24.祝福の儀(表)
武具を仕舞い、四人に向かって肩を並べて歩くライコウたちは、つい先ほどまで自分たちが立っていたグラウンドを見つめていた。
「な、なあ。これは……放っておいても良いのか?」
「……ああ、たぶん大丈夫だろ。ここの管理者がなんとかしてくれるんじゃないか?」
「費用請求されたら、ちゃんと言えよ? 俺も半分払うから……」
一勝負始める前と後を比べ、思っていた以上に熱を入れて戦ってしまっていたと顧みるライコウは、目の前の惨状に軽く頭を抱えた。
彼とエメラルドの二人が、二十分に渡り暴れまわった闘技場のグラウンドには、底の浅い陥没や亀裂、黒々と焼けた焦げ跡、どろどろにぬかるんだ地面があちこちに点在していた。ここに来た頃に目にした、真っ平らに整備された光景は今や見る影もない。
しまったな……と内心軽く後悔しつつ、彼はエメラルドとともにエリシアたち四人と闘技場側の入場口近くで合流した。
「ライコウ、大丈夫?」
合流後、彼らに真っ先に声をかけてきたのはサファイアだった。
戦闘であちこち破れてしまった彼の衣服を見て心配したのだろう。極浅い切り傷ながら、滴る血液でシャツが赤く滲んでいる。
「大丈夫、大丈夫」
ライコウは何とでもないように微笑む。
「シャツはちょっとボロくなったけれど、傷の方は大したことは無いし、すぐに塞がるさ」
「そう。よかった……」
元気そうな彼を見て、サファイアは安心するように胸を撫で下ろす。そんな反応をする娘の姿をじっと見ていたエメラルドは、彼から視線を引き剥がすかのようにわざとらしく咳をした。
「なに?」
「……父さんのことは心配してくれないのか?」
「父さんは鎧着てたし、あれだけ戦ってもピンピンしてるじゃない。心配する必要なんかどこにも無いわ。それよりも……」
彼女は眉間に皺を寄せて「いくらなんでもやり過ぎじゃない?」とエメラルドに詰問する。
どうやらエリシアから事のあらましを聞きだしていたらしく、エメラルドが『手加減なし、実力の片鱗を容赦なく見せつける気でいる』と聞いて内心ハラハラしていたらしい。
まさかライコウが、彼の繰り出す攻撃を凌ぎきるどころか、互角にやり合えるとは思っていなかったのだから無理もない。
「よう!」
「うおっ」
彼女がエメラルドに抗議するなか、その様子を眺めていたライコウの背後から、上機嫌なファウストがいきなり腕を首に回してきた。
「お前、なかなかやるじゃねえか。あの男に食い下がるとはよ」
「ど、どうも……」
先刻の、会議の場での態度と異なる、親しげな態度で接してくるファウストにライコウは戸惑う。その戸惑いに気づいたのか、彼は申し訳なさげに苦笑した。
「あー、さっきのことは正直すまんかった。廊下であの野郎に『愛想なく接しろ』って頼まれてよ」
そう言ってファウストが指さす先に、抗議がいつの間にかお叱りに変わり、さらに詰め寄る彼女にタジタジになるエメラルドの姿があった。
「なるほど……そうなんですね」
「だからよ、水に流してくれると有難い」
「別に俺は気にしていませんよ。ああいった無愛想な態度には慣れていましたし。理由あってのことなら尚更根に持つ訳がないのでもちろん流します」
「そうか!」ファウストは満面の笑みになる。「そう言ってくれるか! お前良いやつだな。それに、その年の割には落ち着きがあるし、実力も充分。……気に入った」
ガハハ! と大きく笑う彼はライコウに手を差し出した。
「まだ自己紹介してなかったな。俺の名はファウスト・D・ギルバートだ。気楽にギル、とでも呼んでくれ。明日からのこともそうだが、今後とも宜しく頼むぜ」
「はい。こちらこそ宜しく」
互いに相手の手を握りしめ微笑み合う。そこへ、ファウストの後ろにいたネイサンが、にこにこ笑って近づいてきた。
