19.説得と提案
「……め、面倒くさい……」
サファイアが戻り、執務室にいる三人分の紅茶を用意している時、顔から両手を離したエメラルドの開口一番がそれだった。面を上げた彼の表情は、うんざりしたように歪んでいる。
「ねぇ、何を話したの……」
エメラルドに続いてライコウに淹れたての紅茶を差し出した際、サファイアは彼の耳にそっと囁いた。彼女は三十分近く前に見た支部長の姿と、今との変わりぶりに明らかに困惑しているようだった。
ライコウはサファイアが隣に座るのを待ってから、事情を説明する。
「知っているとは思うけれど、エリーたちを助けた後に樹海に入ったんだ」
「ええ、聞いてるわ。契約獣の後を追ったって」
「そうだ。そこで俺は樹海の中であるものに遭遇したんだ」
「あるもの? 巨人じゃないの?」彼女は小首を傾げる。
「違う。確かに巨人たちは居たさ。だが他に……他に俺が遭ったのは、この騒動を引き起こし、巨人を操る親玉だろう……魔族にだ」
「…………魔族?」
真剣な表情に変化したライコウを見て、サファイアは彼がいったい何を見たのかと、固唾を飲んで耳を傾けていた。が、『樹海に魔族がいる』と思いもしない言葉を告げられ、きょとんとした彼女は何度か瞬きをした後、少し間を空けて聞き返した。
「魔族ってあの……聖書とか、お伽噺に出てくる、あの……魔族?」
「そう。その魔族」
彼女は頭に手を当てはぁ~……と息を吐きながら脱力した。
「あのね、いくら何でも冗談がすぎるわよ。魔族ですって? そんなの居るわけないじゃない。エイプリルフールはとっくに過ぎたのよ」
そうサファイアは呆れながら言う。彼女には、彼が何か冗談を言っているようにしか思えなかったようだ。そんな彼女の反応を、ライコウは至極当然の反応だと受け止めていた。
一般的に魔族――悪魔や邪魔の区別なくひと括りにされている――と言えば、古来より人間社会に仇なす敵、悪鬼として聖霊教会の聖書に出てきたり、親が幼子に脅し文句として持ち出したり(良い子にしないと魔族が拐いにくるぞ)、お伽噺でドラゴンと同様に聖人や騎士に倒されるお決まりのやられ役だった。
つまり魔族とは想像上の存在であって、教会の聖職者や敬虔な信者などを除く大勢一般の人々の間では、実在しないと認識されているのだ。
だが実際はそうではなかった。現に昨日ライコウとハクは遭遇し、交戦していた。
「とてもじゃないけれど、信じ――」
「いや、ライコウくんの言葉は信じるに値するよ、サファイア」
改めて否定しようとした彼女の言葉を遮ったのは、少し眉間にシワを寄せたエメラルドだった。魔族は実際にいる。と彼女に向かってそう断言した。
「えっ……何を言っているんですか?」
当惑半分で訊ねる彼女に、エメラルドは決して冗談で言っているのではないと受け取れる真顔で答える。
「実は、私も過去に魔族と戦ったことがあるんだ。君が産まれるずいぶんと前……母さんと出逢うずっと以前のことだ」
「えっ……本当なの?」
信じられないながらも、どうやら嘘ではないと感じたのか、彼女は驚いたような反応を見せた。その姿を見てとったエメラルドは頷き、
「これは本当だ。だがずいぶんと昔、具体的に言えば三百年以上前のことだ」
「そんな昔に……?」
彼女は気づかなかったようだが、エメラルドはほんの一瞬だけライコウをちらり見た。
「私はその時以来、実に三百年もの間、魔族を直接目にしてはいないが、古い友人のなかには何度か遭遇していると聞いた」
エメラルドの発言を捕捉するように、今度はライコウが引き継いだ。
「信じられないだろうけれど、支部長の仰る通りだよ。実際に魔族は居る。実は俺も昨日戦ったんだ」
「ええっ!? ち、ちょっと待って!」
つい先程まで空想の存在として思い込んでいた魔族と、実際に戦ったという人物が立て続けに現れたことにサファイアは混乱し始めた。
「えっと、魔族は実際に居る……のよね?」
「すんなり受け入れて貰えないのは分かってる。だから今は『居る』ということだけ頭に入れて欲しい」
彼女が頷いたところで、ライコウは話を進める。
「問題はここからだ。樹海には魔族がいる。それも大量に、だ。一定の数の魔族は俺が倒したが、それでもまだ少数、氷山の一角に過ぎないと思う」
「群れを率いていたのはどのクラスだ? 騎士クラスか?」
