若武者達(二)
話し疲れたのか、氏康は歩くのを止め傍にあった石に腰を掛ける。評定の場に急がなければいけないのは分かっているが、その前に思索をまとめたかった。仮に思索自体に意味がなかったとしても、現状を正確に掴むことに如くはない。父、氏綱が評定の前に一定に思索を済ませていることに、傍で過ごしている氏康は気付いていた。それは、いずれ自らが三代目となったときに必要な行為であると思うからこそ、今のうち身につけておく必要があると感じているのだ。
乳母子である清水吉政は頭はそれほど切れないかもしれないが聞き上手なところがあり、氏康は吉政を相手に問答をすることで自らの思索をまとめる一助としていた。
既に駿河の今川、下総の古河公方、下総の小弓公方とそれを擁する上総の真里谷武田、海を挟んでは安房の里見については考えを見当が付いていた。
残るは甲斐の武田と北武蔵の扇谷上杉。
「甲斐の武田と北武蔵の扇谷上杉が婚姻による同盟関係にあるのは知っているな、吉政」
「我等はそれに気づかず、1月には小沢、瀬田の両城を奪われましたな。あれは苦い敗戦でした」
「そのとおりだ。我等は数で勝るが一方で多数の敵と国境を接しているため、多方面からの同時攻撃には脆い面がある。領土の広さが弱点になるのも妙な話だが、甲斐武田と扇谷上杉はその点を熟知しておる。なにより、一度成功しておるのだから、同じ手を使うのも容易であろう」
「今までの話から、この度の評定が武田と扇谷上杉との連携攻撃について話し合われることは分かりました。ですが、先ほど説かれていた小弓公方と上総の真里谷武田の件はどうなるのでしょうか」
「いい点を突くな、吉政。古河公方は我らと結びたがっているが、我等はまだいずれとも友誼を結んでおらぬ。真里谷武田は反対であろうが小弓公方にしてみれば、出来る事なら無傷で鎌倉入りをしたい筈だ。つまり、小弓公方にしても我らと友誼を結びたいのだ。父上は筋目から考えて恐らく古河公方を選ぶであろうが、今はあえて旗幟を鮮明しないことで小弓公方への牽制としている。里見の件はあるが、今はまだ戦う時でないと考えるであろうな」
今日の議題は『甲斐武田と北武蔵の扇谷上杉』と言い切る氏康の瞳に迷いの色はなかった。
頼もしい嫡男の顔に清水吉政は恥いるように頭を下げる。
だが、同時に嬉しくあった。
自分を窘める氏康は今でこそ才覚溢れる若武者となられたが、幼少の頃は気の弱さから臆病愚鈍と影で囁かれ、我が子の先を案じた主君氏綱公からあわや廃嫡されかかった。その逆境を糧としていたことを、乳母子である吉政は誰よりも知っていたのだ。
頭を垂れているため人の目に触れていないが、吉政の目には薄らと涙が流れていた。