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1.足跡

「――――暑い。ただただ、暑い」


 ボタボタと、沢山の水でも被ったのかと見間違えるほどに頭から滝のように汗が流れ、首を伝い、白いシャツを大きく濡らしている。


 見渡す限りは砂丘の群れ。群れ。群れ。群れ。

 視界に広がるのは不毛の大地。

 橙と青の2つの色に支配された地。


 ここは大砂漠。

 西の風香るゼプュルシア大陸の西部、その大部分を占め、荒涼と広がるアラスチア砂漠だ。


 そんな砂の山以外に何も無い砂漠に、点々と足跡が続いていた。長々と続いているも、後から後からと風に掻き消されていく足跡。その足跡を辿った先には、ぽつんと途方に暮れ立ち尽くす一人の青年の影があった。


「暑い……とける……」


 彼、青年の名はライコウといった。長身で屈強な体つきをした彼は鼻が高く、金色の瞳が印象的だ。白い肌には赤みが差し、腕や頬、茶色の短髪には砂粒がまばらについていた。


 彼の服装はシャツに暗灰色のカジュアルパンツ、黒革のブーツという、一見街なかで見かけそうな軽装をしていた。ただ、鞘に納まったダガーと刃渡り七十セルのショートソードを腰に下げている。

 砂漠の民が身に纏う薄い外套を羽織っていないせいか、体力・気力を奪わんとする直射日光が、彼の頭のてっぺんから爪先までこれでもかとたっぷり照らしだし、露出した白い肌を容赦なく焼いていく。


 ライコウは困り果てていた。

 この鬱陶しく噴き出し続ける汗水や、照りつける太陽、焼いたフライパンの上にいるような灼熱の熱気だけに、ではない。それよりも彼を困らせていたのは、彼が置かれたこの状況に、だった。


「どうして、こうなってしまったんだ……?」


 乾いていく唇からこぼれでた当惑に満ちた言葉。

 誰に訊ねているわけでもない。この状況を無理矢理にでも飲みこもうと、自分自身に問うた言葉だった。


 ここ砂漠にいるのはライコウの本意ではない。では誰かに連れてこられ、砂漠に置き去りにされたのかと問えば「近いが、そうではない」という答えが返ってくるだろう。

 消えてしまった彼の足跡の始まりを辿っても、荷車の轍の跡どころか荷車の影すら何処にもない。動物の足跡も、翼を持つ生き物の姿も、この砂漠では見られない。元より彼は、物理的な手段によって砂漠を訪れた訳ではなかった。


 では何故こんなところにいるのか。


――遥か遠く、大陸の反対側にある地の底から飛ばされてきた。好きで居る訳ではない。


 ではどうやって?


――転移。空間系魔術〈転移ノ陣〉による転移によって飛ばされた。


 〈転移ノ陣〉とは、指定された特定の場所への空間の跳躍移動を可能とした魔法陣だ。最大百キロムールにもおよぶ長距離の移動短縮を可能にした。

 移動における人数制限や重量制限は魔法陣の規模によってまちまちだが、公的機関、協会組織(ギルド)などによく設置され、一部の施設では条件付き且つ限定的ではあるが、一般にも解放しているところもある。


 だが彼、ライコウが誤って起動してしまい、不運にもこの地へ飛ばした〈転移ノ陣〉がある場所は、この西部のアラスチア砂漠から同大陸の反対側に位置している、東部某国の山中の洞窟内にて。

 その距離は直線距離にして、おおよそ六千キロムール以上。彼は上限の約六十倍にあたる長距離を、一瞬で移動してきたのだ。


 そんな馬鹿みたいな、空想ファンタジーだと言われるだろう事態を引き起こした魔法陣について、ライコウにはひとつ心当たりがあった。

 それは彼がこの地に来る前の、最後にいた場所。そこは彼が日頃から『大先生』と呼ばされている、彼の上司にあたる人物と、その友人らがかつて作り上げたという人工アーティ迷宮ダンジョン内部のとある隠し部屋だ。



 ◇◇



 ひとりぶんの足音がカツン、カツンと響き渡る。


(ここらまでは異常なし、と)


 同日、ある迷宮ダンジョンの全五階層ある中の地下三階層目。

 ライコウはひんやりと冷たく、じめじめと湿った空気に満たされた暗闇の中にいた。時折、天井の岩壁から彼の頭上にしずくがぽつんぽつんと垂れてくる。滴は鳥肌が立つほど冷たい。


(あっちはどうかな)


 地上の光が届くことはない真っ暗闇の中、彼は足元に飛び出した石に転ぶことも、ごつごつとした岩壁にぶつかることもなく、まるで見えているかのようにずんずん奥へと歩いていく。