「これでやっと『顔合わせ』が終わった感じがしましたね。ライコウさんが怒りっぽい方だったら、と思うと明日の仕事がどうなるかと」
「それよ。この街には血の気が多い奴らが多くいる。魔物や盗賊相手ばかりで、気が立っちまうのは分かるがよ。それに引き換え、こいつには他の奴らにはない落ち着きがある。いや、ありすぎるぐらいだ……」
感心とも、関心とも取れる視線がファウストからライコウに注がれる。
彼の若々しい外見と、途方もない年月を経て生まれた振る舞いとの『ちぐはぐさ』を、この僅かな間で見いだしていたようだ。
「そう、ですかね。俺はべつに普通だと思うんだが……」
何かに感付いたのか、それとも考えなしの言葉なのか。ファウストの表情からだけでは、彼が何を思っているか読み取れない。
とりあえず愛想笑いだけして対処するライコウの傍らで、何も気付いていないネイサンがファウストの言葉に同意する。
「全くですよね。……ライコウさんの爪の垢を煎じて飲んでもらいたいぐらいです」
「んだとう? ネイサン、そいつはどういう意味だ……」
「何のことですかね」
「惚けるな! 俺がいつ落ち着きを無くしたって言うんだ? え?」
「ちょ、冗談ですって! ……ぎゃああっ!」
口は災いの元というべきか。
ファウストに素早く首根っこを掴まれてしまったネイサンは、本日二回目のサイド・ヘッドロックを食らうのだった。
(ん~。楽しげな光景だが……)
目の前で繰り広げられるカオスな状況に、ライコウはどうしたものかと持て余していた。
「だいたいこの前だって……」
「分かった分かった。俺が悪かった。だから口喧しく言わないでくれ……」
エメラルドは日頃の私生活のことまで槍玉にあげられ、とんだ藪蛇だったとゲンナリし、
「はっはっはっ」
「あだだだっ! ギブギブ、ギブアップ!」
ネイサンは意地悪く笑うファウストに、軽くサソリ固めをかけられ悲鳴を上げていた。
「…………」
「お困りのようですね」
「っ! って、エリシアさん。何してたんですか」
放置すべきか、止めるべきか。顎を擦り、悩ましく考える彼の背後に、そっと音もなく忍び寄ってきたエリシアに彼は内心飛び上がる。
「何を、ですか?」彼女はにっこり微笑むと、「もちろん私は、エメラルドがガチ凹みする姿を堪能していました。彼女に事情を話しておいて正解だった、というものです」
そう満足気に語るエリシアの姿を見て、手合わせ前での彼女の言動を思いだし、ライコウはこの際だからと思いきって尋ねてみることにした。
「……エリシアさんって、あいつの事が嫌いなんですか?」
「嫌い?」言われて彼女はきょとんとする。「いいえ、そんなことはありません。彼は尊敬に価する方ですし、実際に私は尊敬しています。ただ……」
「ただ?」
「日頃から、彼は事務処理を嫌ってよく仕事を抜け出すので、ちょっとぐらい懲らしめないと私の気が済まないんです」
つまり、よく仕事の皺寄せがくる仕返しに、彼女はエメラルドをからかって不満を発散しているだけに過ぎないらしい。
これに関しては、からかわれている当人も承知しているらしく、彼女の行為を気にせず流しているそうだ。そうでなければ、長く彼の部下として付き従うことはなかっただろうとエリシアは語った。
「そんなことは置いておいて」
とエリシアは突然不満そうにライコウを見つめてきた。
「なんですか?」
「先ほどのを見る限りでは、貴方はじゅうぶんにお強いです。あれなら巨人相手でも大丈夫でしょう。ですが……話に聞いていたほどでもなかったのですね」
期待外れだった。と言わんばかりの言葉に、ライコウは眉をひそめる。彼女は一体何を聞いたのか。今度一度じっくり話を聞く必要がありそうだ。
「……あいつに何をどこまで吹き込まれたかは知りませんが、ご期待に添えず申し訳ないです」
「おかげで賭けが流れました……」
「……賭け?」
