7.ファーストコンタクト
大きく立ち上る砂煙の一部が、風に流され晴れていく。晴れたことによって見えた樹海外縁では、複数の白い光が弧を描くように空気を伝い、ヂリヂリと迸っていた。
「ヴルルル……」
ハクは追撃とばかりに、全身に帯電させていた無数の電流の帯をバチバチと周囲に散らしながら、サイクロプスが落ちていったであろう樹海の中へと飛び込んでいった。
殺る気満々だ。他にそう表現しようがない。
ハクのそんな姿を遠くから確認したライコウは、思わず苦笑する。
プラズマの化身となったハクを止められる奴はこの場には居ないのではないだろうか。傍に寄らずとも近寄るだけで焼け焦げてしまうだろう。正直言って関わりたくはない姿をしていた。
((無理するなよ、あくまでも引き付けるだけの時間稼ぎだ))
((ヴォフ! 分かってる! 無理しなければいいだけでしょ!))
本当に分かっているのか。いや最早何も言うまい。あのテンションの高さからして絶好調といったところか。
まあ現状、魔力切れの心配がない神獣に負ける要素はない。危険になったら手元に喚び戻せばいいだけなのだ。
そうライコウは考えながら、先程まで襲われていた冒険者の二人が居るであろう場所へ、濃く煙る砂埃の中へと突入する。
何もないと思われた砂地の中から、鋼を組み合わせた革鎧を来た男が突然姿を現した。どうやら埋まっていたようだ。
「ぶあっはぁっ! ぶぇっ、べっペっ。うげ……」
口の中に大量に入った砂を吐き出す男の傍らで、同じく埋もれていたらしい女も身を起こし、
「……ぺっぺっ、ふぇっ。一体何が……」
と、困惑しながらも同じように口の中の砂を吐き出していた。
埋もれてしまう程の大量の砂を被っていた二人は、連続する大きな放電音に混じる猛獣の唸り声を砂の中で聞き、その声の主が樹海の方へ猛然と走りるまで身を起こさずにいた。新たに現れた何かに脅えての咄嗟の判断だったが、図らずもその判断が功を奏した形だ。
猛獣が直接二人を襲うことはなかっただろうが、二人が構わず身を起こしていた場合、ほぼ間違いなく撒き散らされた放電の犠牲となっていた。現に二人の近くには、ハクの放電の放射熱により砂が一部ガラス状になっている。
そんな結構危ない目に遭っていたとは露知らず、呑気にも二人は髪に入り込んだ砂を落とすべく横に頭を振っていた。
二人はそれぞれに周囲を見渡す。周辺は二人を包みこむように未だ濃い砂煙が立ち込めていた。
あの一瞬の、だが異様に長く感じられた嵐のような出来事は何だったのか。
二人はそれぞれ頭の片隅でぼんやりと考えながら注意深く周囲を探る。『索敵』にも反応がないように、先程まで眼前で仁王立ちしていたサイクロプスの姿も気配もない。どういう訳か姿を眩ましたらしい。と二人にはそう映っていた。
事態が思わぬ形で好転したことに、二人は半ば飲み込めずにいたが、身体についた砂を払うだけの精神的余裕が生まれたのは間違いなかった。
「……た、助かった……の?」
「…………」
この判然としない状況に戸惑いに満ちた問いをしてしまうエリー。対するヨナは分からないとばかりに肩を竦める。だがすぐにも彼女の問いに対する答えを持った者が二人の元に現れた。
「だ、誰だ!?」
晴れることのない煙る砂埃の向こうから、砂地を踏みしめ鎧が軋む音がこちらへゆっくりと近づいていることに気づき、ヨナは慌て盾を拾い剣を構えた。
