3.契約
今回から長くなりそうです。
ライコウがこちらへと向かってくる砂狼の群れを迎え伐つべく走るなか、銀狼は砂狼の群を振り切り、五、六ムールほどの距離を空けて先行していた。
(砂狼の方はさっさと片付けたいところだが、あの銀狼をどうするか、だな)
砂丘と砂丘の谷間にある平地に陣取る。彼としては範囲魔術で一気に叩くという考えもあったが、気になるあの銀狼もろとも屍に変えてしまうのは惜しい気もして、どうしようかと悩んでいた。
決めかねた末、まずは銀狼の出方を見てから対処方法を決めることにした。
「よし、来たな!」
待ち構えるライコウと先頭を走る銀狼との間合いが十五ムールを切った、その時。
「っ!!」
突如、先行していた銀狼が大跳躍した。銀狼はライコウの頭上を高々に飛び越え、彼から少し離れた場所に着地した。
「おお……」
遠くからでも分かる白銀の煌めきは、間近で見るとより一層美しい毛並みであった。両肩から背中、胴の中央にかけて炎のような蒼い紋様が目を引く。ただし、全身に渡り多くの生傷が見られた、痛々しい姿でもあった。
およそ体長二ムール、体高が一二〇セル程。狼にしては巨体といえるその体格は、さながら虎や獅子のようだった。
「ヴルルルル…………!」
喉を低く震わせる銀狼は怒気を放っていた。ルビーを嵌め込んだような瞳は眼光鋭く、鼻梁は幾重にも皺を寄せている。そして震え歪む黒い唇は、血に濡れた歯と長く鋭い牙を露にしていた。
「ヴルルルル……」
銀狼は敵を前にして、唸り声を発していた。しかし、その敵意はライコウに向けられたものではなかった。銀狼の視線は、こちらへ駆け寄る砂狼たちをじっと捉えていた。
「……お前、あれの仲間じゃなかったのか」
ここに来て、この問いは愚問だった。わざわざ口にせずとも、この姿勢を見れば一目瞭然だ。
しかしライコウは困惑した。この銀狼は自身を障害物にして戦いたいのか、それとも守って貰いたいのか。はたまた、スケープゴートにして逃げ出したいのか。判断がつかない。
が、銀狼が彼を巻き込むべく、ここへ向かってきたのは明白で、現にこうして巻き込まれている事実は揺るぎないものだった。
「「ヴルルルルル……!」」
遅れて来た砂狼の群れは、銀狼のとった行動と剣先を向け構えるライコウの双方を見た。
僅かな間を空けて、彼を銀狼の仲間と認識したのか一斉に唸りだし、それぞれ姿勢を低く構えるようにして臨戦態勢を取り始めていた。
「ちっ、まったく……仕方ない。今は協力してもらうぞ」
「アヴアヴゥゥゥ……」
銀狼から同意を得たように聞こえた唸り声に対し、ライコウは小さく頷いた。
突発的かつ一時的な共闘なだけに、スムーズな連携を望める訳がない。ならばとライコウは、今この場では個別に戦うことが最善と考え、効率よく捌くためにも目の前の群れを、ざっくりと二つに分けることに決めた。
彼は銀狼に対しジェスチャーで手早く伝えると、唸る銀狼は理解したかのように小さく頷いた。
「おお…………よし」
人の言わんとすることを察する銀狼に、ライコウ感心を込めた感嘆の声を上げる。だが直ぐに意識を切り替え、砂狼の群に向けて中段の構えをとり、一歩前に進み出て戦端を開いた。
「おい。お前たちの相手は俺だ」
襲いかかるタイミングを窺い、わずかに動きを見せ始める群れ全体に対し、彼は見下すような嘲笑を見せ挑発スキル『狂奔の微笑』を発動させた。
挑発スキル『狂奔の微笑』は不特定の対象に『笑みを見せつける』ことで一定の時間、対象者の意識と視線、攻撃の全てを強制的に発動者に釘付けにする。
ただしあくまで『笑み』を見た者に対してのみ有効であり、見ていない者には全く効果はない。よってこのスキルは多数の敵対者から少人数分を引き離す際によく用いられ、発動させる前に何かしら注目を集める行為を行うことで、より効果的に効果を発揮できる。
「ヴルルル……ヴォフ!」