ぽつりと、そう思わぬ言葉を口にしたエリシアに彼は何のことかと尋ね返すも、何でもないとはぐらかされてしまった。
「さて、頃合いですね」
エリシアはこの場を仕切り直すためか、両手をパンパンと叩いて皆の注目を集めた。
「皆さん、休憩は済みましたね? 今からモスクに向かいましょう。ネイサン、お遊びはここまでです。早く起き上がりなさい」
「ぼ、僕は遊んでないですよ! これはギルさんが……」
ようやくファウストから解放され、立ち上がるネイサンは叫ぶように反論する。
「あらそうなの? てっきりそういうのが好きなのだとばかり……」
「そうだったのかネイサン。おめえ、そんな趣味が……」
エリシアはわざとらしくゆっくりハッキリと、そして蔑みの視線を彼に向ける。彼女の表情は真顔そのものだったが、笑いを堪えているのか口元がひくひく痙攣していた。
そんな彼女の悪戯をいち早く察知してか、面白がるファウストがそれに乗っかっていく。
「何言ってるんですか! 違いますからね!」
「そうか? 必死に否定しているところが、ますます怪しい」
「ギル、そういうことにしましょう。さて、行きますよ」
顔を赤くして否定し続けるネイサンに、大人たちは取り合おうとせず、ぞろぞろと入場口に入っていく。
ライコウは彼を哀れに思ったが、いつものことだと言うサファイアの表情を見て、ならばと放置することにした。
「ち、ちがうんですよおおお! 待ってくださああい!」
彼を置いていく大人たちの後を追いかける、十四才の少年の悲痛な叫び声がコロシアム内に響き渡った。
◇◇
王立闘技・競技場を後にした一行は、活気のある商店が軒を連ねる大通りを西に抜け、一路、目的地アルカマル・モスクがあるという南街区旧市街へと足を踏み入れていた。
「知らなかったら迷うだろうな」
「知っていても迷うぞ」
道行く一行の中でも、特に土地勘のないライコウがはぐれることがないようにと、エメラルドとサファイア親娘に挟まれる形で横並びに歩いていた。ファウストら他の三人は彼らの先を行っている。
「こっちはさっきいた場所と雰囲気違うんだな」
彼は周囲に視線を走らせる。視線の先には金物などの日用品店やパン工房、小さな駄菓子屋など地元民向けの商店が散見していた。
「ああ。ここは旧市街だからな。大昔は違ったらしいが、今はメソスチア出入りの商人よりも古くからいる地元住民の方が割合多くいる」
「つまりここらは住宅街として機能してるんだな」
「そうだ。だから余計落ち着きがあるように見えるんだろう」
旧市街は、およそ台形に区切られた南街区北部一帯に位置し、王宮のある中央区を囲む水堀を挟んで接する街でもある。南門・南側城壁に面する、商業特化に区画整備された新市街とは異なり、道幅は狭く迷路のように入りくんでいた。
当初、王都がこの地に遷都した当時は『南街区新市街』と呼ばれていたが、後にさらなる都市の拡張・開発にともない、他地区と同様に旧市街と改めて呼ばれるに至った経緯があるそうだ。
「ここって北区街とも違う雰囲気よね」
「確かに」
ライコウはサファイアの言う言葉に頷く。と、隣にいたエメラルドが前方を指さした。
「おっ、見えてきたぞ。あれがアルカマル・モスク。この街自慢の《月夜の大聖堂》だ」
通りに聳える建物の合間から、青いドームと白い尖塔がその姿の一部分をひょっこり覗かせていた。そして次第に近づくにつれ、その姿の全貌が見えてきた。
「おお……これは相当……」
思わず漏れた彼の感嘆に、サファイアは優しく微笑んだ。
「ふふっ、そうでしょ。私も初めて来た時も貴方と同じ気持ちになったわ」
狭い道を一本抜けた先にある、緑豊かな公園の中央に、誰もが目をみはるほどの施設アルカマル・モスクの姿はあった。
アルカマル・モスクは、小山のように大きい大ドームとそれを支える大アーチと二つの半円ドーム、モスクを囲み天を突かんばかりに直立する四本の白尖塔からなっていた。