未だ満身創痍の身の上だったが、幾分かの落ち着きを取り戻したのか、盾を砂地に深く突き刺し、盾から音のする方へ覗くような姿勢で、剣を両腕で抱き込むようにして構えている。エリーはそんなヨナの背後に隠れていた。彼女の砂にまみれた右手には、刃こぼれが酷いダガーが握られている。
「俺は貴方たちを助けに来た者だ! そっちに行くが構わないか!」
「たす……け……?」
砂煙のカーテンの中に居る鎧の男は、ヨナの緊張で上擦った声を聞いて察したのか、落ち着いた声でゆっくりと、大きくはっきりと伝えた。その言葉を聞いたエリーはあれほど心の底から請うた助けが現れたことに、思わず戸惑いの声をあげてしまう。
「どうやら大事に至って無さそうだな。間に合って良かった」
「はぁ~。助かった……もう駄目かと思ってたぜ。恩に着る」
両手を上げゆっくりとした歩みで現れた青年を見て、ここに来てようやく安堵したのか、すっかり脱力する二人に、彼はどこから出したのかガラスの小瓶に入った回復薬と魔力補填剤をそれぞれ差し出した。
「すまん。ありがとう。……っ!」ヨナは一気に回復薬を飲み干すと、「な、なんだこれ。飲みやすいうえに力が体の内側から漲ってきたぞ……!」
そんな驚くヨナを見て、エリーは解析スキル『鑑定』を発動する。すると……、
「ヨナ、これ上位回復薬よ! それにこれは……高魔力補填剤! こんな高価なもの……!」
びっくりしたように驚くエリーに、ライコウは何でもないようにひらひらと手を振りながら、
「別に構わない。人の命より高いものは無いからな」
二人は大した外傷もないようで、全身擦り傷だらけだが、今は緊張による興奮作用によって痛みが麻痺してるだけかも知れないと考え用心をとっての選択だった。
上位回復薬ならば飲めば大幅な体力回復はもちろん、かければ完全に切断された肉体同士を結合させ、切断前の状態にまで癒す荒業をもこなせる程の回復性能を持つ。用心とは言うが充分すぎる配慮だった。
また、高魔力補填剤を出したのは二人が自力で無事に街まで退避してもらう上で必要だったからだ。もちろん、体力と同様にこちらも魔力を大幅に回復できた。
どちらもエリーが言う通り、店頭では高価な価格で並んでいることが多い代物だった。
ちなみに余談だが、ライコウの手持ちには魔力補填剤、回復薬の上中下ランクをそれぞれ三桁近くほど、魔力・体力の完全回復および肉体の再生を行う錠剤の完全薬を十数ほど溜めこんでるが、それを理由には言わない。無駄な混乱を招く必要はないからだ。
「「確かにそうね(だ)。ありがとう」」
そんな事も無げに言い放つライコウに揃って同意と改めての感謝を言い、二人は顔を見合わせ頷き合う。
エリーは差し出された回復薬を飲み干すと、みるみる血色が良くなり、血の気が無かった白い肌に薄く赤みが差した。次に魔力補填剤を口に含み飲み込んだところで、彼女が周囲を眺めるライコウを見て問いかけた。
「そういえば他に貴方の仲間の姿が見えないようだけど。どこに行ったの?」
ようやく砂煙が晴れ、周囲には三人しか居ないと分かると、彼女にそう不思議そうに訊かれた。もしかしたら六人一組の主流パーティで助けに来たものだと思われたのかもしれない。
「他に仲間なんていない。代わりに契約獣が一頭いるぐらいだ」
「「はぁ!?」」
思いもよらないライコウの返答に驚愕したのか、二人揃って全く同じの動作をしている。おまけに、とても信じられないという顔つきつきだ。
「じ、じゃあ、あのサイクロプスは……あんたが?」
「いや、あれは――」