彼の発した一言による、注目を集めてからの発動によって十三頭中、八頭を引寄せることに成功した。残りは銀狼から視線を離さず向けていたらしく、全くのスキルの適用外だ。
「ついて来いっ!」
ライコウが銀狼から離れるように右側へと駆け出すと、釣られるように八頭が彼の元へ、残りの五頭は銀狼の元へ向かっていった。
引き寄せられた八頭による噛みつき、突進という絶えず連続した連携攻撃をかわしつつ、銀狼から十分に距離をとったことを確認する。
「ふっ!」
と、彼はショートソードの刀身に風を纏わせ、風・土魔術混合スキル『鎌鼬・砂刃』を発動。眼前に回りこんできた二頭の頭部を、作り出した砂の斬撃で斬り払う。上顎から斬り落とされた砂狼の身体は、遅れてやってきた真空刃によって微塵に切り刻まれた。
「ヴヴヴゥゥ…………グルォアアアッ!!」
一方、五頭の砂狼と対峙していた銀狼は、体内に溜め編み込んだ高濃度の魔力を、それ相応の電流へと体表にて変換し火花を散らし始めた。
激しくスパークする稲光を全身に纏わせ続け、美しく煌めく白銀の毛並みを覆い尽くすと、強烈な電光と火花を放つ狼の形をしたプラズマと化した。
このあまりの迫力に、砂狼たちは全身の毛という毛を逆立たせた。恐怖のあまり尻尾を丸め後退りし始めた五頭に、プラズマ狼は目にも留まらぬ速さで襲い、駆け抜ける。
砂狼たちは逃げる暇も与えられず、無抵抗の中ことごとく灰塵に帰していった。砂狼たちが立っていた場所には、黒く焼け焦げた砂地のみが広がっている。肉片どころか骨すら残っていない有り様だった。
「……ふう、あっちは終わっていたようだな」
ちょうどスキルの効果が切れてしまい、正気にもどり逃げ惑っていた最後の一頭をライコウはようやく斬り伏せた。戦いを終えた彼は剣を鞘に収め、銀狼の方を見やる。
「ん?」
ふらついていた。
銀狼は、鼻を付く焦げた臭いが立ち込める焼け跡からヨロヨロと歩き離れる。いかにも息苦しそうな荒々しい呼吸をしていた。
そんな様子を見たライコウは、さすがに心配になり駆け寄った。銀狼は彼に向き直り、数歩歩いたところで力尽きるようにして倒れ込み、力なく地に臥してしまった。ひどく消耗しているようで、虫の息になりつつあるようだ。
「はぁ。仕方ない、か……」
こんな弱々しい姿を見せつけられてしまっては、ここで捨て置く気にもなれない。ライコウは〈アイテムボックス〉から下級回復薬が入った二本の小瓶をとりだすと、一本は身体中の生傷に満遍なくかけ、もう一本は銀狼の口に流し込んだ。
次に、彼は大人の男が四人並んで寝れる広さのテントをとりだし、ぱぱぱっと組み立てると、銀狼をやや引きずるように運ぶ。この中で休ませることにしたのだが、思った以上に重い。百キロはあるだろう。
「やっと終わった。今日はこれまでにしよう」
ついでに彼もこのまま一泊することに決めた。自身も銀狼の面倒で身動きが取れない以上、ここで一晩泊まった方がいいだろうとの判断からだ。
砂狼の屍から出た宝玉を回収しテントに戻ると、休んでいた銀狼が頭を上げてこちらを見つめてきた。覇気のない疲れきった表情をしている。
「疲れているだろう。まだしばらく寝ていていいんだぞ。今夜ここに泊まる。お前も泊まっていけ」
「クゥーン……」
銀狼は小さく啼き、また暫く眠りについた。
そんな銀狼の傍らに座り、生傷が塞がった大きな背中を優しく撫でながら、ライコウは解析スキル『鑑定』を発動した。
《妖狼族 神獣 白金狼[ユニーク]》
生息地……ハイリンクリー山脈の山頂周辺。
生息数……不明。
生態……不明。
白金狼は妖狼族の最上位に位置する大型魔獣。四大神獣の一種。
生息域であるハイリンクリー山脈の尾根付近が、白金狼を含む災害級魔物の巣窟であるため、生態調査が行われず依然不明のまま。白金狼に関する情報は古い伝承、一部の古文書など詳細な文献は多くはなく、中央山脈の山頂付近にて上位竜紅炎鱗竜と掴み合いの格闘を樹海にて目撃した、という二百年前の日記の記述が最後に確認されているのみである。他には空を駆ける、人に化ける、人語を話すなど真偽不明の情報が数多あり、謎の神獣として伝えられている。
