16話 見習い卒業
誤字脱字報告ありがとうございます。
冒険者になって二ヶ月が過ぎたある日。
依頼を終えて冒険者ギルドへ行くと、すっかり顔馴染みになったハンナが「あら」と声を上げた。
「おめでとうございます、ユエさん。今回の依頼でDランクに昇格です」
「え、もうですか?」
ユエとしてはもう少しかかるだろうと思っていたので、驚いた。
「ユエさんはこつこつと依頼をこなしていましたし、失敗もありませんでしたからね」
イクスに聞いた話では早ければ二、三ヶ月という話だったが、早すぎではないだろうか。
急いで依頼をこなした覚えもなく、無理のない範囲で依頼を受けていたのだが。
実はEランクの査定には規定の依頼数を達成することが前提で、その内容によって査定期間が変わる。
そして常設依頼や魔物の買取も査定に入っており、
Eランクの場合はこれらも依頼としてカウントされる。
ユエの場合、特に素材の納品が評判が良く、次いで魔物買取の評判が良い。
素材は規定のサイズでほぼ揃っており、傷みや欠けもない。
魔物の方はこちらも傷が少く、血抜きが完璧ということで解体がしやすいので食材も素材も大きく良い物が取れる。
結果、どちらも商業ギルドに卸す際に優良品として納品出来るので売り上げが上がっていた。
だが、そんなギルド側の裏事情をユエが知るはずもなく。
「思ったよりも早く上がったなぁ」
そんなものかと特に疑問も抱かずユエは納得した。
書き換えの終わった冒険者証を見ればランクの表示がEからDへと変わっている。
Eランクはあくまで見習い期間、Dランクから胸を張って冒険者と名乗れるのだ。
「Dランクから少し危険な依頼も出てきます。気をつけて頑張って下さいね」
「はい、ありがとうございます」
報酬を受け取ってギルドを出ると、軽い足取りで宿へ向かう。
昇格のお祝いに、今日はちょっといい物を食べよう。
この時間ならまだ店も開いているので奮発してデザートも買って、とっておきの紅茶を淹れて食後のデザートも楽しむのだ。
騎士団では衣食住が揃っていたし時間がなくてあまり出来なかったが、今は時間に余裕があるので頑張った日や良い事があった日にはいつもよりちょっと贅沢をすることにしている。
ただユエは物欲よりも食欲なので、その贅沢は必然的に食へ傾くのだが。
「あらユエちゃん、何か良い事でもあったのかい? 機嫌がいいじゃないか」
注文を取りに来がてらそう言ったのは宿屋兼食堂の女将のバーバラだ。
日に焼けたふくよかな体のバーバラの声はどんなに客で賑わっていてもよく通る。
そしてその目はどんな無銭飲食も見逃さない。
「今日の依頼でDランクになったんです」
「おや、それはめでたいね」
「なので今日はちょっと贅沢するんです。というわけで注文お願いします」
「はいよ、何にする? 贅沢ってんなら三尖牛のシチューはどうだい? 今日のおすすめだよ」
三尖牛は角が三叉になっている、草食性の気性の荒い牛だ。
凶暴で危険な灰熊にも突進し、その角を突き立てる。
だがその肉は美味しく、三尖牛の気性の荒さもあって家畜に向かないため、その肉は中々のお値段がする。
そんな三尖牛のシチューとなれば、正に今のユエにはピッタリの贅沢だ。
「じゃぁそれとパンとサラダ下さい」
「はいよ」
目をキラキラと輝かせて注文すれば、バーバラは笑顔で厨房へと戻っていった。
そんなユエを、食事をしていた他の客達もどこか微笑ましげに見ていた。
昇格とは言えEからDになっただけ、余程のことがない限りDにはなれる。
冒険者達から見ればまだまだ殻のついたひよこだが、純粋に昇格を喜ぶ姿は微笑ましい。
勿論、それを好意的に見ない輩もいる。