とりわけ目に引く青い大ドームは、四階建てが多い街中の建物の中では群を抜いて高く、およそ四倍の高さになる。
わざわざ近づいて見上げずとも、小高い丘から街の全体を見渡せたら、如何にその姿が巨大か一目で分かっただろう。
「それにしても、凄く大きいドームだな。それに外壁を覆う青い幾何学模様がとても美しい」
「あの幾何学模様はその昔、『宇宙』を表していたらしいわ。今は『世界』として解釈されているけれどね。そして、教会内にはこの地に古くから伝わるアラベスク模様の他に星形の彫刻もふんだんに施されているのよ」
遥か昔に建設された姿のままに、大陸西部の大部分を治めた古代アラストル帝国時代にて権威の象徴である迎賓館として流用され、後にこの地に台頭したメソルド家が聖霊教会の礼拝堂として再整備されたのが今のアルカマル・モスクだという。
そのためか、過去の宗教や芸術の名残が色濃く残り、それらすべてが混在しながらも上手く溶け込んだ光景は、聖霊教会が掲げる理念『調和』と『自然』を体現した姿をしていると言われている。
「それに、この地域では最も力のある教会だと言われてるそうよ」
「力のある……ああ、なるほど」
門前に立つ二人の衛兵を見て、ライコウは頷く。
衛兵の制服に縫われたエンブレムは、聖アグリコラ騎士団を示す『水流と麦』が組み合わされたものだった。
アルカマル・モスクは、この東アラスチア地方最大の宗教施設であり、聖霊教を国教と定めている周辺諸国の重要な聖地のひとつだ。それゆえに、諸国に対する政治的な発言力は強い。
また、武装修道会である聖アグリコラ騎士団の拠点地であるホレウム教会とも向かい合わせで隣接しており、これに警備を委任しているなど、軍事面にも顔が利いていた。
これらの要素だけとは限らないが、少なくとも、その存在は無視しがたいものだろう。
昔からある面倒な力関係だ。と、彼はどうでもいいように考えていた。
「詳しいね。この教会にはよく来るの?」
「ううん。別にそういう訳じゃなくて、前に何回か教会からの依頼で行った時に、たまたま居合わせた案内人がよく言ってたの。要するに聞きかじった受け売りかな」
ライコウたち一行は、水流に抱かれた三日月とアラベスク模様の彫刻で飾られた正門をくぐった。
正門の先には広い前庭があり、これをアーチ型の回廊がぐるりと囲んでいる。前庭には修道士・修道女のほか、多くの礼拝者たちが出入りしていた。
「それでは私は司祭様をお呼びしますので」
エリシアは到着早々ここで待つよう言い、教会内部へと入っていった。が、数分しないうちに彼女は戻ってきた。黒いカソックを着用した司祭と一緒だ。
「お待ちしておりました。パステル司教より仰せつかったユイールと申します」
「はじめまして。私はエメラルド・グラディウス。そしてここにいる者たちは、件の者たちだ。どうぞよろしくお願いしたい」
ユイール司祭とエメラルドは挨拶を済ませ、ユイールの導きで、件の式場へと案内されることになったのだが……
「俺はてっきり、あのドームの中でやるもんだとばかり思っていたんだがな」
「僕も同じこと思ってました。司祭さま、一体どこへ向かっているんです?」
一行はユイールに導かれ、教会内の側廊を通り抜け、外部へと続く長い渡り廊を歩いていた。アーチが延々と続く柱廊からは、広い公園の芝生を歩き、噴水近くに腰かける人々の姿が望めた。
「アルカマル・モスクは市民の聖霊様への礼拝の場ですので、件の式場としては相応しくないのです」
司祭はファウストとネイサンの疑問に、にこやかに答える。
「ですから、この先にあるホレウム教会の別棟にて式を執り行います。ホレウムは騎士団の拠点。主聖堂以外に市民の方々には公開されておりません。機密を行うには適した地なんです」