「は……?」
スキル『鑑定』によって得られた予想外の情報を目にして、ライコウは思わず固まってしまう。
「神獣……? こいつが?」
我が目を疑った彼は再度『鑑定』を試みるも、得られた情報が一言足りとも変わることはなかった。
「『謎の神獣』……」
災害級魔物と言えば、町ひとつを短時間の間に滅ぼせるとされる超がつく危険な魔物だ。その超絶危険な生物を前にすれば、誰だろうが飛び上がって逃げることだろう。しかしライコウの場合は当てはまらなかった。
「……『謎の神獣』か」
彼の場合、『謎の神獣』という事実に気をとられていた。謎と記述された神獣が、今もこうして目の前で寝息をたてている。この奇妙な状況に戸惑うな、などと誰が言えるだろうか。
が、銀狼の正体が超危険な魔獣だと判ったところで今更どうこうする気にもなれない。恐怖心すら湧かないライコウは気を紛らわすべく、そそくさとテントの表へと出ていった。
陽は沈み、闇夜の帳が落ちていく。気づけばテント内を明るく照らすオイルランプのみを残して、周囲は一切の静寂と闇に包まれていた。
「よっと」
テントの外に出て、ライコウは夕食の支度をし始めた。彼は〈アイテムボックス〉から加工済みの食材と鍋、移動用かまどを取りだした後、かまどに薪をくべ魔術で火をつけた。
これらは洞窟内で滞在するために、彼が予め用意したものだった。
「どぅ~どぅ~どぅ~」
彼は鼻歌混じりにオリーブ油を熱し、一口大の肉を焼き色がつくまで炒めていく。
肉には、牛肉と昼間の砂狼の肉の両方を用いてみた。もちろん砂狼の方は下処理は済ませたが、野生の肉は牛肉のようには決していかない。しかし『ものは試しというもの』ぐらいの気持ちで、彼は加えてみたのだ。
肉をいったん取りだし、薄切り玉ねぎと輪切りニンジンをしんなりするまで炒め、缶に入った刻んだホールトマトを投入。沸騰後、取りだしておいた肉を再び戻し、煮汁が浸るほど水を加え、フタをして弱火で一時間煮込む。
「スゥスゥ……フシュン」
「まだ出来てないからと待ってろよ。あと七十分ぐらいしたらできるからな」
鍋から香る煮込料理の匂いにつられてか、白金狼はテントの入口から鼻先を突きだし、ひくひくと嗅いでいる。その愛らしい姿は、危険極まりない神獣である事実を霞ませるものだった。
「よし、一時間経ったな」
火加減を操っていた彼は、取り出した懐中時計を確認し、塩・胡椒で味を整えてから今度は刻んだパセリとフライドポテト、水を入れてさらに十分煮込む。
本当はじゃがいもを入れるところだが、フライドポテトを使えば十分短縮できるのだ。
「よし、クレアス・メ・パタテスの完成だ」
クレアス・メ・パタテスは、ライコウの地元の友人から教わった家庭料理だ。手間がかからず、独身生活の長い彼でも作れる。
ライコウは作り終えると、皿を二枚取りだし煮込み料理をよそう。一枚は彼の分、もう一枚は期待に尻尾を激しく振り、鼻を膨らませる白金狼の分だ。
「待てよ……」
ライコウは皿を股下に、制しながら白金狼に待つよう言う。白金狼は涎をだらしなく垂らすも、彼を突き飛ばすようなことはせず、大人しく従った。
「ヴォフッ!」
焦らすな、とでも言うようにひと啼きする。虎ほどに大きい体格をしているというのに、不思議と恐ろしく思えない。
「よし、食べろ! 食べて血を作るんだ。おかわりはあるからな」
「ヴォフッ! ハフッ、ハフッ、ハフッ」
合図と共にサッと皿から離れると、白金狼はがっつくように食べ始めた。まるで直前まで飢えに苦しんでいたかのような食いっぷりだ。
人間や草食動物のように、よく咀嚼することはない肉食動物は、貪り頬張った餌を胃袋に押し込めるように飲み込んでいく。当然だが白金狼もまたその例に漏れず、皿に山盛りに盛られていた筈のクレアス・メ・パタテスは一瞬にして消えた。
「……フシュン。ヴォフッ!」
