20話 その頃、イスト騎士団は③
イスト騎士団にある宿舎の一室で、とある物を前に深いため息をつく男がいた。
彼の名はカイル・ワイリース、騎士になって五年目のこの部屋の住人である。
眉も情けなく下がり、薄い水色の瞳もどこかどんよりとしている。
「はあ〜〜……。どうしよう、これ」
「どうもこうもない。さっさと片付けろ」
カイルの呟きに答えたのは同室の同期、シリウス・アリスト。
切れ長の緑色の瞳は、とある物を見た瞬間不快げに細められた。
「何故お前は溜めるんだ。しかもこんな山になるまでっ」
カイルがため息をつきシリウスが不快に思う『とある物』、…………それは膝ぐらいの高さまで積まれたカイルの服だった。
「いや分かってる、分かってるんだけどさ」
「分かってるならさっさと洗うなり洗濯屋に持っていけ。もうユエには頼めないんだぞ」
それを聞いた瞬間、再びカイルは深いため息をついた。
何なら肩までがっくりと落とし、両手で顔を覆う。
「あ〜〜っ! ほんと何でユエをクビにすんだよ。俺が安心して洗濯頼めるのユエぐらいなのに!」
「お前……、その言い方はどうかと思うぞ」
「は? 何が……、って違う違う! 違うからな!? ただ俺はユエなら変な心配もないし信用できるってだけで!」
慌てて否定するカイルに、シリウスはやれやれと小さく息をつく。
「分かっている。だからユエも奢りと引き換えに洗濯してくれてたんだしな」
二人は共にイストへと配属されたユエの同期だ。
王都での研修期間中は同期の顔見知り程度でイストへ配属されてからの付き合いだが、何だかんだと気が合って親しくしていた。
そして二人は同期という理由から相部屋となり、それからシリウスにとっても無視出来ない問題が発生した。
カイルの洗濯物溜め込み案件である。
勿論カイルとて好きで溜め込んでいるわけではない。
宿舎暮らしの騎士の洗濯方法は三つ。
内蔵された魔石に魔力を注ぐことで動く洗濯機で洗う、洗濯屋に頼む、洗浄をかけるのどれかだ。
洗濯機で洗った場合は干すか魔法で乾かす必要があるが、騎士の中には魔道具は使えても魔法は苦手という者もいるので部屋干ししている者も多い。
洗濯屋に頼むのは一番手間がないが当然の如く金がかかるし、毎日行くのは大変なので数日分溜めて纏めて持ち込む。
そして洗浄をかけるのは当然ながらその魔法を使えなければならない。
カイルも最初は洗濯機で洗っていたが、そのうち懐に余裕が出ると洗濯屋に頼むようになった。
しかしそこでも発生したとある問題に、洗濯屋に頼むのも気が向かなくなってしまった。
……その問題とは、カイルの洗濯物に手を出す輩がいることである。
自分で洗っていた時もタオルやシャツ、時には下着が無くなることがあり、まず見つからなかった。
共同の干場で干していれば間違って持っていってしまうこともあるだろうが、それが何度もあったのでカイルは部屋干しに切り替えた。
ただ部屋干しだと何となくしっかり乾いてないような気もして、多少金はかかるが洗濯屋に頼むことにしたのである。
紛失することもなく綺麗に乾いた洗濯物に満足していたカイルだが、ある日とんでもないことを知ってしまった。
翌日が休みということもあってシリウスと街で飲んでいた時のこと。
大衆的な酒場ながら衝立てで各テーブルを間仕切りしている店で、衝立て越しに聞こえてきた華やかな声にカイルは言葉を失い、シリウスは咽た。
彼女達は騎士団がよく利用している洗濯屋の店員で、カイルだけでなくシリウスもたまに利用していた。
最初こそ会話の内容は洗濯屋らしい仕事の愚痴などであったが、酒が進んで気分が良くなったのか口が軽くなったのか。
彼女達は特定のお気に入りの客の服をこっそり抱き締めたり、羽織ったりしている、と話し始めたのである。
そしてその中にカイルの名前があり、衝立て越しにどんなことをしたかと聞かされたカイルはそれ以上酒が進まず、そのまま二人は店を出た。
その後すぐに店を変えたカイルだがどうにも不信感は消えず、結果として洗濯が億劫になり部屋の片隅に溜まっていくことになった。
……カイルが男女共にモテるほどの端正な顔立ちの持ち主であったが故の、不幸な出来事だった。
最初こそ同情していたシリウスだったが、それが連日続けば話は別である。
シリウスにせっつかれながらも洗濯物を溜めては自分で洗い、洗濯物を溜めては渋々洗濯屋に持って行きを繰り返していたある日のこと。
またぞろ溜まってきた洗濯物にため息をつきつつ歩いていたカイルは、返却された備品を前にするユエを見かけた。
テントを始め調理器具など遠征用の備品らしく、一人で片付けるにはかなりの量がある。
兵站管理部に配属されたユエとはほとんど話したことがなく、大変そうだなとぼんやり考えていたカイルだったが、次の瞬間目を見開いた。
大量の備品にユエが洗浄をかけたからである。
しかもたった一度で綺麗になっていたのだから驚かないはずかない。
「ユエ!」
カイルは思わず駆け出しユエに声をかけていた。