俺の相棒が、と続く筈だった言葉を遮ったのは、鼓膜をつんざき内臓を揺らす雷鳴の音。鬱蒼とした森の向こうから、雲がまばらにある晴れた空に向かって、縦横無尽に複数の稲妻が走っている。
一見すると幻想的とも言えた光景だ。だがそれは決してロマンチックな演出ではなく、ハクが巨人と再び会敵し、戦闘開始を告げるゴングが鳴らされた事に他ならなかった。
「何だ? 今の……」
「今の音は俺の相棒が放った雷撃によるものだ。おそらくさっきの巨人と会敵したんだろうな」
「なっ……」ヨナは口を半開きにする。
「ねぇ、貴方の相棒ってさっきの獣の?」
「そうだ。相棒の契約獣が引き付けて戦ってくれている。その間にさっさと逃げてくれ」
男は驚いて言葉も出ないようだ。その言葉が出ない男の代わりに話を引き継いだのは彼の傍らに立っていたハイエルフの少女だ。
「貴方はどうするの……」
「俺はこのまま相棒を追って森に入るつもりだ。あの巨人を含めて今のあの樹海に用があるんでね。さぁ、早く」
ライコウは彼女らに対しここから立ち去るよう促すが、少女は立ち上がって猛然と反対する。
「駄目よ! 貴方一人で立ち向かおうだなんて。危険過ぎるわ。せめて……」
「結構だ。城壁の者達の応援を頼むには距離があるし、そんな暇はない。それに貴女達の手を借りる気はない」
「……なんでよ」
「それでどうしろと?」
たった一人で戦うことが無謀にでも思ったからか、彼女は心配して何か提案しようとするも、突き放されるように却下された。
さらに畳み掛けるように、彼に空になった矢筒と刃こぼれの多いダガーを指摘され、彼女はムッとした表情となった。
「私には……まだ魔術が使えるわ」と口を尖らせる少女に対し、
「俺にも使える。どれ程のものか、貴女ならわかるんじゃないのか?」
ライコウの意味ありげな言葉に、彼女は訝しげな表情を見せるも、彼の姿をじっと見つめ、どこか納得したかのように溜め息をついた。
「……確かにそうね。でしゃばり過ぎたわ」
「出会ったばかりですまないが、こればかりは譲る気にはなれない。これ以上危険に晒す訳には行かない」
「待て待て、あの巨人と戦う? あれは駄目だ。ただのサイクロプスじゃないんだぞ!」
「どういうことだ?」
ライコウと少女の間で話の動向が決まりつつあったが、そこへ慌てたように男が割って入ってきた。どういうことかと問うと、彼らが襲われた一部始終を語ってくれた。
早口ながらも長々と続きそうな話を聴く傍らで、ライコウはこっそりとハクとの念話を取り合う。
((ハク、今どんな状況だ……))
((ヴルルル、こいつら硬い上にしぶとい。むかつく!))
((そうか……ん? 今こいつらって言ったよな。巨人は複数いるのか?))
あからさまに苛立ったハクの声色。どうも苦戦しているらしい。今のハクが負けるとは思っていないが、長引かせるのは下策だ。
そんな事を考えていた時、ふと気づく。
男が語る巨人は一体だけだ。だがハクの口振りからして複数。最低でも二体はいる。あの口が爛れた巨人の他に複数いたとしたら、この樹海は相当危険な状態だといえる事になるだろう。
たとえ下位の巨人といっても、並みの冒険者が相手では話にならず、上位ランカーでなければ倒すことは難しい。
((アヴゥ、今2体。でも他にもいるっぽい))
((分かった。こちらを片付けたら直ぐに向かう。それまで持ちこたえてくれ。危なくなったら直ぐに知らせるように。こっちに喚び戻す!))
((ヴォフ! 分かった!))
((ハク、決して無理はするなよ!))