「はえーよ。もっとよく味わってくれ」
皿を丹念に舐め終わった狼は、くしゃみをするように鼻を鳴らすと、催促するように再びひと啼きしてみせた。
一瞬にして平らげるほど気に入ってくれたかと嬉しく思う反面、食欲旺盛で結構だが、折角作ったものを味わいもせず食べていく光景に何とも言えない哀しさを感じつつ、魔獣に人と同じものを求めるのはおかしな話かと思い直し、ライコウはその後も求めるがままに料理を出し続けた。
そうして夕食をたらふく食べた――砂狼の肉はまだ少し固かったが、中々に美味しかった――後、ライコウは満腹な白金狼とともに、テントの中で川の字に並ぶように床についた。
人より大きい魔獣と床を共にするのは少々気が引けたが、心配されるような襲われる気配が全く、彼は自分でも驚くほどの深い眠りをじゅうぶんに享受することができた。
◇◇
「ふぁ~…………あれ? どこいったんだ?」
翌朝。白く輝く太陽が、砂漠の地平線から頭を覗かせてから暫く経った頃。欠伸を噛み殺し、ライコウが寝袋から上半身を起こしながら起床すると、すぐ傍らにいたはずの白金狼の姿がなかった。
寝ている間に黙って去っていったのかしれない。彼はそう思い、一度外に出てみると、
「ヴォフッ」
「おっ?」
何処からか、白金狼が姿を現した。現れた狼は、一夜を共に過ごしたあの白金狼に間違いない。その白金狼は砂の山頂からライコウの姿を見るなり、すぐに擦り寄ってきた。
昨日の介抱を経て、どうやら懐かれてしまったらしい。親しみを込めるように、しゃがんだライコウの顔を舐めてきている。決して餌として味見している訳ではない。彼は擦り寄る白金狼の頭を軽く撫でてやった後、朝食の支度に取り掛かり始めた。
ライコウが何をするのか分かったのか、すっかり回復したらしい白金狼は、再び結界の外に出て巡回するように周囲を歩き始めた。どうやら白金狼は、料理中の見張りを買って出てくれたようだ。
実は昨晩、夕食の調理中に漂う香りに誘われたのは白金狼だけでは無かった。彼らが逗留するこのアラスチア砂漠に生息する他の魔物も同様だった。
小物類の魔物相手なら、ライコウが軽く殺気を飛ばせば追い払えたのだろうが、体長が約5ムール、体高が2ムールは届くだろう砂漠の大蠍ダスト・スコルピオンの出現には流石に驚かされた。
テント設営時に発動していた『策敵』より彼らの存在を遠くから確認し、念のためにとダスト・スコルピオン程度では破れない程度の物理耐性のある結界アイテムを使用してはいた。が、闇夜に紛れてぬらりとその巨大な姿を現し、結界の障壁に取り付き火に照される姿は、他の者が見れば安いパニックホラー映画そのものだっただろう。実際はそれ以上のおぞましい姿をしていたが。
ライコウはそんな思いがけない来訪者をどうしたかというと、取り乱すことなく至って冷静に、淡々と風魔術<竜嵐>によって一蹴、ダスト・スコルピオンは遠く彼方まで飛ばしてやっていた。
そんな光景を見ていたからなのか、おそらく今朝も結界外から見回りをしてくれていたのだろう。中々に気が利いた神獣だ。と支度の傍らでライコウは感じていた。
朝食は昨晩と同様のパンと煮込み料理を、白金狼にはもう2品追加で〈アイテムボックス〉からモノクローム・カウのミルクとチーズを提供した。白金狼はいたく気に入ったらしく、尻尾をブンブンと振りながら貪り綺麗に平らげた。
朝食後、ライコウはテントを固定していた杭を引き抜いていた。もうこの場所に留まる必要はないと判断しての行動だった。そうしてテントの骨組みを引き抜き、テントを畳んでいると、
「……汝……汝……」
という人の声が彼の背後からした。抑揚のない中性的な声質。どちらかと言えば、声変わり前の少年の声に近いソプラノ声だ。
しかし彼が声がした方へ振り返っても、白金狼以外に人影などあるはずもなく、当然人の気配もしなかった。彼が何かの間違いかと思い小首を傾げていると、傍らにいた白金狼がずいっと顔を近づけてきた。
「……汝……汝……」