 実は彼はスキル『闇視あんし』によりこの暗闇のなかでも輪郭がハッキリと見えていたのだ。


 スキル『闇視』は使用者の肉体から放たれる魔力の波を利用し、物体から跳ね返る波を視覚情報に変換することで、どんな暗闇のなかでも空間を正確に把握できる魔術スキルだ。


 ここでは携行ランプに灯りをともすのは厳禁だ。不用意に明かりを持っていると、足元から天井からと、凶悪な死霊系モンスターがわらわらと這いよってくる。そしてたちまち囲まれ袋叩きに遭い、全身を食われ絶命する。つまりこの暗闇のなかを進むには、どうしても『闇視』が必要なのだ。


 そんな事情を露知らず、迂闊にも魔術で灯した明かりをつけてのこのこやって来た他の探索者たちへ、おぞましい姿をした無数の死霊たちが波のように殺到していく。そんな身の毛もよだつ光景を尻目に、彼は迷うこともなく入りくんだ洞窟内で何かを探すように歩いていく。


 彼は地図を持っていなかった。

 この暗闇のなかでは、たとえ十五ムール先を見通せる『闇視』であろうとも、紙に描かれた地図を読むなど困難、いや不可能だった。

 が、そもそも彼が地図なんて持ち歩く必要はない。彼の地図は頭の中にある。それはこの洞窟をいやと言うほどに熟知していたからこそのものだった。


 実は以前、ライコウは上司の大先生からこの迷宮の管理の一切を任されていたことがある。ゆえに、迷宮内の各通路及び各部屋に関する情報の大半を把握していた。

 現在ではこの洞窟生まれの信頼のおける『意思ある死霊・腐敗王(グランド・ロトゥン)』に迷宮ダンジョン管理者マスターの権限の大半を移譲して以降、彼はお役ご免となったが、この迷宮内には未発見の隠し部屋が依然として(数は不明だが)多数存在しており、大先生の下で働く傍ら、時間のある限り隠し部屋の探索に勤しんでいたのだ。


 今日はいつもの短時間の探索では終わらない。

 彼は今日のためにわざわざ休みをとって、連日泊まり込む予定でこの迷宮に来ていた。いつもは泊まり込むことはあまりしないが、大先生のある発言を受けてこの行動に踏み切った。



 それは先日のこと。仕事を一通り終え、大先生とともにランチをとっていた時だ。その時ダンジョンについて話題に上がったのだが、ふと思い出したように、こう仰ったのだ。


『そうそう。前に。昔の友人たち(パーティメンバー)と悪ふざけで作った危険な罠があったと思うんだけど、時間があったら探してみてくれない?』

『は?』

『頼んだわよ』


 この後、「大雑把でもいいので心当たりのある場所は?」と彼が尋ねてみるも、全く覚えていないと答えられた。

 仕方がないとはいえ、いい加減にも程がある。今更とは言え、地図かヒントになるメモぐらい作っておいて貰いたかったものだ。

 加えて大先生のいう『危険』とは、世間でいう『超危険』とイコールで結べる代物だ。正直やる気はしなかったが、ある事情でそうも言ってられなかった。このダンジョンは一般に公開されているアトラクションなのだ。


 人工迷宮は、大陸東部のクラモール山の中腹部にある大きく口を開けた洞窟を利用し、大がつく改造が施された代物だ。

 当初、仲間内だけの利用を目的として造られたが、なぜか途中で飽きられてしまい、作った当人たちは一般に解放することに方針を変更した。

 しかし迷宮内部で発生する死霊アンデッド系統の魔物たちや、仕掛けられた罠はあまりにも危険で、その致死率の高さから一切人が寄りつく事がなかった。当然の閑古鳥である。


 そこで対策を迫られた大先生は、特別に回復系の究極魔術・神秘術〈蘇生〉を施し、迷宮内で死んでも即蘇生し、洞窟入り口付近で放り出す究極の修正措置がなされた。

 ただ、生きて出られる代わりに、迷宮内における魔物討伐より得られたアイテムや、宝箱から得たアイテムはすべて没収だ。当然のペナルティだろう。


 だがこの神秘術〈蘇生〉を施したことが功を奏したのか、一部の挑戦者ヘンジンから人気を博し、次第にクチコミが広がっていった。現在に至っては腕に覚えのある上級者がこぞって訪れる修練の場と化している。

 人工迷宮にはこれといって名称は無かったのだが、いつの間にか常連の利用者(物好きなマゾたち)の間で《天国と地獄(パラダイス・ヘル)》とか《修練の洞窟(トレーニングジム)》などの愛称で呼ばれ定着しているそうだ。


 正直言って彼らはおかしい。とライコウは常日頃思ってはいたが、彼の知らないところでは彼の現地の友人や同僚から常連者と同類だと見なされていた。

 それもそうだろう。仕事とはいえ、精神を病む危険な洞窟に足繁く通いつめるのだから。


 話を戻すが、そこで問題なのは神秘術〈蘇生〉が適用されているのは、『運営側が把握しているエリアのみ』だということだ。

 つまりそれ以外では〈蘇生〉は一切適用されず、誤って踏み入れたが最後、運悪く二度と還って来られないという片道切符のアトラクションとなってしまうのだ。そうなっては折角の集客の苦労が台無しになる。

