02
ごう、と高らかに咆哮が城下へ鳴り響く。色素の狂った真っ赤な大空の大気を揺らし、響き渡る鐘の音と共に亜人種の将軍が旗を揚げる。久しく響いたであろう爆音に城下の魔族たちは待ちわびたといわんばかりに、姿を表した新たな魔王へと視線を集めていた。
かつりかつりと魔剣士が民衆の前へ進めば、その腰に下げた魔剣を引き抜き天へと捧げる。
「──同胞たちよ、聞け」
静かに、だが水面を揺らしていくように凛とさざめくように発せられた言葉は、ぐらりと世界を揺らすような力を持っているように思えた。
宣言への浮かない顔を隠すように魔王の仮面を被った皇は、その仮面の奥でただ決められた宣言を脳裏に刻んでいくことに徹することにしていた。
天秤にかけられた標的は互いに皇にとっては重く、互いに世界にとっては簡単な結果を見せている。しかしそれでも望んで飲み込んだ劇薬の衝動には、従わなければならない。それでさえ抗わねばならぬという本能を、あの少年には勇者向きだといわれたけれど。こんな思考回路はあるだけ苦しむだけだとすら思えてくる。
「あの忌まわしき日から百年、百年が経過した。ついに我らが舞台に降り立つ日がやってきたのだ」
魔剣士が続ける。百年前の災いと戦いの歴史に関しては皇もある程度話を聞いていた。とはいっても、よくある話だ。
魔の支配していたこの大陸で人間たちが反旗を翻し、勇者という存在を立てて叛逆の戦いをはじめた。
そして、勇者と呼称されるそれに魔王が討たれたのが丁度百年前の話になる。ただ通常と違うと感じるのは、その勇者は後に処刑されたという点だが。魔族の百年は長いようで短いと亜人種の将軍、冬将軍は語る。だからこそその時の屈辱と闘志と誇りを、今でも魔族たちはその血に宿し続けているのだろう。
「かつての栄光と平和を取り戻すため磨き続けたその力、今こそ行使の時は来た──剣を取れ! 我らの魂と誇りにかけて戦いを捧げよ!」
豪哮の最中、皇はぼんやりと昨日の会話を思い返していた。
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炭鉱と迷路の国ベンウィックを襲撃する。
魔王としての大規模な初仕事に、皇は困惑と葛藤を隠せずにいた。ぐるぐるととぐろを巻く後悔と良心の板挟みから逃れるようにベランダへと出てはみたが、生憎夜空の見えぬ曇り空。灰色の気分がそのまま横たわるように、皇は小さくため息をつく。
「ずいぶん悩んでるみたいだね」
ばすんと意識を無理やり切断されるような感覚と気配に、皇はすぐさまデッキとバトルディスクを構え振り返り「誰だ」と声を叫び飛ばす。数日の間で培われた警戒心と元いた戦いの空間が結託した結果、結局そういう方向に身体は進化していたらしく反応だけはよくなっていたらしい。
しかしそう身構えるまでもなく、それは暗がりからするりと抜けて皇の視界に姿を現した。
「そう警戒しなくても、別に何もしないさ」
少なくとも今はね。
くすりと笑ったそれは、人間の少年だった。
皇よりもすこし年下に見える少年は、この魔王城には不似合いなほど異質な雰囲気を背負って悠々とマイペースに歩を進め、一定の距離を保って静止する。
くすんだ赤毛の髪をかすかな風に揺らせながら、少年は少年らしいあどけなく大きな翡翠色の瞳を持って此方を観察しているようだった。急に襲い掛かってくる様子も見えないことから、皇はすこしだけ構えを解きさらに反応を伺う。
「お前は誰だ」
皇はもう一度同じ質問を投げた。少年は「生真面目だねぇ」と肩をすくめながら苦笑すると、比較的アッサリと彼は名を名乗った。
「ボクはルカ、アルスマグナ/冒険者同盟のルカさ」
冒険者だとも名乗りを上げたそれ……ルカはにこりと笑い此方の返答を待っているようだった。皇は出来るだけ自然に名を名乗ったが、ルカは「うん、知ってる」と中々に浮かない覚めた瞳で此方を眺めている。
何をしにきたのだろうか。どうやら此方を倒しにきたという訳でもないようだが。消化し切れない疑問符を打ち消すようにルカは表情も変えずに喋りかけてきた。
「人間として相当悩んでるみたいだけど、君、もう戻れないと思うんだけれど」
魔王軍は既に複数の村を密かながらに襲っている、そのことを刺しているのだろうか。どうであれ皇にはその言葉に何か言葉を返すということは出来ないように思えた。戻れないことは重々分かっているつもりだが、結局のところつもりでしかないのだ。人を棄てろとまでは言わない魔族たちの言葉に、甘えているだけなのかも知れない。
目を伏せた皇を無視するかのように、ルカは本来の目的を果たすかのように続ける。
「ひとまず、冒険者から一つ目の警告だよ」
金属がすべる音が皇に向けられていることにたいし、皇は自身でも驚くほどに冷静だった。少年に剣を向けられているというのに、どうしてここまで落ち着いているのか、そんな理由まで思考回路が追いつくはずもなく、
「覚悟を決めろ、魔王」
鋭く突き刺さる言葉に、皇はただそこに立ち尽くすことしか出来なかったのを、鮮明に覚えている。
「……分かってる」
言葉を決意に変えるように、皇はぽつりと呟きを落とす。
「分かってるんだ」
ひたひたと精神を蝕むそれに、半分以上怯えるように。
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「はっはー、よりにもよってあんた居る時に腐敗者共こっち来ちゃうっすか」
ベンウィックではめったに使われない玉座にぐったりと手で顔を覆ってため息をつく王は、未だ年も対して重ねていない少年であった。だがそれは外見上の話であることも、ベンウィックの者たちはよく分かっている。もちろんその隣に寄りかかる一人の王もどきも、例外ではなかった。
「……なんだか俺が外に出ると、こういうことばかり起きる気がするんだけど」
王もどきもまた頭痛を訴えながらも、やれやれとここからおきることを考えては頭が痛くなってやめる。元々頭脳派ではないのだし仕方がない。
そういうこともあるっすよ。と慰めなのかどうなのかも分からない言葉を少年の新米王は投げつけてくるが、王もどきは適当にそれを放り投げる。
「今回も負ける気は」
「毛頭ない」
「さすがだな」
あくまでも敗戦を捨てるその潔さだけは見習っていいのかもしれない。
王もどき、ブリテン王の替え玉は胸の奥で埋めく予感から目を逸らしながらまた一つ、息を吐いた。