「なっ! この声……まさか、お前が!?」
驚いたことに、姿なき人の声の出所は間違いなくこの白金狼から発せられていた。にわかには信じ難いことだったが、白金狼は謎の多い神獣だ。人語を話すという話もある。
「いや、あり得なくはない……か?」
彼はふと、以前に読んだ『魔獣に関する学術書』の中に『……神獣九尾の中には、人の姿に化け、人語を流暢に話し、ごく自然に人の中に溶け込む者がいた』という記述があった事を思い出し、考えを改め直した。
(神獣クラスに有り得ないものはない。白金狼もまた例に漏れず、ということだろうか……)
「……それで、どうした? 帰るのか?」
意識を目の前にいる白金狼に戻し、彼は帰参を尋ねてみると、人語を話す白金狼は人間のように頭を横に振ってこれを否定した。
「チガ…ウ。ワレ、ナレ…ト、ケイヤクムスブ」
「ケイヤク? ……俺と飼魔契約したいというのか。しかしなぜ」
「ナレ、ワレ…スクッタ。オン…カエ、サネバ。シンジュウ…ノコケン、カカワル」
「神獣の沽券って……」
ライコウは白金狼の話す言葉に驚く。試しに話しかけてはみたものの、ここまで会話が成立するとは思っても見なかったのだ。白金狼は彼の予想を超えた高い知性を備えていた。
人の暮らす世界にいたら、さらに流暢な人語を、さらに高い知性へと高めていくかもしれない。そんなことを頭の片隅で考えながら、ライコウはさらに狼との会話を続けていく。
「しかし、だな。俺がお前のような神獣をどうこうできる程に、俺の調教師としての腕前は高くないんだがな」
「シンパイ…ナイ。ワレ、チカラ、ヨワイ」
「……どういうことだ?」
「ハイドラゴン、ドモ…ト、タタカッタ」
「なるほど、そういうことか」
白金狼の言わんとすることを察し、彼は独り納得するように小さく頷く。
白金狼を含む最高位の魔獣である神獣は、上位竜とほぼ同程度の力を持つ災害級魔物だ。人の手には決して負えない、自然が生み出した超常の生物だ。その神獣・白金狼がここまで手酷く弱るとなれば、天敵と目される上位竜と激しい争いを経る以外に考えられない。
そしてここにいる神獣は、本来の力を消耗しきった今ならば、容易く従えるだろうと言っているのだ。悪魔の囁きじみている。
「ん~……(……完全回復するまでの間、契約獣として保護すべきだろうか?)」
受け入れるか、否か。ライコウは腕を組み、頭をもたげた。
(必要最低限のことはした。全身に見られた傷はひとつもなく、化膿もない。衰弱していた体力は回復されて、こうして元気そうにしている。……偶然ここで出会っただけの魔獣に、必要以上に肩入れすることはない)
そう理性的に考える一方で、
(最低限の施しをしたとはいえ、生息圏から出たこの大砂漠で一頭をぽつんと残して立ち去るのは、きっと後ろ髪引かれる思いをするだろう。それに、ここで出会ったのも何かの縁。この申し出を受け入れてみるのも悪くない。むしろ、今後の旅路が面白いものになっていくかもしれない)
と、ライコウの頭のなかでは相反する意見が並び立ち、自らが生み出した意見のどちらを取るべきか選択を迫られていた。
だが彼自身気づかないうちに、目の前の白金狼に好意的な印象を抱いていた。それだけに、今提示された話をやや好ましく捉え、彼のなかで理性より感情にやや大きく振り幅が向けられていった。
「ソレニ、ナレ、イイコ…トアル」
「……いいこと?」
「ソウ、ダ。ワレト、ムスビ。ナレ…ハコ、ブ」
「運ぶ? 俺を? そんなことができるのか」
「デキ、ル。マリョク、ヨコセ…バ」
白金狼は真っ直ぐライコウの顔を見つめてくる。彼はその視線を感じながら、迷いが一気に傾いた。
(確かにこの提案は一理ありそうだ。契約により強まった絆を用いて俺が魔力を供給し、ある程度であればこいつの回復・強化が行えるかもしれない。
神獣の脚力を持ってさえすれば、この広大な砂漠からメソスチア城壁まで一駆け、というのもあり得るかも知れない……?)