問われたライコウは頷く。「はい。俺たちが複数体の巨人たちを派手に退けたからでしょう。自ら進んで現れましたね。その後奴を子爵邪魔に化けさせましたが、手下ごと吹っ飛ばしてやりましたよ」
「はっはっは! さすがコウだ!」
ライコウの言葉に面白がってか、思わず素の口調に戻ってしまったエメラルドに、彼は一瞬だけ小さく眉をひそめるも、大して何の反応もせず話を続ける。
「……そんなことよりも、あの樹海には有象無象の邪魔が多数潜んでいます。連中は邪気とともに瘴気を振り撒く。現に俺が行った時には瘴気が満ちていました。今頃樹海の大部分が侵されているでしょう」
「うーむ。となると今何の用意もなしに踏み込めば、たちまち正気を失う訳か……」
エメラルドは腕を組み、悩ましげに唸る。ライコウはさらに畳み掛けるように言葉を続ける。
「それだけではありません。ご存知でしょうが、魔族は普通の人間では太刀打ち出来ない。だからこそ俺は反対なんです。ただの冒険者を死地へ送り込もうなんて正気の沙汰じゃない。ここは一度手を引き、代わりに聖霊騎士を送りこむよう頼んでください」
「…………」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
目を瞑り考えこむエメラルドを見つめ、彼は考え直してくれるよう決断を迫ったが、しばらく黙して聴いていたサファイアが、自身のこめかみを押さえながら身を乗り出してきた。何か腑に落ちない表情をしている。
「うん? 何か気になることでも……」
「ええ、あるわ。貴方と父の会話にはついていけないけれど、ひとつ訊きたいことがあるのよ」
「ひとつと言わずに幾つでもどうぞ。これは大事な話だし、今のうちに疑問を解消した方がいい」
ぬるくなり始めてしまった紅茶を口にして、ライコウは彼女に話を促す。彼にはこの後出かける予定があったが、それよりもこちらの方がずっと優先度が高いと感じていた。このまま放ってはおけない、とも。
「ありがとう。そうさせて貰うわね。……えーと、貴方は『魔族は普通の人間では太刀打ち出来ない』なんて言ってたけれど、どういうことなの? 貴方や父は倒せたじゃない。なら私だって……」
「別に父さんは『倒した』なんて一言も言っていないぞ。『前に戦ったことがある』だけだ」
「えっ。倒したんじゃないの?」
いつの間にかクッキーをひと齧りして、紅茶の入ったカップを手にしたエメラルドは、二人の会話に割り込んできた。
「倒してない。倒せる奴の手助けをしただけだ。実際に戦った父さんだから言えるが、連中には物理的攻撃、魔術、スキルの類いでは完全に仕留めることは出来ないぞ。せいぜい外殻にダメージを与えて剥がす程度だ」
「ど、どういう……」
ここから先はお前が喋れ。そう言っているような視線を受け、ライコウが話を繋げる。
「それは魔族が精神生命体の種族であることが関わっているんだ」
「精神……?」
「そう。肉体という器に囚われず、魂のみの形で存在し続けられる特殊な種族。彼ら以外で言えば、精霊や幽霊が当てはまるね」
精神生命体というと、確かに特殊な形態をとっている特別な種族だ。当然、親近感など湧かないかもしれない。だが実は意外にも身近に精神生命体はいる。
悪魔などの魔族の他に、聖霊や精霊、古種の妖精、幽霊などが精神生命体に当てはまる。
魔族や古種の妖精などは滅多に目にする機会などなく、聖霊に至っては神話上の存在なので見ることなど出来ないが、精霊や幽霊などは条件さえ整えればわりと容易く多く見られた。
「ゆ、幽霊……」サファイアは唾を飲み込み、「……それがどう関係しているというの?」
「分からないか? 精霊や幽霊は物理無効だ」
「そうね。でも魔術やスキルは有効よ」
そう言って紅茶を飲む彼女にライコウは頷くも、
「だが魔族や、精霊の中でも上位に位置する精霊のような次元の異なる種族はそうはいかない。支部長が仰ったように、肉体である外殻を傷つけ剥がしても、コアである魂に関しては、三種の攻撃手段はすべて効かないんだ」
「それってすり抜けるってこと?」彼女は小首を傾げる。
「いいや。単に弾かれてしまうんだ」
「それじゃあ手の打ちようがないじゃない……」
困ったように呟く彼女に、ライコウは否定するように小さく首を振る。
「実はそうでもない。彼らは別に無敵ではないんだ。彼らには、彼らにしか通用しない法則があるんだ」
「ルール?」
