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逡巡

 上杉朝興、来たる。

 寡兵ながら精鋭五百余の報に、評定の場は静まり返っていた。朝興の意図は分からないが仮に示威行動だったとして、あまりに豪胆な行動に度肝を抜かれたのだ。

 戦において数が最も重要だが、同時に勢いも重要である。

 仮に今回の行動が示威行動だったとして、そのような行為は本来家臣がやるものである。危険は多く得るものは少ない。さりとて敵に武威を示さなければいけないのだから、無能で臆病な者に任せるわけにはいかなかった。

 労ばかりが多い行為を当主自らやると知れば、付き従う者達の感情はどうであろう。

 主君が部下達と危険を分かち合う行為ほど、人の心を打つものは無い。その行為に意味があるかは問題ではないのだ。恐らくは上杉勢の士気は否が応にも上がるに違いだろう。半ば死兵と化した軍勢と、真っ向からぶつかる損な役割を誰が受けたがるだろうか。

「各々方、なにを委縮しておる。たかが五百ではないか。殿、拙者が二千の兵で出撃して刀の錆にしてくれましょう」

 氏綱の発言を無視するわけではないが、大道寺盛昌だいどうじ もりまさは先程発言した笠原信為かさはら のぶため同様に場の空気を読まず積極論を展開する。当主ほどではないが御由緒六家ごゆいしょろっけの一人である盛昌の発言も、また重かった。

 御由緒六家は初代早雲公の駿河下向の際に付き従った六人六家を指し、大道寺氏、多目氏、荒木氏、山中氏、荒川氏、在竹氏を指すと言われる。言わば股肱中の股肱の家臣であり、その発言は独自の重さがある。

 盛昌は御由緒六家の威勢を笠に来たのではなく、やや敵に呑まれかかった流れを変えるため、皆に数の有利を説くことで冷静さを取り戻そうとしたのだ。勿論、出来ることなら自ら出陣し、あわよくば朝興の首級を上げようと思ってはいるのだろう。

「殿、朝興の軍勢は精鋭ではありますが余りに兵が少なすぎます。彼らは本当に江戸城に向かいましょうや」

 皆が冷静になったところで伊豆衆筆頭である清水定吉しみずさだきちは、思考の方向転換を図る。

「良い指摘だ。盛秀、絵図面を開け」

「ははっ」

 氏綱の指示の元、松田盛秀まつだ もりひでは相模、武蔵、甲斐三国について書かれた巨大な絵図面を広げる。相模、武蔵、甲斐三国といっても皆の注目が集まるのは、北条、上杉、武田の国境である

 多摩川を境にするかのようにして津久井城つくい小机城こづくえが北条方にあり、瀬田せた城、小沢おざわ城が上杉方にあった。津久井城、小机城の後方にある鎌倉を守護するかのように玉縄城たまなわじょうが存在していた。

 三浦半島の付け根に位置する玉縄城は北条が重視する城であり、先年、鎌倉を強襲した里見を迎撃したのも玉縄城の手勢である。鎌倉は関東に鎮座する諸大名が自らの支配下に置きたいと思う武門の聖地であり、この地を重視するからこそ鎌倉守護を担う玉縄城には北条きっての精鋭が配置されている。その地を護る者達は玉縄衆と敬意込めて呼ばれていた。

 江戸城に向かう途上にある瀬田、小沢城は上杉方にあるため、交通連絡網はどうしても限られる。結果、戦略的に江戸城は孤立しがちになる。幸い江戸城は海に面しており、北条は水軍を要しているため戦略的に孤立することはないが、小沢城の存在は極めて目障りだった。

 一方、上杉方からみれば小沢城の近くにある小机城は目障りな存在であり、朝興が江戸に向かわず小机城に強襲を仕掛ける可能性は十分有り得る。

 津久井城は甲斐相模の国境に近くにある。武田信虎は余程この城が目障りなのか過去何度も攻撃を仕掛けており、恐らくは此度もこの地を狙ってくることが考えられる。

 それぞれの城にはそれぞれの事情が存在していた。

「殿。朝興の狙いは本当に江戸でありましょうや。江戸城を護る富永四郎左衛門とみながしろうざえもん遠山四郎兵衛とおやましろべえは共に勇将であり、配下の兵達も勇猛果敢であります。しかも江戸城は堅城であることを考えれば、僅か五百の兵で落とせるとは到底思えません。故に小沢城の近くにある小机城が狙うのが常道ではないかと」