たかがDに上がったくらいで、見習い期間が終われば誰でもなれる、そう見下す者がいないわけではない。
だが幸いなことに、バーバラの店にユエの楽しみに水を差す者はいなかった。
「はいお待たせ、三尖牛のシチューだよ」
ごろりと大振りな肉が入ったシチューにパンとサラダ。
すぐにシチューを食べたいのを我慢して、まずはサラダを食べる。
騎士団にいた頃は食堂で済ませていたので栄養管理は料理人がしてくれていた。
だが、冒険者になった今は好きに選べるが栄養管理も自己責任だ。
なので健康維持のためにも野菜は忘れないようにしているユエである。
そしてとうとうお待ちかね、メインのシチュー。
よく煮込まれているのかスプーンで切れた肉を口に入れれば、その美味しさに思わず頬が緩んだ。
「どうだい?」
「すっごく美味しいです。バーバラさん最高」
「アッハハハ! 最高かい、それは良かった!」
豪快に笑ってバーバラは接客に戻る。
パンを千切ってシチューにつけて食べればまた美味しい。
そんなユエを見て、他の客も三尖牛のシチューとパンを注文していた。
食事を終えればお待ちかねのデザートだ。
いそいそと部屋へ戻り準備する。
まずは紅茶の準備、机の上にティーセットを出して洗浄をかける。
ティーポットに茶葉を入れ、そこに魔法でお湯を注ぐ。
蒸らしてる間にデザートの準備。
木製の皿を出してこれにも洗浄をかけ、その上にお待ち兼ねのアップルパイを。
そして蒸らし終わった紅茶を淹れれば準備終了。
店のようにとまではいかないが、駆け出しの贅沢には充分である。
さっそくアップルパイを一口、それから紅茶も一口。
口の中に広がる林檎と紅茶の味と香りに、また頬が緩む。
そして幸せな時間とは早く終わってしまうものだ。
最後の一切れをゆっくりと味わい、温くなった紅茶を飲み干した。
ティーセットと皿に洗浄をかけて魔法鞄へ。
それから宿を出て少し歩いた先にある風呂屋へ向かった。
前世の銭湯と同じで店の中で男女に別れていて、入ってすぐのカウンターで入浴料の銅貨五枚、約五百円を払う。
中に入ればお湯の張った細長い浴槽があり、それを囲うようにイスと手桶が等間隔に並ぶ。
この浴槽は人が浸かるための物ではなくお湯を溜めるための物で、体を洗うためのお湯だ。
一般的にお湯に浸かるという習慣はなく、お風呂はあくまで体を洗う場所で、それこそのんびり湯に浸かるのは貴族ぐらいのもの。
元日本人としては夏場はともかく冬になればお風呂に肩まで浸かりたいのだが、こればかりは文化の違いなので仕方ない。
頭から足の先まで洗って浴場を出ると大きめのタオルで拭く。
前世の感覚だとかなり小さいバスタオルぐらいだが、これでも平民が使うには大きい方だ。
手早く髪も拭いて着替え、風呂屋を出てから魔法で髪を乾かした。
タオルは宿に戻ってから乾かして洗浄をかければ洗濯いらずだ。
洗濯屋もあるが頻繁に利用するには少し高いので、一般家庭では一枚一枚手洗いするのが普通。
騎士団でも洗濯物は各自で洗うか洗濯屋に頼んでいて、ユエは魔法で済ませていた。
時々、洗濯物を溜め込んだ同期から洗濯を頼まれていたのも今では懐かしい思い出である。
無料でやるほどお人好しじゃないので、その度に食事を奢ってもらったりしていたが。
「洗濯物……溜め込んで山になってたりして」
まさかとは思ったが、一度リアルに山になった洗濯物を見てどん引きしたことを思い出す。
なんなら『頼むユエ! 今度何か奢るからっ!』という聞き慣れた幻聴まで聞こえたような気がする。
「……洗濯物、ちゃんとしてるといいけど」
同期が洗濯物を溜め込む度に青筋を浮かべていた同じく同期の同居人も思い出し、ユエは東の空へ目を向けた。