聖霊の加護を授ける儀式は、機密の中でも、部外者に漏らせない秘中の秘に属する。今回はライコウによって存在が明かされ、パステル司教の協力の下、部外者に特別に行われるだけであって、大っぴらに行われるものではなかった。
ホレウム教会別棟の扉に到着すると、扉の前に立っていた二人の司祭が出迎えてくれた。彼らはユイールと同じくホレウムの司祭だそうで、儀式に加わる術者だそうだ。
「あっ、そうだ」
三人の司祭に先導され、式場へと続く柱廊を歩きながらライコウはある事を思いだし、隣にいたエメラルドの脇を肘で小突いた。
「なんだ?」
「時計」
「は? ……あー、それか……」
言われて怪訝そうな顔をしていたが、エメラルドはすぐに思い出したらしく、何故だか歯切れの悪い返事を返してきた。
ライコウはそんな反応をした彼を見て、不審そうに眉をひそめる。
「なんだその反応は。……まさか」
「いや、違うんだ」エメラルドは手を小さく振る。「確かに今は持っていないが、無くした訳じゃない。今はパステル司教が持っている」
「司教が? なぜ」
ライコウは内心首を傾げる。あの懐中時計の存在は司教以上の者なら誰もが知るものだが、彼らが手にする資格はなかった。
「『是非とも丁重にお預かりしたい』って聞かなくてよ。仕方なしに……って感じだな。黙っていて悪い」
「そうだったのか。ま……司教ごときじゃ使えないし、構わないかな」
銀時計には、時計としての役割の他にある機能と役割を備えていた。
それは所有者であるライコウのみが扱えるもので、他者には全く扱えず、由来を知らなければただの懐中時計にしか見えない代物だった。
「すまない。ありがとう。……それにしても、あの銀時計は何なんだ?」
「ん? どうした」
「あの後、昨日のうちに司教に面会したんだが、銀時計を見せたら腰を抜かしていたぞ。あの男があんなに驚いた顔を見せるなんて思わなかった」
相当おかしかったのだろう、その時の光景を思い出したのか彼の口元は笑みで歪んでいた。
「ただの懐中時計さ。ただ……見る者が見れば、財宝以上の価値があるように思えるんだろう」
「なんだ? 実は秘境に隠された宝物庫の鍵とか、超古代文明の遺跡を指し示す羅針盤……だとか?」
冗談めかして言うエメラルドに、ライコウは小さく首を振って微笑む。
「だったら良かったが、そんなんじゃない。端的に言えば俺たちを象徴するものってだけだ」
「へぇ。なるほどね~……」エメラルドは頷く。
彼はライコウの言う『俺たち』に、自身を含めた者を言っている訳ではないとじゅうぶんに理解していた。
「それにしたってその……パステル司教はどういう人物なんだ? さっきから気になっていたが、そんなに有名なのか」
「知らなかったのか」エメラルドは意外そうだ。「彼はあのアルカマルの司教座の主だよ。彼の身に纏う空気から『厳粛さを擬人化したような男』なんて言われるぐらい、眉ひとつ変えない男だ。名前ぐらい聞いたこと無かったのか」
ライコウは首を振る。「知らないね。故郷の、地元にいる神父以外で、俺が知っている顔ぶれのほとんどが墓の中さ。あとは長寿族のジジババがしぶとく生きてるぐらいだ」
「くくっ。本当にお前、口が悪いな」
二人はおかしそうに、くっくっと堪えるように笑い合う。本当は気兼ねなく笑いたかったが、構内は静けさに満ちていて、声をあげて笑うような場ではない。彼らもいい年した大人なのだ。マナーぐらい弁えている。
「……楽しそうね」
「そうですね」
それでも、彼らの前を歩いていた四人に、振り返って見られるぐらいには目立っていた。中でも彼らの前にいた女性陣は、声を落として話し合う彼らの会話に聞き耳を立てていた。
(……なんか、仲良くなってる……)
(……銀時計……にどんな秘密が……)
しかし、二人の会話を拾えたとしても、当然ながらその内容を彼女たちが理解できるものではなかった。