 定吉は常識的思考から朝興の進路を疑っていた。

 小机城が落ちやすい城だとまでは思わないが、少なくとも江戸城よりは落ちやすい。その地を精鋭で強襲すれば落ちないとまでは言い切れなかった。

「定吉の言い分には一理ある。なにより小机城が落ちれば江戸城はより孤立するであろう。そちの言を取り入れる。万が一に備え本陣を小机城に移し、戦局の変化に対応するとしよう。小田原城は盛秀、そちに任せる」

「お任せ下され」

 氏綱の決定に家宰である盛秀は慇懃いんぎんに従う。主君が留守にする間、本城を護ることも家宰の役割であった。信頼と能力が家宰に求められるのだが、逆に言えばそれだけに主君朝興より江戸城の留守を任されていた、太田資高おおた すけたかの裏切りの意味は大きかった。

「甲斐の件だが、小山田が国境に集結しつつあるとの報がある。恐らくは此度も津久井城を狙うのであろうが、そうはさせん。清水定吉、その方四千の兵を率いて敵の気勢を制すのだ」

「ははっ」

 一軍を任された定吉は畏まって主命に従ったが、何かを言いたそうな表情を一瞬みせる。氏綱も定吉の変化に気付いてはいたが、あえて見なかったことにする。

 各将の配置が決まっていく中、やはり最後に残ったのは朝興への対応であった。

 いままで発言を控えて大藤信基だいとうのぶもとが意見を述べる

「上杉朝興の率いる兵は寡兵ながら精鋭であり、まともに当たるのは如何なものかと。某が思うに彼等の目標が江戸城であるならば業と素通りさせ、江戸城に取りつかせたのち、我らも江戸に向けて進軍して挟撃するのが得策ではないかと」

(なるほど、信基は流石軍配者らしい雄大な策を考える。だが、しかし)

 氏康は信基の策に感心しつつも一抹の不安を感じないでもなかった。氏康の思いとは異なり、家臣達は信基の雄大な策に呻るだけで批判の声は上がらない。軍記物を再現するかのような信基の策に氏康も魅力を感じてはいるが、少し精密すぎて危うさを感じぜずにはいられなかった。

 戦とは軍記物や絵図面のように奇麗に動くものではない。下手に精密な策を講じれば綻びが生じやすく、そこを敵に突かれると思わぬ大敗を喫しかねないのだ。その典型的な例が川中島の合戦であろう。

 こちらが数でも地の利でも勝っているのに、あえて隙を見せる必要があるとは氏康にはどうしても思えなかった。

 氏康の不安は暫し置いておくとして、当主である氏綱も信基の策を考えないでもない。

 精鋭五百とまともにあたるのは避けた方が良いとは思う。しかし、だ。信基の策は重要な点を忘れていた。『南武蔵の諸豪族に侮られかねない』と評定の冒頭で述べており、北条には江戸へ進撃を許す訳にはいかない事情があるのだ。つまり、精鋭五百とまともにぶつかるのは不利と承知であえて受け、しかも打ち破らなければいけなかった。信基は最新技術に通じ頭も回るのだが、足元が見えない傾向があるのを氏綱は以前より気にしていた。

 なにより恐れている事態は、朝興が僅か兵五百で打って出た理由が速度であった場合だ。江戸城は堅城であり兵五百などでは落ちない。仮に落ちるとしたら内応であろう。そして仮に内応が起きるとしたら、なにより重視しなければいけないのは機を逃さない速度である。

 江戸城を護る富永、遠山両名の忠誠心に疑いはないが、先年上杉を裏切った大田はどうであろうか。内応した人間が一年と経たずに再び内応したとして、朝興が大田を許すなど氏綱には思えないが、戦国の世はなにが起こるかわかない。或いは太田は裏切らずとも、その部下は嫌々北条方に下った可能性はあり得た。