「よし、いいだろう。だがその前に訊きたいことがある」
「キ、キタイコ…ト?」
白金狼は不思議そうに小首を傾げる。
「そうだ。といっても二つだけなんだけれどな。まず一つ目は、今の通常の魔力量だ。感覚的に分かるだろう? 大体で良いから、今まででどのくらい回復したか教えてくれ」
「……イマ、ハ。ニワリ…ダ。イチ…ワリダケ、カイフクシ、タ」
「そんなものか。意外と遅いな」
「ココ、マ…ソ、ウス…イ。スミカ…ナラ、イッシュン…ダ」
「なるほどね」ライコウは頷く。「では二つ目だ。なぜ俺となんだ? お前から見れば取るに足らない存在だろうに。神獣が人に従うなんて、普通あり得ないだろう……」
この問いを聴いた白金狼は、ピクリと耳を大きく反応させる。心なしか、狼の表情がどこか変わった気がしなくもない。
実際、ライコウにはこの白金狼に対して様々な疑問を抱いていたが、この点が最も疑問だった。人に協力したという報告は過去にあれど、従った事例は確認されていない。資料に残されていないだけかもしれないが、幼少から育てるでもない限り、強力な魔獣が人間に靡くなどあり得ない。
この疑問に対し、白金狼はこちらの視線を真正面に捉えて言い放った。
「……ワレ、ナレ、キニイッタ。ズット、ツイテク」
「ずっとだって?」
「アヴゥ、ズット。……ナレ、メシ、ウマイ」
そこか! とライコウは思わず突っ込んでしまった。
しかし、今の言葉で本当の理由をはぐらかされてしまったようだが、ともあれ何らかの悪意を持っているようではなさそうだし、彼としても都合のいい話だったので承諾することにした。
「よし、分かった。だがあまり期待しないでくれ。俺と居たところで飽きてしまうかも知れないからな」
「モンダイ…ナイ。ヌシ、オカシイ」
「ふふふ、お前面白いことを言うな。俺がおかしいだって?」
確かに神獣相手と一晩過ごすだけに留まらず、飼魔契約を結ぼうだなんて。普通なら常軌を逸している考えだ。
「確かに、おかしいな。なら、そのおかしい男に付いていきたいというお前は、相当おかしい狼ということになるな」
「ウフッ」
相槌を打つように短く啼くと、白金狼はじゃれたいのか懐に頭を潜り込ませてきた。そんな白金狼を押しやるように払いのけ、ライコウは〈アイテムボックス〉から一枚の魔道具〈主従誓いの書〉を取り出した。
彼は腰を降ろした白金狼にその紙を目の前でひらひら見せつつ、必要事項を伝えた。
「これは飼魔契約に用いられる必須アイテム〈主従誓いの書〉だ。これは互いの名を記し、微量の魔力を捧げる必要がある」
「ナ?」
「そう、名だ。契約には名付けが最も重要なんだ。よってお前に名をつけて名持ちになってもらう」
「! イイノカ!」
「ああ。必要だからな」
魔物の中には、『名持ち』と呼ばれる存在がいる。野生の魔物なかには稀有なぐらいおらず、大抵が人に飼われている、あるいは飼われていた魔物がほとんどだ。
そしてネームドは、同種同族の魔物の中でも飛び抜けて秀でた個体でもある。ネームドは名無き魔物ノーネームと比べ、総合的に能力値の大きな上昇が見られ、またそれらの中には|上位種族へと進化する場合もある。
この変化を起こす要因となる名付けを行う際は大して魔力を消費しない。が、名付けられる魔物が周囲の大気から相当量の魔素――大気に溶け込む魔力を吸収するため、魔獣使い達は魔素が濃い場所か、魔素玉と呼ばれる魔素が高濃度に詰められた大きさ十セルの黒玉を用いる。一般的には後者の魔素玉がスタンダードだ。