 神秘術〈蘇生〉が施されてから約二百年。今日こんにちでも続々と未知のエリアが発見されている。どれも危険な罠や魔物が配置されていただけに、探す身にもなって欲しいものだ。とライコウは常々ぼやいていた。



 歩き慣れたダンジョン内をひたすら探索すること三時間。

 幅二十ムールの広い通路にて、腐敗と死を撒き散らす凶悪ブレスを縦横無尽に吐きかける、醜悪な容姿に強烈な腐臭を放つ巨体腐敗竜(ロトゥン・ドラゴン)三体と、ここまでやって来れた腕と自尊心をかけて、懸命に戦闘を繰り広げる聖霊騎士御一行様を尻目に、邪魔にならないよう変装スキル『隠匿ハイド』で足音・姿・気配の一切を消すと、そのまま右側の通路へと飛び込んだ。


「ふぃー……まったく、相変わらず臭い息だなあいつは。あの腐卵臭はどうにも慣れない」


 その飛び込んだ先、右側の通路を行ったところにある、危険な仕掛けも魔物も湧かない何もない只の小スペースで彼は一息ついた。

 ここは魔物が入ってくることもないため挑戦者たちがよく休憩スペースとして利用している場所だ。その為か、いつの間に持ち込まれたのか長椅子やら長机、ランタンなどが多数置かれている。


「ん? あれは……?」


 彼がふと何気なく見渡したところで、あるものが目に留まった。

 この休憩場所の一角に、大きく崩れた箇所がひとつあったのだ。気になった彼はこの崩れてできた隙間を覗きこんでみると、穴の向こうのさらに奥へと続く通路を見つけた。


 隠し部屋に続いているに違いない。そう思い早速瓦礫をつき崩して奥へ進んで行く。彼は慎重に通路を進むと、しばらくして扉のない小部屋に辿り着いた。

 小部屋には青色に淡く輝く宝箱が一つあった。見るからに怪しい。念のため、生命体を検知する探索スキル『索敵サーチ』と、罠を発見する同スキル『検知スキャン』を併用発動してみたが、意識内に表示されるPスコープのような円形の表示には魔物も罠も一切反応がなされなかった。


 ここのダンジョンには光輝く宝箱は存在しないまでも、宝箱だけが置いてある部屋がちらほらある。

 大抵は宝箱に化けた魔物ミミックが多く仕掛けられているのだが、なかには特有ユニーク級や伝説レジェンド級、古代エンシェント級、神代ミストラル級などの滅多に手に入らない貴重な装具が入った『当たりの宝箱』もあった。


 ライコウはその『当たり』だったらどんなにいいか、と切に願いつつ傍に近寄り観察する。

 目の前の宝箱は、青白く光輝く点を除いて、いたって普通の木製の箱だった。だが彼は見た目だけでは騙されまいと、用心に用心を重ねて、手持ちのダガーであちこち小突く。……なにも反応がない。


「……よし」


 そう短く呟くと、肩を小さく回して緊張をほぐし息を整える。そしていざ触診へ! と宝箱の蓋に片手を置いたその時、それは起きてしまった。


「……ん……はっ! しまった!」


 触れた途端、宝箱を中心に瞬時に展開されていく魔法陣。複雑な幾何学模様で描かれたそれは部屋の床、壁、天井へと広がり部屋一杯に構築される。

 この事態に一瞬遅れて気づいた彼は、慌てて触れた箱から手を引き剥がそうとするも、


「くっそ、離れない! してやられた!」


 目一杯に踏ん張って引き剥がそうにも、まるで縫い付けられたように、右手はてこでも離れないでいた。

 そうこうしている中でも、魔法陣は淡々と次のフェイズに移行する。

 構築・展開された魔術、魔法とも呼べる規模のそれは数秒後に金色に輝くと金色の粒子を放出した。さらに光が一層強く輝いた瞬間、膨大な光の粒子の海が有無を言わさず彼を飲み込んだ。

 数分後、光の洪水が収まった時には既に跡形もなく、ライコウは姿を消していた。


 彼が姿を消した後、部屋に残されたのは以前と変わらず淡く輝き続ける宝箱だけ。部屋いっぱいに展開されていた魔法陣はすっかり消え去って、何事もなかったように宝箱は静かに佇んでいる。

 だが、彼が触れるまで存在しなかっただろう光る青文字が、宝箱の蓋で揺らめくように浮かび上がっていた。

 その光に揺らめく青文字はこう記されていた。


 『転送完了 転送先:アラスチア』


 アラスチア。彼がさまよい、帰郷の出発点となった不毛の大地だ。





【補足】


・この世界における国際単位


 1ミリ = 1ミリ


 1セル = 1センチ


 1ムール = 1メートル


 1キロ = 1キロ

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