「そう。それは、『精神生命体は同じ精神生命体にしか倒せない』ということだ。そしてこの法則を利用して、人間でも倒せるようにしたのが聖霊術なんだ」
聖霊術は聖霊に力を貸りる――祈りと魔力を捧げることで、聖霊の魔力を引き出す魔術だ。だが見方を変えれば、聖霊が術者を介して力を行使する仕組みとも言えた。
魔族と同じ精神生命体というカテゴリーに入る聖霊ならば、法則に則った聖霊術という術式は非常に有効な手段だった。
「俺は聖霊術が使える。支部長は使えない。そこに差が生まれたんだ。たとえ万人を圧倒する無双の覇者であろうとも、聖霊術を使えなければ魔族は仕留めきれない」
「なるほど。そんなものが……でも」
手を合わせて考えるように聞き入っていた彼女は、顔を上げ彼に視線を向ける。
「魔族……を私たちが倒せない理由は分かったわ。納得もいく。だけど、なぜ貴方が聖霊術を使えるの? 実はさっき話にでた聖霊騎士だったり?」
「それは……」
ライコウは首を横に振り、違うと言いかけるも、遮るようにエメラルドがまたも割り込んできた。
「彼は神父でも聖霊騎士でもないんだ。ただ彼は自国の魔道研究所で、魔族の研究に携わっているらしい。……だったよな?」
「はい。聖霊教会の協力の下で、研究を行っていましたね。その過程で修得したんです」
ライコウは頷く。が、実は彼は半分しか本当のことを言っていなかった。たしかに彼は過去に魔族の研究に携わったことがあるのだが、それと聖霊術の修得は別だった。
彼女は彼が魔道士と聞いて少し驚いていたが、『聖霊教会の協力の下』という言葉に納得したらしく、それ以上訊ねることはなかった。
「疑問は解消されたようだし、話を進めるけれど……支部長、どうか考え直して下さいませんか。いくらなんでも危険です」
「……その話を聞いたからには、すぐにでも中止したい。だが、今は出来ない相談だ」
その言葉にライコウは耳を疑った。彼の知る限り、エメラルドは無謀に走る人物ではなかったからだ。難しい顔をするエメラルドはその理由を口にする。
「それはな、ライコウくん。聞いているだろうが、私たちは人員不足を理由に方々を訪ね回ったんだ。その行き先の中には、聖霊教会も含まれている。その教会から『現在、騎士団不在のためご協力出来かねます』って返答があったんだ」
「騎士団が不在? なぜこんな時に……」
「彼らが言うには、アフマール東部で大型の魔物が暴れだしているからと、遠征に出ているそうだ」
聖霊騎士団は教会の軍隊と言える武装組織だ。所属する騎士はすべて教会の修道士であり、聖霊術を修得している。彼らの主な業務は、もっぱら教会の警備や魔族・魔物の退治だ。異教徒を相手取って戦争を起こすことは全くしない。
聖霊教会の潤沢な資金力により、高性能の武装に身を包んだ彼ら騎士団は、世界各地に点在する教会の要請に応じて、拠点を構える各主要都市から、各国の常備軍の手が届かない辺境地や、瘴気に満ちた危険な地域などに率先して赴き、人々を救済して回っている。
そしてこのメソルド王国で、最大規模の団員数を誇る聖アグリコラ騎士団は、二日前よりこのメソスチアを出立し、この国の南部にある港街アフマールの東側一帯に赴いているのだそうだ。暴れ回る魔物たちを完全に制圧するまで、あと三日ほどかかるらしい。
「騎士団が、討伐後すぐにアフマールからこっちに転移したとしても、彼らには休息が必要だから一日二日ほど余計にかかる」
「……つまり、彼らが役に立つまで五日ほど待たなければいけないと」
「そういうことだ」
「…………」
ライコウは考えこむように自身の顎に手をやり、生えかけの髭をなぞる。不揃いに飛び出す髭は優しく撫でる指をチクチク刺し、むず痒さを与えた。
(流暢に五日も待っていれば、その間に連中が何をしでかすか……)
待ってはいられない。その気持ちを同じくするのか、ライコウと視線を交わしたエメラルドは苦々しげに頷く。
「だからこそ君の考えは受け入れられない。計画通り樹海調査を実施する。もちろん、このことは教会に連絡する。だがあまり期待しないでくれ」
「分かりました……が、困りましたね……」ライコウは短く息を吐く。
(今回偶然にもかち合ってしまった訳だが、騎士団に魔族出現の連絡が行けば、半分近くくらいは早急に寄越してくれるかもしれない……)