念話を終え、話を終えようとする男に落としていた視線を戻す。
「――という訳だ。ただでさえ厄介なのに地中を移動するなんて……」
「……なるほど、それは面白い話だな」
「信じられないだろうが、別に冗談で言ってるんじゃない。これは本当のことなんだ!」
「分かっているさ。別に信じていないとは言っていないだろう……」
男が言うには、遭遇したサイクロプスは地面から現れるだけではなく、地中を移動し、変則的な奇襲を繰返し仕掛けていたらしい。確かに厄介そうだ。
だがどうもおかしな話だ、とライコウは感じていた。
(最大のアドバンテージを捨てて、奇襲に打って出るか。地中を移動するのは、まぁこの際良いとして、本来のスタイルを逸脱しているのはおかしい……)
サイクロプスは巨人族の中でも下位に位置する種族だが、うめき声にも似た独自の言語を持ち、集団による狩猟で生計を立て、社会性のある生活を行っている以上決して知能は低くはない。
そんな彼らの狩猟スタイルは、最大のアドバンテージであるその巨体と怪力を生かした打撲と体当たりで獲物を組伏せる方法だ。棍棒、あるいは素手で殴打し、暴れ回る。原始的だが、それだけで獲物を圧倒し仕留める充分には確実だ。
少なくとも、この大陸に住む彼らはその程度の事を理解して暮らしていたが、あのサイクロプスはそれを止め能力を中途半端に使い、動きにムダのある下手な戦い方をしていたらしい。狩猟民族である彼らが効率の悪い戦闘方法をとることはない。もたもたしていると獲物が逃げてしまうからだ。
だいたい彼らは体長十ムールを超える大型の魔物――硬鱗竜や洞穴熊、厳山大猪などの人間の手には負えない化け物――を主な獲物として狩っている。人を襲うどころか相手にしようともせず、むしろ人目を避けているぐらいなのだ。
かつてこの大陸の巨人族を対象にした生態調査団に同行していたからこそ断言できる。あれは本来の姿とはそぐわない。
(それにあの気配。あれは間違いなく邪気。……やはり身体を弄られでもしたか?)
目撃したのは短い間だったが、あのサイクロプスからは間違いなく異様な魔力の気配を感じた。それはこの樹海から放たれる不快な気配――瘴気と同じくするもの。邪気。
邪気とは、魔物を含むあらゆる生物を狂わせる毒気、瘴気から生まれでた邪悪なる存在が放つ魔力のことだ。
その邪気をナチュラルに身体ら漂わすのは、この世界では二つの種族しかない。他の種族で邪気を放てるのは手を加えられた時ぐらいだった。つまりあのサイクロプスは邪悪な種族の魔力を注入され、変異を起こした可能性があるという事だ。
邪気あるいは瘴気を注入された魔物などは基本的に正気を失い、その邪悪な種族の手によって操られる事が多かった。あのサイクロプスも恐らく変異以後に操られたのだろう。
(……この二人はその操られたサイクロプスに運悪く相手をさせられたという訳か)
ライコウは、運悪く出会し、運悪く巨人にされ殺されかけた二人の冒険者を見やる。彼を見つめる二人の表情は真剣だが、大きな不安に駆られているようでもいた。
彼の言葉を待っているのだろう、絶えず雷鳴と嵐のような騒乱、複数の獣めいた怒号が響いてくる中、黙して立ち尽くしている。
(あれに操られていた以上、二人が他の個体で再び狙われないとも限らない、か。なら……)
これまでの考えと、ハクの報告を擦り合わせるならば、現在樹海に出没する操られたサイクロプスは複数体に亘っている。そのすべてが操られている以上、巨人を操る黒幕が二人を鬼ごっこの相手として認識していないとも限らない。
たとえライコウとハクが樹海の中で黒幕の注目を集め、操られている多くのサイクロプスを集めたとしても。彼らが無事にメソスチアの城門に辿り着き、逃げきれる保障はない。
彼としては自力で帰って貰いたかったが、そうも言ってられなくなってしまったようだ。