「頼む、俺を助けてくれ!」
「…………はい?」
今までほとんど話したこともない相手にいきなり声をかけられ助けを求められたユエが、訳が分からず困った顔になったのは当然であろう。
これぞ天の助けとばかりに縋り付いた結果、とりあえず急ぎでないならと仕事終わりに話を聞いてくれることになった。
仕事終わりの談話室の片隅で、シリウスにも同席してもらい斯々然々と訳を話すと、ユエは顔を引き攣らせた。
「それはまた…………何というか災難だったね」
カイルだけでなくシリウスにも気の毒そうな目を向けると「それで?」と続きを促す。
「助けてって、私に何をして欲しいの?」
「俺の服を洗濯してくれ!」
「え」
「この馬鹿っ」
真横から思いきり頭を叩かれ手で抱えると、シリウスからお小言が飛んできた。
「家族でもない相手、しかも女に何言ってるんだお前は」
仕事を除き、家族や恋人以外で異性の洗濯物を洗うということはまずないことである。
それを正面から頼むあたりカイルの切羽詰まった感が窺えるが、それとこれとは別だ。
「う~ん……、同情はするけどさすがにそれは……。今回だけならともかくこれからもってなると無理だよ」
ユエの言い分は最もだが、カイルとてここで引き下がる訳にはいかない。
「頼むよ、ちゃんと洗濯屋と同じ料金払うから!」
「いやそれなら洗濯屋に頼みなよ。今行ってるとこは大丈夫なんでしょ?」
「それはそうだけど……」
そうは言っても一度根付いた不信感とはなかなか消えないものである。
「そもそも何で私に頼むの? 同期とは言えまともに話すのはこれが初めてでしょ」
「いや、さっき見たのすごかったし、俺の見てる前でかけてもらえば変なことされる心配もないかなって、いてっ!」
再び頭を叩かれ、「すまないな」と隣でシリウスが謝る。
つまり、信用してのことではなく見張りつきでやってもらえば問題ないという理由からの選択だった。
「ワイリースは洗浄使えないの?」
「……使えるけど、お前みたいにたくさんは出来ない」
「でも使えるんだよね? なら着替える時に洗浄かければいいんじゃない?」
「…………面倒くさい、いてっ」
三度、ため息と共に叩かれた。
「本当に全く君の言うとおりなんだが、この通りでな。どうも洗濯そのものが嫌になってるみたいなんだ。悪いんだがとりあえず今溜まってる分に洗浄をかけてもらえないか? ……俺も色々と限界なんだ」
シリウスからも頼まれ、とりあえずユエは引き受けてくれた。
そして二人の部屋で山になった洗濯物を見たユエは顔を引き攣らせ、すぐに洗浄をかけてくれた。
それ以降、三人は友人として付き合うことになり、カイルはユエから洗浄の特訓を受けて腕を上げたが洗濯物を溜め込む癖は治らず現在に至る。
なお、特訓を見ていたシリウスも洗浄の腕が上がったのは余談である。
「だがいないものは仕方ない。そもそも自分で洗浄をかければ済む話だ」
そのために受けた特訓であり、成果は出ているのだ。
ただこの量だと何回か洗浄をかける必要がある。
「分かってるんだよ、それは。でも俺がかけるのとユエがかけるのじゃ違うんだよ」
何が違うか、と聞かれると困るがあえて言うなら着心地が違うのだ。
自分でかけても汚れは綺麗に無くなっているし臭いもない。
だがユエが洗浄をかけると綺麗さが違うし何だか肌触りも良くなっている気がするのだ。
清潔な服は着ていて気分がいいものだが、その気分の良さが段違いなのである。
ユエは騎士ではなく洗濯屋をやるべきではないかと思ったのは一度や二度ではない。
「それにユエが洗浄かけた服って汚れにくいし汗臭くならないんだ。誰だってかけてもらいたいだろ」
それもあってユエに洗浄をかけてもらっていたカイルである。
不思議なことにユエに洗浄をかけてもらった服は汚れにくくなり、どんなに汗をかいても汗臭くならない。
なので式典などがある時は二人揃ってユエに頼んで全身に洗浄をかけてもらうこともあったし、遠征に出る時はユエが見送りがてらかけてくれることもあった。
「団長や副団長だって式典や出張前にこっそりユエにかけてもらってたし」
「二人共、自分でかけれるのにな。……ユエが目をつけられてたのってそれもあるだろ」
「それな。ぶっちゃけユエ何も悪くないのにな。団長や副団長から頼まれたら断われないだろ、誰も」
騎士団のツートップである、頼まれて誰が断れるだろうか。
「そういや、そろそろ王都から帰ってくる頃だよな、二人共」
「あれを見たら驚くだろうな。どうなることやら」
「副団長は血管切れるんじゃね? まあ、ユエを追い出した奴らはただじゃすまねえだろうよ」
ククッと笑うカイルの笑みに黒いものが混じる。
「そうだな。だが、とりあえずお前はこれを何とかしろ。夜までに片付けてなかったら窓から全部捨てるからな」
「うぐっ…………分かったよ」
以前、本当に捨てられそうになったカイルは顔を引き攣らせて、渋々洗濯物の山に手をかざす。
二人のもとにユエから近況報告の手紙が届くのは、数日後のことだった。
 