「その前に……少し待ってくれ。今必要なものを用意するから……っと」
名付けを前に、焦らされ不平を啼きだす白金狼を宥め、ライコウは頭のなかで表示される魔素玉の所持数を確認してみると、所持リストには1個と表示されていた。
「1個か……魔素玉1個程度では、白金狼には足りないような気がするな……」
かつて、調教師仲間の一人から聞いた『小竜で最低でも魔素玉が二十個は必要になった』談を思い出しながら、目の前にいる白金狼を見つめる。
小竜――人の背丈を軽く超えるドラコンの幼生体――ですら二十個ならば、ドラコンの成体以上である神獣では到底足りるはずがない。
「……ま、仕方ないよな」
ライコウは溜め息混じりに頭の中で表示されている〈アイテムボックス〉のリストを閉じると、いるはずもない人の気配を探るように視線を周囲に巡らした。
「……居ない、な」
そう一言呟き、ライコウは視線を白金狼の方へと戻した。
「ドウ……シタ?」
「ん、今からちょっとした裏技を使おうと思う。……そこで少し、待っててくれないか?」
ライコウは自身から数ムール離れた場所を指し示し、離れるよう指示した。指示した通りに狼が移動すると、ライコウは頷き、
(待てよ? 白金狼はどっちの属性だ? ……まぁこの際どちらでも良いか)
一瞬の逡巡の後、彼は両手を掲げた。
「我が身に刻まれし古の枷、封緘制御術式プロメテウスよ」
独り誰かに話しかけるように唱えると、その呼び掛けに呼応するかのように、ライコウの身体の体表に白い紋様が浮かび上がって来た。
その紋様はまるで植物の枝、あるいは血管のように複数に渡って袖口の中から枝分かれしており、彼の腕から手の甲、首筋から頬にまで伸び覆いつくしていた。
その直後、ライコウの足元に直径2ムールほどの魔法陣が現出した。魔法陣は妖しく輝き、彼が紡ぐ言葉を待っている。
「古の枷『プロメテウス』第3の錠《堰》を解錠。内包される第2元素・第4元素の限定開放に伴い、両元素の魔力への変換を発動。生成した魔力を短時間放出し、長期に渡る眷属への魔力の自動供給を開始せよ」
《申請を確認――――受諾。速やかに解錠に移行》
ライコウの足元の魔法陣から、彼のものではない別の、機械的な音声が流れ出す。
その音声が解錠の完了を告げた直後、彼の体表に顕れた紋様は魔法陣と共に自ら白き光を放ち始め、より一層の強い輝きを増してみせた。
《解錠。第2・第4元素の魔力変換を開始――――完了。生成魔力の体外放出を開始》
機械的に受け答えた音声が開始を告げると、目を焼かんばかりに発せられていた紋様の光が魔法陣と同時に消え、代わりに今まで微量の魔力しか放つことがなかった彼の身体から、大量かつ高濃度の魔力が周囲に撒き散らされた。
そしてしばらく後まで、ライコウはこの場に満ちた魔力が魔素へと変位、この場に馴染んでいくのを待った。と言ってもたったの数分だ。
「準備完了だ。よぉし、名付けるとするか!」
「ワフッ!」
「さてさて、何がいいかな~……?」
彼は顎に手を当てて考えるも、正直これといって付けたい名などすぐに思い付くことなど出来なかった。ので、安直ではあるが、ライコウは外見から名付けることにした。
「お前の毛並みはシルクに煌めいて美しいからな。そうだな……異国の言葉にある『白銀』からとって、名をハク、ハクにしよう」
「ワフッ!」