そこでライコウは、〈アイテムボックス〉から取り出したアイテムを目の前にいる男に手渡す。何もない空間から突然降って沸いたかのように取り出したアイテムに驚いて、彼は目を大きく見開いた。
無理もない。彼は知りもしないし彼には使えない技術だ。
「今のはどうやって……」驚いた様子のままに問いかける彼の言葉をライコウはさえぎり、
「これは〈翡翠の勾玉の首飾り〉という結界アイテムだ。Aランクモンスター程度の攻撃でも難なく耐えきれる。これを首にかけるか身につけるかして、二人離れず一緒に逃げるように。いいね?」
取り出した〈翡翠の勾玉の首飾り〉はAランクモンスター以下の物理・特殊攻撃でも難なく耐え、弾く程の高い防御性能の他に邪気・瘴気を祓う効果もある優れ物だ。
現状ライコウが最も危惧し、念頭に置かれた存在から直接狙われたとしても、近づくことすら許されないのであれば逃げる分には問題ない。
「あっ、おい!」
「しつこいな。急いでいるんだ。相棒が待っている。だから離してくれ」
「ヨナ! ……行かせてあげて」
「エリー!?」
ライコウの腕を掴み、引き留めようとするヨナを制したエリー。彼女はそのままヨナから奪うように首飾りを受け取り首にかけると、ライコウの元へ詰め寄った。
「貴方が言うように私達は逃げるわ。でもその代わり一つだけ言わせて」
「なんだ?」
砂がつき、乱れた金色の前髪から覗く碧色の双眼に、稲光に照らされた金色の瞳をもつ仏頂面の顔が二つ。状況が違えば男性をドキリとさせる強い視線がライコウを捉える。
「無事に帰って来て。そうじゃなきゃ、貴方に助けてくれたお礼を返せないし」
「別に礼なんか……分かった。それでは街でまた会おう」
礼などいらないと言いかけたところで、彼女からの鋭い視線を感じたライコウは一瞬たじろぎ、観念したように承諾した。
彼は二人に別れを告げるように片手を上げた後、森の中へと姿を消して行った。
「……エリー、何で行かせたんだ。俺たちだって無理だったんだ。一人じゃ無謀だろ」
「一人じゃないわ。契約獣もいるし」
「その契約獣にしたってどんな強さか分からないじゃないか……」
姿を消し、既に人のいる気配を感じさせない荒れた森林へと視線を向け続けるエリーに、今度はヨナが詰め寄る。
彼女が何故あの青年を怪物の元へと行かせたのか、その真意を訊きたいという表情に満ちている。
「いまだに鳴り止まないこの雷鳴、明らかに普通じゃないわ。こんな激しい雷撃を放つなんて、長く旅をしてきたけど、私知らないわよ?」
「確かにそうかも知れないが……」
「多分だけど、あの人が言っていた通りなんだと思う。あの衝撃、たぶん彼の契約獣が引き起こしたんじゃないかな」
「……そうか。そうだろうな……」
二人は大量の砂を被ることになったあの衝撃を思い出す。砂の中で聞いた何か大きな動物が駆けていった地響き。あれは一体何だったのか。
彼の契約獣が何の種族かを訊きそびれたからか、この恐ろしげな戦闘音からしかその姿を想像するしかなかった。だがいくら想像しようとも、正解には程遠かったのは無理もないだろう。
「行こう、ヨナ。いつまでもいられないわ」
「ああ。そうだな」
今こうして突っ立っていても何もならない。そこで二人は最寄りの城門である北門を目指して退避を開始した。
自分たちでは到底力不足で、そのどうしようも無い忸怩たる思いと、一度納得し別れたもののどこか後ろ髪引かれる思いがない交ぜになりながらも、歩を進める。
エリーは黙って歩くヨナに言い訳でもするかのように、
「……別に契約獣だけがその理由じゃないのよ? 彼からはヒューマンにしては余りにも高濃度な魔力が見てとれたわ。あんなのエルフでもそう居ない。あれほどまでに魔力を練るには相当魔術に精通しないと無理だし……それに気付かなかった?」
「何が」どこかぶっきらぼうに答えるヨナ。
「彼の着てた鎧は伝説級だったわ。等級と名称しか見れなかったけれど、相当な価値があるのは違いないわよ」