サファイアは、彼らがやけに仲が良い雰囲気だということが気になっていたし、事情をある程度知るエリシアでさえも、彼らが話題にしている『銀時計』がどんなものかと、気になる程度に留めていた。
そうこうしているうちに、一行は廊下の行き止まりにある一つの大扉に行き着いた。
「こちらが、式場となる聖堂です。どうぞお入りください」
ユイール司祭が招き入れた聖堂は、アルカマルの《月夜の大聖堂》ほど大規模ではなく、絢爛豪華な装飾が施されている訳でもない。大勢の信徒を出迎える長椅子もなく、あるのは内陣へと続く長い赤絨毯のみ。まさに殺風景だ。
だが、身廊から内陣へと降り注ぐ陽光や、しんと静まり返った空間が、厳かで厳粛なムードを演出していた。
ユイールら三人の司祭は、一段高い内陣に足を踏み入れる。本来祭壇があるはずの場所には、聖霊術の陣が描かれていた。
「さて、今から加護機密《祝福の儀》を執り行います。本来ならばしかるべき手順を踏まえて行うものですが、今回は特別にそれら全てを省き、聖霊様の祝福を皆様方に授けることに致しましょう」
「あの、それは……」
手を挙げて、何か質問しようとしたネイサンに向かって、ユイール司祭はにこやかに制する。
「ご心配には及びません。『特別に』と申しましたが、これには前例があるのです。といっても、最後に行われたのは四百年前ですが」
彼はそう言ってエメラルドを見て微笑む。彼の言わんとしたことが伝わったのか、この場にいるうちの四人、特にサファイアが驚いたように目を丸くした。
「そうだったの? 聞いてないわ!」彼女は他三人の気持ちを代弁する。「……納得。だからあの時、彼に話を振ったのね。でもそうならそうと、あの時に言ってくれたら良かったのに!」
「無理だ。言いたくても言えない。たとえ娘のお前でもな」
どういうこと……と疑問を口にするサファイアに、「それは私が説明しましょう」とユイールが代わって説明を買って出た。
「これは儀式を行う前に、皆様方に確認していただくことと大いに関係あります」
彼はこほん、と咳払いする。
「事前にお聞き及びでしょうが、この《祝福の儀》は第二の洗礼機密として、教会に属した者以外には知られていない隠された機密です。この儀式は門外不出であり、外部に漏らすなど決して許されません」
「こいつは良いのかよ」
「……彼は良いのです。彼は『勝手自由』を赦された特別な方ですから」
事情を知らない四人から、ライコウへと好奇の視線が集中するも、咳払いしたユイールに戻される。
「彼のような例外を除き、すべての加護を受けし者には、部外者へ漏らさない誓い〈箝口の宣誓〉という呪いを受けて頂いてるのです」
「呪いだあ?」
「はい。この呪いは命を奪うような物ではありません。口封じの術に加えて、受けていただく加護が消滅するだけです」
口封じ、あるいは言葉の束縛の魔術は、箝口に強制力を持たせた魔術だ。一般的には機密性の高い契約を結ぶ際や、任務を負う際に用いられる。
黙っていれば何も起きないが、意識無意識に関わらず、口を滑らせる・書き記す際に術が発動し、術が適用される範囲すべての記憶が消される仕様だ。
なかでも〈箝口の宣誓〉は、教会がオリジナルに組んだ魔術だ。儀式に関するすべての記憶が消される上、教会を介して受けた加護の効果が消滅する仕様となっている。だがこちらも、黙っていればいいだけのことだ。
「ですから、グラディウス様は口に出せなかったのです。どうか彼を責めないで下さいませ」
事情を知ったからには、と彼の申し出にサファイアは素直に頷いた。
「必要な確認事項は以上です。それではこの二人より皆様方に儀式における手順を説明致しますので……」
と、ようやく始まる《祝福の儀》の準備を、ライコウ、エメラルド、エリシアの三人は眺めていた。そんな彼らの背後、身廊と側廊とを分ける列柱に、隠れるように立つひとりの影があった。