白金狼の名を『ハク』と名付けた瞬間、周囲に漂っていたライコウ特製の大量の魔素のほとんど全てが、ハクを中心に奔流となって吸収されていった。足りたようで何よりだとライコウは頷く。
「契約に移る前にまず自己紹介をするとしよう。主人の名前を知らないのも変な話だからな」
「ワフワフッ!」
「よしよし。俺の名はライコウ。コウと呼んでくれ。親しい友人からはそう呼ばれている」
「コウ、ライコウ」
「そうだ。よろしくな、ハク」
互いに名を確認しあったところで、本題である飼魔契約へと移る。
そもそも飼魔契約とは、『名付け』行為によって人と魔物の間で生じるリンク『魂の絆』を補助・強化することで、主従の誓いを確立する魔術契約のことだ。
これにより互いに念話という通信手段や概念伝達、契約主からの魔力供給および遠隔地からの契約獣の召喚を可能とする。
そして、飼魔契約にて用いられる必須アイテム〈主従誓いの書〉は世界魔獣調教師協会(World Beast Tamers Association 通称BTA)が作製・発行した簡易式の魔道アイテムだ。
この〈主従誓いの書〉には、契約主の名前・種族名・年齢・出身地、契約獣の種族名・名前を記す必要があり、記した後互いの魔力を微量に流し込むことで契約が成立する。
また、契約に関する情報を協会に登録する機能があり、協会が受領した旨の刻印が刻まれたカードを発行する。
ちなみに〈主従誓いの書〉と魔素玉は、各地域の役所を通して協会に申請すると買える。
ライコウは早々と契約を済ませる。
と、直後に〈主従誓いの書〉が白く発光し、形状が球体に変化した。数秒後に球体からカードが発行され、引き抜いたと同時にまたも変化し、〈主従誓いの書〉は光の小鳥となって羽ばたいていった。
「キューン、ドコヘイッタ?」
「あの魔道アイテムを発行する協会の支部へと飛んでいったのさ」
本来は受領の登録後にカードを発行されるものだが、光る小鳥の姿となった〈主従誓いの書〉は亜光速による移動を行う為大した時間差はない。到着後、協会の職員によって速やかに正式登録がなされるのだ。
引き続き片付けを行い、忘れ物がないか点検する。ハクへの魔力供給は後回しだ。
「さて、忘れ物もないようだし、次は魔力を充填するぞ。ハク、さっきの『名付け』でどのくらい回復した……」
「タブン、ニワリ」
「二割か~……ま、いいか。今後は思う存分俺から魔力を引き抜けるしな。焦るものじゃない」
「ソウ、ナノカ?」
「ああ。だがその前に俺の魔力に馴染んで貰うのが先だ。時間は結構かかるだろうが、まあ暇だし大丈夫だろう」
「キューン?」
ハクは小さく首を傾げる。ライコウの言うことが分からないらしい。
「別に分からなくてもいい。俺に任せておけばいい」
「アヴゥ。ワカッタ」
「よし、じゃあじっくりゆっくり流していくからな。ペースを上げたい時は言ってくれ」
「ヴォフッ」
同意を示したかのような啼き声を受けて、ハクの身体に触れ魔力を流し入れる。さて何時間かかるやら。
魔力を注入し始めてからそれなりに時間がたった後。ライコウの魔力はハクの体に充分に馴染んだようだ。心なしか、体毛の艶がいい気がする。
「さて、行くとしますか。期待してるぞ、ハク」
「ワフッ!」
任せて! とでも言っているように聞こえた啼き声にライコウは満足気に頷き、今は見えない城壁のある東の方角を見やる。
「ようやく街に着くだけの目処がたったな」
安堵混じりに、そう一言呟くのだった。