 他所者である北条を嫌う者はそれだけ多いのだ。

 家臣達を前にして、根拠もなく江戸城に居る者達の忠誠心に疑いありとは、軽々しく言えない。

 氏綱には氏綱の策がある。

 評定を重視する北条家の家風から、家臣達の頭越しに決定を伝えることは出来れば避けたかった。

 氏綱が評定の行方を気に止んでいたとき、信基と同じく今まで発言していなかった弟の北条長綱ほうじょう ながつながようやく口を開く。

「兄上、信基殿の策は雄大であり確かに興味を惹かれます。ですが上杉武田との連携を考えれば、出来るだけ早く決着を付けるのが肝要ではないかと」

「では、そちは如何するか」

 長綱は弟だけあって氏綱の胸の内を読んだのか、内応云々に触れないまま信基の策をやんわりと否定する。

「ここは小机城から我らが小沢城に向けて打って出ることで、朝興に決戦を強いるのは如何でしょうか。のう、氏康殿もそう思われないか」

「……それがしも叔父上と同意見でございます」

 いままで発言をしていなかった叔父である長綱が自分に話を向けて来たことに、氏康は内心驚いていた。動揺を抑えつつも周りをよく見ると、父氏綱と叔父長綱が何かを言いたげな表情で自分を見ていることに気付く。

(なるほど、そういうことだったのか)

 氏康は二人の視線の意味を理解した。

 むずりと前に出ると、氏綱に体を向け直し発言を行う。

「父上、お願いがございます。此度の戦、この北条新九郎氏康ほうじょうしんくろううじやすに初陣をお命じ下され」

「敵は五百と寡兵ながら精鋭だ。そちで勝てるか」

「必ずや見事に初陣を飾ってみせます。重ねてお願い申し上げます。どうか、北条新九郎氏康に初陣のお命じ下され」

 嫡男の思わぬ発言に、評定の場は俄かに湧きたつ。

「殿」

「兄上」

 家臣達は皆、氏康の申し出を支持した。

 敵の当主相手に初陣を望むなど大胆極まりないが、考えてみれば相手は五百なのだ。こちらが多数で襲いかかれば勝てないこともない。しかも数は少ないが大将は上杉朝興配下の武将、難波田弾正少弼忠行なんばだだんじょうしょうひつただゆき上田蔵人政盛うえだくらんどまさもりは共に音に聞こえた兵である。初陣を飾るにこれほど相応しい相手がいる筈がない。

 朝興の思惑は分からないが、敵がわざわざお膳立てしてくれた初陣の機会を逃す手はなかった。

「良かろう。氏康、北条家の嫡男に相応しく見事に初陣を飾ってまいれ。笠原信為かさはら のぶため、その方は玉縄衆千名を率いて氏康と共に朝興を迎撃せよ。同じく大藤信基だいとうのぶもと、その方も自慢の焙烙火矢ほうろくひやを披露せよ。大道寺盛昌だいどうじ もりまさ、その方は瀬田城を攻め氏康を側面から支援せよ」

「ははっ」

 三者は共に平伏して主君氏綱の采配に従った。

 先程まで若干の意見対立はあったが、嫡男の初陣が告げられたのだ。文句があろうはずがない。氏綱に指示が終わったところで、甲斐との国境への出兵を命じられた清水定吉が発言を行う。

「殿、折り入ってお願いがございます」

「申してみよ、定吉」

「ははっ。我が息子、清水吉政しみずよしまさにも初陣の晴れを御命じ下され」

「吉政は氏康の乳母子であったな。良かろう、清水吉政の初陣も氏康と共にするが良い」

「難き幸せ」

 ここに至り、家臣全員は今日の評定の意味を理解した。

 火急に集められたのは上杉朝興への備えなどではない。全ては嫡男、北条新九郎氏康の初陣への気概を皆に見せるためだったのだと。

 後に武田信玄・上杉謙信・今川義元らと戦って、生涯不敗を誇る名将となる北条新九郎氏康の初陣はこのように決定されたのだった。

 武家に生まれたものにとって、初陣はいつか飾らなければいけない。

 それが戦国の世なのだ。

 さりとて、我が子を戦に送りたい親など本来いない。

 逡巡。

 それは親であると共に主君でもある、北条氏綱の心の葛藤であった。

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