「れ、伝説級!?」
ヨナはエリーの発言に思わず耳を疑った。
伝説級といえばあまり市場では出回らない高級装具だ。高価格に裏打ちされた高性能・高品質には、誰もが苦労してでも手に入れたくなる衝動に駆られるほどだ。
現在では、伝説級装具を製造出来る鍛冶職人は、北方のボレアース大陸にあるというドワーフ王国の御用工房ぐらいだと言われている。ドワーフ王国では不定期的に伝説級以下の高品質装具を市場に流してくれるが、数量は決して多くはない。故に入手自体は困難なのだ。
大金と運が無ければ市場から入手するのはかなり難しい。だが他にも合法的な入手方法がある。何かしらの勲功を上げ、国から褒賞として賜るか、ひたすらダンジョンを巡って宝箱から入手するか。だがどちらも結局運次第であり、直ぐにでも入手するのは不可能だった。
ヨナのような腕は立つが常時金欠気味な冒険者には無縁な代物だ。そんな無縁の代物を自分より若そうな男が全身に身に纏っていたなんて、誰が信じるだろうか。
「本当かよ……それはあれだよな、あの白縁の黒鎧だけだよな?」
ヨナは信じられないといった口調で訊ね直してしまう。驚きに混じる好奇心を浮かべた彼の表情からは、自身の目でもう一度見てみたかったように見てとれる。
が、彼の解析スキルの練度では、エリー同様に満足なステータス情報は得られないだろう。
「ううん、腰に下げていた剣もそう。魔力を帯びていた聖魔混成剣【乾坤】……ヨナ、あれ魔剣よ」
「ま、魔剣……!?」
それに対しエリーは小さく横を振り、黒鎧の青年が腰に下げていた剣もまた伝説級、さらには魔剣だと告げる。これを聞いたヨナは伝説級だと聞いた時以上に驚愕した表情を見せた。間抜けにも口がポカンと開いている。
それもそのはず、魔剣もまた相当貴重な武具だった。
およそ八百年前。かつて、黄金時代と呼ばれた魔法文明始まって以来の大繁栄の時代。
当時、魔剣は世界中で多く流通していたが、現在に至ってはその多くが、その後起きた世界を巻き込む大乱によって失われてしまった。
魔剣――強力な魔力を常時帯び、所有者に大きな力を齎し、対価として魔力を吸い続けると云われる魔性の剣。これらの製造技法も例に漏れず失われ、これを造れる剣工は居ないとされている。
各国家では当時の遺跡を掘り起こし調査を続けるなか、発掘した技術で魔剣を再現しようという試みがなされているが、そう思うようにはいかなかった。
そこで代わりに短時間の効果ではあるが、使用者が魔術スキルを付与し、擬似的な魔剣とする属性付与機能を確立した。この属性付与があるとないとではスキルの効果・威力は段違いとされている。
現在、本物の魔剣を所有する者も限られており、大抵は長命種族の黄金時代に生きた者かその縁者ばかり。伝説級以上の魔剣となれば、国によっては国家が管理する宝物庫にも貯蔵されているぐらいだ。
そんな代物を個人で、しかも持ち歩いているというのは非常識にも程があったのだ。口が開いた間抜け面になるのも仕方がない。
「……ということはそれも、か」
「Aランクモンスターでも大丈夫と言ってたよね……。考えたくないわ……」
首に掛けている結界アイテム〈翡翠の勾玉の首飾り〉にエリーは視線を向けるも、考えるのも恐ろしくなり思考を放棄した。必ず彼に返さなければいけない。彼女はそう誓った。
「……一体何なんだ……あいつ……」
「全くよね……」
驚き過ぎて呆れに変わりつつあるなか、疲れたように溜め息混じりで言葉を交わす。魔力・体力ともに全快に近い状態ではあったが、今日一日の出来事は二人にとって精神的に負担が多いものだったのだから致し方ない。
「さっさとベッドに飛び込みたい気分だ」
「そうね。でもその前に色々とやる事を済ませないと」
名も知らぬ謎の青年の勝利を願いながら、嵐のように荒れ狂う樹海を尻目に、二人の影は北門に向けて黙々と歩き続けていった。