教会の中では何よりも対魔族への討伐が優先される。アフマールから騎士団まで早馬を出し、きちんと聞き届ければ、五日と言わず三日のうちにメソスチアに戻ってくる。
と、彼はそう考えいたると、教会の尻を叩けるだけの魔族出現の根拠となるある物を〈アイテムボックス〉から取り出した。
「それは?」エメラルドは眉をひそめ訊ねる。「なんだか見覚えのある嫌な気配がするな……」
「これはコア……樹海に出現したサイクロプス・ディグの宝玉ですよ」
ライコウが取り出して見せたのは、昨日倒した巨人の片割れ――闇魔術〈針山〉にて串刺しにしたサイクロプス――から回収した宝玉だった。男の拳大ほどの大きさだ。黒く渦巻くような紋様をした宝玉からは、僅かながらに邪気を放っている。
邪気は瘴気同様に生き物の正気を奪い、狂わせる毒気だが、この程度の弱さならば触れたり近づいたりしても不快感を感じる程度で、何も人体に影響はない。
「連中は、サイクロプス・ディグというのか」
「はい。この大陸では確認されていない種族でしたから、新種あるいは他の大陸から連れて来られたのでしょう」
ライコウは始めサイクロプス・ディグを発見した時、魔族による変種かと思っていたが、浄化し頭を吹き飛ばした巨人を再度『鑑定』した際に、変種ではないと確認していた。
ただし、浄化前の状態において、巨人に何らかの変化を来していたのは間違いなかった。
「そうか…………」
エメラルドは嫌そうに宝玉を眺め、視線を上げ再度ライコウに尋ねた。これを持っていけばいいのか、と。
「はい。教会の中で邪魔に遭遇したしてないに関わらず、聖霊術を学んだ者ならば一目見れば分かります。これを根拠にすれば、連中の重い腰をすぐにでも軽くできるでしょう」
エメラルドは宝玉を受けとると、手の中で吸い込まれるように虚空に消えた。
「で、どうするか。ということなんだが……専門家である君ならば、何か知っているんじゃないか?」
「知っている……とは?」
エメラルドは意味ありげな笑みを湛えた表情で、ライコウをじっと見つめる。
「聖霊術を扱えない私たちでも、じゅうぶんに魔族を倒せる、そんな裏技のような方法があるんじゃないのかな~……ってね」
「どうなの?」
彼の言葉を受けて、しばらく黙って聴いていたサファイアも期待するようにライコウを見つめてきた。
(……まったく。俺は教会に任せておくつもりだったのに……)
ライコウは、彼らの長い視線に根負けしたかのように短く息を吐き、首を横に振った。
「やっぱり、そんな都合の良い方法なんて……」
「ある」
「あるわよね~……って、ええっ!? あるの?」
無いものと早合点していたサファイアは、驚いたように飛び退いた。そんな反応を見せた彼女に、ライコウとエメラルドの二人は思わず笑ってしまった。
「なっ、何も笑うことないじゃない……」
「ははは、申し訳ない。そんなに驚かれるとは思っていなくて」
拗ねるように口を尖らせる彼女に、ライコウは笑いながら陳謝する。
「もう別に良いわ。……父さん、いつまで笑ってるの?」
「あー、すまんすまん。つい面白くってな」
そう言い訳するも、未だ噛み殺すようにして笑うエメラルドに呆れた彼女は、無視するように彼を放っておくことにした。
「それで、どんな方法なの?」
「本当はあまり部外者に知らせたくないんだけれど……」
と、言い渋りながら「あまり感心できないぞ」というメッセージを込めるようにエメラルドを睨み付ける。睨まれたエメラルドは「まぁまぁ」とは口にしていないものの、そうと思わせるポーズを取っていた。
そんな彼らの無言のやり取りに、蚊帳の外に置かれたサファイアは首を捻るばかりだった。
「聖霊術を扱えずとも、聖霊騎士のように魔族を仕留める……そんな夢のような裏技は、ない。ただし、彼らのように瘴気を弾き、魔族のコアにダメージを与え無力化する程度のことなら、できる方法がある」
「それは?」
「それは……『聖霊から祝福を受けること』だ」
「聖霊からの祝福?」彼女は首を傾げ、「えっと、洗礼みたいなもの? なら私生まれた時に受けているんだけど……」
彼は静かに首を振る。「違う。洗礼とは全然違うんだ。『聖霊から祝福を受ける』ことは、聖霊からの『加護』をその身体に受ける儀式のことなんだ」
ライコウはピンと彼女の身体に指を指す。指を指された彼女の顔からは、よく分からないという言葉がはっきり見てとれた。
「聖霊の『加護』を受ける……って具体的にはどういうこと?」