「……ライコウ・クラッカート様、でしょうか」
「うん?」
様子を窺っていたその影、背の低い年配の修道女が声をかけてきた。
「私はミリアと申します。パステル司教様より、お預かりしているものを直にお渡したいとの言伝てを預かりまして参上致しました」
(来たか……)
ライコウは現れたシスターミリアを目にして、予想が当たっていたと頭の中で口にする。
司教が『銀時計を預かりたい』なんて言い出すのは、単にライコウと必ず会うための口実を得たかっただけなのだ。
「分かりました。エメラルド、後は頼んだぞ」
「おう、任しとけ」
彼はエメラルドたちに別れを告げ、シスターミリアと共に式場を後にした。
◇◇
「それではサファイア・グラディウスさん。こちらへどうぞ」
司祭たちによる手順説明と準備を終え、《祝福の儀》は直ぐにでも始められた。三人のうち、まずサファイアが先に、その次はネイサン、ファウストの順で儀式を受けることになった。
サファイアはユイール司祭の誘導により、陣の中心に跪いた。司祭たちは彼女を囲むように陣の外側に立ち、一斉に祈りを唱え始める。
『嗚呼、我らを導く父なる 我らを生み育む母なる聖霊よ』
『聖霊よ憐れめ 炎天よ憐れめ 聖隷よ憐れめ』
『主よ 天よ 世界を創造し、育む七天の聖霊よ』
『主よ 神よ 七天に連なり、全ての火を統べ司る炎天よ』
『主よ 子よ 聖霊の奴隷にして忠臣たる聖隷よ』
司祭たちの呼び掛けに呼応して、内陣に敷かれた魔法陣が淡く紅に耀き出す。
『私たちを憐れめ 私たちの哀願に報いよ 彼の者の忠誠に応えよ』
ユイール司祭は緊張した面持ちのサファイアを見つめる。今度は彼女が詠唱する番だ。
「私の名はサファイア・グラディウス。聖霊と聖霊に連なる炎天よ、私の名と此の身を捧げ、忠誠を誓います」
彼女の誓いを経て、魔法陣の淡い耀きがより一層強くなる。
『炎天に使えし聖隷よ 彼の者の哀願に助力せよ』
『聖霊に連なる炎天よ 彼の者の忠誠に報いよ』
『我らが王 我らが神たる聖霊よ 彼の者に祝福を与えよ』
『アメン』
最後の一節を唱え終わったその時。強く耀いていた魔法陣から、サファイアを包み込むように燃え盛る炎が出現した。
しかし、炎は決して彼女の身体を焼き、傷つけるものではなかった。燃え盛る炎は彼女の身体に取り込まれ、彼女と一体となった。
「おめでとうございます。無事に『炎天の加護』を得られたようです」
ユイール司祭たちは優しく微笑み、祝福した。
「…………」
が、儀式に成功したはずのサファイアは反応せず、沈黙していた。彼女は両の手のひらを見つめている。
「…………」
「サファイアさん? どうかしました?」
心配になったネイサンが声をかけると、サファイアはハッとなって我に返る。とても驚いた表情をしていた。
(……凄い)
サファイアは実際驚いていた。
彼女が魔法陣から現れた炎を取り込んでからずっと、身体の芯から熱い何かが湧き出しているような感覚を得ているからだ。
「これが……」
その熱い何かは彼女に生きる活力を与え、彼女の身体を優しく抱き留める。如何なる敵を焼き払い、彼女の命を炎のように輝かせる。そう思わせてくれる、聖なる力。
「それが、聖霊の御力なのです」
彼女の様子を見ていたユイールは微笑む。受護した者なら誰もが体験する奇跡なのだ。
「さて、お次の方……ジョナサン・ラッドさん。どうぞこちらへ」
未だに驚きを隠せずにいる彼女と入れ代わり、わくわくした様子を見せるネイサンは、魔法陣へと足を踏み入れ跪く。
つい先ほどまで、火の手が高く上がっていたはずの魔法陣は、何事もなかったように沈黙していた。炎の熱の名残すらない。
「僕、とてもドキドキします」
「大丈夫です。手順は先ほどの通りですから」
