立たないだろうが、話題の一つにはなってくれた。
田舎あるあるは王都では立派な話のネタになるのだ。
「お、村が見えてきたぞ」
森の木々の間から建物がちらほらと見えはじめる。
ゆるやかなカーブの先、開けた森の中に五年ぶりの故郷が見えた。
◆ ◆ ◆
イクスと別れ、母が一人で暮らす家に向かう。
五年ぶりに帰ってきたユエに気づいた村人達と軽く挨拶をして着いた家は、昔のままだった。
平屋の木の家、その横には小さな畑がある。
側には小屋があり、中にいるのは日本に比べると一回りほど大きな鶏だ。
村の鶏はよく卵を産むのでユエは子供の頃から卵をよく食べていたが、街や王都で卵はそこそこの値段だったので驚いた。
貴族や商人など裕福な家ならともかく、庶民が毎日口にする物ではない。
かと言って手が出せないほど高い物というわけでもないので、ちょっとお高い食材と言ったところか。
畑も小さいので本当に家庭菜園レベルだが、森に入ればなにかしら食べられる野草が生えているので問題ない。
村を出るまではユエも毎日畑の世話をしていたものだった。
久しぶりに土をいじるのも悪くないなと思いながら、玄関の戸をノックする。
「はいはい、どちらさま? ······ユエちゃん?」
「うん、ただいまお母さん」
「おかえりユエちゃん。どうしたの急に」
驚きながらも母のアリアナは笑顔でユエを迎えいれた。
居間でテーブルに着くと、アリアナは帰ってきた娘のためにお茶を用意してくれた。
懐かしい味に思わずほっと息をつく。
「······おいしい」
「それは良かったわ。でも、急だったからお母さんビックリしちゃった」
「驚かせてごめん」
「いいのよ、五年ぶりに娘が帰ってきてくれたんですもの。でも本当にどうしたの? 何かあった?」
心配そうな母に、何もないと言えたらどれだけ良かっただろうか。
母に心配をかけたくないが、嘘もつけない。
「うん、あのね············騎士団をクビになって、帰ってきたんだ」
「······え?」
母の反応は昨日のイクスとほとんど一緒で、ユエもまた昨日と同じように母に説明した。
その結果――
「あらあらまあまあ······。ふふ、そんなことを言われたの」
テーブルの向こう、母は穏やかに微笑みながらも目が笑っていなかった。
「ユエちゃんが異動願いを出したのに考え直してくれと頼んだくせに? 役立たずの穀潰し? ······ふふ、誰が? 私の娘によくも······!」
母の手にあるカップがカタカタと音を立て目に見えるほどに湯気が上がる。
あ、まずい、そう思った時には部屋の温度がジリジリと上がり始めていた。
「お母さん、落ち着いて。わたしは大丈夫だから。それよりもお母さんが火傷しちゃうよ」
「はっ! ごめんねユエちゃん、私ったらつい······」
ふう、と息を吐き出して、なんとか母は落ち着いてくれた。
魔力の強い母は火の魔法が得意で、そのせいか今みたいに感情が高ぶるとその影響が出ることがあった。
自分のことで怒ってくれるのは素直に嬉しいし申し訳なくもあるのだが、そのせいで母がケガをするのは嫌なので落ち着いてくれてほっとする。
「そういうわけだから、しばらくは家でゆっくりしようかなって思ってるんだ。あ、ちゃんと家の手伝いはするよ」
「それは勿論構わないし、ゆっくりすればいいわ。······でも、ユエちゃんはそれで良かったの?」
「うーん······良かったかどうかっていうと良くはないんだけど······。でも、今は戻りたいとは思わない、かなぁ」
ハッキリと断言出来ればいいのだが、どうも言い方が曖昧になってしまう。
それが少し情けないが、胸にもやもやとした物があるのも事実で、どうしてもこんな言い方になってしまうのだ。
「······そう。これからのことはゆっくり考えればいいものね。お疲れ様ユエちゃん。五年間頑張ったわね」
そう言って頭を撫でる母の手は、とても優しかった。
◆ ◆ ◆
五年ぶりに帰ってきた娘との食事はとても楽しかった。
騎士になると村を出て五年、忙しいのと配属先の遠さから会うのは難しく、手紙のやり取りだけで少し心配もしていたが、頑張っているのだろうと思っていた。
根が素直で真面目な娘だ、大きな功績こそなくとも真面目に仕事をしているのだろうと。
それが、どうしてこんな目に合わなければならないのだろうか。
話す様子からしてユエも納得しているわけではなさそうだが、戻る気もなさそうだった。
あの子のことだ、騎士を続けたいのなら抗議するなり何なりしただろう。
だがそれをせずに受け入れたのだから、そうする気がなかったということになる。
ユエは元気そうにしていたが、帰ってきた時の疲れた様子といい仕事が忙しいのは本当だったのだろう。
そんな娘を役立たずだと追い出すとは、どういうことなのか。
娘が帰ってきたのは嬉しい、だがこんな理由で帰ってほしかったわけではない。
あの子とて、こんな理由で帰ってきたくはなかっただろう。
理由を話すのだって嫌だったに違いない。
「ふふっ······うちの子をよくもこんな目に合わせてくれたわねぇ······?」
沸き上がる思いに、日課の包丁研ぎにいつもより力が入る。
……母の怒りは大きかった。