若武者達(一)
巳の刻(午前十時)。
重臣一同は小田原城に至急集められていた。あまりに急であったため各地に散っている者達はこの場にいない。この点からも今日の評定はなにか重大な事態を告げられるであろうと、皆気付いていた。それはまだ元服仕立ての嫡男、北条 氏康も同様であり、乳母子である清水吉政を連れ評定の場に急いでいた。
「吉政、今日の評定について思うところはあるか」
「氏康様。これほどの火急の呼び出しならば、恐らく国境で衝突があったのではないでしょうか」
「であろうな。だが、それでは答えと言えない。我が北条は多くの国々と接しておる。駿河の今川、甲斐の武田、北武蔵の扇谷上杉、下総の古河公方、下総の小弓公方とそれを擁する上総の真里谷武田、海を挟んでは安房の里見。軽く上げただけでもこれだけある。吉政、お主の答えは一見すると問いに答えているようだが、その実は答えとは呼べないものだ。そのような発言は評定の場でするでないぞ」
「はっ」
軽く窘められたが、同時に一つの疑問が吉政の脳裏に宿った。
「ところで氏康様にはどのようにお考えでしょうか」
「お主、俺を試す気だな」
「滅相もありません。ですが、恐らくは見当が付かれているのではないかと」
「まあな。ああは言ったが駿河の今川殿はまずない。少なくとも今川氏輝殿が御健在のうちは当家と刃を交えることはないだろう。父上もそのように判断されたから、祖父早雲が今川 氏親殿から賜った河東の地を友誼の証として今川殿に還されたのだ」
「確かに。血で血を争う戦乱の世にあって、こちらから土地を明け渡すとは剛毅なことをされると思いましたが」
「あれは友誼をより厚くするための策だが、同時にその気になればいつでも取り返せるという脅しの意味も込めてある。これだけ念を押しているのだ、万が一にもするが駿河が刃を我らに向けることはあるまい。我等北条は駿河の支持があるからこそ後顧の憂いなく関東に出られ、今川殿も同じく西へ西へと兵を進められるのだから。今川殿の動きは読みやすいが、下総の古河公方となると正直良く分からない」
「分からないのですか」
吉政は音に聞こえた怪力の持ち主であり好男子であるが、頭を使うのはそれほど得意ではない。だが、得意でないからと忌避できるほど北条家は甘くなかった。
北条氏の特色に評定重視の考え方がある。
その歴史は後に甲斐の虎と恐れられる武田信玄が行った評定重視の政策より遥かに歴史が古い。北条氏の評定重視政策は、初代早雲公の時代からのものである。信玄の着想が誰を基にしたのかを歴史は語らないが、北条氏のそれを参考にした可能性は否定できない。
少なくとも北条氏の評定重視の政策の方が、武田氏より遥かに歴史があるのだけは確かだった。
評定衆に取り立てられれば、主君の前で自分の見解や意見を発言する機会を与えられる。発言しないものは無能力者と見なされかねないから、皆必死で学ぶ。しかも輪番なので逃げられないのだ。
制初代早雲公からの伝統であるが、早雲が建仁寺と大徳寺で禅の修業をしたことを考えると、禅問答を応用した気がしないでもない。
将来を嘱望されている清水吉政は、いずれ評定の洗礼を浴びる運命にあり、氏康はその時のために吉政を鍛えていた。
「これ、そちの分からないと一緒にするでない。分からないが推測は出来る。先年鎌倉八幡を荒らした不届き者、安房の里見は小弓公方の配下にある。鎌倉八幡を焼かれはしたが、その後撃退したことを考えて里見にいまはその余裕はないだろう」
「古河公方様から離れておりますが……」
「慌てるな、吉政。これは思索の呼び水」
「はあ」
吉政にはまるで関係ないように思えるが、聡明な氏康がそう言われるのだからと一先ず納得することにした。
「敗れはしたが安房の里見まで配下に置いた小弓公方の勢力は、その勢いを増しており油断がならない。だが敵が強くなれば、その敵を敵と捉える古河公方は面白くあるまい。本来、関東に公方は一人であり、それが例え兄弟であろうとも足利 高基殿は御認めにならないだろう。両者は共に天を戴かない運命にあり、そこに兄弟の情が入り込む余地はないのだ。我らが江戸に進出したことで上総の真里谷武田と緊張関係にあり、その真里谷武田は小弓公方側であることを考えれば、彼等を共通の敵とする古河公方は我らに接近する理由となる」
「ということは、今日の評定では小弓公方の動きが話題なると氏康様はお考えで」
「まだ話し半分だ、吉政」
「甲斐の武田と北武蔵の扇谷上杉がまだでしたな」
「そのくらいは覚えているな。偉いぞ、吉政」
「あんまりです」
馬鹿にされているが清水吉政の表情に怒りの色は無かった。それが彼等の日常であり、遊びであることを二人とも分かっているのだ。