そう優しく微笑みかけるユイールは、他の司祭に目配せする。何度もやっている儀式とはいえ、一言一句合わせて詠唱しなければならないのだ。
『――――』
彼らが祈りの詞を口にしようとした時、突然、聖堂の扉が開け放たれた。
「誰だ? 次の《祝福の儀》はまだ先のはずだが……」
入ってきた者の声とともに、甲冑の軋む音が聖堂内に響き渡った。
「これは一体どういうことだ?」
聖堂にいきなり入ってきた騎士は、この場に居たすべての者たちへ視線を走らせ、見知った顔ぶれに驚く。
「都市守護者のエメラルド・グラディウス! それにSランカーのファウスト・ギルバートまで! なぜメソスチア支部の大物が居るんだ……」
当惑と驚きに満ちた表情をした騎士は、ハッと何かに思い至り、内陣に立ち、彼女を見つめるユイール司祭へと詰め寄った。
「ユイール司祭、これは一体どういうおつもりなのですか!」
「お静かに。ここは神聖なる式場なのですよ」
声を荒げる騎士に対し、ユイール司祭は穏やかにたしなめる。
「だからこそ言っているんです! このような下賎な者たちに《祝福の儀》を行うなど……」
「ああ? 下賎だあ?」ファウストが噛みつく。「お前、初対面の人に対して、いきなり下に見るとは良い度胸してるじゃねえか」
「当然だ。如何に名声を高めようと、冒険者は所詮は賎しい者たちだ。下に見て何が悪い」
「面白い、そんなに喧嘩を売りたいのなら買ってやろうじゃないか。表へ出ろ。俺は若い女だからって容赦しないぜ」
「ギル、やめなさい。そこが彼女の言う『下賎』なのですよ」
明らかに不機嫌なファウストと不遜な女騎士の間に分け入り、エリシアは彼女へと前に出る。
「私は冒険者協会のメソスチア支部、副長を務めるエリシア・クウォーツと申します。貴女はいったいどちらさまでしょうか」
エリシアの口調は冷静そのものだったが、幾分か言い方に刺々しさがあった。彼女もまた、『下賎』と言われて深い不快感を感じていたのだ。
この場にいる、女騎士を除く者たちからの冷ややかな視線を一身に浴びて、彼女はやや不遜にこれに答える。
「……いいでしょう。名を名乗られたからには答えてあげましょう。私の名はルナ・ガートルード。騎士団団長の留守を預かる団長代理だ」
そう言ってルナは自慢気に胸を張る。彼女の着る板金鎧の胸甲板には、『四角と丸と十字』を組み合わせた聖霊教会のシンボルが刻まれていた。
「その団長代理がどんな用でこちらに?」
「そのような事、お前たちに関係ないだろう。私の言うことに口を挟むな」
またもや見下した物言いに、エリシアは笑顔で舌打ちする。その舌打ちを聞いたファウストとエメラルドは、『あんまり彼女を怒らせるなよ……』と心の中で呟いていた。
「そんなことよりも、ユイール司祭。これはパステル司教様の知ってのことですか?」
「もちろんです。むしろ、これらは司教様のご裁量によるものです」
「馬鹿な、あり得ない!」
「あり得ないのは貴女の方です。これ以上、儀式の進行を邪魔し、パステル司教様のご客人方を侮辱する真似は許しませんよ」
「…………」
終始柔和な表情を保っていたユイール司祭は、ルナを怖いぐらいに睨み付けていた。しかし、そんな視線に意も介さない彼女は踵を返し、無言でこの場から立ち去った。
「なんなんだ、あの女……」
「申し訳ありません。皆様にご不快を与えた彼女に代わって、謝ります」
そう言って頭を下げるユイール司祭に、ギルドの面子は口々にフォローする。
「そんな、司祭さまが謝ることではないですよ!」
「まったくだ。悪いのはあの女騎士であって、神父さんじゃない。どうか頭を上げてくれ」
「その通りです。私たちは気に致しませんから、儀式を再開致しましょう」
彼らが力強く頷くさまを見て、ユイール司祭は申し訳なさげに微笑んだ。
「有難うございます。では早速、儀式を仕切りなおしましょう」