「常時、聖霊の一部の力を身体に宿らせる。ま……肉体版の属性付与みたいなものだな。七つの聖霊の中からひとつを選び、選んだ聖霊から『加護』を得ることで、自身の得意とする属性魔法を飛躍的に強化するんだ」
『聖霊の加護』の効果を聴いたサファイアは驚いたように目をみはる。
「そんな凄いことを教会で……これってもしかして凄く大変な話をしてる?」
「凄いも何も、聖霊教会の秘中の秘の儀式だ。これを部外者に知られたとあれば、普通ならただじゃ済まされない」
「えええっ!」サファイアはひとり動揺し始める。
聖霊教会において、聖霊術を修得する以上に『加護を受ける』儀式は重要視されていた。それは聖霊術の習得の前段階として、基礎的な個人戦力の強化を意味する他に、宗教上とある重要な意味を保有しているからだ。
「た、ただじゃ済まされないって……」
どうしよう。と呟き困ってしまうサファイアを尻目に、エメラルドはマイペースに茶菓子を食べ進め、含み笑いをするばかりだった。
「でも安心してほしい。ここで俺が話したことが彼らに露見したとしても、何も咎め立てられることはない。保障するよ」
「保障するって……どういう……」
「実は、俺にはこの儀式に関して『自由にできる』権限があるんだ。実際に部外者に行わせることも出来るし、必要とあらば部外者に明かすこともできる。……なぜだかは訊かないでくれ。こればかりは双方の身の安全のために言えないんだ」
と、尋ねようと口を開いたサファイアに、彼はすかさず言い放つ。言われた彼女ははっとして口を閉ざした。
「ま……これで話がついたな!」
エメラルドは、話し合いが済んだとばかりに両手をパンパンと叩き姿勢を正した。
「樹海調査に入る前日までに、調査の護衛者すべてに俺から説明をして『聖霊の加護』を受けてもらう。もちろん、口止めの誓約を交わしてからな。そうして、いざ調査中に魔族に遭遇した際は、ライコウくんの指示の下で対処するんだ。これで問題ないだろう?」
「問題大ありですが、この際仕方がないですね……ちなみに、樹海調査はいつ行うんです?」
「そうだな、紹介や儀式に一日とるとして……明後日決行だな。……予定日を確認するということは、引き受けてくれるんだね?」
と、にんまり笑うエメラルドに、ライコウは溜め息混じりに頷いた。
「高いですよ」
「大丈夫だ。報酬の出所はうちじゃなくて政府だ。思う存分ふんだくるといい」
声を出して笑うエメラルドに向かって、ライコウは明からさまに呆れた顔をしながら、
「なら、それとは別に貴方にひとつ頼みたいことがあります」
と、彼は紙とペンを要求した。彼は差し出された紙とペンを受け取ると、すらすらと何かを書き込んでいく。
「……とこれを」
ライコウは〈アイテムボックス〉からとあるチェーンのついた銀時計を取り出した。銀時計は蓋のついたハンタータイプだ。
蓋は七芒星の透かし彫刻が施され、白い文字盤が覗き見える。銀時計の裏側には炎に抱かれたアンクが美しく彫られていた。
エメラルドは手渡された銀時計とメモを受け取る。「これは?」
「このメモに書かれた通りに従ってくれれば分かります。済んだら、次会うときにちゃんと返して下さいね。この時計、見た目以上にかなり高いんで。頼みましたよ」
「ああ、分かった」
エメラルドは受け取った銀時計とメモを身体の何処かに仕舞い込む。
「それで、他に何か私たちに頼みたいことはあるかい?」
「そうですね……」ライコウは思いついたように、「そうだ、ここに質屋とかあります? あるなら教えて頂きたいのですが」
「ああ、あるとも。サファイア、後で連れてってやってくれ」
「はい。分かりました」
彼女が頷いたのを確認したところで、これで話は済んだとばかりに、ライコウとエメラルドは同時に立ち上がる。
「それでは、支部長。宜しくお願い致します」
「ああ、こちらこそ宜しく頼むよ。明日はまたサファイアを迎えに寄越すから、どこにも行かないでくれ」
「分かりました」
と、二人はにこやかに握手を交わし、互いに別れを告げた。
エメラルドは、執務室を後にする二人を見送ると、自身の仕事机に戻り席に着いた。彼は乱雑に広げられた資料に構わずガラスのコップを置き、水差しから水を注ぐ。
「ふぅ……さて……」
彼は一気に水を飲み干し、さっさと片付けてしまおうと目の前にある自身の仕事に取りかかった。




